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20100908-06.JPG
先に紹介した笠置橋のすぐ近くに、トレッスル橋脚を持つ橋がある。関西本線下の川橋梁である。いろいろ不思議だ。

まず、橋脚。ここは鈑桁2連で全長約35m。一またぎできる距離でもあるが、間にトレッスル橋脚を立て、その前後に12.68mの桁と22.3mの桁をかけている。これが不思議。

反対側から見る。
20100908-05.JPG

ふたつめ。どちらも魚腹型、しかも端部が斜めにカットされている。

みっつめ。トレッスル橋脚。
20100908-02.JPG川の流路を見ると、橋脚のある場所で川幅が狭くなっている。まあ、どうせすぐ木津川なので、ここを狭くしたのを原因としてなにかあっても深刻な影響など出ないだろう。




















よっつめ。対傾構の組み方。
20100908-03.JPG
どうにも目で追いきれないような組み方をしている。部材が直方体の平面上だけを行き交うのではなく、その内部を対角線上に結んでいたりする。「ねじれの位置」という単語を思い出した。




















橋台。
20100908-04.JPG
こちらは西側の橋台。隅石がこんな上まである。もしかしたら当初は下を通る道路がなく、川の水が洗っていたのかもしれない。航空写真を見たが、古いものはよく見えないし、1974年のものは未舗装路だったようだ。

この橋梁がいつ造られたのか、『歴史的鋼橋集覧』にも出ていないが、この区間の開通は1897年。規模こそ違えど、余部橋梁が開通したのは1909年。こ の橋より10年後だが、それでも橋脚用の鋼材は輸入していた。そのため、この橋の橋脚は外国製かもしれない。木津川橋梁はほぼ同時期の開通で、パテント シャフト製(イギリス)である。…などと考えるといろいろ楽しい。

今回は考察なしです。ただ見てきただけ。




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米屋浩二さんがツイッターに投稿したこの写真を拝見して、のけぞった。インドネシアの橋だという。ポニーワーレントラスにアーチ型の補強をしてランガー桁にしてしまった関西本線木津川橋梁の逆+トレッスル橋脚。しかも、元は上路プラットトラスではなく上路トレリストラス。上路プラットトラスと異なり、端柱がハの字型ではなく逆ハの字型になっている。日本でも黎明期に採用されており、『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の62ページに図面がある。

木津川橋梁は、これだ。
IMG_3762_R.JPGこの形状では、トラスの上弦に働く圧縮力と下弦に働く引張力をアーチが分担し、元々のトラスにかかる負担を軽減しているのだと思う。

しかし、このインドネシアの橋は上路だ。力学的にはどうなっているのだろう。下向きのアーチは上向きのより弱いのではなかったか。

米屋さんの写真はCikubang Bridgeのようだ。検索してみると、けっこう似た画像はあるのだが、アーチの数が違ったり、ワーレントラスだったりで、米屋さんの写真そのものはなかなか出てこなかった。いろいろあってやっと埋め込めるものを見つけた。

 Image Hostingこのサイトより転載)


しかし、橋の名称はどれもこれも微妙に違う。Cikubang BridgeだのCibisoro BridgeだのCikurutug Bridgeだの…。そうしたたくさんの写真を見てわかった。

インドネシアには、この型式の橋は、たくさんあるのだ。

トラスはトレリスもあればワーレンもある。長さも高さも全く違う。
場所を探すのは少し難儀したが、ここだ。

大きな地図で見る

この場所はインドネシアのジャワ島(地図でいうと右側のほう)の西部、バンドンとジャカルタを結ぶ路線上にある。ほかにも多数の古い橋梁があるが、ここCikubang Bridgeはとりわけ有名なようだ。上の地図を別ウインドウで表示し、線路に沿ってスクロールさせながら衛星画像を拡大すれば、トレッスル橋脚の長大な橋がいくつも見えるはずだ。ストリートビューに切り替えれば、ストリートビューこそないものの、沿線で撮影された写真が埋め込まれているのを見ることができる。

wikimediaに、アーチで補強する前の写真があった。
File:COLLECTIE TROPENMUSEUM De spoorbrug over de rivier Tjikoebang TMnr 60052239.jpgThis file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported license.

以前は普通の上路トラス橋だったのだ。それを、補強したのだ。

「インドネシア鉄道遺産」というサイト(www.indonesianheritagerailway.com)によれば、長さ300m、高さ80m。1906年から供用されているインドネシア最長の橋(ほんとか?)。アーチ状の補強が成されたのは1953年、ディーゼル機関車の運行を開始するにあたっての補強であった。サイト右側の「construction」をクリックすると、隧道や橋梁の情報を見ることができる。廃線隧道もある。


上記の橋の名前で検索すれば、youtubeに動画もいくつかあがっている。そのようにしてリンクをたどっていくと、日本では見られない異形の橋の数々に出会える。

これもなかなかすてき

海外の橋、日本の常識では捉えきれない。

(地図、画面左側の飛び地の形状に心奪われる)

20100906-02.JPG木津川沿いを東西に走る国道163号を走っていたら視界に飛び込んできた橋。それが笠置橋だ。なんとも奇妙な色である。渡河しているのはもちろん木津川。

写真は南に渡ってカクッと折れ曲がったところで撮影。写っているのは東側である。上の地図を拡大すると2本の橋が並行して描かれているが、西側には別途歩道橋がある。航空写真では、Yahoo!、Googleともに写っていない。この歩道橋は2007年4月に供用されたものなので、やがて衛星写真が更新されれば画面に現れてくるだろう(山城地域振興計画23ページより)。

20100906-07.JPGなんだろう、この塗装に対する違和感は。緑と赤、反対色という色使いのせいか、それとも塗り方に統一感を感じないためか。

緑の部分は、トラスの外側、上横構の上面、上横桁の側面。これが全部赤または全部緑なら、ここまでの違和感は感じまい。

*souitohさんから「20年くらい前からこの色だった」との証言をいただきました。感謝。塗装標記、どうなってるんだろう…?

塗装もそうだが、こののっぺしした感じ。この橋を愛する方には申し訳ないが、惹かれない。思うに、このつるぺた感がいけないのだ。H型鋼そのままの垂直材。箱形に組んであるがリベットもボルトもなく、リブが飛び出している斜材、上弦材。のっぺりした直方体である下弦材。ひっかかりがないのだ。斜材が45度で構成されているのも、大味だと感じる。高速道路の上路トラスなども45度で、しかも垂直材が1格間おきだったりして、それと同じ味わいだ。

20100906-04.JPG吊桁との接合部。右側が定着桁、左側が吊桁。

ん? 普通は吊桁は単体では上弦が短い台形になる(端柱の外側に垂直材が加わることはある)が、この笠置橋の吊桁は逆台形。これに気づいたのはこの記事を書くために写真を眺めていたときで、現地では気づかなかった。今後は気をつけて、よく観察せねばなるまい。

20100906-05.JPG下弦のピン。これじゃよくわからん…。

20100906-03.JPG銘板。

1959年8月
京都府建造
建示(1955)一等橋
製作.株式会社 宮地鉄工所
材質 SS41

とある。

親柱。
20100906-06.JPG4ヶ所とも撮影しないとあの人に怒られそうだが、めんどくさかったのですよ…。すみません。

この笠置橋にまつわる話が、笠置町のサイトに掲載されているのでご覧いただきたい。初代の吊橋はこちらの航空写真に写ってはいるが、判別はつかない。



帰宅後、この近くにポニープラットトラスがあることを知った。笹瀬橋という。キーボードで打つと左手薬指と小指ばかり使う、打ちにくい名前だ。

場所はここ。


画像はこちら

笠置橋とほぼ同世代、1955年製ながら、プラットトラスであることの不思議。訪ねてみたい橋だ。



20100905-04.JPG岩手県北上市のカンチレバートラス橋、珊瑚橋。トラスの背が低い一方、定着桁の支点、三角形部分の背が高いので、とても好ましい形をしている。これを分析すると、トラス部分は三角帽子の半分くらいの高さがいい、ということになる(あくまで自分の好みの話)。

この「好ましい」という印象は、おそらくポニートラスであることから来る。ポニータイプのカンチレバートラス。他の例を調べていないが、多くはないと思う。もともと、径間を大きくするためにカンチレバーにするわけで、一方ポニートラスは径間が短いところで使用することを目的としているからだ。。

上の写真は上流側(東側)から。対岸に桜が咲いている。そこは「北上川展勝地」と呼ばれ、撮影した日はまさに桜が満開、花見客が多かった。といってものんびりしたもので、橋を行き交う人も多くは感じたが時に途切れる程度だった。

下流右岸から見る。
20100905-01.JPG隣接して歩道橋が架けられている。支点の三角部分に一致させているので一瞬よくわからないが、斜張橋である。

主塔に寄ってみよう。
20100905-07.JPG
このとおり、鈑桁の補剛桁が、3径間連続している。これをふたつの主塔から吊っている。

20100905-08.jpg歩道橋の製造銘板。
1970年
岩手県建造
示方(1967)横断歩道橋設計指針
製作○○工業株式会社
○○SM41A、SS41

歴史的鋼橋集覧によれば、歩道橋を架設したのは1971年である。

20100905-06.JPG吊桁との支承部分。きっちりと「乗っかっているだけ」。

20100905-09.JPG歩道橋を歩けば上からのぞける。

20100905-10.JPG車道越しに見ると、載せかけてあるのがよくわかる。載せかけてある吊桁は、ポニーワーレントラスである。また、歩道の斜張橋のワイヤーも写っている。

真正面から見るとこう。
20100905-02.JPG親柱は健在。そして、左右のトラスを結ぶアーチが美しい。アーチの上にまたアーチ。

20100904-21.jpgアーチの上のアーチは装飾目的だろう。ここには上からの力はかからない。

20100904-22.jpg桁の裏側。吊り掛け部分は残念ながら川の上なのでのぞけない。

また、これを見ると、橋脚が更新されているのがわかる。歩道橋架設と同時期だろうか。


この珊瑚橋は、風景印にもなっている。ほどよく古びた形、好ましい小ささが、桜を愛でる北上展勝地と馴染んでいるのだろう。サイト『風景院gallery』掲載がある。

また、この珊瑚橋は、初期の道路橋のサンプルのひとつとして、『本邦道路橋集覧』第三輯に概要と図面が掲載されている。『歴史的鋼橋集覧』の図面もこれを転載したものだ。

20100904-01.JPGこの美しいカンチレバートラス。まだ塗り替えたばかりでピカピカだ。カンチレバートラスはワーレントラスが多いような印象があるが、これはプラットトラスである。

この橋は京都府南丹市(旧八木町)にある大堰橋(おおいばし)。八木大橋、と書かれる場合もあるが、ここでは親柱に従い大堰橋とする。歴史的鋼橋集覧のページはこちら。ただし、「カンチレバートラス+RC単純桁」とあるが、図面はそれとは異なり10径間になっている。その図面は本邦道路橋集覧内の第4輯・突桁式鋼構橋と同じものだ。「突桁式」がカンチレバー式(ゲルバー式)、「構橋」がトラス橋を表す。現在の図面は南丹市の「広報なんたん」に通行規制のお知らせが出たときに掲載されたものがある。この図面では鈑桁は単純桁が3連、連続しているように見える。鈑桁が架け替えられたのは1996年だ。「JR八木駅かいわい」asahi.com


この大堰橋がかかるのは桂川。この下流は保津峡を刻み、京都の西側を南下し、大山崎付近で宇治川、木津川と合流し、淀川となって大阪湾に流れ出る。

上流(北)から見る。3径間のカンチレバートラスと3径間鈑桁の組み合わせである。
20100904-03.JPG下流(南)から見る。
20100904-02.JPG
手前に車道橋から独立した歩道橋がある。また、側面に電飾が取り付けられている。

西側(八木駅側、トラス側)の橋門はこう。
20100904-07.JPG親柱が向かって左にしかない。向かって右には歩道の桁が増設されたため、撤去されたようだ。往時のスタイルは古い絵葉書が残っており、サイト「まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室」さんの「古絵葉書・新設八木町大堰橋」というページに紹介されている。これを見ると、きちんと両側に親柱がある。

歩道を増設したときに、橋脚は更新されているようだ。

残された親柱にはこうある。
20100904-06.JPG「おほゐばし」。旧仮名遣いで「堰」を「ゐ」と表記するのは初めて知った。

銘板。塗装で塗りつぶされて読めないが、反対側の銘板から推測して
20100904-04.JPG昭和拾年
株式会社横川橋梁製作所
大阪工場製作

だろう。カゲロウがくっついている。

そのまま少し進む。
20100904-05.JPG
なにか、いまいち重厚な気がしない。リベット留めなのに、最近作られた橋であるかのような、のっぺりした印象がある。

そのまま東側のトラスの終端部。
20100904-10.JPG
歩道が手前に向かって拡幅されている。また、親柱は見あたらない。まあ、この後も鈑桁が続くので、ここにはないのかもしれない。

銘板。
20100904-09.JPG
西側よりははっきりと読める。左上に見えているものは電飾。

ちょっと視点を変えて。
IMG_4993.jpg

そのまま東側へ。
IMG_4997.jpg
鈑桁は3車線分あり、端部はこのようになっている。そして、親柱がある。

西側の親柱と同じ型式のものだ。当初よりあったもの(または架け替え時に存在していたもの)を、橋梁の拡幅とともに移設したのだろう。

IMG_4998.jpg「大堰橋」と書いてあるが、どうも新造したように見える。西側が青銅製(?)なのに対し、こちらは砲金(?)。材質には明るくないのでわからないが、明らかに材質は異なる。



鈑桁を見る。
IMG_4999.jpg
図面を見ると3連の桁に見えるが、写真を拡大してみれば連続桁である。

そして、橋脚に注目。冒頭の、左右全体写真と合わせてごらんいただきたいが、開通時の昭和10年のものではない。

カンチレバートラス部分は歩道が付加された分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁部分は桁が広くなったのだから、もちろんその幅の分、橋脚が幅広くなっている。鈑桁が架け替えられた1996年に、同時に更新されたのだろうか。

この大堰橋の、カンチレバートラス部分は桂川の本流をまたぎ、鈑桁の一部も本流をまたいでいる。しかし、鈑桁部分は本来、かつて10径間だったこと=橋脚が多数あったことからわかるとおり、横溢部だった。

1974年度の航空写真(ckk-74-14_c9a_6)を見る。
ckk-74-14_c9a_6.jpg(国土画像情報ckk-74-14_c9a_6をトリミングのうえ転載)

現在はこんなだ。比較してみてほしい。


先に「のっぺりした印象」と書いたが、その理由は、部材が修復されているためだ。たとえばこうなっている。
20100904-11.JPG
道路越しの向こう側のトラスの、右端の斜材が修復されたものだ。

20100904-12.JPG手前に見えているのが、修復されたもの。リベット留めではなくボルト留めの補強板がある。

原型はこう。
IMG_5007.jpg
山形鋼(L字型)をリベット留めし、その間にレーシングブレースが挟まれている。

それに対して、修復済みはこう。
IMG_5006.jpg
山形構の下にもう1枚挟まっているように見える。また、側面も滑らかだ。

格点部分にも、修復した部分とそうでない部分の差は明らかだ。
20100904-08.JPG

.


カンチレバートラス橋としての、吊桁と定着桁との結合部分はどうなっているだろうか。実は、よくわからない。冒頭の写真でいえば、三角形の頂点から数えて2格間左側の上弦と下弦にピンがあるが、この場所にピンがあるのにどうやって吊桁と接合しているのかが見えてこない。吊桁は定着桁と剛結合しているようにも見える。

上のピン。
20100905a.jpg右が吊り桁。

下のピン。
20100905b.jpg右が吊り桁。見えている斜材は吊り桁の端柱。まったくわからない。この結合をどなたかご教示ください……






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