高梁川にかかるカンチレバートラス、水内橋(みのちはし)。2013年5月の訪問時は補修工事中だった。写真は上流側からで、左の洞門は国道180号。写真が傾いているように見えるだろうが、右岸(写真右)に向かって上りになっている。 塗装標記は端柱に、横に書かれている。高梁川の橋梁群の塗装標記は、位置がおかしなものが散見される。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 PR 左側の側径間は後年造られたもので、歴史的鋼橋集覧の図では、この左端の橋脚は橋台として描かれている。 後者の部材は、メインたる前者の部材の部分で分断されているものが多いが、ここでは交差している。これは珍しいと思う。 先に国道の対岸側の正面の写真を上げたが、右側にわずかに写っている親柱はやはり灯籠状の上部が欠損している。 しかし。 大きさを比較すると、下写真の180号>下写真の313号=中写真の313号>中写真の180号、と思う。 さしづめ、下の写真は「まだ子供(313号)」、上の写真は「思春期過ぎてお母さん(180号)より背が高くなった息子(313号)」といったところか。 3径間の橋で、一見、中央径間だけがランガー桁であるかのように見える。現状、写真左からスパン11.5m、56m、32.4m。ランガーの桁部分と前後のプレートガーダーを見ると、プレートガーダーは側面の意匠が違い、ランガーの桁がプレートガーダーに食い込んでいる。カンチレバーである。側面の意匠が違うのは、側径間が更新されているからであり、当初よりあるのはランガー桁のみだ。 歴史的鋼橋集覧によれば、1972年に橋長の変更と側径間(吊り桁)の交換が行われている。それ以前は、図面を見る限り、側径間の側面もランガー桁の桁側面と同じくウェブが入ったもののようだ。
左側、銘板に橋名まで入っているのは珍しい。 うっかり西詰の正面を撮っていないが、左の親柱のみ掲載する。「昭和12年3月架橋 昭和47年3月補修」という複合のもの。右は「ほうこくばし」。様子からするに、銘板類はすべてこの時期に同時に製作されたもののようだ。 上の写真は南側。手前の鈑桁については後述する。親橋が残り、左は「田井橋」、右は「昭和二十九年竣工」。この橋の開通は昭和12年だが親柱にこうあるのは、手前の鈑桁は増設桁であるためだ。
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