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20091022.jpg



















お茶の水の聖橋から見た神田川橋梁である。
お茶の水から秋葉原に向かう総武線が通る。

もう少し画角を広げると、本当に主役級ばかりで、
なにを撮ってるんだかわからなくなる。

画面中心には神田川橋梁。
ラーメン構造の橋脚が目を引く。1932横河橋梁製。

その下には昌平橋。1928年製。
煉瓦アーチにも見えるが、時代からみてわかるとおりRC製。

その左には松住町架道橋。
巨大なブレースドリブタイドアーチ。1932年東京石川島造船所製。

右に写っている線路は、お茶の水から東京に向かう中央線上り線だが、
その先にはハーコート製の昌平橋架道橋。1904年製。

ここに電車が2本写っていたら、主役が6人だ。


鈑桁の昌平橋架道橋よりも、ブレースドリブタイドアーチの松住町架道橋のほうが
古めかしく見えるのは、その外見ゆえか。
しかし、両社の間には、実に28年という隔たりがある。

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上記衛星写真で、白い帯になっているのが、レサの廃車体である。
20091021-2.jpg


















側手すりの位置から、一見、レム級を正確に2コイチにしたようにも見えるが、
レサはもともとそうなっている。
台車がないため、レサ5000か10000かは不明だが、
国鉄が車両を倉庫として売り出し始めたのが1980年代前半、
東北筋、とりわけ八戸で使われていたレサ5000の末期もそのころ、ということで
レサ5000であろう。

現在は七戸農協の倉庫となっており、セコムのステッカーも輝かしい。

20091021-1.jpg


















右手前から順番に1、2、・・・6と番号が振られ、
左手のものは手前から順に7、8とある。
合計8両である。

冷蔵車を転用したものであるが、種車は冷蔵設備を持っているわけではなく、
断熱材で仕切られた車内にドライアイスを置いて低温を保っていただけである。
そのため、ここで冷蔵倉庫として使われているとは考えづらい。
単なる倉庫なのであろう。

なかなかヒキがとれず、またイベント中ということもあり、
下段写真の虎ロープをくぐって敷地内に入ることもできず、
17mmでいっぱいいっぱいに撮ったのが精一杯であった。
hidaka.jpg





























(ツーリングマップル北海道 P17・18、24・25を加工・転載。Copyright 昭文社、2000)


ツーリングマップル北海道の有名な謎として、この日高横断道路があった。
静内中札内線も、前述の夕張新得線と並んで未成道道として有名である。
それが、なぜこんなことになったのだろう?

2001年だったか、中札内側を行ったことがあるが、
札内川ダムあたりだったか、「この先通行止め」みたいな看板があって、
その先にゲートがあって、そこで引き返した記憶がある。
フィルムの時代、しかもポジを装填していたゆえ、記録はない。

それにしても、一体、どうしたというのだろうか、この地図は。
まるで高速道路のように、等高線を無視して、
カムイエクウチカウシ山とペテガリ岳の間を通っている。
しかも、鞍部ではなくひとつのピークを通過している。
他社による転載を警戒して入れるトラップではないことは確かだ。


国交省の航空写真が公開されはじめた当時、
この道が実在するのかどうか、あたってみたことがある。
札内川ダムすらない昭和53年度の撮影ということもあり、
こんな道などはその芽すらもなかった。

ああ。中札内側に行ったときに立ち寄った、忠類村のナウマン象の鳴き声が
脳裏によみがえってきた。。。



111004.jpg





















ツーリングマップルに「通行止」と同時に
「川渡りと荒れた道あり」と書いてあった、夕張新得線。
当時でも、オフ車乗りの間では「通れる」「通れない」という話題があったが、
「通った」「行ってみた」という人は皆無だった。

その道に、新得側からトライしてみた。
行って引き返したところで、ニニウ(鬼峠さんのサイトで有名です)から往復20km、
てことで行ってみたらこのありさま。
一応、工事中らしい。
それでも、道は続いている。
111005.jpg





















ネガプリントをスキャンしたので、コントラストが強すぎるのは勘弁。
この道は現在、地理院の地形図では点線道となっている。


当時でも、こんなバイクでこんなタイヤでもゲロ道へは行っていたが、
このときはなぜかそんな気はおきず、引き返した。
後日、夕張側からも行き止まり地点まで往復した。

この周辺にはいろいろ思い入れがあるが、またいずれ。

#この道、廃道カテとしたが、未成としたほうが適切だな。


ここにはこのようにトラス橋が3列並行している。
パッと見ただけでは、なにがなんだかわからないと思う。
20091018-1.jpg



















画面奥、一段高くなっているのが、緩行線の複線ワーレン。
手前の直弦ワーレンは、快速線の下り線。
それらに挟まれるようにしてある曲弦プラットが、快速線の上り線である。

この上り線の橋梁の架け替え工事がまもなく始まる。
200フィート(62メートル)の曲弦プラット8連を目の当たりにできたら
さぞ美しいかろうが、上述のように、遠く、たとえば北側の国道6号からはまったく認識できない。
橋梁の真下に行って、ようやく姿を拝めるのである。

真下に行くと、このようになる(逆光なのでちょっと・・・)
20091018-2.jpg



















この、私が立って撮影した地点に新たな橋が架かる。
すなわち、一時的に4本のトラス橋が平行することになる。

20091018-6.jpg



















ここに行ったのは、この1917年東京石川島造船所(現IHI)製のプラットトラスを見るためだったが、
実際には1980年代に入って製造された緩行線の複線トラスの、桁高さが変わる部分に圧倒された。
(製造メーカー不詳)
20091018-3.jpg




















詳細な寸法は不詳だが、左側(方角で言えば北東。取手側)は
緩行線と同じ間隔で橋脚があるので、200フィートクラス。
右側(南西、天王台側)は緩行線2連分を一またぎにしている。
ということは400フィートクラス(支間約124メートル)。
支間が長くなれば桁の高さも大きくなる。それを連続させているのが興味深い。

しかも、この場所だけではなく、のべ4種の高さがあるのである。
20091018-5.jpg





















20091018-4.jpg






















航空写真を見て判断する限り、取手方から
・62m程度 4スパン(最小高)
・124m程度 3スパン(最大高)
・100m程度 2スパン(中間高)
・62m程度 3スパン(最小高)
に見える。

詳細な図面が見てみたい。


全体の橋長は、『鉄道ファン』1983年2月号掲載の、国鉄運転局車務課山本五兵衛氏
「常磐線 我孫子-取手間 複々線化完成」という記事によれば、
「利根川橋げた(972m)」だという。


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