平戸島の南西端にある。起点はここ志々岐だから「県道から国道に切り替わる」のだけれど、旅行者はすべて北から入ってくるので、すべての旅行者の実感としては「ここで国道が終わり、県道に切り替わる」のだ。 起点ではあるけれど、対向車線にある「おにぎり」には「ここまで」とある。 そのまま県道を詰めると平戸島西端の宮ノ浦漁港に至る。先日、日本本土最西端・神崎鼻を書いたが、ここは「本土から橋で行ける日本最西端の地」だ。いろいろな「最西端」があるものだ。 ユーラシア最南端に行ったことがある。マレーシアの「タンジュン・ピアイ」だ。原付をレンタルして3人で行った。誰もカメラなど持っておらず、写真を1枚も撮っていない。なんということだ。1999年の話だ。 自力で行ける日本の東西南北端…納沙布岬、宗谷岬、波照間島、与那国島西崎は1995年にすべてバイクで到達した。それ以外も、いろいろな「○○端」がある。本州最北・東・南端は行ったけれど、本州最西端・毘沙ノ鼻は、たぶん行ったことがない。何度かすぐ横を通過してはいる。 平戸島を後にして、東松浦半島を海沿いに走っていたら、「本土最西端」とあったので寄ってみた。とてもいい場所だった。 ここに着いたのは17時15分くらい。西日本、それも最西端の日の入りは遅い。夏の九州ツーリングは初めてだったのだけれど、驚いたのは、とにかく日の長さだった。いままで九州ツーリングはGWにしか来たことがなかった。 神崎鼻には誰もいない。盛夏の太陽が照りつけるけれど、海風も吹いている。波の音しか聞こえない。 ガーミンDakota20で緯度経度を見る。北緯33度13.052分、東経129度33.163分。 ここ、なにがいいかって、タイドプールなんだ。取り残された「池」の中には、魚も蟹も貝もいる。「池」の海水はゆだるような熱さで、大丈夫なのかと思うほど。ここでキャンプは禁止だろうけれど、ここで一晩過ごしたいと強く思った。でも今回はテントないしな。 いろんな生物が生き、死んでいる。 採って食おうとは思わないけれど、原始時代ならここは常に食糧が供給される場所なのかも。 すいぶんと長くいた気がしたけれど、20分くらいの滞在だった。翌日の行程を考えて、やむなくこのあとは高速で佐賀市街に移動した。旅先で高速に乗るのはなんだかもったいないけれど、でも、別の考え方をすれば、それでは永遠に旅先の高速の風情を味わうことはできない。ありがたく時間の恩恵を受けた。それでも、ここから2時間半ほどはかかってしまい、佐賀市街についたときにはとっぷり日が沈んでいた。 * 冒頭に述べた与那国島の西崎(いりざき)。日本の最西端。正確には北西沖数百メートルの岩礁が最西端とされているが、岩礁だし。自由に行き来できるのは東西南北端のうち、ここだけ。1995年12月。いまは那覇~石垣の航路がないのでバイクとともに渡ることはできない。 もう3カ月も前になってしまったが、夏休みツーリングの目的は、この山川~根占航路に乗ることだった。なんとなく、むつ湾フェリー フェリーかもしかと対になる気がする。こういう航路は、ここまで来ていてもタイミングが合わないと乗ることはない。そのタイミングが偶然合うのは難しい。なので、これを目的とした。 といっても泊まったのは出水。ここから海岸沿いに薩摩半島を反時計回りに回って山川港に昼前に至るのは、けっこうたいへん。あまり寄り道もできない。しかし、これが目的で、ここまで2000km以上走ってきたのだ。 それでも、山川港ではちょっと時間があったので買い食いやら買い物やらできた。 フェリーとは浮桟橋を介して岸壁と連絡するが、浮桟橋と岸壁とを結ぶ橋(なんというのだろう)の構えは手前からの片持ち式。 フェリーなんきゅうは鹿児島湾を横断し、50分で根占港に着く。バイクは先頭に収まった。ちゃんと固縛してくれている。 フェリーなんきゅう。総トン数145T。 根占港。桟橋は山川港と同じ形態。 事務所は山川港と似ているが、2階部分が奥まっている(小さい)。 |
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