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タイミングよくゴールデンウイークに10連休をとることができた上に、ひとりででかけてもいい状況にもなったので中国地方に行ってきた。ログは上記の通り(dakota20で取得、kashmir3Dで日付ごとに編集、KMLに書き出してGoogleEarthで表示)。

走行距離3190km、累積標高4万4957m、移動時間110時間48分19秒。まあ、こんなものだろう。1日にもっと長く走る人もいると思うが、距離を競っているわけではないし、沿道で出会うものが多いほど、距離は減っていく。道中すべて車中泊。

連日好天に恵まれたため、およそ2000カットも撮影してしまった。撮影した橋や建物等については省略する。

●4/27(土)自宅→嬉野
移動。

●4/28(日)嬉野PA→大塔
『廃線跡の記録4』でLEVEL_7Gさんがレポートしている国見山鉱山の廃線跡へ。上部軌道にはおかしな橋がたくさんあった。偶然にも、土中に半分埋もれていたというD-507の解体作業を目にする。

●4/29(月)大塔→御坊→吉備
紀州鉄道に乗る。

●4/30(火)吉備→津和野
広島の橋等をめぐりながら。

●5/1(水)津和野→三次
観光地としての津和野ではなく、地形や集落について体感しに。

●5/2(木)三次→高梁川沿い→岡山

●5/3(金)岡山→倉敷→加茂川
岡山で開催されている『ピクトさん展』を見に。ここで内海さん、ポールさん、のむたいさん、小鳥遊さんとお会いする。岡山電気軌道、水島臨海鉄道も乗る。

●5/4(土)加茂川→津山→柵原→若桜
津山の機関庫と片上鉄道保存会の動態保存を見る。

●5/5(日)若桜→浜坂→余部→京都南→赤塚
若桜のC12運転→山陰のラティストラスへ。

●5/6(月)赤塚→東名→自宅
渋滞がこわいので午前10時前には帰宅。



撮ってきた写真を全部書くまで2ヶ月分以上の素材がある。お楽しみに。
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縁あって、大木茂さんにお目にかかれる、ある会合があった。その会合にて、なんと「なんちゃってオリジナルプリント」(大木さんの命名)による「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」のデジタルプリント(A3ノビサイズ)をいただいた。(作品名は、プリントに記載されていたものによる)

下記は大木茂写真展『汽罐車』ギャラリートークの写真だが、川端新二さん(右。大木さんは左のひとの向こうに左腕だけ写っている…)の後ろに隠れているのが、「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」だ。

20120801a_003.jpgいただいたのは、これとほぼ同じトリミングのものだ。

そのプリントをここに掲載するのは控えるが、作品は『汽罐車』に収録されているもの(P78)と、ずいぶん印象が違う。掲載されているものは、9600+D51から下りた乗務員の後ろ姿が、強く、大きく感じられる。一方、写真展およびいただいたプリントは、9600+D51と、信号所詰所向こうの林(写真左上)の存在感が強まっている。

そして、そういえば『汽罐車』のサイトに『北辺の機関車たち』の作品として、この作品があったな…と思って見たら、また別のトリミングだ(リンク先を参照)。そちらは、写真展およびいただいたプリントから、さらに左側をトリミングしており、機関車と乗務員どちらも強調されている。

ここで、三種類のトリミングの「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」が現れたわけだ。縦横比がスクエアに近い『汽罐車』版、天地をトリミングした写真展版・いただいたプリント版、左と天地をトリミングした『北辺の機関車たち』版。オリジナルは『汽罐車』版だろうか。天地方向がもっとも広い。となると原版は6×6だろうか。

私の感想としては、少しだけ天地をカットした『汽罐車』版が、現地、山間の信号場の広がりを感じ、かつ乗務員も9600+D51も存在感もものすごく強く感じる。『北辺の機関車たち』版は機関車をメインに仕上げたのだろうか。いただいたプリントはその中間といったところか。このことから、画面左下の雪の白色の面積が、作品の印象を大きく左右していることに気づく。そして、トリミングという行為が作品づくりの一部であることに認識を新たにする。私がもっとも好むのは『汽罐車』版だ。

仕事で写真を扱うときは、無意識にそれをやっている。撮影者の意図を自分なりに汲んで、あるいは自分勝手に拡大し、あるいは大胆にトリミングしている。しかし、自分の写真に対してはそれをしたことがない。それは「作品づくりとしてのプリントをしたことがない」からかもしれない。撮った時点で完成されているかどうか、などという話ではない、念のため。

* * *

大木さんに「なぜ『なんちゃって』オリジナルプリントなのですか?」とお尋ねした。これはデジタル出力したものなので、それも「オリジナルプリント」と言ってもいいのではないか。また、それこそ写真集と同じく、ファンは同一品質のものを入手できるのだから、ばらつきがなくていいではないか…というようなことをお聞きした。

ところがお返事は「アナログでプリントするときには自分の気分や考え方が反映される。だから、プリントする日によって仕上がりがかわってしまう。これこそがオリジナルプリントなのだ」(要約)とのことだった。自分でアナログ現像・プリントしたことがない私には、そこまでの想像力がなかった。「オリジナルプリント」に作家性が出る。「なんちゃって」である理由は、それだった。言われてみれば当たり前のことを知らなかったことを恥じる。



『汽罐車』をまたうろうろと眺めていたら、こういう時刻になった。まだ買ってないひとはすぐ買った方がいいです。




東京駅の丸の内駅舎が復元されて以来、常に人々がたむろし、写真を撮るようになった。しかし、それに続く南側の鍛冶橋寄高架橋のこれはどうだ。

もともとレンガアーチの高架橋があったところに、皇居側にコンクリートアーチを増設してあるのだけれど、そこにレンガ風の書き割りがほどこされている。

コンクリートアーチは無視され、ただ長方形の四角が書いてある。時には斜めになり、幅が広がり、…。

ピラスター部分はこのようになっている。

もっとも、ここは店ごとに塗り替えてあり、左のようにアーチを行かした塗り分けのところもれば、右の「玄」のように隠してしまっているところもある。しばりはないようだ。そして、真ん中に、また書き割り。ここで気づいた。書き割りは、はとバスのしわざである

高架橋の端部は、コンクリートの地肌がでている。その奥にはレンガアーチも露出している。はとバスの書き割り、せめて、このアーチのように「正しいレンガの積み方」で描いてくれたらいいのに。

端部の側面に「鍛冶橋寄高架橋」の文字。これは国鉄によく見られる角マルゴシックだ。コンクリートアーチの延長線上、本来はなにもないはずだが、プレハブが建っている。

見え隠れしているレンガアーチの上部をよく見ると、デンティルがこのような意匠となっている。デンティルが垂木から来ているとは藤森照信氏の著書にあったけれど、これは雲肘木をイメージしたのだろうか。




2014年2月16日追記

本書は問題のある訪問販売により作製されたものと推測されます。下記のプレスリリースが北海道庁より出ていますので、追記します。

『国鉄史という本の取材をしたい。 」などと目的を隠して消費者宅を訪問 し、高額な書籍の購入を勧誘してい た事業者に対し、業務の一部停止を命 じました。 』(PDF)


==
大著である。2kg以上ある。

本書は、国鉄に勤務した人々の文集といったものだ。…ということは入手した後で知った。
刊行は国鉄末期。同タイトルで地域別に分かれており、
・北海道
・東日本
・中部北陸
・関西
・九州
などがあるようだ。
また、発行元も、私が入手したのは「地方自治政経調査会」(富山県)だが、「地方人事調査会」(香川県)刊行のものもあるようだ。(「~ようだ」「~ようだ」というのは、ヤフオクでの出品情報からの推測から。他の地域分を買うつもりはない)

地域別に分かれているとはいっても、「国鉄全史」たる部分(「前付」と書かれている)は全冊共通で、カラー8ページ、モノクロ176ページ。どうも、他の書物からの転載のようだ。この部分、少なくとも写真はすべてそうだ。原版を製版したものではなく、複製である。そして「前付」に続いて「国鉄史」が展開する。本書はこうだ。
私が入手したこの本は関東編、中部編、東北・新潟編として、各鉄道管理局や現業機関の歴史が書かれている。「前付」+1248ページもある。

これらも、どうも各現場の内部資料、たとえば『新潟鉄道管理局三十年史』などの転載のようだ(その旨の記載がある)。まあ、資料としては誤転記がない限り、重宝するのかもしれない。写真は一部、「○○氏提供」とあるのでオリジナルのようだ。

そして、これがこの本の特徴であろう、現業のOBたちの業績紹介である。
これが約1000ページ分、ある。

氏名、住所、電話番号、元職、現職、生年月日、家族。そして「経歴」として、聞き書き的に、各人の紹介が書かれている。いかなる人生を歩んできたか、いかなる家族がいるか。

経歴は、大規模な現場の助役や小駅の駅長が最上級のようだが、ほとんどは駅職員、荷扱職員、検査掛、といった一現場職員である。

…史実の資料にはならない。おそらく全ページ読んでも発見はない。

巻末に「協賛」として氏名だけ掲載されていることからすると、…これは推測なのだが…このシリーズは、OBに「あなたの紹介記事を掲載する」と言って寄付を募り、寄せられた作文を元に、統一した視点で紹介記事を書いたものではないだろうか。リライトの仕事量は途方もないものと思う。さぞや苦労されたに違いない。

しかし、資料にはならない。残念な買い物だった。


今日は、ある写真家の方のお声がけにより、蒸気機関車趣味者の集まりに参加させていただいた。そこには、私の書棚にある本の著者、雑誌の執筆者、写真家などこちらが一方的にお名前を存じ上げている方々がたくさん。私なぞ若造もいいところで、現役蒸気機関車を山ほど見てきた方々と対等に話せるような知識も経験もないが、みなさんとても気さくにお話を聞かせてくださった。

最年長が、蒸気機関車に携わってから70年という方。ほか、趣味歴60年、50年という方々がほとんど。私より20~30、上の方々である。「C51が好きで…」「添乗すると、蒸気機関車がどれだけひどい乗り心地なのかよくわかる…」「世には出せない写真がある…」というようなお話をたっぷり聞かせていただいた。

そうした方々に感じるのは、強さだ。その趣味一筋で、その歳でなお突っ走っている一徹感ゆえの強さ。強すぎる。間違いなく、彼らは、他人に何かを言われても微動だにしない。私は、20年後、30年後に、そうした強さを得ているだろうか?

* * *

その場でうかがったお話で強く共感したものとして、「いまならまだ間に合う」というテーマがあった。いまなら、蒸気機関車を運転していた方が生きている。いまなら、まだだれも見たことがない写真を撮った人が生きている。また、各地には「よく捨てられなかったな」と思われる国鉄時代の資料が残っている。蒸機全廃から38年、国鉄解体から26年。いまが、それらをアーカイブとして残せるかどうかの瀬戸際だ。

1970年代にテープレコーダーに収録した、明治20年代生まれの機関士たちの談話の音源が披露された。大変貴重なアーカイブだ。鉄道趣味界では、まるで蒸気機関車は9600形以降の各形式しか存在しなかったかのような扱いだが、いわゆる「古典機」だって、かつては本線を疾走していた。明治の世から蒸気機関車に携わっている方々によるそうした機関車の話など、二つとない資料なのではないか。

本来ならば、鉄道の博物館がこうしたものを保存しておくべきだとその方はおっしゃっていたし、私もそう思っているが、なかなかそれも難しいだろうし無理だろう。もし、私がなにかの拍子に個人事業主になったら、こうしたことをまとめ、なんらかの事業にできないか…などと妄想している。

会場には大変貴重なものがいくつもあった。おそらく処分されるものを救ったのだろうと思う。冒頭の写真は「省外秘」とある東海道・山陽本線のダイヤ。鉄道省の時代か。上の写真、中下の横太線は大阪駅。「2」という数字をみれば、2列車が9時に大阪駅を発車している。こんど、戦前・戦後の時刻表を参照して特定したいと思う。


こんな貴重な機会をいただいたOさん、また、お話しさせていただいた皆様に深く感謝申し上げます。




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