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岡山電気軌道に乗っていて、車窓に見えてうわ!となった橋。なんともいえないミニチュア感と、見るからに古そうな……少なくとも昭和戦前期よりは古そうな橋。いや、写真左に見える、路面電車が走る「京橋」もまた非常に特徴があるんだけれど、それよりも、まずはこちらの水管橋だ。跨いでいるのは旭川である。

歴史的鋼橋集覧によれば、橋長130.7m、5径間。上の写真でわかるように、中央部が少し反っている。そして西側の端部、写真でいえば右だが、そこはポニーワーレンであり、しかも水平方向に曲がっている。

まずはそのポニーワーレンから。こちらの支間は13.6m。大きな(ミニチュアサイズだけれど)トラス橋に、そのまま50%縮小をかけたような小さなトラス橋が連なる様は冗談のようだ。

橋台は四角(実は「五」角)が鉄板で補強されている。

真正面に家があるが、その土台からして水管橋が架けられた当初からあったのかどうかはわからない。

接続部。大きなほうのトラス橋の橋門構が、これまた非常に素人作業のように感じてしまうのだが、それはL字型のアングルがあまりにも取って付けたように貼り付けられているからに違いない。アングルは上面や下面のブレースにも無造作に使われている。

ということは、この橋が架けられた明治38年当時は、L字型のアングルが生み出す「乱れ」に対しての意識が働いていなかったということでもあろう。

大型のほう同士。支承を見ると、可動式ではないようだ。両端とも固定で大丈夫なのだろうか。支間は30mを超す。

東側はそのまま突っ込んで、橋台の中、おそらく鉛直方向に水管が入っていく。

橋台は橋脚のように隅石の意匠を施されている。向かって左は道路橋の京橋の橋台、切石が整然と積まれている。向かって右の石垣はまた別の時代の布積みだ。

東側を下から見る。ブレースはジグザグに張られている。

橋脚は、上流側を三角形にした五角形をしている。最上部の写真でかろうじてわかるのだが、迂闊にも「わかるように」撮っていない。「京橋水管橋」という銘板も撮っていない。もう一度行かねばならぬか。


右の、鋼管橋脚の京橋につづく。


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道の「下」にグラウンドがあった。その向かいを見ると、木造小学校があった。どうやら閉鎖されているようだ。

グラウンドに降りてみる。ずいぶんと大きな木造校舎だ。すぐ近くで農作業をしていた男性が、学校の隣の家に戻ってきたので、ご挨拶をした。

もうずいぶん前に「休校」となった。そのとき町は「(たしか)5年後に校舎は取り壊す」と言っていたそうだ。時が過ぎ、東城町は庄原市と合併し、いまも休校のまま、昭和28年の改築から60年を経た木造校舎は朽ちることなく建ち続けている。

木製の壁にはキツツキが開けた穴がたくさんある。これは現役時代もあったそうだ。

「この学校は、裏山から木を切り出して作ったんだ。ここで製材してな。できたときは、それは立派な校舎だった。中学も併設していたから、何百人も生徒がいたよ。でも、いまは…」

男性は70を超えたいまも農業を営む。いまとなっては便利ではない土地だが、かつてはそれだけの人口があったことを懐かしんでいた。

この始終小学校には校門がないので銘板の代わりに表札がある。それが残っている。玄関は木製の開き戸。

校内を覗くと、平成9年4月のカレンダーがあった。その前月、歴史を閉じたのかもしれない。

目の前には「開校百年」の記念碑がある。百年の歴史を持つ学校は、形の上では休校中であり、廃校ではない。



広島県北の県道沿いに、小さな給油所の跡があった。敷地内に入ったら、一度切り返してバックしないと軽量機につけないような敷地。軽量機を覆うばかりのキャノピー。小さいながらもピットも備えたサービスルーム。しっかりと敷地を囲う防火壁。現役時代はさぞかしすてきな給油所だっただろう。たとえJOMOの、あの緑の意匠にくるまれていたとしても。

広島県の帝釈峡の近く、始終という集落で出会った農協倉庫。妻面の上部に農協のマーク。だが、その手前に増築されたとおぼしき建屋のせいで…いや、増築部分は「庄原市消防団東城方面隊」とあるのでおそらく消防倉庫。非常に重要な建屋だ。その左のスロープは隣の住宅のアプローチ。なんと高床な。

正面から。屋根上の三つのベンチレーターがかっこいい。

軒下、間口向かって右には「昭和三十五年十月十五日指定 食糧庁指定倉庫」、間口上には「倉番2 建築面積105m^2 内容積635m^3」。その上は非常ベルか。

こちら側は妻面むき出し。農協マークは色褪せていて、フチだけが白く残っている。

隣の建物は「始終地区老人集会所」。新しい建物だが、玄関まで5段の階段があるというのはいかがなものか。



あるブログに「三次市内にCALTEXがある」と書いてあった。場所はわからない。それほど大きな市街ではない、行ってみればわかるだろう。地図から検索するとENEOSが3店ある。それに隣接するか、その近くだろう。

わりと簡単に見つかった。この防火壁下部の緑色からしても現地はかつて給油所だったようだが、いまは犬走りのない土台の上に住宅が建ち、防火壁前は駐車場になっていた。そこにはENEOSのローリーが停まっていたので、住宅敷地内の壁にしては異様なこれも「残してある」のだろう。

近くにあるENEOSはセールスルームの屋根に三本線の入ったものだった。ということは、ずいぶん前に、この敷地から移転していたのか。それとも、ここは「離れ」のような位置づけだったのか。すてきな建物だったが、あいにく給油するほどガスは減っておらず、また給油所前の道も国道ながら非常に狭いのでこっそり撮ることもできず、写真はない。ストリートビューがあるので探して欲しい。
* * *

その国道を北にいくとすぐに閉鎖された給油所があった。そして、この、コウモリマークの日石プロパンの行灯が建っていた。

注油口のコウモリ。

なんとも味のある看板。写真内、看板の右のオレンジのポスターには「日石三菱」とある。まだ閉鎖されて間もなさそうだが、当時のポスターをずっと貼っていたのだな。


三次は素敵な町だった。この夜は、北に行った温泉併設の道の駅で寝た。



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