「ワーレントラスを踏み台にしている橋」として有名な、第四大和川橋梁。トランケートトラス・第三大和川橋梁は奈良県だったが、同じ駅間にあるこちらは大阪府になる。ディテールを記すが、根本的な疑問である「なぜビームではなくワーレントラスなのか」ということへの答えは見つけられていない。 全体はこのようになっている。 魚眼レンズ持って行ってるのに、それで撮っていない愚かさよ。 この周辺は地滑り地帯で、この13径間の長大な橋が架けられたのも、周辺が地滑り地帯だからだ。下記リンク先に詳しいが、要はもともと敷設されていた路線が地滑りの被害を受けて換線せざるを得なくなり、ここに橋が架けられることになったのである。 ・亀の瀬地滑り(wikipedia) ・亀ノ瀬トンネル(wikipedia) まずは核心部分から。 この第4大和川橋梁は13スパン、かつ複線。合計26の桁があるのだが、曲線を描くということもあり、各桁の長さはまちまちだ。複線だからといって、左右に並んだ桁が同じ長さだというわけでもない。桁の寸法を記した資料は見つけていない。『土木工学』Vol3、No2(昭和9年)にあるかもしれないので、いつか見てこようと思う。 塗装標記。これを13スパン分撮影しておけば、下り線の桁長がわかったのに。うっかり。 トラス桁を使用した理由はあれこれ想像はできるのだが、結局はこれがいちばん経済的だったのだろう。知りたいのは、そう判断したプロセスだ。他にどういう選択肢があり、それらがどう消えていったのか。土木図書館に行くしかないか。 この第四大和川橋梁については『鉄道ジャーナル』2009年12月号で紹介されている。しかし、「なぜ桁受けがトラスになったのか」には触れていない。また、各桁長も掲載されていない。 記事中に第三大和川橋梁にも触れていて、新しいほうのトラスを「三郷駅側のトラス桁は老朽化か河川改修によって橋脚が河川構造上で妨げとなったのか、昭和61年(1986)に架け替えられた…」と書いてあるが、私の記事で検証しているとおり、トラス桁を架け替えたのではなく、鈑桁3連(?)をトラス桁1連に架け替えたものである。 PR (開放f2.8だとダメですねえ。適当に写すんじゃなくて、ちゃんと被写界深度見て撮り直しなさいよ、デジなんだから。) . トランケートトラスとは、斜橋のトラス橋。左右のトラスがズレており、真上から見ると平行四辺形となる。鈍角側は端柱(端部の斜めの部材)が省略されている。 写真は上流側(東側)から撮ったもので、向かって右の並行弦トラスが三郷駅側、左の曲弦トラスが河内堅上駅側だ。この両者の間には、54年という歳月の差がある。『歴史的鋼橋集覧』に選ばれたきっかけとなったは左の曲弦トラスで、1932年、川崎車輌製。右の並行弦は1986年、横河橋梁製。それぞれ斜角は右55度、右70度と異なっており、2連のトラスは微妙に角度が異なるのだ。それにしても70度とはすごい。 夥しいリベットが打たれている。とくに中央4格間の上弦にもびっしりと打たれている。この部分、上弦が補強されているのか? どうですか、この右70度の橋脚の存在感。 橋門構はじめ、リベットに見えるのは、もちろん高張力ボルトだ。 昭和四年 (○○○1152)
川崎車輌株式会社製造 活荷重 E40 鉄道省 ------------- L. ○○○○○ 材 ○○○○○○ 料 ○. ○○○○○ ○. ○○○○○○○ 『橋の散歩道』によれば、「国鉄最後の竣工トラス」とのこと。最後の最後に、こんな妙な形のものを作ったのか…。 それにしても、なぜ2連のうちの1連だけ「架け替えた」のだろう? と思っていた。新しいのが架かるということは、架け替えだと思い込んでいた。ところが! 1985年の写真では、トラスは1連ではないか! 写真から判断する限り、トラス1連+鈑桁4連に見える。そして、当然のことではあるのだが、トラスの下を大和川が通っている。鈑桁部分は河川敷。 冒頭の地図を航空写真に切り替えて欲しい。大和川の水量が豊かになり、かつての1連(曲弦のほう)の幅の1.5倍ほどにも川幅が広がっている。これに対処するために、鈑桁3本(推測)をトラス橋に変えたのだろう。こういう場合、架け替え費用は河川行政担当の役所が担当するのだろうか。 この第三大和川橋梁については『鉄道ジャーナル』2009年12月号で少しばかり紹介されている。新しいほうのトラスを「三郷駅側のトラス桁は老朽化か河川改修によって橋脚が河川構造上で妨げとなったのか、昭和61年(1986)に架け替えられた…」と書いてあるが、この記事で検証しているとおり、トラス桁を架け替えたのではなく、鈑桁3連(?)をトラス桁1連に架け替えたものである。 すぐ下流の道路橋のさらに下流側に、こんなものがあった。 江東ドボクマッピングのあと、かの有名な八幡橋に行ってきた。 この橋については、ネット上にいろいろな言説がある。曰く、 「日本で初めての鉄橋」 「東京で初めての鉄橋」 「初めての国産鉄橋」……。 ちょっと待て。「弾正橋」として架けられたのが1878年(明治11年)。この時代、既に鉄道も走っている。ということは、鉄橋も既にあったはずだ。そういえば、大阪の浜中津橋は1874年(明治7年)の鉄道開業時の橋梁からの転用である…。 『新版日本の橋』によると、日本最古の鉄橋は長崎の「鉄橋(くろがねばし)」。1868年(慶應4年)。竣功か供用かは不明(以下同)。2番目は翌年の横浜の吉田橋、3番目が大阪の高麗橋。その「鉄橋」は「アーケード国道」こと国道324号にある。場所はここだ。 さてこの八幡橋、文化庁の重文指定には「東京に架けられた最初の鉄橋」とある。それ以外で、公的に「日本初の」という記事はネット上にはなさそうだ。付近にある「来歴」にも「東京市最初の鉄橋」とある。つまりは「日本初」はデマである。 書きたかったのは八幡橋のことではない。すぐ近くに保存されている「新田橋」のことだ。 このワーレントラス橋は、長手方向に何本か細い棒が渡してある。 これを見て、この棒はトラス変形時の修正用だと気づいた。古い客車の床下のトラス棒、アレである。 ターンバックルもあった。 間違いない、これで歪みを調整していたのだろう。 それにしても、1932年開通。その時点で、こんな歪み調整用の棒を持つ橋がなぜ誕生したのか。予算か。町工場が作ったから新しい理論とは無縁だったからか。謎は深まるばかりだ。 深川東京モダン館で表題のイベントが開催されたので申し込んだ。講演は八馬智氏、北海道はじめ各地の橋梁デザインに関わった方だ。講演は2時間を超え、内容は多岐にわたったが、私が感じたことをひとことでいうと「デザインというのは、さまざまな考え方との戦いなのだ」ということ。自分が確たる考え方を持っていないと、デザインはできない。これは、先から引用している『近代日本の橋梁デザイン思想』で述べられている内容とも一致する。 日本語で「デザイン」というと「見た目」と捉えられがちだが、本来の英語ではむしろ「設計」のニュアンスを強く感じる。しかし、術語としての「design」の解釈が私自身非常にあやしいので、ここらへんでとどめておく。 この「橋は(というより、長期間、場合によっては100年間以上も使用され続ける土木構造物は、利用者に選択権を与えない/好むと好まざるとに関わらず、そこに存在する」というコメントは、八馬氏が「どこまでがデザインなのか」を明確に定義している証拠だ。 この「かえる橋」は「勘違いのデザイン」の例としてあげられている。これは何度かツーリング中に見たことがある。これを地元の人は数十年、もしかして100年以上見続けなければならないのか。そういうものなのに、こんなデザインでいいのか。そこまで重要でなくても、橋の名称が「ときめき橋」とか「ふれあい橋」でいいのか。つまりはそういうことだ。 八馬氏は「勘違いのデザイン」を、1980年から2000年の間の歴史に位置づけている。全力で納得する。実は「勘違いのデザイン」がなされたのは橋だけではない。鉄道が好きな人なら、国鉄末期に「地方色を出す」という三重目で、地方の車両工場や関係者が「勘違いデザイン」した、珍妙なカラーリングの車両たちを思い出すことができるだろう。「車両」という直方体という特性も、利用者の視点もないままに施された狂気の色。いまでも統一感をまったく欠いた、JR西日本の痛々しい地方色(順次ソリッドカラーに塗り替えられて消滅する運命にはあるが)はその例のひとつになると思う。 八馬氏は、秋田の臨海大橋のデザインも手がけた。欄干、照明、親柱も氏の手になる。特徴的なのは親柱だ。 この講演のustはこちら。 先に紹介した笠置橋のすぐ近くに、トレッスル橋脚を持つ橋がある。関西本線下の川橋梁である。いろいろ不思議だ。 まず、橋脚。ここは鈑桁2連で全長約35m。一またぎできる距離でもあるが、間にトレッスル橋脚を立て、その前後に12.68mの桁と22.3mの桁をかけている。これが不思議。 反対側から見る。 ふたつめ。どちらも魚腹型、しかも端部が斜めにカットされている。 みっつめ。トレッスル橋脚。 よっつめ。対傾構の組み方。 どうにも目で追いきれないような組み方をしている。部材が直方体の平面上だけを行き交うのではなく、その内部を対角線上に結んでいたりする。「ねじれの位置」という単語を思い出した。 橋台。 こちらは西側の橋台。隅石がこんな上まである。もしかしたら当初は下を通る道路がなく、川の水が洗っていたのかもしれない。航空写真を見たが、古いものはよく見えないし、1974年のものは未舗装路だったようだ。 この橋梁がいつ造られたのか、『歴史的鋼橋集覧』にも出ていないが、この区間の開通は1897年。規模こそ違えど、余部橋梁が開通したのは1909年。こ の橋より10年後だが、それでも橋脚用の鋼材は輸入していた。そのため、この橋の橋脚は外国製かもしれない。木津川橋梁はほぼ同時期の開通で、パテント シャフト製(イギリス)である。…などと考えるといろいろ楽しい。 今回は考察なしです。ただ見てきただけ。 |
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