三島通庸の描き方を見てみよう。
阿井版の主人公は、タイトル通り妻・和歌子である。 そのため、夫はよき人である。 野心家でも傲岸不遜でもない。 とってつけたようにそうした表現が入ることもあるが、基調は「よき人」である。 酒田県令になったのは、長州閥の伊藤博文に「追放」されたとあり、 そこに三島にとっての絶対的存在である同郷の大久保利通が 地方の鎮撫、「徳化」、「皇化」のために行ってくれ、と依頼する。 福島県令兼任については「自由民権運動色の濃い福島県庁の人事を一新するため」 とあり、「弾圧のため」というニュアンスではない。 栗子隧道は、山形県発展のために必要なものとして描かれ、 その他通庸が建設したものすべて同様である。 一方、もりた版では、あくまで由一と対峙する、しかも由一より高みに立っている存在として 由一が身分をわきまえずに「同等、同格」になろうとする相手として描かれている。 酒田県令になったのは、排斥されたというニュアンスはなく、 大久保が未開地を開化するために派遣したとされている。 福島県、栃木県と異動するのは徐々に中央政府に近づいていき、 事実、最終的に三島は警視総監になるのではあるが、 そのための地方修行、というニュアンスである。 栗子隧道は、山形から中央へと脱出するための出口であるとともに 国家の中枢に食い込む入口として描かれている。 これだけ異なる三島像であるが、三島が見せる高橋由一への態度は、 両書とも非常にそっけない。 三島は、あくまでも発注した一業者としてしか見ていない、という描かれ方である。 阿井版は、由一に重きを置いていないため。 もりた版は、こうしたほうが構図が簡単になるため。 誰が物語を書いても、三島と由一の関係はこのようになってしまうのであろうか。 PR |
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