旅に出ることが少なかった頃は、ある程度の「もの」はとっておいた。しかし、毎週末出かけるようになると、「もの」への執着はなくなり、基本的にはなにも残さなくなった。たまに鉄道旅行をすると、その切符だけは保管しておくことにしているけれど。
『ガソリンスタンド・ノート』の松村さんが、思い出の紙片について書いておられたので、私も引っ張り出してみた。1995年2月の九州のものである。 大学卒業を間近に控え、すでにテストもすべて終わり、なにもしなくていい日々を送っていた。アルバイトと、大学のサークルの溜まり場をひやかすこと、そのくり返しだった。 ふと、TT250Rを買って1年3ヶ月なのにまだロングツーリングには行っていないな、と思った。本当は夏に北海道に行くつもりだったけれど、就職試験の関係で行けなかったのだ(当時の出版社は、大手がは5~6月頃、中堅が7~8月頃だった)。林道を走りたくもあり、山にも登りたくもあった。そこで、九州に行くことにした。九州の山は、比較的上のほうまでバイクないしクルマで上がれ、往復4時間もあれば十分な山ばかりだったのだ。登った山は、祖母、傾、大崩、韓国岳だ。 祖母山に登るために、日之影に入った。当時、テントは山の中でやむを得ず使用するものであり、ちゃんと町に降りられるならちゃんと泊まろうと決めていたので、宿を紹介してもらおうと役場に向かった。すると、「ぜひ町長室へ」と言われる。こんな時期の旅人が珍しかったのだろうか。 町長は、梅戸勝恵(ばいど しょうえ)さんといった。聞けば、BMW R100GS-PDに乗っておられるとのこと。執務室には阿蘇をツーリングする梅戸さんの写真が飾ってあった。そんなことで、バイクで訪れた私を招き入れてくれたようだ。なお、そのBMWはこんなバイクである。 梅戸さんは2006年に81歳でお亡くなりになっているが、とすると、1995年には72歳。その年で、PDに乗っているとは! ということは、かなりお若い時分からバイクがお好きだったのだろう。今にして思えば、もっともっとお話を聞いておくべきだった。 その晩は、梅戸さんの紹介で、リフレッシュハウス出羽という多目的施設に泊めていただいた。たしか2000円ちょっとだった気がする。冬の平日ゆえ宿泊は私ひとり。夕食は、近所のおばちゃんが「田舎汁です」といって「だご汁」を持ってきてくれた。大広間に布団を1組だけ敷いて寝た。あまりに広いので、少し心細くなり、電気をつけたまま寝た。とても贅沢な時間と空間だった。 前置きが長くなった。そのときのレシートが上の写真である。まだ定型のレシートにドットインパクトプリンタで印字したもの。三菱石油が多く残っていたのは、個人的に三菱に寄るようにしていたのか、それとも偶然なのかはわからない。IDEXは「新出光」、九州オンリーのブランドだ。左下の、普通のレジのレシートのようなものもスタンドのレシートだ。 どれもリッター120円台。今より少し安いくらいだが、当時はとても値上がりしていたころだった。その前までは、ハイオクでも90円台だったのだ。レシート数枚で、いろいろなことを思い出す。これからは、紙片くらいはとっておこうかと思う。 PR |
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