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下北半島の東側の国道はバイパスであり、並行する旧道に町並みが広がる。下北半島というのは、おそらく多くの都会人が想像するよりもずっと人口が多く、町の規模も大きいが、ここもその一つだ。

 
北向きの壁に、丸善石油の痕跡があった。端部が階段状に切り取られている。現役時代にはツバメが欠けるようには描かないだろうから、廃業後、欠き取られてしまったものだろう。

一度はクリーム色に塗り込められたようだ。しかし、それは剥がれてしまい、元のデザインが浮かび上がってきた。強い。




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小さな倉庫の、妻面いっぱいの木製扉。これは引き戸ではなく観音開き。察するに、南京錠だけでは扉の重さに負けてしまうためだろう、閂が使われている。強く引っ張れば錠に関係する金具を固定しているネジごと引っこ抜けるだろう。

菱形に貼られた板は、実に凝っている。45度ではなく、もう少し角度がついている。

 
小さい、かわいい。いまならシャッターになるだろうな。

 
これくらいかわいい。




 
南北方向に走る旧道に残っていた三菱石油。防火壁のスリーダイヤモンドは、南と北に面している。これは南を向いているほう。現役かと思うほどにきれいに残っている。

 
北を向いているほうは、隣接する建物の都合か、折れ曲がった防火壁に、折れ曲がった三菱がいる。


日の長い時期である5月初頭の16時でこの日の当たり具合。なるほど、直射日光にさらされる時間は短そうだ。

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とくにそのままになっていそうなサービスルーム。付近の人によれば、相当昔に閉店となり(それはそうだ)、時折、写真を撮っていく人がいるそうだ。




 
ようやく、むつ湾フェリーの「フェリーかもしか」に乗れた。この航路は、津軽半島の蟹田と下北半島の脇野沢を結ぶもので、バイクのツーリングでは、ついそれぞれの半島を1周しようとするため、これを利用すると一部をはしょることになる。そういうわけで、津軽半島、下北半島とも何回かずつ走ってはいるが、利用の機会がなかった。上の写真は脇野沢港だが、乗ったのは蟹田港からだ。

このフェリーかもしかは新潟鉄工所製。つまり、ぼくの実家から徒歩圏内で建造されたということだ。なんだかすごく嬉しい。

 
朝イチの蟹田発の便。前日に予約しておいたので、万全。「10連休」のGWなので、けっこうな観光客のクルマ。率直に言って、意外。

 
 
車両甲板。バイクは船体に斜めに押しつける形で止める。ランプウェイは船首と船尾にあり、蟹田からは後入り・前出し(何か名称はあるのだろうか)。

 
 
総トン数611トン。客室も外部デッキも狭いが、とはいえデッキから見下ろすと、それはそれは大きく感じる。客室は独立シートで、桟敷はない。

 
操舵室に貼られた「むつ湾の事故防止のために【ほたて貝・たら底建網等の漁場位置図】」。湾に浮いたブイの間は100mもない。そんなところを操船していく。海が荒れた日などは視界も悪く、相当に難しいのではないか。

船の旋回窓の支柱は横。鉄道用の旋回窓は縦。覚えておくといいよ!
 
(加悦SL広場のキ100)

 
この航路は、カマイルカが寄ってくることで有名だ。このときも何頭かが並走してきた。

 
先に「前日に予約して」と書いたが、フェリー乗り場にテントを張った。すぐ近くに夏期だけ営業するキャンプ場があり、オフシーズンでもテント張ることくらいできるだろうと当てにしていたのだけれど、近寄ることすらできなかった。

たまたま、フェリー乗り場と国道の間のスペースが、無料駐車場で、トイレもあった。最初はそこに張ろうかと思ったけれど、ここはおあつらえ向きに芝生だし、ベンチもある。ありがたくここに張らせてもらった。別にクルマが1台、わいわいやっていた。

20時ころか、パトカーが巡回に来た。テントから顔を出し、敵意のないことを示す。パトカーは停まりもせず、職質も受けなかったが、以後、何度も回ってきた。

 
これは2000年7月上旬の東北ツーリングで、脇野沢で撮影したもの。乗ったわけではない。このときは港の片隅にテントを張った記憶がある。














 
1995年夏の北海道ツーリング。「えさしYOUの思い出」で書いたえさしYOUに2泊した中日、枝幸から宗谷岬を往復した。300kmも走っていない。初めての北海道ツーリングだったので、「なんともったいない!」と思ったけれど、時間に余裕があったというか、こういうところにも立ち寄った。

車輌はキハ22 142(とは読めなかったのだが、FBにてご教示いただいた)。場所は、おそらく天北線や興浜北線の廃線跡「ではない」場所だと思う。なぜならば、国道から見える位置にあったからだ。

灯油タンクの位置、なんとかならなかったのだろうか…。

 
車内は、片側は座敷となり、片側はシートを置き直してテーブルを配している。奥は厨房かどうか、ちょっと覚えていない。もしかすると、実際の調理は1枚目の写真の左の建物でしていたかもしれない。

このキハ22の情報がネットにはあまりないので、今回アップした。2007年までは車輌が存在していたようだ。場所がわからなかったが、幟に「菅原水産」とあるので検索すると、出てきた。やはり、元の線路上ではなく、移設したもののようだ。2014年のストリートビューまでは、ホームが残っているが、2018年のストリートビューではなくなっている。
















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