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スタイルが

独言・日記

なぜか画像サイズと1行あたりの本文文字数がおかしくなったのでスタイルを変更中・・・。

と思って調べたら、クーパー荷重の画像がおかしくなっていた。一度に表示するエントリの数を減らしてクーパー荷重の件を表示しないようにすることで後ろ向きに解決。

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スーパーテネレの修理完了

スーパーテネレの修理完了

スーパーテネレ・テネレ700

YSP横浜南さんに預けていた、走行5万マイル(8万km)のスーパーテネレがあがってきた。お願いしたのは、始動不良というより異常の解決。自分でできること、すなわち吸気と電装までは既報のとおり見ていたが、これでダメならもうエンジン部分しかない。バルブタイミングの異常か、そうなったらもう自分の手には負えない。そう思って、思い切って預けた。ここから先はプロの領域だ。

20100425-6.jpg
結論から言うと、エンジンの圧縮がわずか3kg/cm^2しかなくなっていたことが始動不良を引き起こしていた。通常の数値はサービスマニュアルを見ても載っていなかったと思うが、12~13kgのはず。スタッフの方は、測り間違いじゃないかと思って再度やってみたそうだ。

圧縮が抜けていた原因は、バルブへのカーボンの堆積。また、バルブのリフト量が狂っているというか、常に少し空いている状態になったいたようだ。バルブタイミングに異常はなく、カーボンを除去したバルブは特に摩耗しているわけでもないので摺り合わせの上、再使用したとのこと。

20100425-1.jpg20100425-2.jpgカーボンは、バルブだけでなく、ピストン上面にも体積。目測で0.3mmとか0.5mmとかの量。触るとボロボロと崩れる。下の写真はカーボンが堆積した部分をこすってみたものだ。

ヘッドを開けたのだから、ピストンを交換していただいた。部品代6万610円中、ピストンだけで約2万円だ。

・ピストン 6000円
・ピストンリングセット 3070円
・ピストンピン 1050円
これらが2組。

20100425-3.jpg20100425-4.jpg

20100425-7.jpg屋内保管なのだが、屋内に入れるとガソリンの匂いが充満してしまっていた(コックをオフにするとしばらくして消える)が、その原因は右側コックにあった。で、交換していただいたのだが、コックアセンブリ5370円はこの内側のパーツだけなのね。

20100425-5.jpg奇麗にした外装とは裏腹に、エキパイだけは錆び錆びのまま。ここにCO濃度を測るためのドレンがあるが、なぜかこれがなめていたという。開けたことなどないが、タップ切り直し。

20100425-8.jpgゴムやプラの劣化が激しい場所は、部品を交換。明細には、OリングOリングOリングOリングOリングOリングOリングガスケットガスケットガスケットガスケットガスケットガスケットガスケットガスケットといった案配で並んでいる。
今回の処理一連で、工賃込み約14万5000円。20万越えを覚悟したが、思ったより安くあげていただいたという印象だ。それもこれも、YSP横浜南さんにガルルがお世話になっているからかもしれない(アレ? お世話になってるのにさらに安くしていただくなんて逆じゃないか?  お世話になっているんだから高くなってもおかしくないのに??)

前みたいに年間2万kmも3万kmも乗ることがない今、「次」のこういう機会があるのかどうか見当もつかないが、大切に乗って行こうと思う。


『鉄道の旅手帖』類似品

『鉄道の旅手帖』類似品

独言・日記

丸田祥三氏が小林伸一郎氏を訴えた『風景剽窃裁判』(リンク先は、丸田氏の主張ブログ。公平に小林氏の主張を読んでみたいが、小林氏が主張するサイト等はない)は、かねてより話題となっていた。2009年初頭のことだったと記憶する。それが、さる2010年4月22日、東京地裁での尋問に、初めて小林氏が登場するということをツイッター上で知り、あわせて氏のブログも知った。

氏の『棄景』(1993年)には、大変なショックを受けた。その題材に、その表現に。私の廃もののルーツは過去に書いたことがあるが、そのころの心持ちで言えば、1991年に北海道に鉄道旅行に行った際、函館駅で購入した堀淳一氏の『北海道廃線跡を紀行する』(北海道新聞社)の内容に想像をたくましくしていた頃だ。そのころはインターネットも携帯電話もなく、すべての情報は紙媒体から得ていた。なにかの雑誌に、『棄景』の書評があった。講談社『VIEWS』あたりだったかもしれない。

欲しい、と思った。しかし、2800円もする。いまでも高価だと感じる価格である。毎日、大学のそばの弁当屋で300円台の弁当を食べていたような生活において、2800円は高い。しかし、この本は2800円出しても欲しいとおもった。そして、確か新宿の紀伊国屋だったと思うが、そこで購入した。いまでも大切にとってある。現在の宝島社が、まだJICC出版局と称していた頃の刊行である。

話が逸れてしまったが、丸田氏のブログの中の「混同されてしまうという切実な問題」におおいに共感するところがあり、ここに一文を記しておく。



2007年4月、私が作った『鉄道の旅手帖』が発売された。配本前から評判は高く、注文を非常にたくさんいただき、配本前にすでに重版を決定。5月、6月、7月と版を重ね、10月に7刷、翌2008円に8刷となった。2008年から2009年にかけて、類似の手帳タイプの商品が3誌刊行された。

類似商品の刊行は、とくに目くじらを立てるものでもない。むしろ名誉なことである。私が過去に手がけてきた仕事だって、他社で売れた本の「改良版」みたいなものもあった。しかし、それぞれに「前作を凌駕するもの」であれば、それはそれで刊行の意義もあるというものだ。そんな類書の中で、学研の『ぬりつぶし式鉄道地図手帳』は、許せない商品だった。


t1.jpg『鉄道の旅手帖』2007年4月刊。

函館市電の書き方にも注目してほしい。本書は1980年以降に廃止となった路線にはグレーの網掛けをしてある。

函館市電の停留所名や廃止区間の営業キロは、私が函館市交通局に問い合わせたところ、函館市交通局の方が手書きで解説したものをお送りくださったものを反映している。

市電の停留所間の距離など、市販の時刻表などには書いておらず、また函館市電に限っては参考となる資料も刊行されていなかったと記憶している。











g.jpg『鉄道地図手帳』2009年3月刊。

こちらは1987年以降に廃止になった路線に網掛けをしてある。

函館市電の各路線の並び順も同じ。営業キロも書いてある。

















3段組で駅のリストをレイアウトし、各段がチェック欄・駅名・営業キロ・メモ欄という体裁、空き部分がメモ欄になるという体裁まで同じ。「○年○月○日限り廃止」という文言も同じ。この文言は、校正をお願いしていたワイ・ワン・ワイの澤井弘之氏の助言により、このように表記することにしたことまで覚えている。

廃止日というのは、営業を終了した翌日である。だから、普通「3月末廃止」というのは「4月1日廃止」が正しい。wikipediaの記事もすべてそうなっている。しかし、これでは誤解を生じかねないため、「○月○日限り廃止」という言い回しにした。

そして、これである。
20100423-2.jpg
『鉄道の旅手帖』(2007年)。




20100423-1.jpg学研『鉄道地図手帳』(2009年)。






注目していただきたいのは、

「廃止線を含む総距離」
「現存線の距離」
という言い回し。

これは、私が考えたものである。こんな回りくどい言い回しは、「鉄道ファンお馴染みの言い回し」でもなければ「専門用語」でもない。誤解の生じないよう、回りくどくてもこの言い回しにしたのである。学研版だけに「乗車距離」があるように見えるが、『鉄道の旅手帖』では画面外に「私が乗車した距離」という欄がちゃんとある。

先のレイアウトや廃止路線の表現も含めて、偶然の一致だろうか? 自分なら、真似するにしてももっとうまくやるぞ。


そして冒頭に戻る。「混同されてしまうという切実な問題」だ。わからない人には、学研が正で、『鉄道の旅手帖』が真似した、と思われてしまうかもしれない。たまったものではない。しかし、学研版を先に手に取った人は混同し、そう思っても不思議ではない。

もちろん、版元として抗議するか迷ったが、これだけでは販売差し止めとまではいかないだろうことは容易に察しはつく。しかも、いろいろな手間を考えると、さんざん面倒な思いをした挙げ句、その間に学研版もそこそこ売れていき、利益を確保してしまうだろう……。放置するしかなかった。

幸か不幸か、ある取次の方から聞いた話では学研版は……な結果らしい。『鉄道の旅手帖』は、8刷である。書店からは「最新版を出せ」とのオファーが随分とある。


以下は自画自賛である。
『鉄道の旅手帖』以降、「乗りつぶしチェック」のための本は、手帳タイプの類書3種、B5判2種が刊行された。しかし、どれも現実的ではないか、情報量に難があるか、あるいは稚拙な作りになっている。

ほんのわずか数年前に廃止された路線さえも掲載されていないような本が、「乗りつぶし」のためになるのか? 鉄道旅行は「これから」だけではない、「過去」にもあった。国鉄時代からの鉄道ファンならば、国鉄時代に廃止になった路線に乗ったこともあるだろう。それを蔑ろにするな。民鉄や第三セクターも蔑ろにするな。

情報量としてもっとも多いのは、新潮社『乗りつぶしノート』である。これは『日本鉄道旅行地図帳』の派生商品なので、「全廃線・全駅(実際には漏れが多数ある。それは、森林鉄道の事情を考えれば無理もないことだと思っている)」が掲載されている。次いで『鉄道の旅手帖』。1980年以降、つまり国鉄合理化での廃止が加速して以降の国鉄・私鉄の廃止路線を掲載している。他の本は、すべて廃止路線・駅は無視している。

また、エリア分け。『鉄道の旅手帖』は、鉄道ファンの行動範囲や、乗り継ぎ駅等を基準に綿密な地図割りを考えた。それだけで1週間かかった。しかし、他の本は、適当。本当に適当。県別のものもあるが、鉄道は県別に乗り分けることなどないので、これはユーザー視点ではない。

刊行から3年たっても、コストの面から妥協せざるを得ない部分がたくさんあった『鉄道の旅手帖』がもっとも使いやすいものであるのが不思議でならない。妥協せざるを得なかった部分というのは、京阪神付近の地図、大手私鉄と地下鉄の駅リスト等である。これらは紙数の関係から割愛してしまった。それでも、後発の類書と比較して、もっとも情報量が多いのが本書である。

長くなった。書店さんからは、いまだに『鉄道の旅手帖』へのラブコールがある。書泉グランデでは、刊行から3年経ってもレジそばに平積みである。このラブコールには、1ヶ月以内に応える予定だ。

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英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その2)木津川橋梁

ポニーワーレントラス

引き続き、ポニーワーレントラスの横桁について書く。
引き続き、リストと首っ引きでググったり画像検索したりしている。

ふと、関西本線木津川橋梁にあたった。ポニーワーレンを補強したランガートラスという異形の橋で、つとに有名な物件である。これならば、ネット上に写真が あるだろう、と思ってさがしたら、あった。

ぼうふらオヤ ヂの関西きまぐれ紀行 by TAAさん

なんだこれは。また横桁の新パターンじゃないか。まるで古い鉄道用台車の釣り合い梁のような凹字形をしている。この橋は1896年パテントシャフト製ということがわかっているので、ひとつ分類ができた。

1896年パテントシャフト製の横桁は、凹字形。
ただし、トラスの高さは12フィート。


残念ながら、これはイングランドの共通設計のポニーワーレントラス(トラスの高さは9フィート)ではないが、ひとつのヒントにはなろうかと思う。滋賀県の近江鉄道の愛知川橋梁も、高さ12フィートである。図面がないのでわからないが、設計活荷重か、橋幅が異なるのかもしれない。


ついでに、木津川橋梁と言えば大阪環状線の斜橋も有名。ググっていたら、これをNゲージ用に作ってしまった人がいた。ブログを読むと、鉄道模型関連商品 メーカーのCASCO(事業停止したWINのウレタン製車両ケースの中敷きを継続販売している会社。WIN製のウレタンは私もかなり持っている)がペー パーでの製作を依頼したものだという。

CASCO のブログ

製 作者のサイト

いやはやすごい。



英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(簡易版)伊達橋・小貝川橋梁・五行川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(簡易版)伊達橋・小貝川橋梁・五行川橋梁

ポニーワーレントラス

写真もあまりなく、あっても横桁など写っているものはさらに少なく、そもそも考察することに意味があるのかないのかわからないが、『日本の廃道』47号のTUKA氏の記事「伊達橋」(福島県)を見てからどうにも気になり続けているので、軽く調べが及ぶ範囲で調べてみた。対象は、イギリス系(イギリス製ではない)の100フィートポニーワーレントラスの横桁の形状である。

伊達橋のは、こうである。下部が曲線を描いている。『日本の廃道』47号より引用。
20100422-1.jpg





















この伊達橋が、鉄道黎明期のイギリス系ポニーワーレントラス桁の転用であることは確実だが、どこの何橋が転用されたかはわかっていない。『歴史的鋼橋集覧』は、日本鉄道(いまの東北本線)の名取川橋梁との関連性を指摘している。伊達橋の工事が1916年-1921年の間に行われているのに対し、名取川橋梁(7連)、名取川避溢橋梁(1連)はどちらも1917年に撤去されている。両者、計8連ともに1887年開通であり、伊達橋で使用された8連分(うち2連分に鉄材を継ぎ足して200フィート桁にしあげたのは『日本の廃道』ほかで述べられている通り)と、時期、個数ともにあう。場所も仙台と郡山、この距離感を現代の距離感で考えるのは非常に危険ではあるが、相対的に近いといえるだろう。名取川と阿武隈川の河口同士は10kmほどしか離れていない。水運で運んだのかもしれない。

転用した年度については、ひとつ注意しておきたいことがある。『歴史的鋼橋集覧』に「明治中期のイギリス系ポニーワーントラスを鉄道省から払い下げてもらって」とあるが、これが本当に正確であるのなら、鉄道省は1920年に設置されたものであるから、8連のトラス桁は1917年の撤去後、1920年5月15日の鉄道省発足までどこかで保存し、5月15日以降に払い下げ手続き、そして伊達橋への架橋作業が行われたことになる。しかし、単なる「鉄道院」との書き間違いの可能性も十分にあり、私は「書き間違い説」と取りたい。



さて、伊達橋のトラス構は、見れば見るほど真岡鉄道五行川橋梁小貝川橋梁と同じだ。いまのところ、100フィートポニーワーレン橋のトラス構部分については製造所や年代についての差異を発見していない。詳細に見ればなにがしかの発見はあるかもしれないが、いまのところはまだ見つけていない。

この100フィートポニーワーレントラスは、鉄道を管轄していた工部省(1870年-1885年)主導で標準設計がなされていた。その設計者はEnglandである。もちろん、国家としてのイギリスのことではなく、人の名である。このEnglandなる人物は、1874年当時の「技師長」であったこと以外は残念ながらわからない。西野・小西・渕上論文『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)英国系トラス2』によれば
このトラス桁は’’ポーナル形’’ポニーワーレントラスと呼ばれることが多いが、Pownallが設計した訳ではなく、適切な呼びかたではない。設計者は70ftトラスと同じEnglandであった
とあるので、おおかたポーナル直系のイギリス人なのだろうと推測している。ポーナルは、わが国鉄道黎明期の鉄道の土木工事を統括した人物で、プレートガーダー橋の標準形式などにその名を残している。のちに、ジョン・アレキサンダー・ロウ・ワデルを代表とするアメリカ流の設計に取って代わられてしまうのではあるが。この種のポニーワーレントラスを製造したのは、イギリスのBraithwaite & Kirk(ブレイスウエイト・アンド・カーク)、Cochrane & Co.(コクレーン)、Hamilton's Windsor Ironworks(ハミルトン)、Handyside(ハンディサイド)、Patent Shaft & Axletree(パテントシャフト)のほか、アメリカン・ブリッジ(アメリカ)とハーコート(ドイツ)がある。


話を横桁に戻す。そのイングランドが設計した、東海道本線六郷川橋梁(蒲田-川崎間)の100フィート複線ポニーワーレントラス桁の設計図が『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(土木学会誌第3巻第1号)に残っている。

20100422-2.jpg



















この六郷川橋梁は1875年ハミルトン製で、1877年開通、1912年撤去である。横桁部分を見ると、曲線ではなく直線状である。しかも、太い部分が長い。

20100422-3go.jpg真岡鉄道五行川橋梁は、このとおり直線状である。この桁は歴史的鋼橋集覧によれば1894年、パテントシャフト製。

20100422-4ko.jpgこちら小貝川橋梁も直線状。歴史的鋼橋集覧によれば1894年、パテントシャフト製。五行川橋梁とともに総武鉄道で使用されていた桁を転用したものと推測している。

秩父鉄道見沼代用水橋は、『鉄道のある風景』(猫が好き♪氏)の写真を見る限り、横桁は曲線状である。この桁は1885年-1890年の間に、イギリスのパテントシャフトで製造されたもの。ということは、

パテントシャフト製の、1890年ころまでに製造された100フィート単線ポニートラスの横桁は曲線状、1894年ころから製造されたものの横桁は直線状である

ということだけがわかった。

そのほかにも多数の画像や資料写真を見たが、横桁が曲線を描くものと直線状のものとの差の根拠となる手がかりは掴めなかった。

ネット上を徘徊しても、ポニーワーレントラスの写真は少ない。江ヶ崎跨線橋にしても、プラットトラスの写真は数多あれど、ポニーワーレン部分の写真は少ない。十条の跨線橋にしても、裏側を写したものはない。自分自身が裏側を撮ってこなかったということを恥じつつ、今後に待ちたい。


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楽しい工作シリーズ200えん

独言・日記

歯車がガッチリとかみ合い、恐ろしい力で回転している。速度をゆるめることなどできやしない。相手はウォームギヤ、こちらはスパーギヤだ。「ガッチリとかみ合う」ならスパーギヤ同士でなければならない気もするが、まあいい。関係はウォームギヤとスパーギヤなのだ。しかも、ウォームギヤが三つも四つもあり、かつ同調していない。それらは私が自分で配置しておいたものだが、勝手気ままに回転しているので、スパーギヤにかかる負荷は部分的に高くなったり低くなったりしている。いつか欠けるのではないかと心配だが、それなりに冗長性があるのでなんとかなっている。

冗長性のあるうちに、三つ四つのウォームギヤの同調をとらなければならない。動力源が複数あっても出力軸が1本というところに問題があるのだが、そのうちウォームギヤの捻り角を大きくして、逆回転させてやるからな。その仕込みをしているところだ。




何ヶ月ぶりかで『廃道本』『廃道をゆく』告知フラッシュを見た。あのころの気持ちに帰ろう。延ばし延ばしにしてしまったこの方面も、各方面から期待をいただいている。自分はいま猛烈に仕事だけに没頭したい。

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新新樋曽山隧道

地図・航空写真・分水嶺


生まれ育った地のことについて、実はなにも知らなかったのではないかと思うことが多々ある。小学校の社会で習うことなどたかがしれているのだが、それならなお、高校になってももっと地域のことを学んでおくべきではないかと思う。

小学校三年生のとき『わたしたちの新潟市』という副読本があった。四年生になると『わたしたちのくらしと新潟市』になった。それらには、いわゆる亀田郷の田植えの様子が載っており(田んぼというのは昔はこうだったということがわからないと、妖怪の「泥田坊」なども実感がわかないのではないか)、胸まで泥につかりながらの田植えの映画を何度も見せられた。「排水機場」のことにも触れていたはずだ。

しかし、小学生にとっては「排水機場」など現実感がなく、また、実際の排水機場も、そっからドボドボと水をどこかに流し込むところが日常風景になっているわけでもない。しかし、それらがないと、どこまでも広がる田んぼの風景、といった印象の新潟平野は単なる泥の海になってしまうわけで。そして、それは、新潟市中心部の排水機場だけではなく、新潟平野に広範囲にわたって各種の施策がほどこされているからこそ、維持できているのであって。そこに長い間気づかずにいた自分も不明なのではあるが、道路や鉄道のように人の目に見えない部分にどれだけの労力と資金が投入されているのか、それを把握できている人など専門家しかいないのではないか。こうした大切な事業は、もっともっと積極的に教育すればいいのに。

土木行政においては河川が一番力をもっている、という話があるが、それもむべなるかなと思う。実際に携わる人に話を聞くと、職場内にランクがあるのはおかしいという感覚だろうし、計画を見ると山の上まで砂防ダムを造り続けるようなことがあるらしい。しかし、道路や鉄道がなくても人は生きていけるが、川が氾濫したら、生きていけない。私は単純すぎるだろうか?

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死ぬる

ゲシュタルト崩壊と言葉・文字

ORJ編集部録"より。

>これは・・・死ぬる!

「死ぬる」って西日本の言葉かと思っていた。私の初見は『はだしのゲン』だし。と思って辞書引いたら、「死ぬる」はこうだった。

已然:死な(ず)
連用:死に(たり)
終始:死ぬ
連体:死ぬる(とき)
仮定:死ぬれ(ども)
命令:死ね

ということは、「死ぬる」は連体形であり、文末には来ない。「私は死ぬる」という表現はおかしい。でも、現在でも違和感はないし、使ってる人もいると思う。現在において使われるシチュエーションを考えるに、少々大げさに「これ以上やったら死んでしまう~」と冗談めかして言うときに「死ぬる~」と叫ぶような気がする。それならば、単に語感がファニィだからとか、そういう理由で少しだけ形を変えて現代まで生き続けてきた文語とも思える。現在における使われ方を考えると、きっとそうだ。

しかし、『はだしのゲン』の中ではそんな雰囲気ではないし、普通に「死ぬ」という意味合いで「死ぬる」と言っている。そう思って「る」を調べても強調的な意味合いはない。「生きる」(カ行上一段活用)の真似をして「死ぬる」(しかし文語のナ行変格活用)なのか。


ふと思い立って、wikipediaで「広島弁」を見てみたら、こう書いてある。

しぬる【死ぬる】……死ぬ。「往ぬる」とともに、古語のナ変動詞の活用が現在に残ったもの。

「活用が現在に残ったもの」って、活用が残ったのなら終止形は「往ぬ」「死ぬ」なんですが。。。当然の如く、この誤りの拡大再生産が見られて少し悲しい。


結論:不明


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『東京鉄道遺産をめぐる』(小野田滋)掲載メモ

アーカイブ/資料/自分用メモ

『鉄道ファン』(交友社)に不定期で連載されている、小野田滋氏の『東京鉄道遺産をめぐる』。どの号で何が採り上げられたかを簡単にまとめた。人物記事と参考文献欄が特に素晴らしく、ネット上の情報ではここまで詳細なものはないものも多い。参考文献には「私家版」の資料などもあり、閲覧するべくもないが、そうした資料に基づいて正確に書かれ、かつ考察が加えられているので、興味のある方はぜひ各号を読んでいただきたい。

こうして見ると、小野田氏の著作として有名な煉瓦関係の記事は少ない。

今後も随時加筆し、ここを自分用メモ的に活用する予定。
===

◎=詳細記事(文学作品との関連は割愛)

●2006/6「空に浮かんだ並木橋駅 東横線渋谷高架橋と並木橋駅跡1」
・阿部美樹志→人物記事は2006/9
・cf)小野田滋「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」、2001年、『土木史研究』vol.21

●2006/7「空に浮かんだ並木橋駅 東横線渋谷高架橋と並木橋駅跡2」

●2006/8「インターナショナルスタイルへの挑戦 交通博物館」
・伊藤滋(1989-1967)東京改良事務所建築課技師 設計→人物記事は2006/11
・土橋長俊(1901-1959)東京改良事務所建築課技手 設計
◎土橋長俊 鉄道大臣・小川平吉の甥。ル・コルビュジエ門下。

●2006/9「都心に架かる大アーチ 外濠橋と神田川橋」
◎阿部美樹志(1983-1965)RC。広井勇の後輩。阪急百貨店、西宮球場他多数
◎大河戸宗治(1877-1960)RC。八ツ山橋

●2006/11「駅のモダニズム 御茶ノ水駅」
◎伊藤滋(1989-1967)凸版印刷創始者のひとり、伊藤貴志長男。岡山駅、兵庫駅、日野駅、池袋駅(現)、八重洲地下街(現)
・前川國男(1905-1986)土橋とともにコルビュジエ門下。紀伊國屋書店新宿本店他
・cf)平井喜久松「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」1932、『土木学会誌』vol.18、no.8
・cf)小野田滋「鉄道建築のモダニスト・伊藤滋」1997、『RRR』vol.54、no.9
・cf)聖橋=山田守
・cf)御茶ノ水橋=小池啓吉(東京市技師。広井勇門下。東京市時代の上梓は樺島正義)

●2007/1「橋梁技術のモニュメント 晴海橋梁」
・ローゼ桁=菊池洋一(1921-2005、国鉄施設局特殊設計室)飯田線天竜川橋梁、大阪環状線安治川橋梁、北陸本線新神通川橋梁など。
・ローゼ桁=友永和夫(国鉄施設局特殊設計室)
・PC桁=佐伯俊一(国鉄施設局特殊設計室)
・ローゼ桁はポンツーン工法で架設
#本項では、ポンツーンは1933年佐賀線筑後川橋梁を嚆矢としている
・国鉄施設局特殊設計室=鉄道技術研究所の構造物設計部門を1949に切り離したもの。1952年特殊設計室、1957年施設局から独立して本社付属の構造物設計事務所に。現在は鉄道総合技術研究所に継承。

◎PC桁の黎明期
◎国鉄におけるローゼ桁(実績と諸元表)
◎日本陸軍の置きみやげ-重構桁-(夕張岳森林鉄道)

●2007/2「御所をくぐったトンネル 旧御所トンネル・新御所トンネル」
◎菅原恒覧(すがわらつねみ、1859-1940) 仙石貢門下。東北本線、甲武鉄道(新宿-八王子)、九州鉄道他。鉄道請負業協会設立。

●2007/3「御所をくぐったトンネルその2 旧御所トンネル・新御所トンネル」
◎今井潔(1898-1973)東京第二改良事務所にて設計。吉田徳次郎(RC)門下
◎中山忠三郎(1893-1950)東京第二改良事務所にて設計。大河戸が引っ張る? 鉄道保安工業社長。
・堀内保(1893-?)東京第二改良事務所技手。

●2007/5「下町のターミナルデパート 東武鉄道浅草駅」
◎久野 節(くのみさお、1882-1962)

●2007/7「アキバをまたぐ高架橋その1 神田川橋梁・松住町架道橋・旅篭町高架橋」

●2007/8「アキバをまたぐ高架橋その2 御成街道架道橋・秋葉原駅・昭和橋架道橋」
◎東京第一改良事務所と東京第二改良事務所(第一=大河戸、第二=稲垣兵太郎)
・昭和橋架道橋=稲葉権兵衛(担当技師)、小城末喜(設計)、石井武一(照査)/田中豊指導
・cf)平井敦=田中門下
・cf)「座談会:わが国のれい明期における鉄橋(続)」『JSSC日本鋼構造協会誌』no.182

●2007/9「アキバをまたぐ高架橋その3 第一佐久間町橋高架橋、浅草橋駅など」
・御茶ノ水-両国間の高架線構造物一覧/諸元

●2007/11「PC建築のさきがけ 浜松町プラットホーム上屋」
◎PC技術を発展させた国鉄建築
・1955-1964年に完成したPC構造による国鉄の建築一覧/諸元
・井原道継
・前川修二
・山内誠二

●2007/12「隅田川の眺望 東武鉄道・隅田川橋梁」
◎秋山和夫(1903-1968)田中豊門下。山崎匡輔門下? シーメンス→東武鉄道→満鉄→華北交通→社)復興建設技術協会→関東復建事務所
・本来は田中豊に設計を委嘱→下部構造を秋山が担当。
・GHQが注目したアイバー
◎鉄道で最初の隅田川橋梁(日本鉄道=常磐線の、ハンディサイド製200ftプラットトラス)

●2008/1「進化するPC建築 千駄ヶ谷駅」
・島野邦雄(東京鉄道管理局建築課、駅設計)
・黒宮俊雄(東京鉄道管理局建築課、駅設計)
・本多柾夫(東京鉄道管理局建築課、駅設計)
・極東鋼弦コンクリート振興(PC構造設計)

●2008/3「山手線をまたぐ 東急電鉄池上線・五反田付近高架橋」
◎竹内季一(1876-1936)鉄道作業局→鉄道省→帝都復興局→三協土木建築事務所他
・谷井陽之助(東京市役所橋梁課長→東京鉄骨橋梁製作所)
・東京鉄骨橋梁の創立

●2008/4「学生街の玄関口その1 水道橋駅」
・今井 潔(設計・監督)
・支那及日本貿易商会(チャイナ・エンド・ジャパン・トレェーヂング・コンパニー・リミッテッド)

●2008/5「学生街の玄関口その2 新水道橋架道橋と水道橋架道橋」
・水道橋架道橋の拡幅工事と繰重車の活躍
cf)新永間高架橋=バルツァー(ドイツ)

●2008/8「高架駅のアイデア 大久保駅」
◎立花次郎(1904-1979)田中豊門下。
cf)渡邊貫(とおる、1898-1974)
cf)桑原弥寿雄(1908-1969、青函トンネル)

●2008/9「房総半島への玄関口その1 両国駅」
◎坂本鎮雄(1895-1973)
・本間英一郎(1853-1927)日本人初のMIT卒業生。京都府→工部省→総武鉄道他

●2008/10「房総半島への玄関口その2 両国駅(電車駅)」
◎佐藤輝雄(宍戸輝雄、1906-1990)満鉄建設の佐藤應次郎の女婿。

●2008/11「房総半島への玄関口その3 両国駅構内とその周辺」
◎わが国最初の高架鉄道

●2009/1「牛の寝ているような橋 六郷川橋梁(三代目)」
◎太田圓三(1881-1926)広井勇門下。
・久保田敬一
・中村謙一
●2009/2「隅田川に映える 総武本線・隅田川橋梁」
◎田中豊(1888-1964)太田門下
・鉄道省大臣官房研究所第四科(科長・田中豊)設計
・稲葉権兵衛(担当技師)
・吉越康治(照査)
・黒田武次(田中武次)(製図)
・田部正志(製図)
・木村秀敏(製図)
◎幻の市街線隅田川橋梁
・磯部定吉(塗装)

●2009/3「運河をまたいだアーチ 豊洲橋梁」
◎清水治長(1905-1997)設計。友永門下。藤井と共に戦時中は中国へ。第二武庫川橋梁も。もしかしたら分格ワーレン好き?
・清水(設計計算)
・大野正二郎(設計計算、製図)
・日本で2番目・戦後初のランガー桁橋
・ポンツーン工法
◎国鉄におけるランガー橋一覧/諸元

●2009/5「ドイツ生まれのトラス橋 小石川橋通り架道橋(緩行線)」
◎ハーコート
・唯一のドイツ製上路トラス橋

●2009/6「鉄筋コンクリート橋梁の新境地 花見川橋梁」
◎江島淳(あつし、1927-1987)東京工事事務所次長。設計。→参議院議員
・村上生而(東京工事事務所次長)が補足、引き継ぎ
・五味 信(東京工事事務所次長)考案

●2009/11「横浜港の橋めぐり 港一号橋梁、港二号橋梁、新港橋梁」
・横浜港改修工事(第一期1889~、第二期1899~)
・ヘンリー・スペンサー・パーマ-(henry Spencer Palmer、1838-1893)
・石黒五十二(1855-1922)三池築港顧問。
・若槻礼次郎、古市公威、平井晴二郎他多数各方面の名前が出てくる

●2010/7「煉瓦から鉄筋コンクリートへ 東京-万世橋間市街高架線その1」
・新永高架橋から万世橋方向への延長について
・新永高架橋との決定的な違い(総煉瓦→鉄筋コンクリート+化粧煉瓦)
・常盤橋架道橋
・大手町橋高架橋
・銭瓶町橋高架橋
・龍閑河岸川高架橋
・龍閑橋架道橋
・外濠橋
・第一本銀町橋高架橋
・本銀橋架道橋
◎稲垣兵太郎(1869-1943)北越鉄道→台湾総督府臨時台湾鉄道敷設部→鉄道院北海道建設事務所→中部鉄道管理局(ここで東京-万世橋間市街高架線を指揮)→略→三信鉄道。cf)長谷川謹助、渡辺嘉一

六甲山の最新(?)キングポストトラス

六甲山の最新(?)キングポストトラス

橋梁一般

rokko_003_s2.jpg神戸観光壁紙素材集より)

六甲山に、キングポストトラスが!

といっても、画像検索してみると別にスパンが長いわけでもない、角材を渡すだけでも十分な強度がある気がするが、まあ、気分なのかもしれない。

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