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方谷(ほうこく)駅そばにあるのは中井橋だが、この方谷橋は高梁市街地にある。どちらも幕末の儒家・陽明学者である山田方谷の生誕地にちなむもので、駅は生誕地、橋は方谷が使えた備中松山藩(高梁)ゆえか。
3径間の橋で、一見、中央径間だけがランガー桁であるかのように見える。現状、写真左からスパン11.5m、56m、32.4m。ランガーの桁部分と前後のプレートガーダーを見ると、プレートガーダーは側面の意匠が違い、ランガーの桁がプレートガーダーに食い込んでいる。カンチレバーである。側面の意匠が違うのは、側径間が更新されているからであり、当初よりあるのはランガー桁のみだ。 歴史的鋼橋集覧によれば、1972年に橋長の変更と側径間(吊り桁)の交換が行われている。それ以前は、図面を見る限り、側径間の側面もランガー桁の桁側面と同じくウェブが入ったもののようだ。 側径間のプレート。左は
左側、銘板に橋名まで入っているのは珍しい。 平行する歩道橋から、接合部を見る。これは西詰めの北側。通常、吊り桁は上に乗っかるだけだが、ここでは下に支えがある。ボルト等を見ると後付けであることがわかる。この耐震工事は2000年に行われたもののようだ。 東詰(国道側)。親柱左は「高梁川」、右は上が「方谷橋」、下が土木学会選奨土木遺産の銘板。 うっかり西詰の正面を撮っていないが、左の親柱のみ掲載する。「昭和12年3月架橋 昭和47年3月補修」という複合のもの。右は「ほうこくばし」。様子からするに、銘板類はすべてこの時期に同時に製作されたもののようだ。 PR
軒下の三菱の続き。
高梁川にはすてきな橋が多いが、どれも、1934年の室戸台風による橋梁流出後に架けられた橋である。この井倉橋もその一つ。 ランガー桁とされているが、通常、ランガーは補剛桁が太くてアーチが細い。この井倉橋は補剛桁は細い。床版の下が補剛桁か…とも思うが、ランガーとはタイドアーチの一種だから、それは違うのだろう。 写真は北詰から。 親柱などはない。 スキューしているので、いささか感覚が狂う。 北詰、左側に銘板がある。位置が悪く、写真を撮りづらい。 東京
株式会社
桜田機械製作所
昭和十一年製作
南詰。やはり親柱はない。スキューしているので非常に撮りづらい。 これくらいの角度である。
住吉橋は、広島市内の本川(太田川が最下流でいくつも枝分かれしたうちのひとつ)に架かる、カンチレバーローゼ桁橋だ。ローゼ桁部分が橋脚の左右に張り出し、そこにプレートガーダーが載っている。すぐ北を国道2号の「新住吉橋」が架かっている。写真は北側・西詰から。
ローゼ桁部分をアップするとこう。橋脚から少し張り出した部分があるのがわかろう。 西詰の親柱。左は「すみよしはし」、右は「住吉橋」。どちらも橋梁名だ。親柱は石積で、なかなかの風格がある。床版の南側を歩道としている。 ランガー桁には銘板がある。 昭和28年(1953) 広島県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 歩道から、カンチレバー橋ゆえの継ぎ目を見ようとするが、無理。写真上がランガー部分で、部材(アーチ部)の幅が広い。写真下がプレートガーダー。 北側の東詰から、全体と、プレートガーダー部。 東詰は、向かって左にしか親柱がない。道路の線形改良のために撤去されたのだろうか。左はやはり「すみよしはし」。 こちら東詰の北側に、橋の名の元になった住吉神社がある。 そして、「住吉橋記念燈」という燈籠がある。初代の木造橋を記念した燈籠で、そのいわれは写真をお読みいただきたい。 東詰の南側には「碑」と題された碑がある。 住吉橋架橋対策 委員長 故折重将一氏の遺品 は橋台の中央地下 四米のところに とこしえに眠って 此の橋を護る 住吉橋は、おそらく原爆で木橋が焼け落ち、その後、1951年に鉄筋コンクリート桁橋として架けられたがまもなく流失、そして1954年に現在の形で開通した。日本で初めて竣工した鋼製ランガー桁、とのことだ。 非常に平衡感覚が試される撮り方(左に傾いてしまっている)。 美しい橋だ。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 土木学会誌昭和29年12月号の該当記事はこちら(PDF)。
なぜか、Yahoo!地図には表示されないのだが、只見線が只見川を渡る第七只見川橋梁のすぐ西にあるのが、この四季彩橋。
平成23年新潟・福島豪雨で、只見川の橋がいくつも流された。滝ダムより下流、田沢橋、(#)、国道252号二本木橋、西部橋が流失した。(#)の位置にあるのがこの四季彩橋で、この橋が残ってくれたおかげで、只見川左岸の大塩、滝沢といった集落が孤立せずに済んだ。また、流失した二本木橋より北・西側の国道252号の補修工事にとりかかることもできた。 左岸(写真では対岸)側の径間はランガー桁、右岸側の径間は鈑桁。しかし、ランガー桁を見て、左岸に接するところだけを見れば下路だし、橋脚のところを見れば中路。IHIのサイト(新潟県に見える場所にあるオレンジの点をクリックすると表示される)にあるので、IHIが関わっていることは確かだ。銘板はあるようだが、確認していない(猛省)。 鈑桁部分がそれなりに長さがあり、またポニーアーチのため、圧迫感は少ない。見通しがいいというのもそれに貢献しているだろう。 渡りながら、アーチの途中で振り返る。奥が右岸。走っているクルマはタウンエースノア。そのクラスのクルマがすれ違うのがやっとの幅しかない。 左岸側から。 上写真の欄干部分にある銘板。読めないよ。。。地元の中学生の書。 平成13年12月竣功。 この四季彩橋一本では通行量をまかなえないらしく、国道252号の二本木橋の仮橋が本年中に架けられる予定だ。それまではこの橋に、左岸の集落の命脈がかかる。
上越線利根川シリーズの途中だが、平成23年新潟・福島豪雨で被災した橋梁を見てきたので、その報告を先にする。只見線の橋梁が三つ流失したのはよく知られているが、それ以外にもいくつも被害はある。そのうちのひとつがこれ、金山町の西部橋(にしぶはし)だ。
国道252号を走っていて、偶然見つけた。目に飛び込んできたのだ。 画面奥が上流。右が左岸、左が右岸。 …只見川の真ん中に、風で飛ばされた鯉のぼりのように、それにしてはあまりに巨大なものがペシャッとなっている…。これが西部橋。 川の中に橋脚を建てない、一跨ぎするランガー橋。それすら流してしまった。この川幅いっぱいに、いま立っている道路まで水があったという事実。道路脇のフェンスには、発泡スチロールや流木が絡みついている。そこまで水が来た証拠だ。 流される前の姿が、金山町のサイトに掲載されているので転載する。 (金山町のサイトより転載) この状態になっても大丈夫なように、1スパンで跨いでいた西部橋。これよりさらに水が来た、ということだ。 床版が桁から剥がれている。水深10m近くなった川に沈み、常に水流を受けているのだからな。 いや、それより周辺の民家は大丈夫だったのか。(別の場所で、民家のすぐ横まで崖崩れになっていて、かろうじて民家が残ったのだな…と思ったら、そうではなくて、すでに4件が崩れていた、ということがあった)。 右岸側の取り付け部分。本当は、この先に橋があった。 支承が残っていた。意外な部分でちぎれていた。 対岸(左岸)の橋台。 このまましばらくあるのだろうな。 対岸(左岸)へ回った。 ここに、橋があった。 対岸(右岸)を見る。流されたのは10mほどだろうか。崖の、水が来た跡も見て欲しい。 こちらも支承が残っていた。引きちぎられた部位が異なる。鏡面の部品と鏡面を持ったローラーが転がっていた。支承の部品らしきものが近くにあるということは、このコンクリート橋台の上には水が来なかった…? パイプは、桁下を通していたケーブル等だろう。 こんなものが、曲がるのだなあ…。 この西部橋は、只見川右岸と、左岸の西部集落(行き止まり)を結ぶ役割があった。しかも、ひとつ上流の国道252号二本木橋も流失。さらに上流の四季彩橋まで遠回りしなければならない。 左岸で眺めているとき、西から現れた手押し車に寄りかかったおばあさんが、この橋のたもとで手押し車に座って休んでから西部の集落に向かっていったのが、とても印象に残っている。 スパン100mは越えてる(だろう)西部橋。復活するのだろうか。 ●平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 |
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