踊り字(漢字の繰り返しの記号)「々」が使われる地名がある。大間々や久々野、等々力、新島々など誰でもいくつか思いつくだろう。その中でも他の漢字がつかない、合計二文字の地名には妙な魅力がある。
百々(どど) 千々(ちぢ) 万々(まま) 年々(ねんねん) カシミール3Dの地名ファイルで検索した結果のうち、二文字のものをピックアップするとこんな感じだ。見落としもあるかもしれないし、(失礼ながら)地名ファイルに誤りがあるかもしれない。あるいは現地表記と違うかもしれない。順不同。 佐々(ささ) 美々(びび) 保々(ほうほう) 猩々(しょうしょう)…架空の動物、あるいはオランウータン 尾々(おお) 馬々(ばば) 道々(どおどお) 洞々(どうどう) 働々(どうどう) 堂々(どうどう) 手々(てて) 蔵々(ぞうぞう)(ぞぞ)…ZOZOタウンか。 間々(まま) 漸々(ようよう) …音読みは「ゼン」… 場々(ばば) 振々(ぶりぶり)…ぶりぶり? 頃々川(ころころがわ) 舞々(まいまい) 畦々(うねうね) おもしろいのは、読み方が一文字目と二文字目で異なるものだ。二文字目が濁音になったりするのはよくあるが、音便化したり、あるいは別のものになったり。 呉婆々宇山(ごさそうさん) …由来は不明のよう。知恵袋に記事あり。 上々(じょうじょ)…JOJOか! 下々(しもそう)…「下」で「そう」とは読まない? (カシミール3D+解説本地形図) 地理院の地形図では、踊り字のみに「そう」とルビが振ってある。地形図のこういうルビの振り方はおかしいと思う。振るならすべてに振る。振らないならすべてに振らない、としたほうがいい。
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「々」は、例えば「民主主義」を「民主々義」にするような使い方はしないのだが、地名では使ってしまっているものもある。もともとの地名に東西南北や上下がつくのに、さらにそれらがついたものだ。 下々条(しもげじょう) (カシミール3D+解説本地図) もともとの地名は「下条(げじょう)」。これに「上(かみ)」と「下(しも)」があるが、現在「上」は地名としてはないようだ。バス停や越後交通の路線名に名残を残している。 越後交通のサイト(東口3番線) 下々野(しもしもの) (カシミール3D+解説本地図) 対応する「上下野」には当然「々」は使われていない。すぐ近くには「羽々ノ下」(はばのした)もある。 北々条(きたきたじょう) (カシミール3D+解説本地図) 対応する「南北条」もある。周辺には上下がつく地名がふたつ。
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新村(にいむら)周辺 これはちょっと違うけれど、「新村」の語幹というか「新(にい)」に対して方位や上下がつき、わけがわからなくなっている例。語幹としては、 新村 上新 下新 北新 東新 南新 が地図にはあるのだが、「北新東」は「東新の北」なのか「北新の東」なのかわからない。「下新南」と「南新中」も、どちらがどうなのかさっぱりわからない。相対的な位置を示す語は、ひとつしか使ってはならない、と強く感じる。 カシミール3Dの「ジャンプ」機能はこういうときにもとても便利だ。かつて年賀状に干支の漢字を含む地名の写真を使っていた頃、漢字は地図を眺めて探していた。いまは検索すれば一発で出てくる。ありがたいことだ。 PR
西武秩父駅から、国道ではない道を横瀬駅を経て、芦ヶ久保駅に8km強、歩いた。三菱マテリアルを過ぎてちょっと行くと人家は途切れ、道路は国道299号しかなくなる。そのうち、右手(南側)に吉澤石灰工業という会社があり、その手前に旧橋があった。
写真では全然わからないのだが(情けないことに、撮っていない)、こんなに短いのに2径間連続の緑色の鈑桁だ。欄干はコンクリート製。 ついでに、新道の「新山口橋」の親柱(秩父側/南側)。 新山口橋の秩父側/北側の親柱。「横瀬川」。 ただし、旧橋が渡っているのは(たぶん)小島沢で、新橋は、小島沢と横瀬川を一気に渡っており、ひとまとめてに「横瀬川」と記している。 先に新橋を。銘板と塗装標記。
<銘板>
新山口橋 1978年3月 埼玉県 道示(1972) 一等橋 使用鋼材 SM50YA.YB.SM53B 製作 トピー工業株式会社 <塗装標記> 塗装記録表 塗装年月 1978年11月 塗装会社 下塗 森野塗装株式会社 中塗・上塗 大和建装株式会社 塗料材質 下塗 鉛丹さび止塗料 中塗・上塗 フタル酸樹脂塗料 塗料製造会社 下塗・中塗・上塗 関西ペイント株式会社 そうか、建造以降、一度も再塗装されていないのだな。 さて、旧橋。 旧橋の秩父側・北側は「こじまざわ」。左側、欄干の下に切り株が見える。こんなところに、こんな太さの木が生えてしまうのか。 旧橋の秩父側・南側は「やまぐち(はし)」。カッコ内は読めない。 旧橋を渡って飯能側・南側は「小島沢」。 飯能側・北側は「山口橋」。写真では見えないと思うが、肉眼ではなんとか読めた。 渡ってから、秩父方面に振り返る。 飯能側。この先には国道299号の旧道がある。明確な通行禁止の表示はないが、簡単な柵はある。 右の山側に見えているのが西武秩父線のコンクリート桁。秩父側から小島沢橋梁(50m)、第二滝枕橋梁(138m)、第一滝枕橋梁(138m)。「中島」というべき山肌のせり出しを橋台にして、ほぼ連続で架かっている。橋梁名は『日本鉄道名所 勾配・曲線の旅 首都圏各線』(小学館)によった。検索しても出てこないので、西武秩父線の橋梁の名称が正しいかどうかは不明だが、かっこいいのは確か。長い桁でも、歩測で25m程度だった。 そのまま歩くと、新橋が寄り添ってくる。新橋は横瀬川を2回、渡っている。写真中程右手、山側から土砂が流れ込んでいる。2箇所ほど、そういうところがあった。 そのうちの1箇所は、このように砂防ダムのようになっていた。この旧道が現役だったころには、ここから流出する土砂はどうやって横瀬川に落としていたのだろうか? 飯能側の合流地点近くに、ひとつだけ「落石注意」の標識があった。 国道299号の秩父から飯能の間は、地図を見てもたくさんの旧道がある。いずれ原付で訪ねてみたい。
天竜浜名湖鉄道の戸綿駅のすぐ下に、閉鎖された出光の給油所がある。天竜浜名湖鉄道桜木駅とモービル石油の時に、g_standさんからご教示いただいたものだ。
写真右端に写る橋梁については下記をご参照いただきたい。 ・太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その1 ・太田川橋梁(天竜浜名湖鉄道)その2 現在は、所有者の駐車場になっているようだが、停めてあるバケットトラックと軽トラはどちらもナンバープレートがない。 キャノピーは、中央がくびれたH形をしている。給油所は、キャノピーの支柱はまっすぐ建てたくないと思っているのだろうか。屋根は波板の鋼鈑なのに、支柱は斜めになったりくびれていたりすることが多い気がする。いや、それはすてきなことだという意味だ。 計量器。 灯油の計量器。なぜか隣りに冷蔵庫。 地下タンクの給油口。鋳物の蓋にアポロマーク。 停めてある軽トラの側面には手書きのアポロマーク。進行方向を向いている。普通は左向きだが、これは手書きだからか、右だ。右向きのアポロはこちらの記事にも書いたのだが、そちらは手書きではないような。 リヤゲートには屋号とアポロ。 エアゲージ。圧力がある…ように見えるが、これは壊れているのだろう。 駐車場である限りは、しばらくこの姿のままであり続けると思う。
去る3月末で廃止になった、長野電鉄屋代線の金井山駅。訪問は廃止の約2ヶ月後。ごらんのように駅前はとても広いスペースがある。中央の白い建物が待合室で、その中央に四角い看板を剥がした跡があるが、そこに「金井山駅」と表示してあった。廃止後に盗難を恐れて外したのだろう。右の建物がトイレである。
公園のトイレのような造作。汲み取り口と、そこから伸びる換気塔(ただし「王子様」はない)。側面には外蛇口と屋外用ソケット。 ホーム側から。丸見えの男子小用。個室は…写真を撮っていないということは開かなかったのかもしれない。もう忘れてしまった。 待合室には、まだ座布団も張り紙もあった。 冒頭写真、待合室とトイレの間に標柱のようなものがある。そこには… オハー 真田の六文銭をなんだと思ってるんだ…! |
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