関西本線の第三大和川橋梁は、三郷駅の南西側、河内堅上駅との間にある。この橋が渡るのは、当たり前だが大和川。大和川はこのまま西へ向かい、大阪市と堺市の境界となって大阪湾に注ぐ。
(開放f2.8だとダメですねえ。適当に写すんじゃなくて、ちゃんと被写界深度見て撮り直しなさいよ、デジなんだから。) . 第三大和川橋梁は、2連のトランケートトラスと1連の鈑桁で構成されている。『歴史的鋼橋集覧』では、トランケートトラスのことしか書いていないが、三郷側に鈑桁が架かっている(後述)。 トランケートトラスとは、斜橋のトラス橋。左右のトラスがズレており、真上から見ると平行四辺形となる。鈍角側は端柱(端部の斜めの部材)が省略されている。 写真は上流側(東側)から撮ったもので、向かって右の並行弦トラスが三郷駅側、左の曲弦トラスが河内堅上駅側だ。この両者の間には、54年という歳月の差がある。『歴史的鋼橋集覧』に選ばれたきっかけとなったは左の曲弦トラスで、1932年、川崎車輌製。右の並行弦は1986年、横河橋梁製。それぞれ斜角は右55度、右70度と異なっており、2連のトラスは微妙に角度が異なるのだ。それにしても70度とはすごい。 曲弦のほうに近づいてみる。真下へは行けない。 夥しいリベットが打たれている。とくに中央4格間の上弦にもびっしりと打たれている。この部分、上弦が補強されているのか? 並行弦のほう。画面左側の端柱がないだけで、全体が直方体に見える。それほどまでに、実は端柱というものは存在感を持っていたのだ。 逆側。 どうですか、この右70度の橋脚の存在感。 橋門構はじめ、リベットに見えるのは、もちろん高張力ボルトだ。 縦桁と横桁。 鈑桁の裏はこう。 製造銘板はこう。 昭和四年 (○○○1152)
川崎車輌株式会社製造 活荷重 E40 鉄道省 ------------- L. ○○○○○ 材 ○○○○○○ 料 ○. ○○○○○ ○. ○○○○○○○ 『橋の散歩道』によれば、「国鉄最後の竣工トラス」とのこと。最後の最後に、こんな妙な形のものを作ったのか…。 それにしても、なぜ2連のうちの1連だけ「架け替えた」のだろう? と思っていた。新しいのが架かるということは、架け替えだと思い込んでいた。ところが! (1985年/国土画像情報閲覧機能より/ckk-85-3_c18_9) 1985年の写真では、トラスは1連ではないか! 写真から判断する限り、トラス1連+鈑桁4連に見える。そして、当然のことではあるのだが、トラスの下を大和川が通っている。鈑桁部分は河川敷。 冒頭の地図を航空写真に切り替えて欲しい。大和川の水量が豊かになり、かつての1連(曲弦のほう)の幅の1.5倍ほどにも川幅が広がっている。これに対処するために、鈑桁3本(推測)をトラス橋に変えたのだろう。こういう場合、架け替え費用は河川行政担当の役所が担当するのだろうか。 この第三大和川橋梁については『鉄道ジャーナル』2009年12月号で少しばかり紹介されている。新しいほうのトラスを「三郷駅側のトラス桁は老朽化か河川改修によって橋脚が河川構造上で妨げとなったのか、昭和61年(1986)に架け替えられた…」と書いてあるが、この記事で検証しているとおり、トラス桁を架け替えたのではなく、鈑桁3連(?)をトラス桁1連に架け替えたものである。 すぐ下流の道路橋のさらに下流側に、こんなものがあった。 水道管の橋だった。廃橋なのか現役なのか、区別がつかない。 PR |
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