存在を知って十数年、ようやく訪問することができた、高松の「屈曲多シ」。おそらく日本に唯一残る標識。この様式は、大正11年に、内務省により初めて道路標識が制定されたときのもの。もうこれは、国交省が保存すべきくらいの存在。でもこのままここに在り続けてほしいとも思う。どうか、いたずらされたり盗難されたりしませんように。 たしか第2回だったかの『廃道ナイト』で、マフラー巻きさんが「こんなの見つけた」と報告をしてくださったのをヨッキさんが紹介した。そのイベントではヨッキさんは対抗で柳沢峠で古い標識をみつけてきたけれど、私はすぐにSVで見たけれずわからず、そっちはそのままになっている。 この標識が世に出たのは、2009年、マフラー巻きさんのBBSにてメタルほら吹きさんが報告をしたものが最初とのこと。発見した方は「10年来」気になっていたとのことなので、90年代からその方はご存知だったけれど、世の道路・標識等の愛好家たちとつながることになったネット万歳。 なお、この標識がある道路は、GoogleMapsのストリートビューはない。 ●参考 道端の宝物ブログ 戦前の道路標識(道路警戒標)が高松市で発見された! いしぐろさん 白看採集帳 白看前史(3) zaicchanさん PR 雪国の道路上に、ゴムの板が散乱していることがある。「散乱」と書いたが、そう見えるだけで、これらには役割がある。 これらは、巻機山の登山口・清水集落のものだ。「清水峠」の「清水」である。 雪国の道路には、たいてい中央に消雪パイプが埋め込んである。水をそこから噴出し、道路上の雪を溶かすのだ。これとセットで道路両側には融雪溝があり、融雪水は水量は道路の傾斜に沿って、そこに流れ込んでゆく。 しかし、特に道路の軸方向に傾斜がある場合、さらには曲線も加わる場合、水の流れは思わぬ方向に行ってしまう。そこで、融雪水が家屋等に支障しないようにコントロールする必要がある。その道具として、ゴム板が置いてある。 未舗装の林道では、道路を斜めに横切るようにゴム板が縦に埋めてある。それも同じく、山側からの水や路面を流れ落ちる水を制御するためのものだ。 写真は、最初見たときは粗大ゴミかと思ったのだが、よく見ると、人為的にこの位置に置かれている。これがないと、右手から来た水は赤い箱の手前の融雪溝に入ってしまい、もったいない。これがあると、さらにその先の道路上まで流れることができる。 融雪溝に流れ込んだ水を勝手に再利用するシステム。なんとなく堰き止めて、そこにポンプを設置している。ここから自宅前などに引き込むのだろう。 まだ雪のシーズンの前だったが、集落内は流水音でにぎやかだった。斜面にある集落なので、どの家にも水が引いてあり、あるいは水が溜めてあった。 能登半島の能登町南部にある下路プレートガーダー。道路橋の下路鈑桁は、珍しくはないが少数派であることは確か。上路の欄干よりははるかに「ガードレール感」があるが、なにしろ狭い印象になる。 鉄道用鈑桁と異なり、内側のスティフナー(縦方向の補剛材)が下に向かって傾斜している。これだけの大きさがあるなら横桁と一体なのかもしれないが、そうすると今度は数が多すぎる気がする。床版に隠れているのでわからない。こちらは左岸側。 親柱は、左が「昭和三十七年六月架」、右が「中央橋」。左のものは「竣功」「竣工」となっているものがほとんどだが、「架」というのは初めて見た。「架橋」でも「架設」でもなく「架」。 右岸側。 親柱の左は同じく「昭和三十七年六月架」、右は「ちゅうおうはし」。架設年は普通は1ヶ所で、河川名が入るものだが、この橋梁には河川名がない。 *** 2枚目写真の奥に「タクシー」とある。こういう場所でも需要があったのだな。 当然というか、すでに営業はしていなかった。「タクシー」という看板の上には「宇」と羽根を組み合わせたマーク。地名は「鵜川」なのでそれとは無関係だろう。 そのすぐ近くにあった「ドライブイン 銀世界ホテル」。その後、寿司店となり、いまは営業していないようだ。この1.5車線の細い道にドライブインがあったのか。 この地域はかつての鵜川町の中心部と思われるが、観光スポットがある場所でもなさそうだ。国道からも外れている。どういう需要があったのだろうか。 |
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