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『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館)

『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館)

鉄道の歴史・人物史

IMG_1687.JPG『日本の鉄道をつくった人たち』(小池滋・青木栄一・和久田康雄編/悠書館、2010)を期待しつつ読んだ。

採り上げているのは、下記の人たち。括弧内は執筆者。
1)エドモンド・モレル(林田治男)…お雇い外国人
2)井上勝(星野誉男)…鉄道行政の長
3)ウォルター・フィンチ・ページ(石本祐吉)…お雇い外国人
4)雨宮敬次郎(小川 功)…経営者
5)後藤新平(老川慶喜)…鉄道行政の長
6)根津嘉一郎(老川慶喜)…経営者
7)島安次郎(齋藤 晃)…技術者
8)関 一(藤井秀登)…経営者
9)小林一三(西藤二郎)…経営者
10)木下淑夫(和久田康雄)…鉄道営業の長
11)早川徳次(松本和明)…経営者
12)五島慶太(高嶋修一)…経営者

一見して、木下淑夫と関一が異色である。そして、私がこの本を買ったのは、木下淑夫があったからである。仕事の関係で木下淑夫について知らねばならないことがあったし、こうした人物を採り上げた本が、過去語り尽くされた人たちをどう書くのか興味を持ったからだ。しかし、残念ながら失望に終わった。

残念な点
(1)帯に短し…
五島慶太だの小林一三だの、南薩も(←こういう変換ミスは私のPCの特性なので記念に残しておくことにした)何冊も研究書があるような人物を、たった20ページくらいで語れる訳がない。

(2)内容の統一性の欠如
てんでばらばらに各人が書いているので、記述内容がその人の生涯だったり、その人の一事業についてだったりする。事業についての研究書ではなく、「~つくった人たち」なんだから、人に焦点を当てなきゃだめだろう。

また、著者が複数なので、著者同士の表現の違いがある。井上勝の章では、井上が一貫して私設鉄道計画に反対していたことをもって、
没後、日本の「鉄道の父」といわれるようになるのも根拠のないことではない。とくに「国有鉄道の父」と表現することに問題はない。しかし、私鉄を含めて「鉄道の父」と表現することについては、慎重でなければならないと思われる。
と書いているにもかかわらず、島安次郎の章では平気で「鉄道の父井上勝」という表記がある。読者は面食らう。

(3)記述方法の統一性の欠如
注釈と参考文献の分け方と表記がバラバラ。ある章は「注釈」として根拠をどの本の何ページ、と章末にまとめ、さらに参考文献を巻末に挙げている。「注釈」「参考文献」の差が不明。引用の有無か? 別のある章はすべてを章末の「注釈」として参考文献を挙げているだけ。さらに別の章は、巻末に参考文献を挙げ、本文中には「(後藤一九二二)」などと参考文献の著者と刊行年を括弧書きしている。これらは、編集側が統一すべき。

年号表記もバラバラ。お雇い外国人二人について、太陽暦への変更前後の慎重さはさすがだが、それ以外の章は、西暦だけ/西暦(和暦)/西暦下二桁、とバラバラ。統一しなければならない。

(4)ルビ
「雨宮敬次郎」はどう読む? 「あめのみや」か「あめみや」か。五島慶太にしても、知らない人は「ごしま」と読んでしまうかもしれない。必ずルビは入れなければならない。


個別の感想
(1)モレル、フィンチ
モレルのような著名人が、生没年すら把握されていないのというのは驚きだった。それを正す作業を、イギリスの出生証明書に求めるなどとした著者等の調査はすばらしい。また、妻が日本人なのかイギリス人なのか二通りの説があり、その死亡日も複数の説があったのだが、これをも検証し、誤った説の出所まで特定しているのはすばらしい。読者の多い媒体(この場合は交通新聞)が掲載した地名を含めた誤情報だらけの記事が、検証されることなく劣化コピーされ続け、いまに至った状況は笑い事では済まない。

フィンチについて、ダイヤ作成の秘密が漏れたという逸話などに同様に手法で正解に迫っている。

(2)雨宮敬次郎
もっともひどい章である。「雨敬」の主要な業績である日本製粉や甲武鉄道、北炭にはほとんどふれず、豆相人車鉄道だの熱海鉄道だ のに紙幅を割く。たとえて言えば、田中角栄の来歴を語るのに錦鯉の話しか書いてないようなものである。

しかも、そのほとんどが他書からの引用、 しかも100年前の漢字カタカナ交じりの当時の文書の抜き書き。引用というものは、手法として「著者の意見が主で、引用部分は従」の関係でなければならな い。構成としても著作権の観点からしても(この文章の大半はおそらくパブリックドメインと化した文章を引用)。著者は大学教授だが、こんな、引用部分をつ ぎはぎして構成した本文を構成を是とするのだろうか。

この章を読んだ人は、錦鯉をもって角栄を語るがごとく、雨敬の人物像を偏見を持って把握す ることになるので、読むに値しない。

(3)島安次郎
著者の齋藤氏は、本当はもっと島安次郎を批判的に書きたかったのではないだろうか。齋藤氏の著作はいくつか見ているし、それに対する意見(まだ理解が足りないのではないか、という方向の)も見ているが、世界の蒸気機関車の潮流を俯瞰して見ることができる数少ない一人である。世界の潮流と島の行動を比べると、どうしても賛美にはなりづらいはずだ。森彦三、太田吉松らを追い出した記述に、

しかし、この章だけ、齋藤氏が執筆者だということもあろうが、専門知識なしに読むことはできない。突然「アメリカ製四-四-〇」と言われても、意味がわからない人も多いはずだ。日本の蒸気機関車の動輪回転数が、毎分300回転を基準とされていたことについても、齋藤氏は絶対に言いたいことがあるはずだ。当時のイギリスやドイツの回転数は? それを並記しなければ、「300回転」がいいのか悪いのか読者にはわからない。

(4)木下淑夫
このような、いままで鉄道史にはほとんど登場しなかった人、かつ実はその後の流れを大きく変える人こそ、誌面に登場させるべきではないか。そして、木下を語る以上、当時の官吏の職制も、ある程度は説明が必要なのではないか。

(5)五島慶太
東急の話をしたいのか、五島の話をしたいのか。いずれにしろ、戦後の業績を5行でまとめるのはまったくいただけない。

==

以上、読んだままの感想である。





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棒ノ折;『東京近郊ゆる登山』出版&増刷記念オフ

棒ノ折;『東京近郊ゆる登山』出版&増刷記念オフ

山あるき

4-408-00821-4.jpg3月に刊行した『東京近郊ゆる登山』(西野淑子著)、おかげさまで売れている。

本の詳細はコチラ

先日、発売2ヶ月半で重版がかかった。正直な気持ちとして、もっと早く重版がかかるものだと思っていたが、それは贅沢というものか。今年中にあと2回は重版かかってほしい。もっと贅沢か…

この本は、ここ数年来の「従来の中高年登山とは明らかに異なる層による登山ブーム」の中で、その入り口手前や入り口でうろうろしている人(特に、周囲に登山する人がいない女性)に向けて、しっかりと、かつ浮つかずに、でもそういう層のセンスで…と著者の西野さんと作り上げた。重版がかかったのは、それら全体が評価されてのものだと思っている。


6月5日、刊行から日が経ってしまったが、打ち上げ的に「出版記念オフ会」を開催。幸いなことに重版も記念できる会となった。関係者とその友人知人など、適当に当日集まったらなんと26名もいた。こんな多数で山に行くのは高校生以来か。いや、大学時代に、OBとして坑口高校山岳部についていった飯豊山縦走(徳沢~弥平四郎~三国~飯豊~門内~飯豊温泉~小国)以来だ。

棒ノ折はココ。棒ノ嶺ともいう。東京の山に馴染みがなければわからないだろう。私も馴染みがないので最近ようやく覚えた。殴り庫名栗湖のあたりだ。



IMG_5401_R.jpg出発前。ショートパンツが多い。ほぼ男女半々、もしかしたら女性のほうが多いかもしれない。

IMG_5458_R.JPGザックの大きさはさまざま。デイパックからタウンユースのリュック、私みたいな(無駄に大きい)40Lクラスまで。

大所帯はいろいろつっかえる。私自身は写真を撮りながら、前行ったり後ろ行ったり、話しながら登ったり。

IMG_5489_R.JPG天然のダム堰堤が割れちゃった、みたいな部分を沢沿いに歩く。何度も徒渉するが、水かさはなく、石も多いので足を濡らすことはない。



























IMG_5567_R.JPG山頂直下までひたすら樹林帯。こういうのが続くから、東京近郊の山は似たり寄ったりの印象を持っている。東京近郊の山ばかり行く人は、こういう樹林帯が好きなのだろうが、私は2時間くらいで勘弁。

IMG_5576_R.JPGどうやら皇太子が登るというときに、ここまで整備したらしい。階段なのか、土留めなのか。土留めにしては中途半端で、大部分の土が流出し、丸太と丸太の間は深い溝になっていた。

なお、途中何ヶ所か、流れてきた雨水を向かって右に排水するように配置された丸太もあった。

IMG_5590_R.JPG山頂。50人くらいはいただろうか。その一角で大休止。

IMG_5604_R.JPG
サプライズ土産(?)のスイカ。重いものをありがとう!



























IMG_5610_R.JPGメタ+アルコールで目玉焼きを作る人も。

IMG_5612_R.JPGオーストリア土産のチョコレートケーキ……。

IMG_5623_R.JPG下山途中、岩茸石に山ガール(笑←この用語におっさんのセンスを感じてしまう。森があるから山だろ、って)が!


IMG_5643_R.JPG途中でみんなで靴を寄せ合ってみた。

IMG_5677_R.JPGひたすら樹林帯を下る。滝の平コースは、けっこうな斜度だった。


下山後、さわらびの湯でのんびりしてから飯能へ向かい、一部の方は帰ったものの18名ほどが飲み屋へ。山の中では話せなかった方々と交流を持てて楽しかった。

またの機会がありましたらよろしくです。


丸田祥三『棄景V』『棄景origin』

丸田祥三『棄景V』『棄景origin』

廃線跡

縁あって、丸田祥三さんにお目に掛かる機会を得た。以前も書いたが、私が丸田氏の処女作『棄景』を知ったのは学生の頃、1993年だ。読売新聞の書評欄か、情報誌・DIME(17年ほど定期購読してたが、昨年、必要のない付録攻勢+価格上昇に嫌気がさし、やめた。いまさらマウスパッドなんかいらないよ)の書評欄かで見て、その2800円という定価におののきつつ、新宿の紀伊国屋か、それとも割引で買える大学の生協で注文したか、なんだ、きっかけは覚えてないじゃないか、でもとにかく入手した。後日、JTBから『鉄道廃線跡を歩く』が刊行されると、そこにも丸田氏の写真は掲載され、そこに記されたデータをもとに、いくつかの廃線跡に行ってみた。そんな私の片思い的な存在が、丸田さんであった。

お目に掛かってさまざまなお話をお伺いした。こちらからもたくさんお話をした。17年も前から「写真家」として名前を存じ上げていた方だったが、私が作り上げていた「丸田祥三像」はものごとの本質をまったく見ていなかったことに気づいた。まあ、そんな話はおいておく。



丸田さんから『棄景V』と『棄景origin』を拝受した。ものすごくほしかったのだが、それぞれ3800円+税、6500円+税と高額であるため、購入を躊躇していたものだ(すみません)。帰宅して、じっくりと鑑賞した。「見た」でも「拝見した」でもなく「鑑賞した」である。

IMG_1677.JPG右は1993年購入の『棄景』である。



感想などは言うもおろかだ。とにかく横長の大判なので、迫力が違う。『棄景』で見開きで掲載され、本のノド(中央部)で分断されていた写真が、一枚になって掲載されている。めくるのがもったいないほどの力で攻めてくる。

丸田さんの使用機材を見ると、広角が多い。実際に誌面を見ると、広角で切り取られたものが確かに多い。私がこういう場面に行くと、まず短くても50mm、普通は70-200mmを、できるだけ長い焦点距離にして使うだろう。望遠の圧縮感が好きなのと、広角でこうした場面を撮ることは非常に難しいからだ。でも、丸田さんの作品では、広角だからこその空の広がり、空間の広がり、広角ならではの強調表現が、これでもかと攻めてくる。

さて、カバーと帯である。本の帯は、あってもなくても、カバーが生きるようにデザインされている。この2冊ではこうだ。
IMG_1678.JPGIMG_1679.JPG

見比べて、どのように感じるだろうか。帯があったほうが締まるだろうか。それとも、ないほうが、広がりを感じることができてベターだろうか。

私はともに帯なしのほうが好きだ。やはり、撮るときに自然にファインダーの中に据えられた構図が、もっとも美しいものなんだと思う。

IMG_1680.JPGIMG_1681.JPGこの2冊をお持ちの方に、ぜひご覧いただきたいのが本体表紙である。カバーを取り外したものを、表1側・表4側そろえて掲載する。

『棄景V』は、本体表紙をブルーのメタリックとすることで、カバー写真のイメージを大幅に変えることに成功している。
『棄景origin』は、カバーの黒を踏襲したのか、本体表紙の色はメタリックブラウンとでもいおうか、そんな色である。

普通の方はカバーをはずたりしないだろうが、デザインも色も、デザイナー/装丁家がもっとも自由にできるのが、この本体表紙である。ここを見ると、デザイナー/装丁家が本に込めた思いを見ることができる。一方、カバーは、営業的なもくろみや、書店店頭で類書の間に割ってはいるような要素が必要な場合があるので、デザイナー/装丁家の意のままにならないこともあるのだ。


IMG_1682.JPGIMG_1683.JPGさらに、カバーを1枚で見ている。『棄景V』は、背と表4が続いている。

『棄景otigin』は、中でも使っている豊後森の機関庫をあるがままに撮ったもので、背は背で真っ黒になっている。

こうしてみると、バーコードの枠が邪魔だ。装丁家がこれを嫌うのがよくわかる。



丸田さんが廃的な写真に込められている思いをうかがった。……道を思う気持ちと同じじゃないか。……ということは??? すかさず『廃道本』をお渡しすると、廃道に興味を持ってくださった。「今度、連れてってください」ともおっしゃった。栗子か、大峠か(このブログのタイトルバックも大峠隧道である)。個人的には軽岡、長野、佐和山だ、もしこれらを丸田さんが撮影されたら、どれだけのものができてしまうのか。想像するだけでワクワクする。どこにお連れしようか、ひとしきり悩むことにする。



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北海道鋼道路橋写真集

アーカイブ/資料/自分用メモ

北海道鋼道路橋写真集というサイトを見つけた。なんかよだれ出る。



1970年から2005年にかけて、現在は第10巻が刊行されたところなのだが、第1巻から第9巻までをwebで公開している。一部には図面も入る。もしかしたら、書籍版はもっと多くの資料が付属するのかもしれない。

第1巻、厚真大橋と妹背牛大橋のデータが入れ替わっているぞ。

第2巻、いまは立ち入れない知床大橋の写真がある。このような画角でしか撮れなかったのだろうか。日高大橋は、昭和46年に完成した上路三弦橋

第7巻、シビチャリ3号橋梁は上路曲弦。

第8巻、シビチャリ6号橋梁も上路曲弦。



上路三弦橋、検索してもヒットしたのは唯一このサイトだけ……現在情報求ム。


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「廃線」の英語表現

廃線跡

バドンさんのデザインされた「廃線」Tシャツをネタに、ツイッター上でいくつか「廃線」の英語表現についてレスのやりとりがあった。日本語の意味する「廃線」にもっとも近いニュアンスの英語表現はなにか。

辞書的に日本語化すれば同じ日本語になる英語でも、必ずニュアンスの差がある。必要があるから、いくつも単語があるのだ。無関心な部分には、単語は生まれない。牛を食う習慣のなかった日本では、牛の肉を部位によって呼び分ける単語が存在しないことの裏返しと思えばいい。

なお、こんなポストをしてしまうくせに、「廃止」に類する英語は目にする機会が多いわけではないので、自分の感覚がネイティブに近いと思うほどの自惚れはない。あくまで考察である。正しい/誤り、という観点ではないことにご留意いただきたい。


* * *


いままで
wikipediaの英語版の鉄道会社の記事や、既に歴史上のものとなった鉄道の資料的なサイト(たいていは「○○鉄道 histrical society」というサイト名になっている)を、それなりの数読んできているが、そのなかで目にしてきて記憶していたのが、abandonedという表現だった。

これは、いくつかの使われ方があり、単に「鉄道会社が合併したから並行路線の片方
を廃止した」的な場合もあれば、「放棄されて廃線跡が遊歩道になっている」というような場合にも使われてきた。動詞であるabandonは、高3か浪人の時に、必死こいて覚えた単語のひとつだということは記憶にある。

もともと、abandonには「放棄する」「遺棄する」という意味合いがある。つまり、放棄される前と放棄されたあとがつながっている表現である。だから、私はabandoned railがもっとも適するのではないかと思ったが、それ以外に「廃線」を表記する例を教えていただいた。それらの使い分けを、私なりに考えてみる。なお、line/railway/railroadは相互に入換が可能だと思う。



(1)discontinued line


製造中止になったもの、型落ちになったものを「ディスコンになった」ということから考えると、営業を取りやめた/もはや営業しない、という意味合いが強い。「(時間的に)続いてきたものが終わった」という表現であり、「終わってから」のことを表現しているわけではない。だから、朽ちた枕木とか錆びたレールとかいうニュアンスは非常に少ないと思う。


(2)dismantled railway/railroad(railwayとrailroadの使い分けはwikipediaをぜひご覧いただきたい)


mantleは、いわゆる「マント」であり、「覆う」というイメージの単語。接頭辞dis-がついているので、「覆っていたものを引きはがす」、つまり「廃止した跡、レールを引きはがし、路盤だけが残っている」というような場面状態の説明に使う単語。「引きはがす」ということが主であるので、「廃止」という行為よりも「撤去作業」の意味合いを感じる。
かつて線路があったところが更地になったり、まったく別のものに変貌しているイメージ。


(3)dead track

英語のdeadは、日本語の「死」と一対一で対応するものではないので、
いろいろな解釈ができてしまう。そして、trackは、これまた多義に解釈できる。1組の線路という物質を指すほか、線路を通行することそのものも指すので、「使われなくなった1組の線路」「列車が走らなくなった路線」どちらにも解釈できる。いずれにしろ、「線路の上を通るもの」が「なくなった」ということを表現する言い方なので、「残された線路/路線がどうなったか」というニュアンスは少ないと思う。



* * *


最後に。
Yahoo! 辞書で「廃止」を和英検索すると、下記のようになる。

abolition, discontinuance; 〔法律の〕repeal
◇廃止する|abolish; discontinue; do away with; repeal

どれも、鉄道路線の廃止のニュアンスから程遠い。これらの単語を使った「廃線跡を歩きました」みたいな英作文は、ネイティブが見たら珍妙に見えて しまうだろう。



以上、あくまで私の解釈である。誤りがあるかもしれない。なにかお感じになったらご指摘いただければ幸いである。

青岩橋(岩手県二戸市・青森県三戸町)

青岩橋(岩手県二戸市・青森県三戸町)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚




IMG_3256_R.JPG岩手県と青森県の県境にかかる青岩橋。珍しいトレッスルの道路橋である。もともと国道4号の橋であり、いまは旧道化してしまった。それゆえにか、いまはこのような状態だ。

IMG_3249_R.JPG
元国道なのに、総重量4t以上は通行禁止。橋の両サイドにそれぞれ標識があり、それとは別にそれぞれ看板がある。さらに「注意/徐行」という掲示もある。

見て分かるとおり、この橋の本来の欄干は既にあてにされていない。そして、新たな手すりが追加されている。これでは、クルマがすれ違えないではないか。しかし、トラック野郎なら積荷40tを背負った勝負の途中できっと現在の国道4号から離れ、この橋に入ってくるに違いない。そして、橋を渡りきる直前に桁が崩壊し、かろうじて渡りきるのだ。

上の写真は西側(右岸)である。親柱はしっかりと残っている。
IMG_3252_R.JPG「昭和三十六年十一月竣功」の銘板の下に、「土木学会選奨土木遺産 2006」のプレートが貼られている。もしかすると、手すりの整備はその影響なのかもしれない。それにしても・・・だ。






























右側の親柱。「せいがんばし」。
IMG_3251_R.JPG
























渡って左側。
IMG_3261_R.JPG
























渡って右側。
IMG_3259_R.JPGなぜか、前につんのめるように傾いてる。そこはこのような場所だ。

IMG_3296_R.JPG






































では、トレッスル橋脚を見てみよう。
IMG_3274_R.JPG高さ12m。ここに来る前に、仙山線の第二広瀬川橋梁などを見ているので、全然高く感じない。

IMG_3278_R.JPG桁の裏側はこうだ。箱桁ではなく、2主構の鈑桁。そこに、コンクリート製の床版がついている。しかし、一部は補修のためか、別の施工がされており、そこにはトラ塗り=警戒色の板も使われていた。




















































支承はこんな案配。ボルトで固定されている。
IMG_3292_R.JPG
























IMG_3297_R.JPGなんらかの参考になれば。青岩橋のプレートガーダーのリベット。

















鈑桁と、トレッスルの接合部。桁はその上でスライドするようにも見える。
IMG_3282_R.JPG


























青岩橋についてはここまで。ただ「見てきた」という記事である。


さて、上の地図では地名は表示されていないが、ここは西へ向かっていた馬淵川が突如反転し、東をめざす場所。反転した内側は「舌崎」という地名である。まさに人の舌のような形状をしている。カシミール3Dで確認してみた。

20100601map.jpg見事にベロだ。舌状だ。昔の人の地形に対する洞察に感服する。


縦位置写真を使うと改行がおかしくなる。こまった。。。


第二北上川橋梁(北上市/東北新幹線)

第二北上川橋梁(北上市/東北新幹線)

連続ワーレントラス



東北新幹線で有名なのは、第一北上川橋梁だろう。全長3872m、日本一長い鉄道橋梁である。日本一長い道路橋は東京湾アクアブリッジで4424mである。しかし、ここで紹介するのは第二北上川橋梁だ。東北新幹線において2番目に長い橋梁である。

IMG_3166_R.JPG橋長1029m、最大支間101m。支間101mのワーレントラス9連+支間60mのワーレントラス1連が一体となった連続トラス桁である。

いや、そんなことよりも、この曲がり具合である。地図を見ればわかるとおり、盛岡に向かって右にカーブしている。半径は4000m。支間101m部分は角度で言えば1.447度だが、長さがあればこそのこの曲がり具合。カーブするトラス橋については過去にも書いたことがあるが、こう巨大だと見上げるのも億劫だ。新幹線の橋梁は、すべてがつるんとしていてあまり惹かれないのだが、大きさと鉄骨の太さに圧倒される。北上大橋も同じだ。

ワーレントラス部分だけでいえば、第一北上川橋梁は支間90m6連分=540mなので、全部トラス桁で969mあるこちらのほうが長く見える。高架橋と連続する、支間の短いPC箱桁は橋梁に見えないかもしれない。支間60mの部分は、上の写真の一番手前の大1連である。

橋梁部分=トラス部分は、両岸の堤防を跨ぐ形の最短の長さである。仙台方の1連だけが支間60mなのは、ここを60mにして盛岡方を支間101mにすれば、続く3連でちょうど北上川を跨ぐことができる。右岸ギリギリに第2橋脚、北上川の中に第3・第4橋脚、左岸ギリギリに第5橋脚と配置すれば、川の中に建てる橋脚は最小限になる。第5橋脚より盛岡方をも支間101mにしたのは、同じ設計の桁を流用したに違いない。以上、この段落は推測だ。

全体を写真に収めようとしたが・・・

IMG_3170_R.JPG水平画角93度の17mmでは当然入らず、対角魚眼でなんとか。魚眼なので中央部が手前に強調されているが、カーブの外側から撮影しているのでもともとそのあたりがふくらんで見える。



北上大橋 後編(一関市/旧川崎町)

北上大橋 後編(一関市/旧川崎町)

ブレースドリブタイドアーチ

(続き:前編はこちら

後編では、「旧」北上大橋について書く。「旧」北上大橋はスパン100m。「新」北上大橋の半分だ。以下、「新」「旧」にカギ括弧はつけないが、どちらも「北上大橋」であり「新」「旧」は橋の名称ではない。

前編で、道の駅かわさきに旧橋のモニュメントがあったと書いたが、そのモニュメントには、旧橋の写真がはめ込まれている。
IMG_3054.jpg

そして、モニュメントはこれだ。

IMG_3053_R.JPG左右の「ブレーストリブ」部分をつなぐ部材、横構だろうか。旧北上大橋は幅員5mというけれど、これはそれ以下なので、それを切り詰めたものかもしれないが確信はない。

銘板がついている。
IMG_3055_R.JPG
昭和4年
株式会社浅野造船所

材料
ICL 八幡製鉄所
鈑 浅野造船所
鋲 浅野小倉製鋼所



部材を間近で見られるのは貴重な経験である。
IMG_3056_R.JPGIMG_3058_R.JPG部材がどのように構成されているのかがわかる。さわれる。部材の曲線部分は、手作業で切り取って簡単な面取りをしただけだということがわかる。
 
IMG_3054_R.JPG




モニュメントに添えられた碑。下に書かれた文言をすべて書き写す。





 
 北上大橋の完成は、薄衣・弥栄両村の交通革命といっても過言ではない。渡船による不便から渡橋による便利さは、両村間の距離を近接させることができた。この大橋は昭和8年起工、請負は東京浅野造船所である。同10年工事は完成に近づきあとわずか9mのアーチのアングルをつなぐだけとなった8月29日北上川の増水が無残にも橋を押し流し、工事は振り出しに戻った。
この時、工事監督に当たっていた県土木課の担当者と浅野造船所の技師が責任感から「橋と運命を共にする」と橋桁にしがみついて待避せず、地元民が無理やり引き戻した途端に橋が流出したというエピソードがある。
地元民並びに県当局の熱意は請負者の誠意と相まって再び工事に着手し、減水後、潜水夫を使って水中の橋体を解体するという難作業から工事は再開され遂に昭和13年7月竣工を見るに至った。
このようなことから当振興局では、旧北上大橋の解体に当たり、アーチ橋の一部をモニュメントとして保存し、本件の土木事業の重要な記念として末永く展示することにしたものである。

 
千厩地方振興局長 沖 正博
平成16年3月
 
地元の人々がいかに北上大橋に思い入れがあるかわかろうというものだ。


別のモニュメントが橋のすぐそばにもある。
IMG_3097_R.JPGもちろん、この幅も5mもないので、移設したものだ。

IMG_3101_R.JPGこちらにも、旧橋の写真がある。石に彫られているのだが、これはどう呼ぶのだろう。

写真では見えづらいが、右側の親柱の向こうには、田中賞受賞記念碑がある。

IMG_3103_R.JPG



旧橋は、親柱が保存されているこの位置ではなく、橋を挟んだ向こう側にあった。もっとも川幅が狭まった位置であるが、それでも支間100mである。昭和52年撮影の国土画像情報に、現在のルートを黄色で加筆するとこうなる(トリミング済み)。

cto-77-9_c7a_4-1.jpg当時の集落や道路をまったく無視する形で、田んぼの中にバイパスができている。旧橋の左岸(画面でいえば川の「上」)たもとを、前編で掲載した現在の地図と見比べると、そこに橋があったことがよくわかるだろう。

このバイパスを「薄衣パイパス」といい、前述の石碑にも「薄衣村」とある。薄衣村は左岸にあった村で、昭和31年9月末日に門崎村(陸中門崎駅の由来だ)と合併して川崎村となった。一方、弥栄村とは昭和29年末まで存在した右岸の村で、昭和30年元日から一関市となった。両者を含めた7市町村が合併し、一関市(新設)となったのは平成17年9月20日である。石碑に書かれた村名は、50年以上前に消滅した自治体名である。それが書かれているところに、私は感動する。

交通至便となったのは当たり前のことで、現在でも、上流側は川沿いに約10km遡った柵ノ瀬橋、下流側は同じく7.2km下った北上橋まで、橋はない。


最後に資料を置いておく。

設計者・新日本技研による図面その他
 

北上大橋 前編(一関市/旧川崎町)

北上大橋 前編(一関市/旧川崎町)

ブレースドリブタイドアーチ



ここに紹介するのは、「新」北上大橋である。歴史的鋼橋集覧には旧橋のことが載っているが、もはや解体されて現存しない。

この「新」北上大橋は、私にとってはいまさらなぜこの形式なのだろう、と思ってしまうブレーストリブ・バランスト・タイドアーチ。アキバのあのでっかい橋の両側を延長したものだと思えばいい。「旧」北上大橋がブレースドリブ・タイドアーチだったので、そのイメージを踏襲してこの形式を選択した。


中央支間208m、側径間136mという巨大な橋だ。さすが北上川。この形式の橋は、旭川の旭橋や、東京の明治通りの白髭橋、岐阜県の路面電車が走っていた忠節橋が有名だが、ということは、路面電車を敷設していたような時代にもあった形式である。そして、日本では4例しか現存しない。

日本橋梁建設協会の『虹橋』No70のP50に形式図がある。

IMG_3046_R.JPG午後に仙台で用を足し、夕方から一関の旧川崎町まで移動した。よって、写真はバルブから始まる。

国道284号であるこの北上大橋、つい意識することなく渡ってしまった。渡る前に威容に触れようかと思っていたのに。クルマなので、渡り始めてしまえば、渡りきるしかない。渡りきった後で、どこから撮影しようか考えた末、旧橋がかかっていたあたりの左岸(北側)からと決めた。

最初、広角を取り出したが収まらない。17mmめいっぱいでも収まらない。しょうがないので15mm魚眼で撮影した。この日は月が低く、画面左側の白い光源は月である。

この場所に旧橋がかかっていたときちんと知ったのは後日であるが、現地では非常に不思議なことになっていたので、ここに旧橋があったことは確信でした。地図があったほうがわかりやすいので、上の地図を拡大して再掲する。

謎の三角広場がある。この場所は、画面右から左に向かって登り坂となっていて、浪分神社に向かって道が曲がって行き止まっている。以前は、この三角広場から橋がかかっていたのだ。詳細は後述する。


IMG_3050_R.JPG左岸の南側へ移動し、またバルブ。すると、パトカーが近づいてきて職質された。なんでも、橋に落書きがあったらしい。

非常に寒かったのでこれくらいにして、道の駅かわさきで仮眠を取った。翌朝、道の駅かわさきに、旧橋のモニュメントがあるのをみつけた。ここを寝床にしてよかった。これも後述する。


翌朝、改めて撮影。
IMG_3081-1.jpg大きな画像はこちら。↓
IMG_3081-2.jpg



あまりに大きいので、南に600mほど行ったところから70mmで撮影したものを合成した。35mmで撮影してもいいが、レンズが2世代も前のもので写りの悪さに辟易していたので、あえてこうした。

IMG_3122_R.JPG歩いて渡る。長いので、行ってくるだけでも大変だ。こんな長い橋を歩いて対岸に行く人など希だと思うが、途中にはベンチがある。

IMG_3132_R.JPGここが中間部。まったくもって視界をはみ出す大きさだ。

戻って橋の下に潜る。

IMG_3109_R.JPGきれいすぎてなんの感慨も湧かない。

IMG_3113_R.JPG床版の裏側。

IMG_3118_R.JPG支承はゴム支承だ。こんなばかでかいものの膨張・収縮をゴムのたわみ(あるいは滑り。どちらの形式化は不明)で吸収する。というよりも免震構造として採用しているのだろう。

高張力ボルトに陽刻されている記号「10.9T」「SCM43」を検索していたら、おもしろい動画があった。油圧トルクレンチだ。こうやって締め上げていくのか。


IMG_3117_R.JPG銘板。

IMG_3116_R.JPG塗装標記。

IMG_3156_R.JPG西側から見た橋門構。


単に「行ってきました、見てきました」にしかならないが、長くなったので続く。


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整理

独言・日記

そのうち形式ごと・地域ごとなどにまとめページつくらなきゃな。
あと、バックアップも。


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