(カシミール3D+基盤地図5mメッシュ標高データで作成)
twitterでもお知らせしましたが、3月3日(日)に、お台場の東京カルチャーカルチャーで開催される『坂サミット』に出ます。 ・東京カルチャーカルチャー 坂といえば地形、地形といえばカシミール3Dですよねえ。まあ、壇上で5mメッシュをいじくっていてもそれなりに楽しいと思うのですが、やっぱり「坂」、いや「坂『道』」じゃないと…とも思うので、「道」方面の話にしようかなあと思っています。 でも、ぼくにとって「坂」というのは、こういうものなんですけどね。 (2004年阿蘇オープンエンデューロにて) あるいはこういうの。 ヒルクライムって、オフロードコースの楽しみの一つ。「もう絶対に無理!」っていうところを、うまい人が登っていくのは見ているだけでも楽しい。国内のトップライダーがチーズナッツパークの(ぼくには)ありえない坂を、ノーマルタイヤのアフリカツインで登っていったのには、もう言葉も出ない。
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あと、もうすぐ告知できると思いますが、3月23日もぜひ空けておいてくださいませ。 PR
鉄道ファンの多くは、車両の「形」のファンで、乗ることが好きで、旅客運輸に関わる人の話が好き、だと思う。運転士や車掌のエピソードはみんなが聞きたがる し、よく雑誌の記事にもなっている。でも、それとはまったく違う部分で鉄道と関わっている人たちがいる。そして、彼らがいなければ、鉄道は成り立たない。本書は、そうした面のごく一部だけ、四つの仕事について紹介した本だ。
川辺さんのお名前は以前から(以前は川辺芭蕉さんと名乗っていた)存じており、記事を拝見した印象は、僭越ながらきちんとわかりやすく説こうとしているな、というものだった。上の2冊のほか、学研の本があと2冊、家にあるはずだがちょっと出てこない。私などはそれなりに突っ込んだところから書かれた方が嬉しいのだけれど、本書は交通新聞社新書ということもあり、おそらく小学生でも、すんなりと得心できるように、丁寧に、丁寧に書かれている。 丁寧というのは、その工事や部品が持つ「社会的な」意味、それに携わる人の姿、鉄道会社や製造会社が見据える未来について、きちんと説明してあるということだ。そして、各社の現場の人物や事務方の人物まで、それぞれが自分の言葉で話しているのが伝わってくる。これは取材力のたまものだろうと思う。また、さりげなく挿入された海外の鉄道との比較などは、実際に体験しないとでてこないもので、これは机上で完結する鉄道ライターでは無理なことだ。こういう、「この人ならでは」の記述ができる著者は貴重である。 このご時世なので、取材もなかなか難しいはずだ。取材対象がOKをくれない場合も多かろう。OKが出ても、あれは見るなこれは書くな、とくに大企業である鉄道会社や、受発注の関係である部品メーカーなどは検閲というか、厳しいと思う。それでも、ここに登場した東京メトロ、関東分岐器、旭硝子の販売会社・AGCファブリテックと「外製拠点」ビューテック、東洋電機は、賞賛に値すると思う。各社、かなり上級の役職の人が取材に対応している。そういう人を引っ張り出せるのも、過去から取材を重ねている川辺さんの力なのだと思う。
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惜しむらくは、丁寧さのさじ加減が実に難しいため、本書が紹介しているのが四つの仕事に限られていることだ。読者としては、全10章となるくらいのボリューム感、あるいは対象業務のまとまり感があれば、なおよかっただろうと思う。例えば、車両の機器で5章、運転業務設備で5章、などというように。 もっともこれは、交通新聞社が、最初から「鉄道車両部品編」「鉄道建設編」「鉄道業務用機器編」のように考えて設定すべきものだと思う。私が企画担当者なら、企画段階からそうする。いや、交通新聞社なのだから、雑誌に連載して、それをまとめるようにする。そのほうが取材申請も通りやすいし、版元にも著者にも還元があるからだ。 不思議なのは、本書のような内容を、老舗鉄道誌は採り上げないことだ。最近は『J-Train』が現場のグループインタビューを毎号掲載しているので、私としてはそちらを賞賛したい。鉄道誌というのは読者の関心に迎合するだけではなく、読者の関心を深める牽引役としての役割も必要なはずだ。いま、それができている鉄道誌は、RFでもRJでもRMでもなく、Jトレということになるのだろう。 願わくば、この続編、続々編を刊行して欲しい。書籍のための取材というのはスパンの長さもあって難しいとは思うが、交通新聞社は、ぜひバックアップをして、実現してほしい。
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本書で取材している地下鉄有楽町線の千川短絡線。今週から…かな、使われている。私は通勤で毎日通るのだけれど、まだ、短絡線を通る日と通らない日がある。通るたびに、本書の写真を思い出すことだろう。 続編、期待しています。 次回はぜひ電気(電機ではない)の仕事の話を。
西ゆうじさんが亡くなった。
昨日、告別式が執り行われたので、お別れに行ってきた。 近年では主として漫画原作者として活躍していた方で、連載中のものではテレビドラマになった『あんどーなつ』(ビッグコミックオリジナル)と『蔵の宿』(週刊漫画TIMES)、『華中華』 (ビッグコミック)がある。私は『週刊漫画サンデー』の編集者の頃に、前担当の先輩から引き継ぎ、『これで家族』などを担当し、異動に伴い同僚に引き継いだ。
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2011年10月20日、入院先に伺った。大事には至らないだろう、ということで、お元気にお仕事されていた。病院の喫茶室で話し込み、屋外で(西さんが)煙草を吸い、…という、いつもどおりの西さんだった。ライカのM9を触らせてくれ、コレクションのクラシックカメラも700台を超えてしまった、というような話をした。そういうお元気な印象だったので、以後、ご無沙汰してしまった。 会社の先輩から突然の話を聞いたのは、2013年2月5日(火曜)だった。漫画原作の連載も普通に掲載されていたし、今年も手書きの年賀状をいただいていた。もうとっくに元気になり、普通に過ごしておられるのだろうと呑気に考えていたので、非常に驚いた。 その夕方、先輩とともに病室にうかがった。酸素吸入のマスクをしていたためにお話はできなかったけれど、私たちの話すことはきちんと伝わり、ときには私たちを見て、最後は手を挙げて握ってくれた。かなり厳しいとは聞いていたけれど、まさか、その直後にお亡くなりになるとは思わなかった。 ご家族と大切な時間を過ごすべきところに、我々のような仕事関係の者がお邪魔してよかったのか、と感じる。でも、あとから聞けば、西さんは、作品作り=人生でもあった方なので、関わった方々とのお別れの場をご自身でご用意されたようだ。そのお心遣いに言葉もない。果たして自分がそういう場面になったとき、「お別れの場」などを設けることができるだろうか? 無理な気がする。
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1990年代後半、私は二十代半ば。まもなく終刊を迎える『週刊漫画サンデー』も当時はかなりの売れ行きで、会社の大黒柱だった。自分は、いま思えば愚かなことに、仕事面ではなにも考えずに毎日を送っていた。週末にバイクでどこに行こうかということばかり考えていた。西さんは、そんな私を、きっと「しょうがねえやつだなあ」と思いながらも、かわいがってくれた。毎週、「週末はどこ行ってたの?」と聞いてくれた。 漫画の原作というものは、要するに「原稿用紙」なので、当時は既にファックスでやりとりしている方も多かった。会社としてはまだメールの環境もなかった。しかし、西さんは、原作を、毎週、直接会って受け渡すことにしていた。待ち合わせの場所は、いまはなき池袋芳林堂の「栞」、芸術劇場の「こぶし」(いまは別の店になっている)、銀座「どんパ」などが多かった。 担当していた『これで家族』は、非常におもしろい原作だった。しかし、西さんのネームの多さもあり、作画担当の漫画家・杉江雅巳さんもそれを入れるのに苦労はしていた。勢い、顔が会話するようになってしまった。未熟すぎる私はそれをそのままにしてしまい、西さん、杉江さん双方の不満を聞くに終わってしまった。いま思えば、原因はページ数の少なさと、私が整理しなかったことにある。当時の漫サンは通常1本20ページのところ、『これで家族』は毎回16ページだったのだから、私はこれを増やすべきだった。また、いわゆる「説明ネーム」、状況を登場人物にしゃべらせるような部分を、どう圧縮するかは、私が整理し、西さんの承諾を得て、杉江さんにも意図を伝えなければならなかったのだ。私はそういうことをしなかった。 西さんは、原作者としては珍しく、だと思うが、漫画になった後まで気にかけている方だった。書きっぱなしではなかった。さまざまなことに精通し、それを誌面で展開しようとしている西さんには、漫画化されたときに「ありえない描写」が目についてしまうことがあり、それを漫画化の勉強不足、と指摘したことが、炎上気味になったこともあった。しかし、私が見て見れば、それはたしかに指摘の通りであり、あとは「言い方」の問題でしかなかった。 そんなことを思うようになったのも私が歳を重ねてからで、担当しているころには、そういうことがわからなかった。西さんのお話の半分も理解できてなかったのだろうし、原作を受け取るときも「打ち合わせ」にはなっていなかっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それでも可愛がってくださったことに、強く感謝している。漫画編集者でなくなって14年たつが、いまでもおつきあいのある漫画関係者は西さんだけだった。
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告別式の後、渡された手紙には、「じゃ、また」と書かれていた。きっと、生前、ご自身でご用意されていたものと思う。その言葉に限らず、「ああ、西さんらしいな」と思うことが、たくさんあった。小学館の片寄常務の弔辞、「西ゆうじという作品を演じ続けた」というのは、本当にその通りだと思う。 59歳という早すぎる逝去。謹んでお悔やみ申し上げます。
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●西さんがシナリオを担当した、住友グループ広報委員会のサイトにある住友グループ誕生を描いた漫画が、オンラインで閲覧できます。作画は、西さんとはかなり古いおつきあいの長尾朋寿さん。台詞回し、説明などに、西さん節を感じます。製本した紙媒体版があるけれど、非売品かな? http://www.sumitomo.gr.jp/story/index.html
2012年4月以来、GWと夏休み以外は基本的に毎日更新していましたが、11月頃からあまりに多忙で、ついに時間をやりくりできなくなりました。書きたいことは山ほどあるので、時間ができたらいずれ書きます。
そのときはまたよろしくお願いいたします。
自分が企画・制作したものを自分で書くのもなんだが、個人的な思いを書こうと思う。
2002年、ハンディGPSを入手した。VISTAのなんだっけ…。とにかく、ぜんぜん使わなかった。なんの知識もないので、宗谷岬で古いツーリングマップルに掲載されていた緯度・経度と照らし合わせ、「こんなに誤差があるのか」と思い、思い込み、そのまま机の引き出しに放り込んでおいた。いま思えば、なんともったいないことをしたのだ。 改めてハンディGPSを買ったのは、廃道探索をより効果的にするためだ。地形図に書いてある細かな道路は更新されないことも多いので、廃道化して相当の年数が経っていても地形図には載っている。実際には跡形もなく藪に覆われているのに。そういう場所で、確実に目的地に近づくために、買った。そして早速役に立った。 買ったのは、本書でもテストしているDAKOTA20。これを選んだのは、カシミール3Dの作者、杉本さんからの助言による。最初はカシミール3Dからマップカッターで切り出して地形図を転送していたが、めんどくさいので全国の2万5000図を買った。そのあたりの経緯はガーミンGPS用 「日本地形図25000全国版 microSD版」by TKAに書いた。 で、GPSログは多ければ多いほどいい、日本中に毛細血管が張り巡らされるような地図にしたい、という欲求がでてくる。これは、ハンディGPSを持たないと感じないものだ。鉄道の「乗りつぶし」に通じる気持ちだけれど、もっと強い。 かつては、ツーリングマップル(それ以前はツーリングマップ)で、バイクで走った道を蛍光ペンで塗っていた。クルマで走った道は水色で塗っていた。これの欠点は、地図を買ったら塗り直さなければならないことと、その際に、新道に切り替わった部分をいい加減にしてしまうことだ。そして、蛍光ペンはなかなか乾かないので、ページを閉じると対向するページに写ってしまうのも悩みの種だった。蒸気のエリア、実際にはもっと走り潰しているはずだ。こういうことをしていたのは、2000年くらいまでだろうか。 塩那林道も塗りつぶしてある。大川林道は、その後、走ったけれど塗ってない。 本書の圧巻は、巻頭の2図だ。 上はとある匿名の方、下はえぶりさんご提供。 編集後記にも書いたけれど、自分がいままでログをとっていなかったことが悔やまれてならない。年末年始に書いた西表縦断や、北海道の知床半島縦走などもう二度としないだろうし、廃止になった東京~釧路航路や東京~苫小牧航路などももう無理。もし、上京した1991年からでいいので、そこからのすべてのログをとれたらどうなっていただろうか。
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本書については、すでに大山顕さんが「人生とは一筆書きのログ"『スマホ+カシミール3D GPSログ自由自在』」というすばらしい記事を書いてくださったので、私が説明するようなことはない。内容については、また別途会社のサイトに書こうと思う。 ついでに、気圧高度計内蔵のDAKOTA20ならではの気づいたこと。
列車がトンネルに入ると気圧が下がって耳ツンになる、ということの証拠。同じことは飛行機内でも起こる。私がとった飛行機のログは、実際の高度より2000m以上低いところを飛んでいることになっていた。これは誌面では使わなかったけれど。 こんな本です。ガジェット好きの人の目に触れることを第一の目的に作りました。お手にとってご覧いただければ幸いです。一部のファミマにも入ります。 本書は、twitterやネットで知り合った方、リアルの友人、みなさまのご協力で完成しました。友人知人を仕事に巻き込むのは気が引ける面もあるのですが、応えてくださったみなさまと、結果的にログのご提供にはならなかったけれどご相談に乗っていただいた皆様に感謝申し上げます。 |
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