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国道沿いのツバメ・丸善石油

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

 
国道を走っていると、赤いツバメマークが見えた。敷地の半分は駐車場になっている。閉鎖されて久しいのだろう。防火壁の外側は白く塗られていた。

 
その裏側を見ると、ちゃんとツバメはいる。しかし、カットしてある。

 
あまりカットする必要性を感じられないのだけれど。

 
向かって右は、キレイに残っている。日石カルテックスもだが、昔は防火壁の端部に住所を書くのが普通だったのだろうか。




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『水路上観察入門』(吉村生・髙山英男)


「暗渠マニアックス」のお二人による、すごい本が出た。タイトルがいい。『水路上観察入門』。かの『路上観察入門』に1文字加えただけで、こんなに意味が変わるとは。実はタイトルは著者それぞれで意味が異なる。吉村さんは「"水路上"観察」であり、髙山さんは「"水"路上観察入門」。それぞれが「第1部」「第2部」となり、本書はそれらが半分ずつで構成されている。

書きたいことは山ほどあるが、個々の内容の紹介はきっと他の方々もすると思うので、「路上観察」の観点から書く。


※私は『片手袋研究入門』の石井公二さんと、いわゆる「路上観察」界隈のお話を聞く「都市のラス・メニーナス」という配信をしているのだけれど、その流れです。

※私自身は「路上観察」というと、初出から40年近くが経って当時の社会情勢を前提としない解釈がほとんどとなり輪廓がぼやけてきたこと、また「路上」に限らないものへも同じまなざしを送ることから、内海慶一さん提唱の「都市鑑賞」と言っています。しかし、本書の書名からして、ここでは「路上観察」と書きます。


まず、本書を手に取った方は、吉村さんの「はじめに」と髙山さんの「おわりに」を読んでほしい。本書のコンセプトは、林丈二さんの慧眼から発している。林さんは(きっと)すでに何十年も前に、「暗渠と路上観察」を一言で言い表す答えを用意していたのだ。日々、いろいろなものを見て、それについて考察している我々が掴めていない、はるかな高みからの視点を与えてくださった。



お二人に限らず、たぶん、好きなものに夢中になり、それをアウトプットしている方々は、それが、外から見たらどう定義されるものなのかというのは考えない。考える必要がない。他人に説明する義理もない。でも、林さんの言葉をきっかけに、吉村さんは自身の関心が「"水路上"観察」であることに気づき、髙山さんは「"水"路上観察入門」だと気づいた。その気づきをもって、お二人がご自身の活動を「路上観察」の観点で捉え直したものが本書だ。

いままでのお二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かったと思う。東京カルチャーカルチャーに登壇されたのは「地図ナイト」であり「スリバチナイト」だったし、雑誌『東京人』での特集もその系統だった。

* * *

吉村さんの「"水路上"観察」と、髙山さんの「"水"路上観察入門」。乱暴にまとめれば、吉村さんの視線は、人の介入を含んだ歴史であり、水路ありきだ。一方、髙山さんのはそれらをいったん捨象してパーツにバラしたあとで整理したものだ。



吉村さんは、一定の基準で集めはするけれど、その個々を定義づけて分類したり分類の基準を語ったりはあまりしない。「どうぞ」と一斉に公開する。鑑賞に委ねる。村田あやこさんの「路上園芸」と似たスタンス。


端的なのが「自前階段」。あまりに「ありもの」を現物合わせで置かれているものなので、そもそも規格も基準もない。でも、そこに惹かれるのが、吉村さん。
 

髙山さんは、イベントでのプレゼンでもそうだが、マトリクスやフレームワークを多用する。見たものをどこかに分類する。人為は鑑賞の添え書きとはならず、人為までもがいったん数値化される。これは、石井公二さんの「片手袋研究」と似たスタンスだと感じる。



そのスタンスでいえば、髙山さんの「誰もが心の中に暗渠を抱えている」という言い回しは、石井さんの「あらゆるものは片手袋である」という考察結果と共通するものを感じるし、一見、分類しやすそうな「暗橋」(あんきょう=暗渠に残る、かつて水路に架かっていた橋の痕跡)でさえ、フレームワークからはみだすものが多いと書いているのは、石井さんが、片手袋で分類できるのは2割くらいだと言っているのと共通する。

マニアは、ものごとを知れば知るほど「知らない」ことを認識する。いろいろな「無意識による顕れ」を定義づけようとすると「定義できないことのほうが多い」という点に収斂していくのは、考察の深さの結果だ。


(石井公二「かたてブログ」より)

* * *



先に「お二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かった」と書いたが、「暗渠」は、地図・地形ファンにも、路上観察ファンにも強い訴求力を持つ。暗渠は「境界をつくるもの」ではあるが、境界は、両側から必要とされるものでもある。私がいま思いついていないだけで、また別のものとの境界になっているかもしれない。そうしたことを考えるのはおもしろいし、自分や界隈の視点そのものをさらに俯瞰する視点を与えてくれる。

そういえば、私が「ドボクファン注目の30橋」という記事で参加した『東京人』2020年7月号「特集:橋とドボク」に、髙山さんの「 『暗橋』探訪 かつての橋の欠片たち」の記事があり、驚いた。驚いたというのは、この特集はドボク界隈の視点(+人文系)だとばかり思っていたからだ。そこに、地図・地形界隈と思っていた、暗渠からのアプローチ。こういうまとめ方があったか!と楽しく拝読した。

また、同じく『東京人』2021年3月号「特集:階段で歩く東京の凸凹」に、吉村さんの「暗渠にくっついた、愛しき階段」がある。これらは『東京人』編集者のTさんの発案だと思うが、Tさんもまた、『東京人』各号の特集を通じて、こうした境界を認識し、乗り越えさせてくれる重要な役割をいつも担ってくれていると改めて尊敬の念を抱く。

* * *

本書のサブタイトルは「まち歩きが楽しくなる」である。暗渠そのものの情報ではなく、暗渠に散らばっているいろいろなこと・ものをまとめたものだ。だから、いままでは地図・地形に興味がなくて暗渠は「ああ、あるね」くらいのスタンスだった、路上観察が好きな方にこそ見て欲しい。そこにはきっと、「あ、そのまなざし!」と自分と同じものを感じ、自分で言葉を継ぎたくなる記述が山のように見つかるはずだ。


* * *

おまけ。


古戸越橋は、たまたま撮っていた。2014年の撮影。この橋は2016年にしながわ中央公園に移設されたとのこと。

 
新潟市の万国橋のすぐ西にある暗橋。たしか銘板はなかった気がする。

 
鶴瀬の扇田橋。

あと、「唐突にある謎の池」、思い当たることがある。髙山さんもブログ「暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め①羽沢支流のトタン塀」で書いている羽沢支流。

この羽沢支流の暗渠道を、亀が這っていたことがある。このあたりのおうちのお庭に池があり、亀がたくさんいて、たぶんそれが逃げ出したもの。そこのお宅を訪ね、無事に返すことができた。吉村さんの「謎の池」は、それが裏付けのある論かとかそういう話ではなくて、とてもおもしろい見方だと思うし、実際にそう感じてくる。きっとそれも、ものすごくたくさんの暗渠を見たからこその顕れだし、そういう直感は、たいていの場合は正しい。今後、暗渠に入り込んだときは、この観点が必ず脳裏に浮かぶことになるだろう。











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歩車・モノレール共用の多摩丘陵トンネル

隧道・廃隧道

 
多摩モノレールにはトンネルがある。多摩動物公園駅~中央大学・明星大学駅間だ。上の写真は中央大学・明星大学駅方面(トンネルの南側)から。

「共用」といっても鉄道・道路併用洞門 平岩洞門廃止信号場にある水路共用車道トンネルのように「同じ穴」にあるわけではなく、3線のカルバートであり、その中央をモノレールが使用している。

 
車道とはこのように金網で仕切られている。また、モノレール側には歩道はないので近づけない。クルマ通りはそこそこある。

 
多摩動物公園駅側。

 
 
航空写真で見ると、切り通しでよかったのでは…とも感じる。カルバートだから埋め戻しているんだし。とはいえ、こうなったのは何か事情があるのだろう。ご存じの方、ご教示お願いします。





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旧道に残るミニマム給油所

ENEOS/日本石油

 
バイパスのすぐ横、旧道に、こぢんまりとした給油所。酒や煙草を扱っていた商店に併設されていたようだ。閉めて久しいのかな。

 
でも、給油所は、現役のよう。レギュラーの計量器が一つ。



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由緒正しい多摩ニュータウンの廃道

廃道


唐木田駅(上記地図の右上)の左下、南多摩尾根幹線に対して「渡り線」のような形で道路がある(赤い線)。地図左下から右上に向かう際にそこを通ることにした。ところが。


入れない。いや、徒歩だから入れるんだけれど、車道としての用途は廃されている。


なのに、少し入って振り返ると、標識どころか青看がある。見る自動車はないはずなのに。


何かの目的があって残されているのだろう。犬の散歩をする人とすれ違った。また、自転車で休んでいる人がいた。散歩道としては使われているようだ。長池のほうへの分岐もある。つい、「クルマが来ないならここでテント張ってもよさそうだな」などと考えてしまう。すぐそんなことを思うのはサガ。

 
「出入口につき駐車禁止」とある鉄の扉があったが、その前後は背の高い草に覆われ、クルマの突入を拒んでいる。その奥には通信鉄塔があったが、使われてなさそうだ。帰宅後、検索してみると米軍の由木通信所、というものがあり、2016年に日本に返還されたそうだ。Wikipediaもあってびっくり東京都のサイトにも記載があった


陸橋から北を見る。胸の空く眺め。


南を見る。


この陸橋は「長池上小山田陸橋」というが、銘板は1枚が紛失、残り3名は橋名だったので、何年の架設かは不明。


北側の出口付近。運送会社の大型トラックのプールとなっている。そして、出たところには青看。これは、この柵の向こうのわずかな道路…事実上、運送会社のためには役立っている。



さて、この渡り線のような道はなぜできたのか。そんなことは検索のしようもないと思っていたが、今昔マップで古い地図を見ていたら、実は古来からの道であることがわかった。

 
(今昔マップ1896-1909)
町村道(間路)として、このルートが描かれている。


(今昔マップ1944-54)
町村道(達路)になった。


(今昔マップ1998-2005)
グッと下って2000年前後。南多摩尾根幹線建設中は、この道路が未完成区間をつないでいた。この時代が、もっともクルマの交通量が多かったに違いない。

この時代の地形図を見ると、この区間の完成がもっとも後になっていたようだ。おそらく、この区間の完成をもって、この由緒ある里道(あえて「里道」という)はその役割を終えた。










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北関東の下向き矢印

木製扉の菱形・バツ形等

 
下向き矢印の扉4枚。左右端に蝶番が見えるので観音開きかな。

 
手前に置いてある扉は、どこにあったものかな。



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いまも輝く共同石油の太陽

JOMO/共同石油

 
写真の右奥から手前に向かって走っていると、共同石油の尖ったラインが見えた。通り過ぎて振り返ると、そこにはGマークがかすかに残っていた。

 
よく、赤い塗料が褪せて消えている看板を見る。しかし、ここでは赤よりも青のほうが褪色している。赤の下地に何か塗っていたようにも見える。共同石油のマークの外側の青線「G」はガソリンの頭文字、中野赤い円は太陽やエネルギーのイメージである。




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兵庫県には因幡の国を含むのか・続

地図・航空写真・分水嶺

兵庫県には因幡の国を含むのかを書いたら、このようなコメントをいただいた。


たしかに、ボカした地図画像だけれども、そのように見える。確実にするために、実物を入手した。


20万分の1地勢図の「姫路」(明治43年製版・昭和23年修正)だ(以下「旧版」とする)。例の国界・県界が表示されている。この形をよく覚えておいてほしい。戸倉峠はまだトンネルがない旧旧道だ。戦時中にここにトンネルを穿とうとした跡を、nagajisさんが発見し、畏怖すべきことが描かれている。これはぜひ読んで欲しい。(『日本の廃道』2008年9月号。紹介文は超軽いが…)

この地図は、20万図なのに「ボカシ(陰影)表現」がない。スミ、等高線の茶、水系の青の3色刷だ。ボカシをなくしたのはコストダウンか。

国土地理院の図歴によれば「くんせん抜きの地図」とある。「くんせん」とは初めて聞いた。漢字で書くと「暈渲」であり、デジタル大辞泉によれば「色をぼかして表すこと」。本来は「うんせん」と読むらしい。Wiktionaryにも読みは「ウン」しかない。「渲」はWiktionaryにもない。Wikipediaには「暈渲」の項目がある。

話が逸れるが、地図の用語は、やたら難しいことがある。山名は縦の右斜体(文字を右上に垂直方向に引っ張る)、河川名は縦の左斜体(同じく左上に)がかかるが、これを「しょう肩体」という。漢字にすると「聳肩体」だ。


話を戻して、上記の地図を、20万分の1地勢図と同等の「数値地図200000」(以下「現代の版」とする)をカシミール3Dで切り出してphotoshopで合成した。全体的に描き方のズレがあるのは仕方がない。旧版は明治43年製版なので、実際は初版である明治27年以前の測量だろうから、相当に「適当」であることが推測される。そのため、現代の地図とは大きなズレがあるのだ。図歴では、「修正版」の明治27年測量版が最古だが、それとて「修正」である。

現代のレベルになるのは、昭和59年「編集」になってからだ。「編集」とは、2万5000図や5万図を元に20万図を作り直すこと。当然ながら、より正確になる。直前の昭和57年「要修」は、旧版を着色した昭和34年「修正」と同等のボカシ表現だが、昭和59年「編集」は、稜線の形や等高線が大きく変わっている。それと同時に、「謎の、国界と県界のズレ」が発生している。


わかりやすくするために、現代の版に、旧版にあった「国界+県界」を黄色で載せる。ズレは前記のとおり測量の精度によるものだ。注目したいのは、氷ノ山の左下の、県界と国界がズレている部分。やはり、@every_road氏の推測に近く、「『編集』時に県界などを正確に描き直したのに、国界は旧版のものをそのまま使ってしまった」ために、兵庫県に因幡の国が含まれてしまうようなことが起きてしまったに違いない。現代の図版製作でいえば、「国界のレイヤーだけ更新するのを忘れていた」ということになる。

地形図において、単なる誤字や体裁の誤り、道路・鉄道の属性間違いや更新漏れなどはときどきあるが、こうした部分の誤りは初めて見た。20万分の1地勢図や数値地図200000を更新することはもうないだろうから、ここは永久にこのままだろう。

【関連項目】
数値地図に残る鉄道の亡霊と誤記








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土讃線 洲津川橋梁(しゅうづかわ)

橋梁(A&Pロバーツ)


四国にある唯一のA&Pロバーツ製橋梁。第4武庫川の中央パネルを短縮改造して転用したもので、元は122フィート11インチ(37465mm)のところ、33000mmになっている(単位の表記が不統一だが、土木学会の元図がそうなっている)。

この洲津川橋梁には近付くことが難しい(と当時は思っていた。後述)。そのための「飛び道具」として付近の国道32号からドローンを飛ばして撮影したものが上の写真で、実際には国道からは見えない。この日は風がとても強く、墜落させてはマズイので、ドローンを近づけることはできなかった。(2020年8月)

 
 
 
2021年3月に、上り列車後部からスマホで撮った。上り列車は坪尻駅を通過するとすぐ短い坪尻トンネルに入り、鮎苦谷川(あいくるしだにかわ)を渡る。それが洲津川橋梁である。橋梁名と河川名が異なるのは、鮎苦谷川が吉野川に合流するあたりの地名が「州津(以前は洲津と書いたようだ)」なので、おそらくどこかの時点で公式な河川名が変更されたのだろう。よくある話だ。

 
(Kashmir3D+スーパー地形+地理院地図)

さて、その洲津川だが、線路のすぐ西にトンネルの記号がある。本来は北にぐるりと回っているところをショートカットしたのだろう。それを検索すると、なんとそこに到達している方がいる。ほかにも、河原からこの洲津川橋梁を撮影した写真や動画があるので、坪尻駅から歩いていけるのかもしれない。

(参考)
導水トンネルと洲津川橋梁 その1

坪尻駅は、以前、国道32号から行こうとしたけれども、クルマを停める場所がなく…いや、停めることはできなくはないが塞ぐのが申し訳なく、断念したことがある。列車で訪問するのがスジ、ということになろうか。











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『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)

鉄道の本


イカロス出版から、これまたすごい本が出た。タイトルからすると、「全国にある『トロッコ』…軌道自転車に乗れる観光ガイドかな?」と思うかもしれない。実際、冒頭はそういうガイドである。ところが、そんな「調べれば誰でも書ける」というようなシロモノではなかった。

著者は、車両の保存活動で有名な笹田さんだ。執念と表現したくなるようなコンプリート的な探訪と調査で、過去も『車掌車』はじめ、「よくこのテーマでここまで…」と思わせられるほど、盛り込まれている。


まず驚いたのは、「軌道自転車を使って廃線跡を走る」というのは、笹田さんが学生時代に九州で始めたのが嚆矢である、ということだった。知らなかった。未成だった柚須原線に敷かれたまま残っていたレールの上に軌道自転車を走らせて「開通」させたのが1995年9月17日。翌1996年9月15日も開催されたがそれがこの区間では最後となり、翌日には上山田線の廃線跡でやはり軌道自転車を走らせて「復活」させた。

遠く福井の大学生だった笹田さんがこれを実現したというのは、驚異的なことだ。しかし、1997年にはEF70を買ってしまう笹田さん、どっちが驚異的なのかは測りかねる…。

「こういう方法があるのか」と知った人が全国各地に現れ、ちらちらと登場したのは90年代末期から。私もできたばかりの美深で乗った。



この本のすごいところの一つは、軌道自転車の発達史があり、カタログがあり、「保存車」を紹介しているところだ。コミケで軌道自転車をまとめたものがあったら、相当に話題になるに違いない。でもそれはコミケという場での受け方・売れ方であって、コミケで2000売れても商業出版したらまったく売れないパターンというのは往々にしてあり、軌道自転車はそれではないかと思うのだけれど、こうして1冊にまとまっている。笹田さんの構成力とイカロス出版の判断のすごさをここに見る。

笹田さんの軌道自転車観察はこれに留まらず、海外の事例や保存例にも及ぶ。そして、フィリピンのバンブートロリー…列車がこない間に人車を勝手に運行するスタイル…にも触れる

 
なんと、バンブートロリーを模して自作してしまった。これを「コミケ的」でないとしてなんと表現しよう。このノリこそがコミケで受けるものであり、これを商業出版でやり遂げてしまったことには驚くほかない。

「鉄道」というあまりに広いジャンルには、まだまだ、ほとんどの人が関心を向けていない魅力やテーマが眠っているのだと気づかされる。私は笹田さんを存じ上げないときは、車両保存の方面の方だと思っていた。それが、実は廃線跡や廃止駅も若いころからものすごいペースでめぐっておられ、その成果が『廃駅ミュージアム』であり、『廃駅。』であり、『車掌車 』であり、『幽霊列車 ~日本と世界の廃車図鑑~ 』だ。並行して、保存活動も相当に動いていらっしゃるはずだ。

笹田さんの執筆や出版のペースは尋常ではないが、それは、笹田さんを突き動かすものがあまりに多すぎ、寸暇を惜しんでそれに応えているに過ぎないだろう。

この、『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』と題されたおそるべき本は、しかし、従来の鉄道書の概念と相当に異なると思う。タイトルからして、エッセイのようだ。実は『廃駅ミュージアム』のときも、それが妥当かどうか相当悩んだのだけれど、笹田さんたっての強い希望もあるのでそれにした。また、本書はムック的な造りになっている(いや、刊行形態はムックなのだが、A5判でカバーつきであり、書籍と同じ体裁をしている。刊行形態がムックなのは、版元の出版物流的な事情によるものだろう)。これが、「コミケに出したら相当に売れそうなテーマの本」商業出版の合流地点なのかもしれない。コミックスを舞台化したものを「2.5次元」というが、そんな位置。

いま、新しい感覚の鉄道書がどんどん出ている。いまはそれらは亜流かもしれないが、いずれ大きな流れになるだろう。本書もまた、その流れを強くする一つだ。



参考までに、過去に書いた軌道自転車の記事を。

【関連項目】
スーパーカート(レールバイク) 東光産業 TSC-N



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