忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

01 2026/02 03
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


No Image

浜頓別のキハ22「食堂列車」

鉄道車両廃車体

 
1995年夏の北海道ツーリング。「えさしYOUの思い出」で書いたえさしYOUに2泊した中日、枝幸から宗谷岬を往復した。300kmも走っていない。初めての北海道ツーリングだったので、「なんともったいない!」と思ったけれど、時間に余裕があったというか、こういうところにも立ち寄った。

車輌はキハ22 142(とは読めなかったのだが、FBにてご教示いただいた)。場所は、おそらく天北線や興浜北線の廃線跡「ではない」場所だと思う。なぜならば、国道から見える位置にあったからだ。

灯油タンクの位置、なんとかならなかったのだろうか…。

 
車内は、片側は座敷となり、片側はシートを置き直してテーブルを配している。奥は厨房かどうか、ちょっと覚えていない。もしかすると、実際の調理は1枚目の写真の左の建物でしていたかもしれない。

このキハ22の情報がネットにはあまりないので、今回アップした。2007年までは車輌が存在していたようだ。場所がわからなかったが、幟に「菅原水産」とあるので検索すると、出てきた。やはり、元の線路上ではなく、移設したもののようだ。2014年のストリートビューまでは、ホームが残っているが、2018年のストリートビューではなくなっている。














PR

No Image

かつて舟屋だった建物

建築?

 
海にせり出した建物の下部に船を直接収容できる舟屋。「伊根の舟屋」が有名だが、港湾の整備が進んだいまも全国に点在している。

 
津軽半島の陸奥湾に面した側に、いくつもの舟屋があった。これらは舟屋「だった建物」だ。というのも、その海側が護岸工事で埋め立てられ、建物の直下には海はない。

 
こんな感じの護岸施設。海面から2m以上はあるだろうか。左の護岸の下には消波ブロックが見えているほどの高さ。ということは、舟屋の船溜まり(というのかな、何といえばいいのだろう)は、かなり「下」にあったということか…と思ったが、ここは完全に陸の上にあげるタイプのようだ。3枚下の使われ方やGoogleMapsの衛星画像を見ると、そう考えてよさそうだ。

 
それにしても、大きな建物だ。

 
外板が剥がれたりしているが、いまも倉庫として使われている。こうした建物が、周辺にずらりと並んでいる。改修されてきれいになっている建物も多い。

 
こちらは護岸の下にある、いまも現役の舟屋。船が収容されている。

 
(国土地理院 空中写真CTO7519-C14-17をトリミング)

さて、ここに1975年に撮影された空中写真がある。いまの護岸もないし、山側のバイパスもない。道を挟んで建物が2列に並び、海側はすべて舟屋だろう。海までの距離がすごく近い。

このころ、ここは砂浜だったのか。ならば海水浴もできただろう。いまはちょっと泳ぐような環境ではなさそうだ。













No Image

国道101号 男鹿半島北部

道路全般

 
「二級国道」のファーストナンバー、国道101号。「二級国道」という区分は、現・道路法制定から12年間しか使われず、1965年には消滅しているが、いまだにいろいろなところでお目にかかる。わかりやすい概念なのかもしれない。

国道101号は、青森市から日本海側、つまり五能線沿い、男鹿半島を回って秋田市に至るルート。道路は同じ路線でも通過地域によってさまざまな表情を見せてくれ、それが、1本のルートとして通しで走る楽しさの一つだが、男鹿半島北部では上記のような光景となる。いかにも海が近い。交通量は、最行楽シーズンだったが僅少。

 
国道101号を男鹿半島から北に向かうと、無数の風力発電の風車が見える。地図を見ると、並行して、より海側に道が描いてある。夕陽に輝く男鹿半島の山塊と風車。

 
北上し、ルートが内陸に向かうところからは海岸沿いの道路を行く。松林の中にきれいなダートが伸びる。

 
海に出てみる。風車設置のためか、アスファルト舗装直前のような、締まった、巾の広いダートが続いている。海側は護岸。テントを何万と張るのことも、何万人が焚き火することもできそうだ。こういう場所が、自宅から1時間くらいのところにほしい。現実は、関東平野を抜け出すのに2時間以上かかる。









No Image

十三湊の菱形

木製扉の菱形・バツ形等

 
十三湊にある、大きな木造倉庫。この大きさの住宅だったら…8畳間が8部屋くらいとれそうだ。

 
菱形に組まれた戸。板は若干、幅広だ。奥まって設置された両開き戸で、敷居は石段。ぴっちり閉まっているように見えるが、それでも吊り戸かな?

 
戸の板は、真正面からでは色に違いは感じられないが、角度をつけて戸を見ると、板目のせいで濃淡ができる。

 
逆から見ると、濃淡の部分が入れ替わる。錯覚。見る角度によって見えるものが変わるガラスカバー、なんていったっけ…。









No Image

ONEのコンテナにばら積みされた木材

コンテナ

 
能代港にはコンテナ設備はないが、木材の野積場に、陸路で運び込まれたのか、あるいは出荷するのか、マゼンタのONEコンテナが荷役をしていた。

木材は、天蓋を開けられる訳ではないので、妻面から押し入れ、引き出すのだろうか。木材の長さ、標準的なものはいくつなんだろう。いずれにしろ、相当な重さと思われる。30トンに収まるのかな…。

何の木かわからないので、大雑把に、1本の直径を0.5m、長さ10mとして、1本の堆積は1.9m^3。比重を0.5とすると1本1トン。あ、大丈夫だ。(計量しているだろうし、当然ですね)

 
とはいえ、側面には歪みも出ている。





No Image

HIABのログリフトがついたいすゞ・TW

独言・日記

 
岩手県に多く残る、いすゞ・TW。特に岩泉の残存数が多いようだが、それとて2017年2月の情報、静かに、しかし確実に数は減らしているに違いない。

比較的知られているのは、トラコレにもなったU-HTW12Lだろうが、それはクレーンがキャブの直後にある。これは後部にあるタイプ。後付けなのか。いずれにしろ、近年更新されているようで、HIABのLOGLIFT 61Zという機種だ。右上の帽子のようなものは椅子。



 


このクルマではなく別のクルマだが、同じくTWに61zを架装しているクルマの記事があった。写真もある。

いすゞTW 今なお、現役!

 
世代交代か、いや用途が異なるだけか。フルトレーラータイプも4台、鎮座していた。岩手の山奥の奥に、これだけのトラックをそろえられる会社がある。すごい。






No Image

龍飛の鎧嶋1号隧道(第9号洞門)

隧道・廃隧道

 
津軽半島の龍飛崎は「階段国道」がとても有名だけれど、そこから1kmほど陸奥湾沿いに南下すると、異様なドボク風景が視界に飛び込んでくる。洞門と、その上に積まれた雛壇。間にトンネルを挟むが、一体として「鎧島1号」という名称が、手前の速度制限標識に付けられているが、それとは別の言い方として、第1号~第13号洞門まであった。入口左に屹立する岩は、第10号洞門である。これについては後述する。

 
南側から。洞門の上の雛壇は、南側に積まれている。

 
岩が露出しているところはトンネル。ここが「鎧嶋1号ずい道」。延長13m(*)、昭和3年竣功。かつての第9号洞門(後述)。その向こう(右)は高さが異なるが、内部の天井は同じ高さ。ただし、擁壁が異なる。洞門の外に出ている管は雨水管。

(*)こちらの資料「青森県トンネル長寿命化修繕計画」(PDF)では、この数値と、「鎧嶋1号トンネル 延長122m/1926年建設」という記述が混在している。

 
雛壇、登って触ったわけではないので、見た目の印象だが、蛇籠状にして固めてあるように見える。これだけの厚みは、落石の衝撃に対する補強なのだろうか。

* * *

三厩から龍飛にいたる洞門群はいくつかのサイトで紹介されている。道路開削時の写真が多数あるのは、「龍飛岬観光案内所 龍飛館」のサイト。
「十三の洞門」物語

また、ヨッキれんさんによる、東北「道の駅」公式マガジン「おでかけ・みちこ」の記事には地図があるので、前述の、第10号・第9号洞門という名称・位置については地図を参照していただくとわかりやすい。
第3回 龍飛道(たっぴみち)の洞門群 青森県








No Image

日本海を向いた菱形

木製扉の菱形・バツ形等

 
秋田県の日本海沿岸最北部の漁港の近くにある、漁業用の倉庫。土台はコンクリート、その上に、比較的近年建てられた上屋。


窓が少ない、倉庫然とした佇まい。

菱形に組まれた木製扉は引き違い戸だろうか、それとも2枚とも左に引き、壁に収まって全開になるのだろうか。





No Image

東日本フェリー 三厩ー福島航路の跡

船・舟

 
津軽半島を周回する国道は、三厩から西はR339、東はR280。まさにその場所に、東日本フェリーの痕跡があった。

 
三厩と福島を結ぶ航路は、Wikipediaによれば、1965年-1983年・1987年・1989年-1992年・1998年に運航していたようだ。三福航路と呼称していたようだ。現役のタイミングではここに来ていないので、見ていない。

手元のJR時刻表1991年8月号によれば、7月1日~8月31日の運航で、
三厩 福島
  950←  750
1020→1220
1450←1250
1520→1720
という1日2往復。2等800円、クルマ4m9400円、5m11800円。

 
そこでであった年配の方に、当時の話を振ってみた。「でかい船がきててなあ。港も整備したんだ。いまも三厩港の施設はあるよ」。しかし、現地に行っても、建屋などはなかった。

 
すぐ向かいには、国道の境目。実は、国道280号はここから函館までは「海上国道」となる。

そのあたりの経緯はサイト『山さ行がねが』に詳しい。


■関連項目
大畑港のいま















No Image

にいがた401

船・舟

 
新潟の「裏の浜」(私の個人的な呼称)、日和山浜沖で作業していた起重機船。本間組の押航式全旋回起重機船「にいがた401」だ。

突堤の先端の枠?の中から、砕石、おそらくテトラポッドの破片を浚渫している。(こんな突堤、あったかな…)

 
だばあ。





[PR]