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hidaka.jpg





























(ツーリングマップル北海道 P17・18、24・25を加工・転載。Copyright 昭文社、2000)


ツーリングマップル北海道の有名な謎として、この日高横断道路があった。
静内中札内線も、前述の夕張新得線と並んで未成道道として有名である。
それが、なぜこんなことになったのだろう?

2001年だったか、中札内側を行ったことがあるが、
札内川ダムあたりだったか、「この先通行止め」みたいな看板があって、
その先にゲートがあって、そこで引き返した記憶がある。
フィルムの時代、しかもポジを装填していたゆえ、記録はない。

それにしても、一体、どうしたというのだろうか、この地図は。
まるで高速道路のように、等高線を無視して、
カムイエクウチカウシ山とペテガリ岳の間を通っている。
しかも、鞍部ではなくひとつのピークを通過している。
他社による転載を警戒して入れるトラップではないことは確かだ。


国交省の航空写真が公開されはじめた当時、
この道が実在するのかどうか、あたってみたことがある。
札内川ダムすらない昭和53年度の撮影ということもあり、
こんな道などはその芽すらもなかった。

ああ。中札内側に行ったときに立ち寄った、忠類村のナウマン象の鳴き声が
脳裏によみがえってきた。。。

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111004.jpg





















ツーリングマップルに「通行止」と同時に
「川渡りと荒れた道あり」と書いてあった、夕張新得線。
当時でも、オフ車乗りの間では「通れる」「通れない」という話題があったが、
「通った」「行ってみた」という人は皆無だった。

その道に、新得側からトライしてみた。
行って引き返したところで、ニニウ(鬼峠さんのサイトで有名です)から往復20km、
てことで行ってみたらこのありさま。
一応、工事中らしい。
それでも、道は続いている。
111005.jpg





















ネガプリントをスキャンしたので、コントラストが強すぎるのは勘弁。
この道は現在、地理院の地形図では点線道となっている。


当時でも、こんなバイクでこんなタイヤでもゲロ道へは行っていたが、
このときはなぜかそんな気はおきず、引き返した。
後日、夕張側からも行き止まり地点まで往復した。

この周辺にはいろいろ思い入れがあるが、またいずれ。

#この道、廃道カテとしたが、未成としたほうが適切だな。


ここにはこのようにトラス橋が3列並行している。
パッと見ただけでは、なにがなんだかわからないと思う。
20091018-1.jpg



















画面奥、一段高くなっているのが、緩行線の複線ワーレン。
手前の直弦ワーレンは、快速線の下り線。
それらに挟まれるようにしてある曲弦プラットが、快速線の上り線である。

この上り線の橋梁の架け替え工事がまもなく始まる。
200フィート(62メートル)の曲弦プラット8連を目の当たりにできたら
さぞ美しいかろうが、上述のように、遠く、たとえば北側の国道6号からはまったく認識できない。
橋梁の真下に行って、ようやく姿を拝めるのである。

真下に行くと、このようになる(逆光なのでちょっと・・・)
20091018-2.jpg



















この、私が立って撮影した地点に新たな橋が架かる。
すなわち、一時的に4本のトラス橋が平行することになる。

20091018-6.jpg



















ここに行ったのは、この1917年東京石川島造船所(現IHI)製のプラットトラスを見るためだったが、
実際には1980年代に入って製造された緩行線の複線トラスの、桁高さが変わる部分に圧倒された。
(製造メーカー不詳)
20091018-3.jpg




















詳細な寸法は不詳だが、左側(方角で言えば北東。取手側)は
緩行線と同じ間隔で橋脚があるので、200フィートクラス。
右側(南西、天王台側)は緩行線2連分を一またぎにしている。
ということは400フィートクラス(支間約124メートル)。
支間が長くなれば桁の高さも大きくなる。それを連続させているのが興味深い。

しかも、この場所だけではなく、のべ4種の高さがあるのである。
20091018-5.jpg





















20091018-4.jpg






















航空写真を見て判断する限り、取手方から
・62m程度 4スパン(最小高)
・124m程度 3スパン(最大高)
・100m程度 2スパン(中間高)
・62m程度 3スパン(最小高)
に見える。

詳細な図面が見てみたい。


全体の橋長は、『鉄道ファン』1983年2月号掲載の、国鉄運転局車務課山本五兵衛氏
「常磐線 我孫子-取手間 複々線化完成」という記事によれば、
「利根川橋げた(972m)」だという。
メーカーが公式に無償修理対象にしているトラブル、EOS5Dの「ミラー落ち」。
5Dは中古で購入したので、いつか点検出さないとなあ、と思っていたら、
とうとう来てしまいました。

20091018-5d4.jpg



















このカット、ファインダー内には黒い斜めの長方形のケラレが生じていて、
そのまま2回ほどシャッター切ってしまったのですが、
画像を見たら、これが写っていた後は真っ黒でした。

装着していたレンズは70-200/2.8。
後玉が傷つくことがあるというので、あわててレンズを上に向けました。
ところが、レンズを外そうとしたら、外れない。
しょうがないので、ちょっと振ったら外れました。

20091018-5d1.jpg


















※kissDNで撮影

ミラーは、思っていたよりも鋭利です。
面取りしてません。
20091018-5d2.jpg





















マジックミラーのような効果が楽しく、ちょっと遊んでみました。
20091018-5d3.jpg





















今日の午後は茨城県の橋を撮りに行こうと思っていたのに。。。
しょうがないのでKDNで行きました。
その成果はのちほど。


今日は、さらに、デイパック型のカメラバッグ、
ロウ・プロのミニトレッカーのファスナーも壊れました。
以前からおかしかったのですが、完全にNGです。
これは買い直さねばなりません。。。

つらいわ。。。


土木学会の土木図書館内にある論文集にある、
鉄道用橋梁に関する論文のいくつかを抽出した。
まだまだたくさんの参考文献があるが、今日はこれだけ。


下記はインデックスである。
現在の土木図書館よりも一覧性がいい。

土木史研究インデックス(第1巻~第9巻=1981年~1989年)
土木史研究インデックス(第10巻~第23巻=1990年~2003年)


そして、小西・西野・淵上氏による論文である。

明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)英国系トラスその2
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第3報)ドイツ系トラス桁
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第4報)米国系トラスその1
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁・その2
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第6報)(了)
わが国におけるドイツ製鉄道橋梁 -歴史と現状-   

メモとして残しておく。


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