忍者ブログ
[335] [336] [337] [338] [339] [340] [341] [342] [343] [344] [345]
20120601_006.JPG赤谷線の廃線跡を原付で走っていたら、こんなすてきな水管橋に出会った。駅でいえば新山内と赤谷の間で、写真右が路盤跡、電柱より左の一段高いところが県道14号である。地名でいえば中々山。

20120601_007.JPGこのように県道をまたいでいる。おもしろいのは、鉄道を跨ぐ部分の橋脚が古レールなのに対し、道路をまたぐ部分は円柱のコンクリート橋脚である点だ。水管橋のような重いものを、こんな古レールで支えていることにいささか驚く。

20120601_001.JPG古レール橋脚は、このように、脚1本につきレール4本×2+斜材という組み合わせ。レールは底面同士をリベットでつなぎ、それを2組並行にして(間にウマをかませて)ボルト留めしている。

左右の脚をつなぐ斜材を裏から見るとこのように。

20120601_002.JPG反対側から見ると、片方が1本、他方はクロスする部分で分断されている。この部分だけ見ると、まるで1組の線路のようだ。…(A)

20120601_000.JPG桁のすぐ下。レールを縦方向に曲げ、桁の下部の出っ張った部分に入れ込んでいるのだろう。内側のレールは、縦方向にも横方向にも曲げられていることになる。なんとも見とれてしまう。

20120601_003.JPG古レールの陽刻もクッキリと見える。これは

UNION 07 工

とある。「工」は官設鉄道が発注した印。ほかには

CARNEGIE 1907 0 1 |||||||||||(0 1 は正確か不明)

くらいか。上記の写真(A)はASCEの陽刻が見えている。

20120601_005.JPGちょっと引くと(赤谷側に移動し、新発田側を見ると)地面に台座がいくつか見える。

20120601_004.JPGこのように、レール4本の支柱なので、今回紹介した水管橋の脚の片方のようなものだ。しかし、1975年前後の航空写真を見ても、そんな橋梁等の構造物は見あたらないので、それ以前に撤去されてしまったものか。ここにはなにがあったのだろう?



PR
20120530_001.JPGJR京ヶ瀬駅前にある、こぢんまりとした給油所。屋上のENEOSの看板が、そのすぐ下、屋根の側面(何というのだろう?)ととてもよく調和している。こうした小規模な給油所は、キャノピーなどないようがスタイルがいい。働く方にとってはあったほうがいいだろうけれど。

サービスルームの正面は大きな1枚ガラスの窓が連続し、まるでクルマのディーラーのようだ。

20120530_000.JPG少し引いて。画像左の防火壁には段がある。そして、その下にはドラム缶を縦に半分に切った、タイヤのパンク修理時につかう水槽。

このENEOSも、以前はJOMOだった店舗だ。それが、ENEOS化で塗装を一変され、美しくなった。


では、JOMO時代を。
(gogo.gsよりリンク)

これもまた「近隣の方々、落ち着いた色になってよかったですね」と申し上げたい事例だ。

【関連リンク】
ENEOSへの華麗な変身
 
20120529_003.JPG新潟の郊外の県道2号、巻付近を走っていたら、こんなふうに茶色いワム80000が目に飛び込んできた。

20120529_000.JPG普通に街中。ワムハチを撮るためにカメラを出して周囲をうろうろするのにちょっと躊躇してしまう感じ。

20120529_001.JPGワム585○44。

20120529_002.JPG日本車輌/輸送機工業 昭和44年
日本国有鉄道 名古屋工場 昭和49年改造

場所はここ。




 
20120528_002.JPG来る6月9日(土)にカルカルで開催される『眠る鉄道ナイト』に向けて、出演者の丸田祥三さん(写真家、@malta_shozo)、江上英樹さん(小学館、@TETSUHEN)と、静岡県に出かけた。その道中に目にした道路付け替え跡の廃橋。

画像左が現道で、曲線鈑桁でなめらかに川を横切っているが、かつては画像右の旧橋のように、右岸の道路から直角に曲がる形で榛原川橋(旧橋)を渡り、こちら側に来ていた。

20120528_001.JPG新しい橋は、昭和61年9月竣功。

20120528_006.JPG旧橋へのアプローチを、右岸側から、しかも振り返って。

20120528_005.JPG旧橋を渡り、右岸側から。ほとんど現役のように見える。

20120528_004.JPG左岸側親柱「榛原川橋」。

20120528_003.JPG左岸側親柱「昭和33年8月竣功」。ということは、現道に写るまで、たった28年しか利用されなかった桁。

コンクリート製の橋脚に、コンクリート製の桁。まるで鉄建公団規格の鉄道用桁のようだった。


 
20120527_013.JPG新潟に育ちながら、ついに現役時代を見ることがなかった越後交通長岡線。小学生だからというわけでもなく、最末期はすでに働いていたが、鉄道趣味から相当に遠ざかっていたので、関心すらないまま、いつのまにかなくなっていた。

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)
越後交通与板駅跡の日通倉庫
の記事でも書いたが、4月末に付近を原付で訪問した際の写真を一部、アップする。もっと多くの写真をFlickrにアップしているので、ぜひそちらもご覧いただきたい。すべて、意図的にコントラストを高め、色調を触っている。

レポートなど、既にすばらしいものが山とあるので、私などが出る幕はない。

20120527_001.JPG20120527_002.JPG20120527_006.JPG

20120527_014.JPG20120527_016.JPG20120527_009.JPG20120527_011.JPG20120527_015.JPG20120527_008.JPG20120527_005.JPG
 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 6 7 8 9
10 12 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア