ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2) ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編) ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話) ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編) ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話) ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室) ジェイ・ダイナーの思い出(乗務行路1) の続き。 こちらは1994年3月改正の行路である。「のぞみ」は毎時1本の博多行きである。このときから「こだま」のビュフェ・車販営業は東京~名古屋間となり、名古屋泊の行路ができた。それまでも、名古屋営業所持ちの「こだま」はあったが、バイトは乗務していなかった。 28・29行路は朝イチの列車のために、前日の行路から「着前泊」、つまり東京の寮に泊まっての1泊2日2往復の行路だったが、現実としてそんな行路に入るバイトはほとんどおらず、それぞれ単独の行路として乗務した。401Aなどどうやって乗務していたのか記憶がないが、東京クルーセンターの事務所を当直が開けるのが6時だった気がする。走っていったのかもしれない。ただ、事務所に泊まって翌朝乗務するバイトもいた。 大阪での折り返しは、時間がないときは「基地」で弁当をもらう。あるときは、社員といっしょにマイクロバスで西中島南方にある大阪営業所に行き、そこの4階の食堂で賄いを食べる。たまに弁当が足りないときがあり、そういうときは550円までだっけな、領収証を切ってよかった。 上の写真が「基地」の様子。正確に言えば「基地内の休憩室」。「基地」はワゴンに積む商品とワゴンが並んだ場所だ。上の写真は、リネンが足りなくなって、古い制服を着ている(黄色いエプロンとチェックの帽子だけが当時の制服)。右端に弁当が見える。 基地の弁当を食べているバイトたち。女性の制服は当時のもの。 名古屋での折り返しはどうだったか。この行路表によれば弁当が出ているが、ちょっと記憶がない。 PR
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2) ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編) ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話) ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編) ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話) ジェイ・ダイナーの思い出(100系11号車多目的室) の続き。 もう公開しても差し支えないだろうと思うので公開する。 もっとたくさん持っていたと思うのだけれど、アルバイト(「東京クルーセンター」に所属する「メイツ」といった)行路表が2枚、出てきた。クリックで元画像に飛ぶので、拡大してじっくりご覧いただきたい。 まず、平成5年3月改正対応版(4月16日修正)。それまで朝晩、東京~新大阪の2往復だった「のぞみ」が、毎時1本、東京~博多間を運転するダイヤとなったときだ。バイトが乗るのはほぼ「ひかり」「こだま」で、一部「のぞみ」がある。「のぞみ」は女性しか乗務できなかったが、稀にどうしても人手が不足したときは男性を乗せた。 種別は列車番号でわかる。この頃は、 1~ 「のぞみ」博多 301~ 「のぞみ」新大阪 31~ 「ひかり」博多 81~ 「ひかり」広島 101~ 「ひかり」0系新大阪 201~ 「ひかり」100系新大阪 401~ 「こだま」 となっていた。 「編成」のGは100系カフェテリア、Xは100系X食堂車あり、(ここにはないが)Vは100系グランドひかり、N・Hは食堂車のある0系、Yはこだま用0系(ビュフェが5号車にある)、F・Jは300系「のぞみ」。イレギュラーな行路として、92Aは、本来は0系食堂車のみに乗務する広島営業所がG編成を担当している。そういうときは、カフェテリアに0系の商品が並ぶ。例えば、カフェテリアのジュースは「キリンHYPER70」だが、それは売らずに「POMつぶオレンジ」「POMつぶグレープ」を売る、という具合に。 「担当」は営業所(バイトとは無関係)。「釣り銭」「ワゴン」「(コーヒー用)ポット」とは、G編成において、ワゴン・釣り銭・ポットごと乗り降りするもの。東京と大阪にそれぞれ「基地」があり、1日にやりとりする本数が決まっていた。もちろん、出る数と受ける数は同じになる。それ以外の行路は、社内のワゴン使い、社員が持ち込んだポットでワゴンを仕立て、社員から釣り銭を預かり、販売後に釣り銭と売り上げをすべて社員に渡す。 時刻のところに▲印があるのは、泊まりの行路。泊まりの様子についてはジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2)を参照。 列車番号が6000番台の列車、つまり季節運転の列車もいくつかある。運転しない日は、別の列車に乗っていく。その場合、所定2名を4名にしたりする。逆に、人手が足りない場合は、所定4名のところを3名、2名にしたりする。0系「ひかり」と「こだま」は割を食うことが多かった。なぜなら、0系「ひかり」は食堂車があり、乗務する社員の人数も多いため、なんとかなるのだ。100系G編成は社員は2名しか乗らないため、カフェテリアの売店しか稼働できなくなる。もっとも、どうしてもという場合は、売店を1人にしてA車だけ販売に行ったり、グリーン車のスタッフ(社員)がカゴで弁当類のみ売りにいくこともあった。 上記行路に対応する、「のぞみ」社員乗務員の行路表(1993年5月)。23班で回している。200番台は「ひかり」G編成乗務。「分割」は列車がないので他の列車に回る。ほとんどは日帰りか1泊だが、中には2泊3日の行程も見える。「のぞみ」社員乗務員は「東京クルーセンター」に所属していた。 こちらは「G編成」社員乗務員の行路表(1993年5月)。こちらは17班で回している。バイトはこうした表を社員から入手し、「誰の列車に乗るか」を決めることもあった。単に「あの人は優しいから」ということもあれば、「お目当ての人」を追いかける人もいた。逆に「あの人はうるさい」と避けることもあった。こちらの社員は「東京営業所」所属だった。 続く。
今年は94本の記事を書いた。2018年が280本、最初に書いた2013年は280本。でかける回数が減っているのか、自分が「書く」ということに変な意識…「書かなくてもいいや」と思っているのかは定かでないが、それでも3.5日に1本は書いているということなので、まずまずとは思う。
写真を振り替えると、カメラを構えて撮ったものよりも、スマホで街中を適当に撮ったもののほうが、その時ならではの雰囲気があっていい。よく言われることだが、例えば鉄道写真では、往時の駅の雰囲気や「車両以外」の写真は極端に少ない。フィルム時代ゆえ優先順位を考えると当然とも思うが、しかし、「車両以外」の写真が現在、多くの人の感情を沸き立てていると考えると、もっともっと、適当なスマホ写真を撮っておくべきだなと年の瀬に反省している。これはたぶんコンパクトカメラでもダメで、スマホならではなんだろうなと思う。カメラの場合は「記録」として「対象物」を撮ってしまうからだ。 それを思ったのは、下記のように、毎月の出かけた写真をまとめようと思ったときだ。スマホで撮った写真がほとんどだ。(スレッドになっているので、クリックすると月ごとに12ツイートあります)
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さて、2019年の記事から、自分で「これ、よかったなあ」と自画自賛し、かつ、もっと読んで欲しいので広めるために行うのがこのアワード。「ダムアワード」に触発されて@hachim088さんがご自身の1年をブログに書いてあること・ないことを振り返りつつアワードを制定されたのをさらに真似したものだ。今年はあまり「発見」というものはないので、より読んで欲しいものを【部門】として(適当に)考えて、それぞれの賞を設けた。大賞は最後に発表する。 【地図部門】●地図部門賞
twitterで、永太郎さんが最初にしたのだったかな。いくつかヒントをいただき、ぼくも新潟でやってみた。カルカルの『スリバチナイト8~真夏の地図地理地形好き大集会! 』で、三土たつおさんがご紹介してくださった。イベントは、あいにく勤務先が関わる鈴鹿8耐に行っていて参加できなかったのが残念。 |
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