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国道112号 名川橋

プラットトラス


国道112号を走っていると、美しいプラットトラスが目に入った。しかし、国道は右カーブの別の橋を通っている。手前の交差点名は「新名川橋」。つまりプラットトラスは旧道だ。橋梁史年表によれば、橋長66.1m。216フィートクラスだ。

渡るのは、朝日連峰に発する赤川(※地形図での表記。後述)。月山道路沿いの梵字川のほうが本流に感じてしまうが、この赤川が本流だ。写真奥(トラス側)が上流、手前(新道側)が下流。

右岸。旧道は、新たな床版とともに歩道となっていた。新道にも歩道はある。ということは、あえてこのトラスを残しているのだろう。右のみ、親柱がある。それを見ると…

「大鳥川」とある。赤川が梵字川と合流する地点(ここ)より上流を「大鳥川」というのだが、地形図では「赤川」になっている。

端柱、縦に張られた板は補強の部材。左側の端柱にある銘板は、こう。(原文はすべて右書き)

東京
株式会社
桜田機械製造所
昭和五年製作


トラス端部を見ると、きちんと落橋防止の地震対策がなされている。格点にガセットをボルト留めし、そこから橋台にチェーンが延びている。





歩道の上流側と下流側。下流側には、U字を伏せた形の金属の覆いが、しっかりとした新しい床版の上に延びている。なんだろう?


 
左岸側。こちらには親柱がある。左には「名川橋」、右には「昭和六年六月竣功」。

しかし、左岸の特徴は、その取り付き道路である。

このように、左岸と橋は、道路をほぼ直角にしてつないでいるのだ。往時はさぞかし渋滞したことだろう。

では、いつころ新道に切り替わったのかというと…
 
新名川橋の銘板には「昭和49年11月完成」とある。意外に古い。



上述の、名川橋右岸のしゅん功次の写真が、東北芸術大学のアーカイブスにあった。

やはり、左岸は急カーブになっていたようだ。







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吊橋ならぬ吊り階段

吊り橋

最上川左岸の山形県道9号を走っていたら、対岸に吊橋の主塔のようなものが見えた。でも、よく見ると、吊っているのは斜めの桁で、階段のようだ。

これは国道287号の道の駅「白鷹ヤナ公園」の施設で、ヤナに下りる階段だ。階段を設置する際に法面を工事しなかったのは、環境を守るためか、あるいは最上川が増水したときに備えてか。

吊橋のように、主塔を介して向こう側にケーブルが延びている。






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弥彦線越後大崎駅の駅名標だったもの

鉄道


5月に、上のようなツイートが流れてきた。手元にある「弥彦線 東三条・越後長沢間 さようなら入場券」を見ると…

古レールで組まれた「鳥居型」の駅名標の横木にある、本来は電灯がある場所がのっぺらぼうになっているので、これと同じ駅名標なのは間違いないだろう。これがどこにあるのか、探しに行った。探し回らなくてはならないかな…と思いつつ国道289号と県道の交差点にさしかかると…

すぐわかった。写真の道路は県道。写真奥を左右に横切るのが国道289号。左端はコンビニ。

いや、なんとも見過ごしそうなたたずまいである。表面は駅名を塗りつぶしたのではなく、板を当て、ボルト留めしている。

裏から見ると、こう。ナットが見えている部分が鉄板で、表面の板を剥がせば「えちごおおさき」という文字が残っているに違いない。

駅が廃止になると、駅名標は真っ先に取り外される。場合によっては保存される。だから、このように「野良」で残っていることは、なかなかない。新津鉄道資料館にでも連絡してみようか。



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青と小豆のバックスラッシュ キグナス石油の旧デザイン

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

どちらかというとSS数はあまり多くないキグナス石油。近年は防火壁もキャノピーも真っ黄色になってしまったが、栃木県の国道沿いに、青と小豆色の古いマークを掲げているキグナスがあった。

正面に回ると、ちょっとキャノピーの無骨さが目立ったので、そっと横から。

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観音橋

ポニーワーレントラス

日光宇都宮道路に乗らず、R119にも乗らずに鬼怒川温泉方面に行くために県道77号を走っていると、新しい付け替え道路に出た。一瞬「平成27年4月1日から通行止め」という看板のある小道が左に見え、そのまま鬼怒川を渡りながら上流を見ると、3連のトラス橋が見えた。旧道だ。写真奥が上流、右が左岸・北東、左が右岸・南西。

左岸に行ってみると…。

単管パイプと柵で閉鎖されていたが、美しいポニーワーレン…と思いきや、土木学会の『橋梁史年表』では「単純トラス」とある。この、上弦中央で左右を結ぶ横構があるだけで「ポニー」にはならないのだろうか。

左の親柱には「観音橋」とあり、それに続く袖(?)には「栃木県建造」「昭和三十年五月竣功」「請負者 坂寄建設株式会社」の銘板がある。右の親柱には「鬼怒川」。
2015年4月からは新道が開通しているようだが、GoogleMapsを見るといまだにそれがなく、こちらがメインルートとして描かれている。

左岸はこの地図のようにクネッとしていて、そのたもとに「観光荘」がある(「観音荘」ではない)。そして、その一角に、石碑がある。

「観音橋竣功記念碑 昭和三十年一月吉日 栃木県知事 小平重吉」。裏面は観光荘の敷地内に入らねばならない感じだったので、見ていない。

さて、右岸側である。このように通行止めとなっている。

冒頭のように桁橋なのだが、冒頭写真をご覧いただくと、桁橋もトラス橋もスパンは同じように見える。橋梁史年表を見ると、1954年時点では36.8mトラス橋3連のみだったものを、1961年に32mPC桁4連を延長したとある。残念ながら、1954年時点の空中写真はweb公開されていないようだ。

この観音橋は閉鎖されているので、トラス橋ともども撤去される日も近いだろう。








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共同石油 青・赤・オレンジ・赤

JOMO/共同石油

宇都宮の側道を走っていたら、共同石油の壁があった。残念ながら、落書きがなされていたが、比較的鮮やかに青と赤のGが残っている。

サービスルームもピットもガランドウ。ピットの中は、このような派手なストライプ。

キャノピーは骨だけ残り、まるで中古車店の飾りアーチのよう。その下に、土地改良区のプレハブが建っていた。




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新潟県塩谷川のサイボーグ堤防 

閘門・水門・水路

人面橋 路傍に見つけた田中角栄の揮毫の続き。その人面橋が渡る塩谷(しおだに)川の異様な姿に驚き、クルマを停めたら田中の揮毫を見つけた、という流れ。平成16年7月新潟・福島豪雨でも大きな被害となったが、平成23年7月新潟・福島豪雨を受けて新潟県による塩谷川災害復旧助成事業となり、河床掘削や堤防強化がなされている。

その「堤防強化」の具合がご覧のとおりで、サイボーグ化した堤防とでもいうべき姿になっている。堤防の高さが違うのは織り込み済み。

川が白フチで括られ、蛇行が視覚化された。




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人面橋 路傍に見つけた田中角栄の揮毫

橋梁一般

旧栃尾市の国道290号にかかる人面(ひとづら)橋。またいでいるのは塩谷川という、刈谷田川の支流である。あろうことか、この橋の構造がなんであるかを確認していないのだが、この橋からふたつ、話題がある。一つ目は、この橋の銘板である。

写真は、北から南を見たところ。とくにこの橋は気にも留めず、塩谷川を見たかったのだが、親柱をふと見て驚いた。

 
左の親柱には「人面橋」「大蔵大臣 田中角栄書」。田中が蔵相を務めたのは1962年7月から1965年6月、第2次池田第2次改造内閣から第1次佐藤内閣までの約3年間だ。

右には「県道長沢栃尾線」。県内には長沢という地名はいくつかあるが、ここではR290のルートから考えると、三条市の長沢だろう。弥彦線の廃止区間の「越後長沢」の長沢だ。「国道 ここまで」も長沢地区だ。この区間が国道に格上げされるのは、1970年4月1日である。こちらの揮毫も田中によるのだろうか?


南側の親柱を見る。
 
左は「ひとづらばし」、右は「昭和38年2月14日竣功」。昭和38年は1963年、先の田中が蔵相として揮毫した期間にあっている。

田中は、1965年6月に党幹事長に就任する際に大臣を辞してから1971年5月に第3次佐藤改造内閣の通産相就任まで、閣僚ではない。もしその間に橋が完成していたら、この銘板はどうなっていたのだろうか。「自民党幹事長」として揮毫するわけにもいくまい。そういう意味では、タイミングがよかった橋といえるだろう。


護岸工事の考に続く。


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「国道 ここまで」

道路全般

とても顔色の悪い国道標識。「現像時にコントラストを上げすぎた」などではなく、実際に薄汚れているのだが、なぜか「おにぎり」に補助標識「ここまで」がついている…?

しかし、道路は正面に十字路の交差点。その向こうの青看は…

左折方向に国道290号が続いている。ということは「おにぎり」の下の矢印は「ここまで」ではなく「矢印の指す左方向に国道290号が続いているよ」という意味だとしか考えられない。しかし、方向を案内する場合は、もっと天地が大きいはずなので、まあ、代用したのだろう。

・下記リンク先の「511」参照
http://www.mlit.go.jp/road/sign/kijyun/kukaku/bpkukaku02.html#annai


なお、この交差点までが時速40km制限で、左折語は50km制限になる。そのため、本来は「40」と書かれた速度制限があり、その補助標識で「ここまで」があったのかな、そこから「40」だけが脱落したのかな、などとも考えた。通常、「おにぎり」と規制標識が同じ柱に乗ることはないのだが、稀にはないこともない。…などというのは考えすぎかな。




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「マイ橋」にしては立派な(?)木橋

木橋

DPZに『「マイ橋」に夢中』という大山顕さんの記事がある。今回の橋は、これに類するものではあるのだけれど、いささか規模が大きいと思う。

「マイ橋」はプライベートなものなので、場所は、山形県のどこか、としておこう。写真のような木橋があった。最初、これが「マイ橋」だとは思わなかったのは、その向こうに普通の鋼ガーダー橋が架かっているからだ。

橋台はしっかりしたコンクリート製。そこに電柱のような丸太を2本平行して渡し、その上に横桁をかまして、さらにその上に2本平行して渡し、さらにさらに横桁をかまして上に床版を敷いているようだ。縦桁たる丸太には、雨よけに金属板がかぶせられている。橋台から、方杖が出ている。

床版にはタイヤの跡。ということはクルマが乗っても大丈夫なだけの強度はあるようだ。もっとも、中央部が垂下しているけれど。

床版と道路の段差を埋めるコンクリートには、「17」「5!25」(?)と刻まれていた。なんだろう?




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