小坂製錬小坂鉄道。
昨年(2008年)3月で鉄道輸送が休止された。 小坂の精錬所で複雑硫化鉱を製錬し、その副産物として精製される 濃硫酸を秋田港に向けて輸送していたものが、 たしか新炉を建設してリサイクル事業に特化したため、 硫酸輸送がなくなった・・・と記憶している。 定番撮影地だった一号隧道付近。 小坂駅を出たDD130形3重連が牽引する濃硫酸列車は 大きな唸りをあげ、黒煙を噴き上げながら左に180度方向を変え、 この杉木立の向こうから向かってきたものだった。 踏切は、こうまでしなくてはならないのだろうか。 一号隧道。 左のピラスター上部をアップしてみる。 木が生えている・・・。 いつも不思議に思うのだ。 隧道や橋梁の、わずかな隙間の土に種が根付き、 かなり大きな木となってしまっていることがある。 管理者は、それが小さなうちに枯らすことをしないのだろうか? 植物が伸びる力というのは、岩をも穿つことはよく知られている。 もしこの木が煉瓦の内側に根を張っていけば、 次第に煉瓦の構造物に悪い影響を与え、 ピラスターを破壊し、ということは地山からの圧力が坑門側に抜け、 坑門が倒壊してしまうことすらあるだろう。 かつての光景。 山一印のタキ29300。 ほかにもitochu、DOWAといったロゴが見られた。 昭和50年の航空写真。 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c1b/cto-75-22_c1b_59.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c2b/cto-75-22_c2b_57.jpg PR
子供のころ、すなわち昭和50年代半ばか末ころまで、
新潟市の万代橋の下に鉄道の線路があったと記憶している。 近寄ろうとしても無理だった記憶もあるので、あるいは金網等で囲われていたようにも記憶している。 国土地理院の国土画像情報(1975)を見てみよう。 画面中央右側に大きな面積を占める沼垂貨物駅から 右下、万代橋方向に線路が延びている。 機能的にはここは折り返し用の線路であり、 ここでスイッチバックして河口側に向かっていた。 これの末端が見えていたのであろう。 河口側には旧万代貨物駅があったが、新潟地震で被害を受けて廃止となったと記憶している。 駅ではなくなったが、引き込み線として機能していた、ということだろう。 ここで、国土変遷アーカイブ(200dpiでご覧ください)で1952年の空中写真を見てみよう。 (注)国土変遷アーカイブは正方位ではない。右に数度傾いている。 画面下の中ほど、最下段にあるのが工事中の現・新潟駅、 その上(北)にあるのが移転前の旧新潟駅である。 両者の右(西)側の結節点から上(北)すなわち信濃川方面に向かって 一本の線路が延びており、それは信濃川に出会うと右(河口)に折れている。 その先には万代貨物駅があった。 これが、前述の線路とつながっていたはずである。 八千代橋はまだなく、画面右が万代橋、左が木造時代の昭和大橋である。 ここまで見てきて、wikipediaのこのファイルが誤っていることに気がついた。 今度、関東地方測量部で旧版地形図を見て確認してこようと思う。 |
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