鬱々とした閉塞感から少しでも逃れたくて、それでも女々しく仕事道具も鞄に入れて18きっぷで日帰り途中下車のタビ。
水郡線の木造駅舎や、あまりにものどかな無人駅の開放式(?)待合室で和めればとおもったのだが、今日は寒くてそれどころじゃなかった。 常陸大宮駅近くの民家の軒先にあった看板。商店だったようには見えない建物だった。 こうして撮影してきて、さて月星の地下足袋はいつまであったのか、などと検索してみると、まだ普通に売っている。そして、「日華ゴム」で検索したら、これまた月星の旧社名だった。下記からすると、この看板は1949年以降1962年までに掲示されたもので、最低でも48年はここにこうして貼り付いている。その割にはきれいである。 ●月星=ムーンスターの歴史 1873 つちやたび店(個人商店)
↓ 1917 つちやたび合名会社 ↓ 1928 月星マーク制定(後述) ↓ 1931 つちやたび株式会社。社歌は北原白秋作詞、山田耕筰作曲。 ↓ 1939 日華護謨工業株式会社 ↓ 1949 日華ゴム工業株式会社 ↓ 1962 月星ゴム株式会社。氏家工場稼働(←常陸大宮に近いといえば近い) ↓ 1972 月星化成株式会社 ↓ 2006 株式会社ムーンスター なんでこんなにしょっちゅう社名を変えるのかは詮索すまい。 コンバースオールスターをライセンス生産していたなんて知らなかった。オールスターは何足買ったことか。初めて買ったのは1985年で紺、以後10足以上は買っている。最近はまったく履いていないが、まだ靴箱に1足あったような気がする。 あああ。看板一枚でいろいろと勉強になるものだ。実は月星がコウモリマークを使用していて、そこから日石のコウモリマークを連想して、「新日本石油 写真で見る120年」にあたって、本来やろうとしていたことそっちのけで読み始めてしまったのだが、もうやめておく。 仕掛品がたくさんある。こんな記事でお茶を濁さず、4月中にはいろいろ片付けたいと思う。
大月橋~新第2桂川橋梁の続きは後日。
今日、カルカルで開催された『車両基地ナイト』に行ってきた。満員イベント、新幹線の車窓ナイトの著者にして私の仕事仲間である栗原景氏と、ダムの第一人者にして写真集『車両基地』の著者、萩原雅紀氏のトークライブである。お二人とも面識があったわけではないらしい。 写真集に収録されなかった写真を大写ししながら解説し、たまに笑いのツボを刺激しながらトークが進む。 栗原氏からは、雑誌の取材で訪れた小田急の検車区を、外から眺められない点で笑いをとりつつ、中の人がなにをしているのかという、一般人が見ることができない作業をレポート。そんな感じで1部、2部。 第3部では、大阪の鳥飼車両基地ネタ。鳥飼を俯瞰できるように大阪モノレールが走っているのだが、萩原氏も栗原氏もほぼ同時にそれぞれの著書のためにそこで撮影していたらしい。萩原氏は撮影のために5往復(だっけな)したと発言したところで、栗原氏が動画を上映。なんと12往復したらしい。 この「12往復」、ただ言葉で聞いたら、ああ、すごいね、でしかない。しかし、作り込んだコミカルな動画を見れば、恐ろしいほどの笑いに昇華する。 この作り込み。膨大な労力を要するものだとは思う。しかし、見る人を意識すると作ってしまう。作りたくなってしまう。作らなくてはいけない。そんな思いなのかもしれない。そのおかげで、会場は沸き、イベントもスムーズに進行する。 私の仕事にも当てはまることだ。ただあるものを出すだけではまったくダメ。単なる解説が入るのは少しマシ。でもお金をいただけるほどではない。見ている人が共感できる解説が入るとかなり素敵。「おもしろさ」がヲタ的な観点ではないところなら、より素敵。そして、この動画ほどになると、お金を払って見る価値が十分にある。 人の興味というのは詰まるところエンタテインメントを求めることがほとんどなのだから、その本質は、手間をかけるということなのだろう。その手間の方向が正しければ、必ず開花する。 車両基地。 工場と同じで、夜景こそ、ということを改めて知った。そういえば、水銀灯で緑色になったポジは多数所有している。それを美しいとは思っても、それをメインにすることに考えは及ばなかった。そこに気づいた人が、先陣になれる。いくつかアップしようと思ったが、なぜかどれもマックからwinに持ってきた事典でファイルが破損している。破損してないのが2枚しかなかった。上は田端、下は東新潟。田端は、確か、ハイエースの屋根に登って三脚立てて撮った。もっといいカットがあるのだが、自分のPCでは見られるのにアップできない。東新潟のは跨線橋から。正月でヤードが機能を停止したときに、タイミングよく雪が降っての1枚。
別に橋の写真を撮りに行ったわけではない。
下に続く、北上線の深夜の貨物列車に取り組んでいたころの撮影のおまけである。場所は錦秋湖。写っているのは第2和賀川橋梁である。 ポジの時代、つってもまだ数年前RHP3かRXPを+3増感し、たぶん200mmで1/50f2.0くらいで撮っていると思う。データはマウントを見ればわかるはず。 深夜の錦秋湖は真っ暗であり、この赤いトラス橋もまったく見えない。だから、貨物列車を撮りたいと思っても、レンズを向ける方向すら不明である。このカットは、このあとにくる貨物列車を撮影するための「位置決め」と「ピント合わせ」として撮ったものである。 真っ暗闇に中に潜んでいた赤いトラスは、列車が渡り始めると、そのヘッドライトで突如として浮かび上がる。そして列車が過ぎゆくとまた闇の中に帰る。一瞬だけ生を謳歌するかのようなその存在感は、まるで通行のごく少ない隧道のようだ。 本来撮りたかったのはこちら。 いろいろ条件を試した。雪の季節なら、街灯があれば雪がレフ板代わりになるかもしれない。街灯があれば、車体を照らし出すかもしれない。街灯のないところでは、DD51のヘッドライトしか明かりがないのだから、それが映し出すものがDD51らしさを出せばいい。 そう思いながらも、意外に列車が速いためにピンぼけも量産した。デジではないので1カットいくら、と考えてしまい、むやみに連写はできない。 でも、結局、満足のいくカットは1枚たりとも撮れていない。そしてデジの急激な普及とともに、夜感撮影への興味は急速に薄れた。ここに掲載した写真はポジを民生用スキャナでスキャンしたものなので、粗さと色調のおかしさが加速している。 『夜感鉄道』とは山崎友也氏のテーマおよび写真集の書名である。非常にいいタイトルだと思う。氏の写真展にお伺いしたことがあるが、本当に素敵だった。 |
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