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2022年末に、邑久光明園を見学した。国立のハンセン病療養所だ。岡山県瀬戸内市長島には、この本土側の邑久光明園と、端部の長島愛正園が二つあり、この邑久光明園は、本来、近畿地区の施設で、西成にあったものが、1934年の室戸台風で甚大な被害を受け、移転してきたものだ。

そもそも国立のハンセン病療養所とはなんなのかは、ここで触れるにはあまりにも大きすぎるが、施設内では入所者たちが自らさまざまな仕事をして施設を維持し、ここにあるトロッコの線路は、その遺構である。

この存在は、@momoshima_jun さんのツイートで知った。

 
 

基本的に、長島は隔離されていた。本土との距離、わずか22m。そこに橋が架かったのは1988年だ。そんな最近まで、ハンセン病に対する無知と偏見があった、というか、いまも間違いなくありつづけている。

 
 
そのため、物資はいくつかの桟橋に船で搬入された。この薮池桟橋に搬入されたものを、入所者がトロッコで丘の上の施設まで運ぶために使われたのが、このトロッコ線路である。iPhoneの計測で軌間約44cm。

人力で、この角度を押し引き揚げていた。ウインチで引き揚げていたそうです。2023/4/3修正】どれくらいの物資の量かはわからないが、一度の便で到着した物資を運び上げるには、何往復も必要だっただろう。危険も伴ったはずだ。

* * *

光明園では、コロナ禍のために自由な見学はできなかったが、幸い学芸員さんに、ここを含めて見学できる部分に連れて行っていただき、解説をしていただいた。愛正園では長島愛正園歴史館などを見学した。

元々、岡山の方が療養所等について発信していたので、ごくわずかな知識はあったが、ここを訪ねたのは、このトロッコ線路がきっかけだった。

ハンセン病については、こうした施設がそこそこ近くにないと、知る機会すらないだろう。四大公害が、該当地域以外ではまったく忘れ去られているように。私も知っていたわけではない。ただ、WEB記事や文献で読むのと、現地に来て実際に見て学ぶことは、まったく異なる。後者のほうが圧倒的にリアリティを持つ。なにしろ、そこに収容されて70年以上…というような人生を歩んできた方を、この眼で見るのだから。


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