2007年9月の話だ。週半ばの火曜から木曜まで珍しく仕事で道東に出張があり、帰路は釧路空港から羽田の予定だった。ところが、木曜になって台風が来た。私が搭乗するはずだった釧路~羽田便以降、すべて欠航。翌日も満席。釧路市内のホテルは搭乗予定だった人たちがあふれるのと、翌日の飛行機も乗れないことが予想された。
私は釧路駅で「スーパーおおぞら12号」が「通常通り」運転されるのを確認すると、空港返却の予定だったレンタカーを釧路駅で乗り捨て、飛び乗った。札幌に行けばなんとかなるだろう--。 しばらくはおとなしくすわっていた。闇の中を突き進むキハ283系。遮音された床下から感じるエンジンの響き。車窓は横殴りの雨。前面展望を見に行った。 吹き付ける嵐の中、キハ283系は突っ走る。新得を過ぎればあとはほぼ無人の山中、闇の中を9灯のヘッドライトが切り裂いていく、という表現がぴったりだった。 感じたのは、運転士の孤独感。台風による強風と大雨の中、視線を前方に集中し、ひたすら決められた速度で走っているに違いない。真っ暗な運転台で一人、速度の恐怖と戦う孤独感はいかばかりか。それに対して、乗客は完全に安心し、心地よい移動を楽しむことができている。 闇が続くと、人工の光がとても愛おしくなる。それがたとえ、鉄道信号の光であったとしてもだ。 進路は開かれている。進める。その安心感(違うんだけれど)。とにかく、進んでくれる頼もしさがあった。 時折、線路脇に鹿が見える。鹿は、こんな台風の夜でも、エサを求めて歩き回っているものなのか。 東オサワで、とかち11号と交換。とかちが待避線に入って、こちらを待っている。きっと、あちらの乗客は、帯広に帰る人たちを乗せている。台風の中、自宅に向かう列車の居心地は暖かいだろう。 オサワでは、先行する2092レを追い抜く。かつてはDD51牽引の列車として、音別などで何度も撮影した列車だ。 このときはすでにDF200牽引になっていた(同じ日に新富士駅でDF200-6を撮っているので、おそらくそれ)。2092レは、ここオサワで約30分間停車し、先に交換したとかち11号と、このスーパーおおぞら12号を先行させる。 信号所は暗いが、駅は明るい。おそらく滝上を通過。 東追分で、DD51が引く2093レと交換。この2093レは、新富士まで行く2本のうちの1本で、早朝の音別などでやはりよく撮影していた列車だ。 再び、闇の中へ。南千歳が近づけば、もう町だ。道東では大雨と強風だったが、このあたりではすっかり止んでいる。ここでようやく座席に戻った。 JR北海道の確実な運行のおかげで、札幌に着いた。しかし、新千歳空港発の飛行機も相当数が欠航になったらしく、市内のホテルはまったく予約がとれない。イエローページを片っ端から電話し、ほぼ1ページかけ終わる最後の最後で「トリプルの部屋なら開いていますよ。いまキャンセルが出ました」。そこにシングル扱いで止めてもらえることになった。ラッキーだ。 札幌駅内を移動していると、やはり宿にあぶれた女性が、ホテルの状況を私に聞きに来た。私は事情を説明したら、あきらめ顔で公衆電話に向かった。こちらの部屋はトリプル、でもまさか一緒に泊まりませんかとは言えない。 翌金曜日、混乱の中、スーパー北斗とスーパー白鳥、はやてを乗り継いで東京に帰った。スーパー白鳥が1本運休になった気がする。そのため、会社に行ける時刻には東京にはつかなかった。 そうなるならば、翌日は土曜日であるし、いっそ、北海道に私費でとどまっていた方が、個人的に土日を北海道で過ごせてよかったかもしれない。などと考えても後の祭り。どうしようもない。なんだかとてももったいないことをした気分になった。 (20120225 写真のファイル名のつけ間違いで写真がおかしくなっていたものを修正。一部削除) PR |
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