小坂鉄道の立地は、一見、不思議に見える。
なぜ、小坂からわざわざ峠を越えて茂内に出てから大館に向かうのか? 現在の鉄道路線図を見ると、そのまま小坂川(米代川の支流)を下って 十和田南駅につなぐのが自然に見える。 十和田南駅から大館駅へは、やはり米代川沿いなので極端な勾配もない。 と思う。(あとで調べてみよう) 遠回りでも、勾配の少ないほうを選ぶのがセオリーである。 北海道の、函館から札幌を見よ。 鳥瞰図にすると、こうなる。 #カシミール3Dで作製。高度2万4000mより北を見る。レンズ50mm。 しかし、花輪線が、大館から毛馬内(現・十和田南)に延伸したのは大正4(1915)年。 小坂鉄道が大館まで通じたのは明治41(1908)年。しかも762mm。 現在から見れば、最初から1067mmで毛馬内に向けておいて ちょっと我慢すればよかったのに。と思う。 当時の大館~毛馬内を開通した秋田鉄道と、なにか因縁でもあったのだろうか? 『国鉄時代』の9600特集に敬意を表して。 ●豊富駅 駅は画面上。そこから宗谷本線は左下に向かい、日曹は右へ。 以後、東へ、東へ。 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c5b/cho-77-5_c5b_2.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c5b/cho-77-5_c5b_4.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c6/cho-77-5_c6_17.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c6/cho-77-5_c6_19.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c6/cho-77-5_c6_21.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c5b/cho-77-5_c5b_13.jpg ●ホッパー跡がある。(45°5′39″,141°56′35″付近) http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c5b/cho-77-5_c5b_15.jpg http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M508&photono=15 ●炭住街跡。右上、ターンテーブル跡? http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-5/c5b/cho-77-5_c5b_17.jpg 大きな地図で見る 上記は山陰本線揖屋駅付近の航空写真である。 先日、ここを通った際、ずいぶんと新しい複線トンネルだな、と思った。 1970年代までの山陰本線は、基本的に全線非電化・単線という認識でよかった。 私は仕事上、1980年移行の線路付け替えを把握しておかねばならず、 この複線トンネルの存在が気になった。 そして、グーグルマップで見てみた。 いまの複線トンネルの北に、廃線跡のようなものが見える。 昭和51年の航空写真を見比べると、一目瞭然。 願わくは、2001年の新線切り替え時に営業キロの変更なきことを・・・。 |
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