先日書いたプラグキャップを交換した。
摩耗していたものは端子が鈍色をしていたが、 交換品(中古)は金色。 今度はちゃんと「カチッ」といってプラグがはまるようになった。 交換したのは左側。 右側は、見たところちゃんと金色だったので交換せず。 アイドリングスクリュー。 いままで、タンクをはずさないと調整できないもんだと思っていたが、 タンク下に見えるではないか! 手を突っ込めば回せるではないか! ただし隙間はごく狭く、普通の男性の手では、おそらく厳しい。 私の手(指を広げて幅22cm)で、突っ込んだ手が抜けなくなりそうだった。 対処としては、TAIYO GIKENの陽刻のある燃料ポンプをはずせばok。 始動・暖機後のアイドリングが低いので、これを適切に調整したら、 今度はチョーク引いたときに4000rpmにもなってしまった。 結局、元に戻す。 とりあえず快調也。 PR
両者を読了。
どちらも参考資料に同じものをあげながら、 事実たるべき数値が異なるのが興味深い。 栗子山隧道について、もりた版では辻褄があわない。 ・明治13年12月貫通 ・明治13年7月19日貫通 ・明治13年10月19日拡幅完成 わずか3ページの間にこうした記述が出てくる。 天皇行幸に伴う開通式は、 ・明治14年10月3日午前10時 としている。 阿井版では ・明治13年7月中旬 東西それぞれ坑内で互いの鑿音を聞く。 両者間、60間と見積もる ・明治13年10月19日貫通 ・明治14年6月「残工」あり 天皇行幸は、 「明治14年10月3日夜半(改行)、通庸は米沢をあとにして夜明けに栗子隧道に達し、 開通式典の準備を行う」 「午前10時、天皇の乗る板輿が着御」 という記述から、翌4日に天皇が現地をおとずれたように読める。 私自身が出典を確認したわけではないため どちらを正、どちらを誤とすべきかはわからないが、 貫通というのはただ一点が通じただけであり、 拡幅し、覆工し、天覧にふさわしい仕上げを ほどこさなければならないことを考えれば、 矛盾がないのは後者である。 一方、天皇の行幸については、前者が正しいようである。 www.city.yonezawa.yamagata.jp/kanko/rekishi/pg/r07.html (米沢市の歴史探訪のページ)
文章中に見えていた
上越新幹線 という文字を見ていたら、突然、「上」が右に傾いて見え始めた。 右につんのめっているように見えるのである。 やがて、カセットビジョンの「きこりの与作」のようにも見えてきた。 「越新幹線」がそれなりに画数があるのに、「上」はわずか3画。 これが、ゲシュタルト崩壊の原因かもしれない。 その証拠に 上下(←これはこれで「圷」(あくつ)にも見える) 上部(←同、卜部) 上腕 上質 上等 ・・・などにはあまり違和感を感じない。
26日の記事に書いたプラグキャップ。
はずれかけたままだったところ、そのまま走り続けたので 放電して摩耗したのではないか・・・という推論を友人からいただいた。 テネレのプラグキャップは、850cc時代のTDMと共通である。 タイミングよく、某所でTDMのイグニッションとプラグキャップの中古パーツがあったので購入した。 初期型TDMのイグニッションコイルなので、流用できないかなあ。。。 |
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