両者を読了。
どちらも参考資料に同じものをあげながら、 事実たるべき数値が異なるのが興味深い。 栗子山隧道について、もりた版では辻褄があわない。 ・明治13年12月貫通 ・明治13年7月19日貫通 ・明治13年10月19日拡幅完成 わずか3ページの間にこうした記述が出てくる。 天皇行幸に伴う開通式は、 ・明治14年10月3日午前10時 としている。 阿井版では ・明治13年7月中旬 東西それぞれ坑内で互いの鑿音を聞く。 両者間、60間と見積もる ・明治13年10月19日貫通 ・明治14年6月「残工」あり 天皇行幸は、 「明治14年10月3日夜半(改行)、通庸は米沢をあとにして夜明けに栗子隧道に達し、 開通式典の準備を行う」 「午前10時、天皇の乗る板輿が着御」 という記述から、翌4日に天皇が現地をおとずれたように読める。 私自身が出典を確認したわけではないため どちらを正、どちらを誤とすべきかはわからないが、 貫通というのはただ一点が通じただけであり、 拡幅し、覆工し、天覧にふさわしい仕上げを ほどこさなければならないことを考えれば、 矛盾がないのは後者である。 一方、天皇の行幸については、前者が正しいようである。 www.city.yonezawa.yamagata.jp/kanko/rekishi/pg/r07.html (米沢市の歴史探訪のページ) PR |
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