このインパクト。上路ボーストリングトラス。どうしてこうなった。
同類の橋は、新潟県の境橋しか知らない。ボーストリングではなく、下弦が曲弦の上路トラスであれば、山梨県の梁川橋と長野県の子安橋がある。(海外にはいくつも事例はある) 国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷) 国道17号旧道の境橋が、現道から見えた! この和賀仙人橋は、国道107号が北上線の和賀仙人駅から約1km西方向に行ったあたりで和賀川を渡る橋で、既に旧道となっている。周辺には北上線の旧線が日本重化学工業への引き込み線跡となって残っており、貨車の廃車体も施設内にある。ただし、自由に立ち入れる状態ではないため、撮影はおろか見ることすらしていない。 現道から撮ると、どうしても見下ろす位置になってしまう。同行した方によれば、草が少ない時期なら桁下まで行けるそうなのだが、足下の見えない崖に近寄るのはやめた。 おもしろいのは、主径間は3ヒンジアーチで、左岸だけにこの側径間がある。別にプレートガーダーでもよかろうに、なぜ? ボーストリングトラスの一端は橋台に、もう一端はアーチ橋に掛けられている。上越線利根川橋のように、専用の脚があるわけではない。橋台が見たい…。 たもとより。まったく距離がないので、美しいアーチの全景をここから撮ることは難しい。 左岸の親柱。銘板はない。右の親柱は失われている。 右岸側の親柱。見えにくいが、「昭和七年七月竣工」とある。あれ、反対側はどうだっけな、なかったんだっけな…。(ないことを撮っておきなさい、と) アーチの中央部のヒンジ。 アーチの右岸側のここに銘板があった。 雨が降っていたこともあって、レンズを交換せずに撮ったら案の定、読めない…。 【2012年8月13日追記】 和賀仙人橋(岩手県)の銘板に銘板のことなど。 PR
座主橋(宮城県)の北詰東側に、こんな標柱があった。
一般県道花山一迫線起点。「一」の部分は錆で読めないが、これで間違いない。 三角柱で、向こう側には「宮城県」とある。…もしかして、ガードレール側の面にもなにか書いてあったのかもしれない…。 これは県道178号で、座主橋のたもとから西へ延びるもの。この県道については、宮城県道時刻表さんのサイトが参考になるだろう。 もう一本。 宮城県栗原郡花山本沢北●前 三七番の二地先の標柱●… 雨が降っていたからといって確認をしなかったのだが、いまそれを後悔している。
宮城県の鳴子温泉から山三つ東側、国道398号が花山湖を渡るところに架かっている座主橋…の旧道。現在は人道橋として利用されている。この日は雨が降っていたということもあり、迂闊にも、遠方からのシチサン写真または真横の写真がない。美しいmポニートラスのカンチレバートラスなのに。
上の写真は北側(左岸)、ここでブヨに7箇所食われて、いまだに足に傷跡がある…。 北から南を見る。西側(画像右)が柵で仕切られ、水道管のようなものが2本、設置されている。そのために歩道は東側(画像左)にオフセットされ、写真を撮るときの平衡感覚がおかしくなって、以下の写真ともうまく撮れていない。 こちらには銘板はない。また、柵は人道橋化してから作ったもののようだ。 振り返る形で吊桁と碇着桁の接合部を見る。ピンが2ヶ所に見える。上弦のピンは碇着桁と吊桁をつなぐもの、垂直材上部のピンは、吊桁の構成要素のひとつ…だろうか。 真横(西側のトラス)。 別角度(西側のトラス)。 ピンがある垂直材と下弦、床版の接合部(東側のトラス)。床版の境から左が碇着桁、右が吊桁。 吊桁の中央付近から振り向く。各碇着桁は頂部の吊桁側で3ヶ所、左右のトラスの上弦を横桁が結んでいる。 南側の、碇着桁と吊桁の接合部。北側と違い、垂直材にピンはない。 その下弦部。 南側から北側を。 南側。こうして見ると、左右のトラスを結ぶ横桁が合計6ヶ所あるのがわかる。 南側には銘板がある。
昭和30年(1955)
宮城縣建造 内示 昭和14年二等橋 製作 ●●所 製造所は、現地で読んだ記憶では浅野造船なのだが、この写真では読めない…。ご教示ください…。
***
冒頭の写真に戻る。 この写真、橋の左側の湖面に橋脚跡のようなものがある。この座主橋が旧橋なので、これは旧旧橋にあたる。 肉眼では、橋脚跡付近に路面が見えたが、ちょっと全体の色味を調整してみると… 橋脚跡かと思った突起は、旧旧橋の親柱だ。親柱から左は路面が残り、写真下に向けてデルタ状に広がっている。そこはもう陸地だったかのようにも見える。 最後に。 この座主橋、塗色がおかしい。緑と肌色のツートン。こんなツートンは、京都の木津川にかかる笠置橋しか見たことがない。また、垂直材の褪せた肌色の下からは、黄色が見えている。 この座主橋、銀色に塗装したら映えると思うよ!
山と渓谷社刊『JRの本』(写真 小川金治・井上広和、解説 JRR)を古書で買った。ちょっとカビ臭かった。この本の存在はtwitter上で@team185さんに教えていただいた。国鉄がJRになった当時の駅構内の売店などの写真が多数掲載されているとのことで、興味を持った。
なるほど、これは貴重だ。フィルムの時代、撮るとすれば駅舎や駅名標がせいぜいで、このようなものを撮っている人など皆無に近いだろう。本書では、国鉄がJRになった、その違いを記録するために撮り続けたのだろう、それが今では非常に珍しい記録となった。 どの店舗も、いかにも1980年代後半からのテイストである。写っている女性は前髪を立て、眉は太く、唇は赤く、肩パットの入った上着にハイウエストのタイトスカートをはいていたりする。いまではバブル期の「バカ」みたいなニュアンスで語られることが多い。 この時代の店舗の装飾やファッションは、「いま」見るととても古くさくて垢抜けない。そりゃそうだ、風俗は変化するものだし、新しい風俗は、常に古い風俗を「古い」とバカにすることで成り立つ。でも、ここに、ちょっとちくちくするものを感じるのは私だけではないはずだ。 なにしろ、自分が十代後半の時代である。多感なその時代の自分をいまの視線で眺められているような、自分の厨二時代を暴かれているような、そんなちくちく。 このロゴ、いまなら、たぶん「街観察大好き」な奴らがみたら、嘲笑するに違いない。 でも、待てよ、と。これはこういう時代だったんだ。定規と鉛筆が大切だった時代。いまみたいに、小学生がタダでもらってきたPCですらベジェ曲線でお絵かきと色塗りができてしまうような世界など、夢のまた夢の時代。だからこそ、このロゴには価値があるし、その裏には「なんとかいいものにしよう」「愛されるロゴにしよう」という、作り手の気持ちが見えてくる。見えてくるのは「一所懸命な気持ち」だ。 この時代は、「軽いもの」「表面的なもの」がもてはやされた一方で、こうした地道なものも確かにあった。軽めなものをもてはやす人は、地道なものをばかにした。こんなことは語り尽くされているし、当時でさえ、地道な人の気持ちを描いたストーリーというものはいくつも存在した。 不要になった貨車を店舗に使い、輝かしい未来があると信じている中学生や高校生をターゲットにした店舗を作る。なんと一所懸命な気持ちだろう。いまなら企画の提案すらできないかもしれないが、国鉄からJRに変わる時代には、これができた。これをする人がいた。 食堂車を改装したレストランもたくさんあった。写真を見ると、なるほどすてきな内装である。その後は、この手の店舗のほとんどはうまくいかなくなって解体されるのだが、もし現代まで営業を続けられていたら、いまこそ花開いたかもしれないと思う。 こうした、車両を改造した店舗の写真もたくさん載っている。 この流れで行くと、当時の私でさえ「ひでえ配色だ」と思った数々の車両意匠も理解ができる。デザインの基本すら知らない人たちが、なんとかいいものにしようともがいた結果がこうした配色なのだとしたら、それを「ひでえ」と思うことは控えたいと思う。 いや、こんなことは私の考えすぎで、もしかしたら当時は「ノリ」でこれらのことすべてをやってしまっていたという可能性もあるのだが、まあそれはそれで。 いわゆるバブル期に、バブルに踊ることなく「国鉄からJRへ」という周囲の期待感と内部の後押し感の中で、さまざまなことにチャレンジした人たち。本書には、その姿と成果が、たくさん記録されている。そのほとんどがほどなく失敗に帰したとしても、これはその記録である。
* * *
以上のような思いとは別に、本書には私が貴重だと思う写真がふたつある。ひとつめは、JR東海の浜松工場。なんと、911が検査を受けている。要検なのか全検なのかはわからないが、台車は切り離され、車体にはパテが盛られている。 もうひとつは、DML61S/Zを使ったJR北海道苗穂工場のコージェネシステムだ。説明文によればDD51とDE10から捻出したエンジンとある。 興味深いのは、さらに「安価に効率よく高エネルギーを得られる」とあることだ。これはどうだろう? コージェネで使うエンジンは、鉄道車両用エンジンのように回転数を制御することが前提のもではなく、最大出力を発揮する回転数で定速を維持し、また熱交換機も相当に高いスペックを要求されるものだ。そう考えると「安価に効率よく」というのが書き手の知識不足ではないかと思う。そもそもDML61シリーズの効率はけっしてよくはない。
ある「ソリューション事業」を見学した。例えて言えば、インターフェースでソリューション、みたいな事業。すべて予想できる内容で、まあこういう機能を持たせたがるだろうな、というものだった。もともと、「ソリューション」という単語に虫酸が走るのは昔からで、電子書籍関係を推進する事業者にも似たような感情を持っている。
先日、Googleはどこへ行くのか、というような記事があった。ちょっと記事が見つからないので曖昧な記憶を便りに書くと、Googleが目指す未来は、例えば男が女の部屋に遊びに行ったときにまずするのはスマホをいじること、ふたりでVR眼鏡をかけて映像を見ること、みたいなことだった。そこに人間はいるのか? みたいな内容の記事。インターフェースでソリューション、みたいな事業は、これと同じ臭いがプンプンする。 = 例えば。 ある通販雑誌にスマホをかざすと、誌面にはバーコードもなにもないのに、通販雑誌のサイトがスマホに表示され、そこにモデルが踊る動画が表示される。……いや、検索画面で通販サイトを表示すればいいじゃん。 クルマのカタログにバーコードを置くと、それをPCのカメラが読み取ってPCの画面にクルマの立体画像を表示する。別のバーコードを読ませると、クルマが回転したりスケルトンになったりする。運転席からの眺めをCGで流せる。……いや、フラッシュで作れるじゃん。運転席からの眺めはCGじゃなくて実写でいいじゃん。 = 一体、誰がそんな「一手間」かけてソレを見るのだ? そして、誰がそんな「一手間」を作るのだ? コンテンツを持たないところは、こうした事項の「編集」もできないのか? できないのだろうな。「ソリューション」とは解決策を提示する手法であり、コンテンツそのものを提供するシステムではない。 なお、お金になるかどうかはいまは問わないでおく。要するに顧客サービスだから。 時々SONYとappleを比較する発言を見るけれど、SONYはこれ。appleは違った。そういうことだと、私は思う。SONYで言えば、walkmanの時代は逆だった。walkmanは「ユーザーしか見てない造り」だった。しかし、いまの音楽ダウンロードサービスは……。 これは、いまの電子書籍を取り巻く環境と軌を一にしている。「書店」が乱立するけれど、それは読者不在でもあるので売れ行きも見込めず、結局普及していない。iPadが出て何年になる? ナントカソリューションとか言う前に、電書のソリューションをまずやりなさい。「箱は造った、中身はこれから考える」じゃダメなんだよ。先に中身があって「これをどうやって入れようか」を考えるのが、商売だろうよ。きっと、箱を先に造ることは比較的簡単にできて、中身を造ることは容易でない。だって、いまある箱なんて、みんな似たり寄ったりだし、A社の箱の要素をB社に「造って」と頼めば造ってくれるような違いしかないもの。 今回の見学では、私が思っていたことを裏付けることができてホッとした。私の電子書籍の捉え方は間違っていないのだな、と。 |
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