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道東の町で見かけた木造の大きな倉庫。住宅の1.5階建て分くらいの高さがある割には入口の扉は小さい。どういう用途なんだろう。

道路を走っていて「バツ形だ!」と思ったものの、それは補強の斜材であり、板そのものは長手方向に貼られていた。

 
屋根が傷んでいる。

 
中はどうなっているんだろう。
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片流れのような、特徴的な屋根を持つ簡易郵便局。2022年から一時閉鎖となっている。

 
正面からだと煙突が1本に見えるが、横からだと2本あるのがわかる。

 
太陽光パネルが貼ってある。側面の窓割りからしても、簡易郵便局というよりも通常の郵便局のような規模感。

その横には留辺蘂町道のダートが伸びる。

 
enpty sign.






永太郎さんこと重永瞬さんが、twitterにY字路の類型の画像をアップしているのをみて、何か起こるかな? と期待した。三土さんのDPZ記事「道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる」を踏まえた「道路を方角ごとに色分けした地図を鑑賞する会」のような「地図的なおもしろさ」にも出演しているので、そういう記事か何かが出るのかと思ったら、書籍となってまとまって驚いた。

Y字路だけで1冊。すごい。『街角ガードパイプ図鑑』(岡元大)みたいだ。「地理・歴史雑学」だけではないだろうなと予想しつつ手に取ると、「地図・都市鑑賞」というべき構成で、ライトながら裏付けのある記述にあふれていた。

章立てはこうだ。
第1章 Y字路へのいざない
第2章 Y字路のすがた -路上の目(※磯部メモ:「路上」!)
第3章 Y字路はなぜ生まれるのか -地図の目
第4章 Y字路が生むストーリー -表象の目
第5章 Y字路から都市を読む -吉田・渋谷・宮崎
第6章 Y字路とは何か

第2章から第4章の副題が本書の要諦だ。路上で鑑賞する/地図で分類する/表象を考える。巧みかつ簡潔な構成だ。



私は、優れた都市鑑賞の本(WEB記事などももちろん含む)には読者が勝手に話を継ぎ足したくなる要素があると思っていて、本書はまさにそれ。読者は千人が千人、それぞれのY字路を思い浮かべるだろう。生まれ育った街だったり、いま住んでいる街だったり。

 

私にとっては新潟市のここだ。右が元からある道、左が新道。左はすぐに左への分岐があり、そこから砂丘を登ると中学校だ。分岐を曲がらずにまっすぐいえば、「鶏の半身揚げ」を全国区に有名にした「せきとり」がある。もともとは地元の飲み屋で、町内会やPTAの会合はいつもここだったようだ。



本書を読んで勝手に話を継ぎたいことが2点ある。橋の角度とクルマからの観点だ。

【1】橋の角度…大淀川が真東に向かっていたら?

第5章で語られる宮崎市のこと。橘橋の角度によって規定されているのだが、ではなぜ橘橋はこの角度なのか。

 
今昔マップより)

それは、「大淀川と直交するため」である。河川を横断する場合は、基本的に直交する。上の地図に描かれた橋を河口から順に見れば、そうなっているのがわかるだろう。やむを得ない場合は斜めに架けるし、そういうケースも少なくはないが、原則は直交だ。特に長大橋梁が難しかった時代、つまり時代を遡るほどにそうなる。

宮崎市の道路を規定した橘橋。橘橋を規定した大淀川と土木の基本。スケールを小さくしてみると、見えるものが変わるおもしろさがここにある。

【2】クルマから考えるY字路

道路交通にとって、Y字路は好ましくない存在だ。「分岐する側」ならいいが、逆だと、交差する道路が鋭角になってしまう。見通しは悪いしクルマの最小回転半径からして難しい。また、信号があるとしたら、たいていは変則的な表示になる。

都心の新道でも郊外のバイパス新設でも、そういう理由からだろう、Y字路にせず、旧道との接続部を修正してT字路にしてしまうことがある。たとえば現在事業が進んでいる環状4号の早稲田あたりを見てみよう。

 
(東京時層地図に加筆)

かつてグランド坂は早稲田通りに直結していた。環状4号とグランド坂は鋭角の位置関係だが、交差点を大きく作り替え、グランド坂は早稲田通りではなく環状4号に接続する形にした。そのためにグイッと接続部が曲げられている。しかし、こうしたほうが交通整理がしやすく、安全であることは、現地に立てば実感できるはずだ。

■関連項目:環状4号線(早稲田通り-新目白通り-不忍通り)



本書では、「あっ、これ、自分も意識していた!」ということが多々掲載されている。それが個人的には嬉しい。同じセンスを、かなり世代が違う著者と共有しているという勝手な喜び。P128の『時をかける少女』のY字路標識、私はキャプチャして保存してあったはず。でも映画の場面をツイートするのはためらわれて、どこに保存したかもうわからなくなってしまった。(※キャプチャもいけないと思われますが…)

最後に、あまりないというY字路注意の標識と、その変型を。

 
北海道の鬼志別。村営牧野に立っていたY字路標識。

 
こちらは長野県の権兵衛街道に立っていた、Y字路標識を逆さまにしたと思われる標識。この先で左から来る道と鋭角に合流するのだが、そこで死亡事故が起きたと現地に掲示してあった。それを踏まえて設置されたのだろうと推測する。なお、逆向きには標識はない。



みんなで「見せたいY字路」を持ち寄って発表しあいたい。おおいにそんな気にさせてくれる本だった。

『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永瞬/晶文社)







(カシミール3D+スーパー地形+地理院地図)

凸凹地図を見てもらったほうが早い。疏水百選の一つ、稲生川。十和田市の三本木原を潤し、太平洋に至る全長40kmのこの川は、すべて人工河川だ。火山灰の地質であることなどから稲作にはとても向いていなかったこの地に導水するために作られた。新渡戸稲造の祖父、新渡戸傳(つとう)である。

 
青森県道40号を走っていたら、交差点に「幻の穴堰」と書かれた小さな看板が目に留まった。いったん通過して、気になるので戻り、そちらに曲がった。すると道沿いに看板がある。

 

冒頭の地図のとおり、この地には2本の水路トンネルがある。幕末から明治末までに作られたのは稲生川のほうで、その北、標高差12mほど(らしい)高い位置を並行する「国営水路」は昭和に入ってからの建設だ。その国営水路の計画以前に、南側にもう1本を掘ろうとしたが、未成に終わった。その横穴が「幻の穴堰」して残されている。

 
すぐそこに穴が空いているらしい。しかし、予備知識皆無であり、盛夏・猛暑+水が流れ出てきているため、足元はぬかるむし猛烈に蒸し暑い。なので見学はできずに退散。

この穴堰や稲生川については、農水省のYouTube動画が2本ある。


参考/三本木原開拓の歴史

【こんな本も作っています】
 









 
青森県の小さな半島の縁を回っていて出会った、小さな元esso。小振りで瀟洒な雰囲気はとてもアメリカ的とも思えるが、道の狭さや民家、そして左の急傾斜地の処理を見ると、やはり日本だ。日本に溶け込んだアメリカのセンス。




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