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20120727_003.JPG花巻電鉄の車両を知ったのは、1983年の『鉄道ファン』誌だった。この「馬ヅラ」にも惹かれたが、それよりも、砂利道の横に敷設されたレールの上を、砂埃をあげて走る「田舎電車」に強烈に惹きつけられた。高井薫平氏の連載、『昭和30年代の地方私鉄を訪ねて 古典ロコ・軽便・田舎電車、そして…』である。この時期、岩堀春男氏の『専用線の機関車』と並んで、非常に良質な連載だった。

20120727_000.JPGこうして大人になってから対面すると、感慨もひとしおである。誌面で見てから30年。今で言えば、いま写真で知った20年前の車両を70歳になってから見るようなものだ。

連載時から考えると、それが連載された…私が読んでいた20~25年前には、こういうのが現役だったのである。まあ、いまから25年前、1987年頃だって、いまから考えると、あちこちに貨物列車も客車列車も走っていて、新潟交通だって全線走っていて、パラダイスだったのかもしれない。それを、その頃はまったく実感できていないというだけなのだ。いまこの2012年だって、25年後に見たら「機関車があったんだぜ!」とかなっているかもしれない。

それはさておき、台車。
20120727_001.JPG1931年(昭和6年)雨宮製作所製のデハ3が装備するのは、雨宮オリジナルの板枠台車。枕バネはない…ように見えるが、板台枠センターの丸穴の奥に、枕木方向の板バネが見える気がする。軸バネはウイングバネ。

20120727_002.JPGwikipediaによれば、1車体2モーターだったようで、たしかに向かって左(車端側)にはモーターのシルエットがない。向かって右には見える。また、この角度で見ると、枕梁が見える。

検索したら、銚子電鉄のデハ101が同系台車を履いているとRMの『台車近影』にあった(このデハ3も出てきた)。


このデハ3は、とても美しい。願わくば、車内に入って木製の臭いを堪能したい。


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20120726_000.JPG若柳駅跡から車道をはさんで位置するくりはら田園鉄道本社の社屋。建築にはまったく疎いのだけれど、木造モルタル造り…かしら。古い「風呂なしトイレ共同のアパート」と言っても通じそうな建物。2階の窓の柵も、社屋とは思えない感じ。

20120726_001.JPG旅館の玄関かと見まごう作り。引き戸の横の表札には「くりはら田園鉄道株式会社」。2階の窓の庇の上は「栗原電鉄」の文字。wikipediaによれば、2007年に会社は解散、2010年に精算終了となっている。いまはどこが所有しているのだろう?

建物そのものはとてもきれいで、裏手の駐車場も機能しているようだ。












20120726_003.JPGいいですねえ、この電灯と傘。

20120726_002.JPG裏手。テラスのようになっているところは、社屋だった時代には何に使われていたのだろうか。

* * *

この社屋から、新しく造られた道路を隔てたところにある車庫周辺の写真を。

20120726_007.JPG20120726_006.JPG20120726_004.JPG20120726_005.JPG20120726_008.JPGラスト、木造庫は、梁を単管パイプで補強し、ようやく立っている印象。この地は二度の激震に襲われている。よくぞ倒壊しかなったものだ。


くりはら田園鉄道ED202の台車に関連。

20120724_004.JPGくりはら田園鉄道若柳駅跡に保存されているED20形ED203。定期的に公開されているが、それ以外の時期でも柵越しに容易に眺めることができる。

20120724_005.JPG当然の如く、ED202と同じ。ただし、こちらは主電動機もそのまま。

* * *

若柳の車庫の裏に、ダルマが3両ある。

20120725_007.JPG20120725_006.JPG詳しくないのでわからないのだけれど、wikipediaには載っていない程度にこの3両のプロフは不明。こうしてこの地に土台を設け、屋根をかけたのだから、きっとこれから整備されるのだろう。木造車の外板補修は大工作業だというが、実際の作業を見てみたいものだ。もし作業日が告知されたら、見学…いやお手伝いをしてみたい。

なお、外板を作り直したからといって、保存の価値などいささかも薄れることはない。補修、保存とはそういうものだ。蒸気機関車など、場合によっては新製時から使っている部品は台枠とキャブだけ…というと極端だが、それに近いものもある。保存というものについて、理解が深まるといいなと思っている。


20120724_001.JPGくりはら田園鉄道の…と言っていいのか、それとも栗原電鉄のというべきか。くりでん発足時には、すでにこの機関車は廃車済みで、そもそもくりでんは非電化である。

ED202、三菱電機製の20トン機。もとは762mmゲージ用の18トン機だったものを、栗原電鉄の1067mm改軌にあわせて台車を交換し、20トン機になったもの。そのため、車体幅に比して台車幅が広い、Nゲージのような印象になっている。細倉マインパーク駅跡に保存されている。

その台車。
20120724_000.JPG板台枠。軸バネは重ね板バネ、両軸の間にイコライザーがある。あれ? この台車はどうやって車軸を抜くのだろう。軸箱守ごとはずすのだろうか。

主電動機はとりはずされており、のぞき込むと、車軸の大歯車が見える。

20120724_002.JPGおもしろいのは、通常は軸箱の横に配置される砂箱が、車体の端部方向についていることだ。改軌に伴い、軸箱が車体幅からはみ出ているほどなので、それを嫌ったか。


『鉄道ピクトリアル』2012年2月号によれば、主電動機出力は40kw×4、750V。制御方式は直接式である。


・関連項目
くりはら田園鉄道ED203の台車
 
20120723_001.JPGこのインパクト。上路ボーストリングトラス。どうしてこうなった。

同類の橋は、新潟県の境橋しか知らない。ボーストリングではなく、下弦が曲弦の上路トラスであれば、山梨県の梁川橋と長野県の子安橋がある。(海外にはいくつも事例はある)

国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)
国道17号旧道の境橋が、現道から見えた!

この和賀仙人橋は、国道107号が北上線の和賀仙人駅から約1km西方向に行ったあたりで和賀川を渡る橋で、既に旧道となっている。周辺には北上線の旧線が日本重化学工業への引き込み線跡となって残っており、貨車の廃車体も施設内にある。ただし、自由に立ち入れる状態ではないため、撮影はおろか見ることすらしていない。

20120723_002.JPG現道から撮ると、どうしても見下ろす位置になってしまう。同行した方によれば、草が少ない時期なら桁下まで行けるそうなのだが、足下の見えない崖に近寄るのはやめた。

20120723_000.JPGおもしろいのは、主径間は3ヒンジアーチで、左岸だけにこの側径間がある。別にプレートガーダーでもよかろうに、なぜ?

ボーストリングトラスの一端は橋台に、もう一端はアーチ橋に掛けられている。上越線利根川橋のように、専用の脚があるわけではない。橋台が見たい…。

20120723_003.JPGたもとより。まったく距離がないので、美しいアーチの全景をここから撮ることは難しい。

20120723_004.JPG左岸の親柱。銘板はない。右の親柱は失われている。

20120723_007.JPG右岸側の親柱。見えにくいが、「昭和七年七月竣工」とある。あれ、反対側はどうだっけな、なかったんだっけな…。(ないことを撮っておきなさい、と)

20120723_005.JPGアーチの中央部のヒンジ。

20120723_006.JPGアーチの右岸側のここに銘板があった。

20120723_008.jpg雨が降っていたこともあって、レンズを交換せずに撮ったら案の定、読めない…。


【2012年8月13日追記】
和賀仙人橋(岩手県)の銘板に銘板のことなど。
 


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