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浜小清水郵便局跡

郵便局舎

北海道の釧網本線に浜小清水という駅がある。その近くにあった、浜小清水郵便局…の跡。出入り口の扉も、その右の明かり取り窓も、木枠だ。国道に面している。左に見える道は旧道というわけではなさそうで、単なる路地。

それにしてもいい立地にあるが、ここで働く人にとっては、標識などは、見た目の印象としてさぞかし邪魔だっただろう。

郵便局名の痕跡。郵政書体ではないが、いい文字だ。下のガラスは窓ではなく、ショーウインドウのようだ。枠は木。

 
 
左側面の窓は塞がれているが、右側面の窓は雪よけでもなく、ちょっと中途半端。窓枠は木だ。煙突は2本あり、トイレは汲み取りだ。



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町道80号線

道路全般

 
道道122号 縦長の視界を撮った場所から、左右に町道が延びている。これは「町道80号線」の看板。「Chodo 80go sen」。国道ならば「国道39号」のように「線はつけない。都道府県道ならば「北海道道122号北見端野美幌線」と、数字+「号」+起終点+「線」になる。しかし、市町村道にはそうした全国統一のルールはない。ここでは「線」をつける。

そして、ここは北見市だ。しかし、「町道」となるのは、ここがかつて「端野町」だったからだ。それにしても、看板がきれいだ。

その町道は、見るからに農道(農業のために整備される道)である。畑の中をいく、未舗装路。この、舗装と未舗装の境。ここが太陽に照りつけられている光景が大好きだ。




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道道122号 縦長の視界

道路全般


美幌峠から遠軽に抜けるには、この道道122号を国道の中継ぎにするに限る。

丘陵地帯の谷側に広がる牧草地やペパーミントの畑の中を豪快に進むワインディング、左コーナーを曲がり、最後のなだらな上りの頂点に近づくと、その向こうにいきなり視界が開ける。

クルマの視線は横長だが、バイクの視線は縦長だ。その縦長の視界を、突然上下に貫く道の形が現れる。瞬間、それが道だと認識できずに混乱する。

この丘陵からむこう丘陵を望む間に横たわる谷は、北見盆地。写真の真ん中を水平に横切るのは4車線の国道39号。標高差50メートルを駆け下る直線は、市街地を突っ切ると、再び50メートル登って左に消えていく。




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上渚滑駅跡

駅舎



国鉄末期に廃止になった渚滑線(しょこつせん)は、名寄本線とほぼ同時期の1923年に開業している。北見山地の森林資源をはじめ、沿線開発をも目的としていた。いま、上渚滑駅跡は紋別市役所の支所となり、駅構内だったところには上渚滑11丁目団地が10棟建っている。市役所支所の周りはいまふうの町並みになっている。

市役所支所を真正面にして右を見ると、駅跡を模した施設がある。しかし、ホームと線路は、かつて渚滑線が通っていたルートからほぼ90度回転している。

ホームはやたら高い土盛り。そこに東屋があり、おそらく本物の「上渚滑駅」の看板が掲げられている。駅名標はレプリカ。



渚滑線の列車ダイヤとしては、おもしろいことに、ノンストップの渚滑発上渚滑行きという下り列車があった。741Dである。

(コンパス時刻表 1980年4月号 弘済出版社刊)

「休日運休」ということは通学生用の列車である。通常であれば、上渚滑に高校があって、その通学の便で…と思うが、上渚滑にはそういう施設はない。これは、紋別への通学生が多数乗る上り724Dに増結するための送り込み回送だろう。

…などと、往時のことを想像するとき、北海道の鉄道に憧れていた子供のころの気持ちがよみがえってくる。


●関連記事
数値地図に残る鉄道の亡霊と誤記…数値地図50000に、いまも残る渚滑線。


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能取湖畔の矢羽根

木製扉の菱形・バツ形等

 
能取湖畔を走っていて、ちょっと横のダートに逸れてみた。そこに建っていた小屋に、矢羽根型の木戸があった。

漁具の小屋だろうか。海のすぐそばの木造の建物には、こうした木の戸がよく似合う。

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北浜郵便局

郵便局舎


「オホーツク海にいちばん近い駅」などという形容と、駅舎内のレストランで知られる北海道・釧網本線の北浜駅の近くに、北浜郵便局がある。目の前の国道244号は、網走市街からこの北浜のちょっと北まで4車線道路であり、交通量は多い。

嬉しいことに、郵政書体が生きている。


このクラスの郵便局の規模としては局舎がちょっと大きいが、ポストは小さい。

裏手に木造平屋の建物があった。 引き戸の両側に意匠が凝らしてある。一般の民家なのか、集会所のような建物なのかはわからない。





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宗谷本線 抜海-南稚内の地形

地図・航空写真・分水嶺

宗谷本線の最北部、「抜海-南稚内間」にある定番撮影地。そのすぐ脇をオロロンラインこと道道106号が通っているのだが、道道からは鉄道はほとんどわからない。

この夏、ちょっと探索というか、見定めようと思ってオロロンラインから足を踏み入れたら、線路は丘陵のかなり上のほうにある。おあつらえ向きに保線用の階段があったが、それは立ち入り禁止。とはいえ、枕木等を利用して相当しっかりと作られていた。これを利用して丘の上から写真を撮っていたのだな。

さて、なぜそんな高台を鉄道が通っているのかを、カシミール3Dで見てみよう。なお、ノシャップ岬につながるこの丘陵を「宗谷丘陵」と書いてあるのをよく見かけるが、おそらく別。



(カシミール3D+数値地図25000+10mDEM。クリックすると拡大へのリンク)

さて、北上してきた宗谷本線は、稚内の平野部…ここは最も新しい地層…に展開する稚内市街までの間に、丘陵を越えなくてはならない。よく見ると、なかなかサッと北の平野部に至るようなルートは見つからない。

眺めていると、よく考えられたルート取りだと感じてくる。勾配を押さえつつ、最大で標高46、47メートル程度のところをサッと越えている。他のルート取りでは、曲線半径がきつくなったりすることだろう。


(カシミール3D+数値地図25000+10mDEM。クリックすると拡大へのリンク)

冒頭の鳥瞰図の位置から、レンズを50mmから135mmに変えてアップしてみる。もう「ここしかない」とうのがよくわかる。

昭和40年代以降ならば、もっと手前から長大トンネルを掘ってしまうだろうか。



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『北斗星』廃止によせて

鉄道

2015年8月23日朝の上野着で、寝台特急『北斗星』の運行が終了した。いわゆる「ブルートレイン」は、これで終わった。

子供のころがブルートレインブームのまっただ中だった。南正時さんの本で、憧れた。同級生のH君が、毎年、新潟から山口県まで帰省していて、そのたびにいろいろなルートで、例えば「つるぎ」から新幹線とか、「とき」から九州ブルトレだとかに乗っていて、本当に羨ましかった。

のちに鉄道趣味から離れても、学生時代に「一度、寝台特急に乗ってみたい」と思って乗ったのが『富士』だった。B個室寝台。九州ワイド周遊券を使い、帰りは『みずほ』のB寝台に乗った。寝台券は残っているが、写真はない。



『北斗星』に初めて乗ったのは、1996年12月、B寝台。この時は旅行だったので、最初で最後のレストランディナーを食べた。車内販売が、東海道新幹線の車販時代の同僚だったのには驚いた(会社はまったく異なる)。

 (写真は落部→野田生の北斗星1号、2003年10月5日)

次に乗ったのは2002年1月。『「北斗星」乗車456回の記録』(鈴木周作著)でも書いたが、このときは煮詰まった日常から抜け出すべく乗ったのだ。それから何度か乗り、何度か写真も撮った。たいていは3連休の直前でもB個室が取れるくらいの空き方だった。ラウンジもガラガラだった。函館駅での解放・連結作業も、写真を撮る人などおらず、私も、見てるだけで撮らないことも何度もあった。

 
(函館駅 列車番号不明 2005年10月13日)

北斗星は、乗っても、撮っても楽しい列車だった。もう一度乗りたかったが、狂騒じみた雰囲気になってしまっているようで、とても落ち着かない。なにより、寝台券が取れない。残念だが、遠くから思いだけを馳せている。


●関連リンク
北斗星ニセコスキー




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廃止になった終着駅前にあった丸善

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般


かつての国鉄相生線北見滝ノ上駅近くの国道沿いに、丸善石油が残っていた。

壁のツバメマークが二重に見える。

計量器にもツバメマーク。計量器の一つは使用期限が昭和59年8月となっていた。北見滝ノ上駅の廃止は昭和60年3月末限り、それより先に給油所が閉店してしまっていた。



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上興部駅跡

駅舎


 
名寄本線の上興部駅の駅舎が保存されている。

 
中は資料館となっている。待合室側には窓口も美しく残っている。

周辺はそこそこ人も住んでいるが、かつてはもっともっと人がたくさんいた集落だったことがわかる。ここには上興部石灰砿業所の専用線も描かれている。

 
 
展示資料の中でも興味深いのがこれ。気動車とDE10の操作シミュレーションパネルだ。正しい順番でスイッチを操作していくと、パネル上で動輪が回ったりメーターが動いたりするのだろう。

 
ホーム側にはキハ27と、DD14のロータリー前頭部が保存されている。キハ27は連結器とスノープラウが失われているために、人間でいえば頭蓋骨の下顎骨がないような、おかしな印象を受ける。また、DD14の前頭部は、逆に下顎骨しかないような印象。

wikipediaにアップされている現役当時の駅舎の写真と見比べると、信号テコ小屋がなくなり、テコ類は移設されているように見える。





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