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うかいさんの一連のツイート、ツリーまでご覧いただきたい。これに関してtwitterでは長くなるので記憶を記録する意味でここに書く。



ぼくが初めて鉄道模型を買ってもらったのは、1980年5月、新潟の大和百貨店だった。当時の新潟では、デパートといえば古町の大和。金沢資本のデパートで、新潟市の「渋谷のスクランブル交差点」に相当する古町十字路にあった(いま、ここは完全に過疎化していて、なんとこれからマンションが建つ)。当時はデパート的な店舗は小林から転換した三越と、少し離れて本町に丸大、信濃川を渡って万代にダイエー。この4店舗が主だった。緑屋とイチムラの存在感は小さかった。

その大和に鉄道模型コーナーがあった。そのシマには専門の店員がいた。父がそこに連れて行ってくれて、店員の薦めるままに揃えたのが以下だ。

・関水 固定式線路 レイアウトプラン5(ブリックパック)
・宮沢のパワーパック
・関水EF65(貨物色;カタログにない;上写真の台車とモーターが残っている)
・トミックス ワム23000、ワキ5000(上写真の箱)、レ2900、ワフ28000
・900×600のパネル
・Nゲージレイアウトプラン集

合計19200円くらいだったと思う。見たことがあるのはワキ5000だけ。なぜ「EF65-1000と24系25形が欲しい」と言わなかったのか不思議でならないが、たぶん「買ってもらえるだけ」で嬉しかったのだろう。のちに、貨物色なんて不良在庫を押しつけられたのではないか、と思ったが。



店員曰く「動力車は関水にしたほうがいい。トミックスはダメ。レールもトミックスのものはすぐジョイントがダメになる。固定式がいい」。ぼくはそれが刷り込まれた。のちに、地元でさんざん見ていたEF81がトミックスで模型化されても、全然欲しくならなかった。

たしか大和には、中村精密のN蒸機や16番も置いてあった。レイアウトもあった。おそらく、うかいさんいうところの専門業者が入っていたのだろう。しかし、1~2年すると、専門の店員はいなくなり、無人となってしまった。そこからは売り場の縮小は早かった。そのころから、ぼくはダイエーに行くようになった。

* * *

ダイエーは、当時の関水のカタログによれば「鈴五新潟営業所」が担当していた。たしかNしか扱っていなかったと思う。レイアウトはなかったが、やはり専門のシマがあり、専門知識のある店員が中にいた。その店員さんの名前は知らないけれど、月に2回ほど通ううちに、ぼくの名前を覚えてもらった。ぼくは名札をつけていたし。そこでは線路とパワーパックをユニトラックに買い直し、お年玉をもらうとそこに買いに行った。

中学に入るころにはラジコン売り場も兼ねていて、というか鉄道模型は縮小されていた。同級生たちはそこにラジコンのパーツを買いに行っていた。ぼくもつきあった。ぼくはもう鉄道趣味の熱は冷めていたが、模型を見るのは楽しかった。

肝が冷えた記憶がある。小4のころ、あるところに「自分の写真を売ります」と気楽に投稿した。当時はそういうのがよくあったのだ。年齢などは書かれないので、マトモな写真だろうと思った方々が「リストをください、売ってください」という手紙がてっこう来てしまった。ぼくは強く後悔した。小学生が目測カメラで撮ったひどい写真だ。本当に困って泣きそうになりながらも、出した責任上、リストを送り、驚くべきことにある方は2回注文してくれた。それはそれとして、そのダイエーの鉄道模型売り場に、ぼくが撮ったDD51の写真が貼ってあったのだ。

その写真を送った相手は目黒区在住の大学生、Yさんといったのは覚えていた。あるとき、中学の友人と話していると「ダイエーのYさんがさ…」というではないか。おそるおそるフルネームを友人に聞いたら、まさにその人だった。おおお、では、店員さんは「おれが写真を買った相手は小学生だったのか…だからこんな下手くそな写真を…」と思ったに違いない。

閑話休題。「鈴五」は問屋だろうか。それとも(鉄道模型に限らない)模型店だったのだろうか。ダイエーの売り場は銀河のパーツなども扱っていた。使う当てもなく砲弾型ヘッドライトを買ったりして、それはいまも手元にある。

* * *

小6くらいかはら、ヤママル、今となっては何店か覚えていないのだけれど、そこに行くようになった。在庫がけっこうちゃんとしているのだ。でも、ほどなく鉄道模型を買わなくなった。たまに引っ張り出して走らせることはしても。

ほかのデパートやスーパーがどうだったかは、あまり記憶がない。置いてあった店もあったと思うが、専門の店員がおらず、単に「置いてあるだけ」だったと思う。

こうしたデパート内店舗とは異なるが、実家のすぐ近くにあった模型店「むげん社」には、トミヤマのTEEや16番のペーパーモデルが多数あった。兄はそこで固定式線路からEF65+20系までを揃えた。「むげん社」の話はこちらに。

新潟本町遊郭跡 1958~1967(?)の住宅地図と1980年代の違い(2)
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外房線の大網~土気間にあるかっこいい複線PC高架橋。この区間の複線化の際に造られたものだ。高架橋の向こうに、並行するように築堤が見える。それが旧線。カーブ外側(北東)上空から撮影。

 
3層構造。ツートンカラーで塗られている…だけではなく、重力方向のグレーは耐震補強で鋼板を巻き、塗装されている。水平方向はコンクリートの地色。

 
道路に立っての視線の高さはこれくらいで、全貌というか迫力はなかなか伝えづらい。前方の、縦に細長く空いた空間を、1車線の道路が通っている。

土木学会の報告書(脚部3層斜角構造ラーメン高架橋の耐震補強について)によると、14連、全長253.8m。橋脚高さ17m以上。脚部がトレッスルのように下広がりになっているのは、「橋脚下部の大きな転倒、回転荷重に抵抗させるため」となっている。ここは曲線なので、遠心力が外側(写真でいえば「こちら側」)にかかるのだろうか。

旧線については、歩鉄の達人さんのサイトに詳しい。

spl.thnx @roadexplorer
spl.thnx @Einshalt

もうひとつ、両総用水北部幹線をくぐるカルバートを。

 
パッと見、鉄道の築堤とカルバートに見える。鉄道の場合、径間1m以上を「橋梁」と呼ぶのだが、これは両総用水としては「橋梁」にあたるのだろうか。

 
右を見ると、どう見ても鉄道の築堤とその側道だ。

 
「側道」をいくと用水の高さに上がれる。用水には近づけない。用水には金網があり、その外側には管理用の舗装路があってそこにも金網。右にみえるクルマは周辺の住人のもの。写真を撮ったすぐ右には住宅がある。

 
振り替える。写真奥がカルバートの「上」。一見、水に見えるのは用水の保守用通路で、雨のためにそう見えるだけ。用水はその右。

 
反対側。

* * *


(Kashmir3D+スーパー地形+地理院地図)

カルバートの紹介順が、下流側(下の地図の→上流側(上の地図の;今回の記事)となってしまったが、上流にあたる両総用水をくぐるカルバートの標高は21mほど。今回の記事のカルバートの標高は17mほど。その間は、いったん標高4mほどの平地がある。そこは、暗渠で通している(上の地図の)。サイフォン式で、いったん低いところに下ろしてまた高さを上げているのだ。

 
下流側(南側)から上流側(北側)を見る。

spl.thnx @roadexplorer









 
一見、普通のトンネルに見えるが、写真を水平方向に横切っているのは両総用水の北部幹線。その下をトンネルのようにくぐっている。

 
用水には立ち入ることができないように金網で囲われている。坑門前の法面にはバルブがある。

 
何のバルブだろう。北部幹線は、途中で5カ所、分岐を設けているので、その一つだろうか。

 
反対側には階段。

 
カルバート内ではクルマは対向できない。反対側の坑門前が広くなっており、ここで待ち合わせする。

spl.thnx @roadexplorer






以前、ヨッキさんが上の投稿をして、そのリプも興味深く見ていたところ、先日、山形県の上山でみつけた。


山形県道13号を、国道113号七ヶ宿から上山に向かって北上すると、国道13号にぶつかる。ここが、R13とr13の交差点だ。このあたり、国道13号は2~4車線で立体交差が連続するバイパスなので、県道13号と混同する人は、まずないだろう。高速道路ナンバリングの「E13」は、国道13号からとっているので同じくなるのは当然。

なるべく避けるように付番されてはいるようだが、全国的にはそこそこの数があるようだ。





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