都電雑司ヶ谷付近の未成道路と廃道? 東京都市計画道路幹線街路環状第5号線
坂サミットと環状4号の続き。 前回書いた、目白台二丁目交差点付近が、明治十年代にはどんな姿をしていたのか見てみよう。 まず、現在。 (カシミール3D+電子国土2500) 明治十年代(このあたりは明治16年頃測量かな)の東京図測量原図。 (カシミール3D+農研機構が提供するタイルマップ) なんだ、不忍通りは昔っからここから分岐していたのか! 神田川の谷につながる道はなかったのか!という驚き。 東京図測量原図に描かれた道をピックアップし、電子国土2500に重ねて見よう。 こうなる。 昔からあった坂は、西から、稲荷坂、幽霊坂、胸突坂。もちろん、いまある坂は当時は獣道のような形で存在したということは十分に考えられる。 さらにいろいろ見えてくる。文京区目白台一丁目と豊島区高田一丁目の境は当時の道路を基準としている。東西方向で道路を無視して凸状になっているところがあり、これも昔の道路由来なのだろうが、なぜか最新のオンライン地図ではここは道路に沿って境が描かれている。電子国土2500のほうが正確だとは思う。 また、神田川沿いの豊島区と新宿区の境がおかしな形になっているが、これも神田川が蛇行していたころの名残だということがわかる。 GIFアニメにした。 『五千分一東京図測量原図』についてはこのリンク先にかつて書いた。いまはタイルマップで提供されているので、カシミール3Dを使えば、このような地図の閲覧や切り出しも簡単にできるようになった。しかし、電子国土2500と重ねると微妙なズレ(数m程度)を生じるので、このエントリではそれぞれの画像を手動で位置を合わせて重ねている。 (このシリーズ了) PR |
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