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かつて月イチ以上の頻度で行っていた、諏訪湖南側、入笠山周辺の林道群。十数年ぶりに行ってみると、どこも閉鎖されていて、やむなく芝平峠から南に下った。 途中に芝平という集落跡があり、それはまた別項に譲るが、人が住むエリアまで下りてきたところで山室川を渡る。山室川は美和ダムの堤体直下に注ぐ川だ。 ローゼにするほどのスパンか、と思うけれど、当時はこれが最適解だったのだろう。きれいに補修された跡がある。親柱もつけかえられているようだ。残念ながら右岸側には銘板はない。 左岸川左(下流)には「きたがいとばし」とひらがなの銘板がある。「ばし」と濁っている。橋の銘板は、実際の名称とは関係なく、「濁る」のを嫌って「はし」と清音としているものが多い。 サイト「河童倶楽部」の記事を見ると、かつては左岸右側に古い親柱があり、この銘板が貼られていたようだ。全体的に古びた姿がサイトに見える。「河童倶楽部」の管理人さんとは、10年ほど前に『どっちマニア』というテレビ番組でご一緒したことがある。精力的なブログ記事、尊敬しています。 PR 長野県小谷村にある、国道148号旧道にある3連のコンクリートローゼ。長野県の同種の橋の御多分に漏れず、中島武の設計によるものだ。訪ねたのは2023年2月。写真は右岸から。 右岸側。 左側の親柱は失われたか、新しい。そこに土木学会選奨土木遺産のプレートがはめこまれ、解説の立て看板がある。右の親柱にはラウンドした面にラウンドした銘板「ひめかわはし」。 端部のてりむくりというか、サインカーブのように見せる下向きの凸は装飾だろうが、これがあるおかげでとてもスタイルがよく見える。 左岸側。親柱はない。対岸、水平に横切るシェッドは現在の国道148号バイパス。 左が糸魚川側、平倉トンネル。 下流側を見ると、姫川第三ダムが見える。「ダム」と呼ばれるが、堤高は8.6mのため、河川法上では「堰」だ。ここで取水し、下流の北小谷駅付近の姫川第三発電所で発電する。 ●関連項目 通橋と姫川第二ダム 大糸線第一姫川橋梁 鉄道・道路併用洞門 平岩洞門 益田市内の、高津川河口部に架かる5連のコンクリートローゼ。写真は左岸から見た下流側(北側)で、対岸側が桁になっているのがわかる。 順光となる上流側は、残念ながら後付けの歩道橋と街灯がある。 親柱、左は「たかつのはし」、右は「高角橋」。 右岸、桁橋部分。カンチレバーとなっているのは、特にそこのスパンが大きいわけではないので、不同沈下対策か。 定着桁の張り出し側には支承がない(?)。ローゼと突合する側にはピン支承。 右岸側の親柱。後述する延長時に移設したのか、それともその時に設置されたのか。左岸と同じ銘板と配置。 さて、ここに「扛上並びに継足工事 昭和二十六年七月竣功」という銘板がはめ込まれている。島根県の資料によれば、1942年に5連のコンクリートローゼとして完成した翌年、この橋が原因で上流に水害が起こり、上流の堤防を決壊させた(おそらく橋脚・橋桁に流木等がひっかかり、堰き止める形となった)。そのために、1.1~1.6mの扛上と、川幅を70mに拡幅する工事を行った。その際に、溢流部にカンチレバー形式で桁橋を延長したものだ。歩道の完成は1968年。 とはいえ、バスが通る際には橋の手前でいったん停止し、対向車に大型車がないか確認してから進んでいる。橋の上での大型車の行き違いは困難なようだ。 普通、コンクリート橋は塗装したりしないものだが(錆びてしまう鉄と異なり、塗膜で保護する必然性が薄い)、コンクリートローゼは塗装されたものがいくつもある。この意識がおもしろい。 「央橋」と書いて「なかはし」と読む。常陸太田の国道の旧道が渡っている。 南側。ウェブとリブで塗り分けられている。 コンクリートの色に似つかわしい雲の色。この日から晴れが5日続くという予報だったのでバイクで出たのだが、この後、一瞬、土砂降りになり、カッパを着る間にびしょ濡れになってしまった。 南側。 親柱は右書きで、左に「央橋」、右に「里川」。親柱から飛び出した意匠は、見た目の安定化を出すためか。 北側。 親柱、左は「なかはし」、右は「昭和十二年十一月竣功」。 説明看板によれば、地元では「めがね橋」と呼ばれているとのことだが、ほんとかな。2連の上路アーチが水面に映ると、二つの円が並ぶ(「○○」となる)から「めがね橋」と呼ぶんじゃないのか。 |
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