(写真背景のピストンは、国鉄DML30HS~DML30HSIまでのエンジンのどれかのもの) 素晴らしい本だった。著者は日野自動車の副社長を務めた人で、エンジンマニア…エンジンの生き字引という人だ。「迷作」は、便宜上そう読んでいるだけで、試行錯誤の賜物と言えるそうしたエンジンに対する著者の敬意も強く感じる。 著者の、深い探究心こそ、本書の核だ。著者が持つ縁、探究心、著者が持っていた(作り上げた)環境というものも書かれていて、読者はそれこそが著者の人徳だと感じるだろう。例えば、一つ、疑問が生じる。それを、著者の持つその縁で、間に外国人を含めて数人、時には9人もはさんで、ついに解決に至る。そんな実例がいくつも掲載され、それをもとにしたエンジンの解説がまたおもしろい。 本書の内容は公式サイトに詳しく載っている。通読すると、ディーゼルエンジンを主軸として、ではあるが、1940年代頃までの世界、特に欧州と日本のエンジンの潮流が見えてくるようだ。国内のディーゼルエンジンの歴史などは黎明期から判明しているものだと思っていたのだが、さにあらず、それが本書のおもしろさになっている。 * * *
興味深いのは、著者ほどの人といえども、自社のエンジンの行方ですらまだまだ知らないことがたくさんあるということだ。第24章「木曽谷の奥で待っていた帝国陸軍の軍用車エンジン」で、赤沢自然休養林の保存機関車について触れられているのだが、鉄道ファンには知られた保存機関車にも著者は数々の発見をしている。鉄道趣味者である私としては、そこにも非常におもしろさを感じた。 鉄道のディーゼルエンジン史に興味がある人も、ぜひ読んで欲しい。そして、まだまだ世界的に試行錯誤していた時代に国鉄が独自にディーゼルエンジンを制式化しようとしていたこと、それが果たせなかった(成功しなかった)ことについて、考え合わせてみるとおもしろいと思う。 PR
菅橋(長野県)木曽谷初のRCアーチ橋の続き。
すぐ近くに、菅橋の新道と思われる橋があった跡がある。 桁はないが、親柱はある。右岸側だけ、写真を撮った。左は「昭和四十年三月竣工」、右は「しんすげばし」。「ばし」と濁るのは珍しい。 この新菅橋は、PC箱桁橋だった。あろうことか、1989年にPC鋼線の腐食が原因で落橋している。竣工からわずかに24年だ。こちらのサイトに落橋時の写真があり、ダンプカーが天を向いている。幸い、死者は出なかったようだ。 ・独立行政法人土木研究所 構造物メンテナンス研究センター また、こちらのサイトでは、岐阜県の落橋例とともに、同じ建設会社による杜撰な建設事例として書かれている。 ・長 尚(ちょうたかし)のホームページ 橋梁長寿命化修繕計画考 どうも、悪い事例として有名な橋のようだ。 特徴的なのは、にょっきりと突き出た親柱。 この橋を来るまで渡ることはできないが、橋台部分を補修してあることでもあるし、きちんと保存、というか存置されるものと思う。 コンクリートの桁橋は縦桁がメインで構成される上路桁が普通で、その場合、手すりの位置にはなにもない。しかし、この橋はまるで下路プレートガーダーのように、手すりの位置にある部材が構造を担っている(と思う)。プレート(?)の高さが低くなる端部は鉄製の手すりがある。
約1年前の2012年9月2日、カルカルで『廃道サミット』が開催された。そこでのプレゼン資料を公開する。
基本的に、時代が下るほどガーダー橋のスパンが伸び、安価かつドライバーの視界の妨げにならないガーダー橋になっていく。 続いて、橋の更新パターンを。 続いて阿寺橋・阿寺川橋について。 以上、約15分…だっけな。 (関連項目) ・「阿寺渓谷」と書いてある橋 ・阿寺川橋 顛末/『トラック野郎 熱風5000キロ』に捧ぐ 当日の模様はこちらに。 廃道サミットまとめ(2012年9月2日) |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|