ティー・ゲート「旅の発見」による廃道ツアーに参加してきた。
ルートは、和歌山駅→柱本の手掘り隧道(橋本市)→池田隧道(紀の川市)→ 鵬雲洞→毛見隧道→和歌ノ浦隧道。 天気が心配されましたが、前半はなんとかおk。 後半はかなり風の強い雨模様の部分もあったた。 柱本。10分ちょっと歩いただけかな。 とにかく見とれてしまう。 緻密な石組みにいつまでもさわっていたい。 内部は一部崩壊しているため、立ち入り禁止の看板が出ている。 ここで昼食。 場所はココ。 続いてバスで池田隧道へ移動。 北側から入ります。少し埋もれている。 煉瓦で巻き立ててあるためか(一部は素掘り)内部の崩壊等はナシ。 柱本も小さかったですが、輪をかけて小さい。 南側には扁額がかかる。 漆喰で盛られた「池田隧道」の文字の一部がはがれている。 北側はに左側に崩落が見られ、坑門が不安定になっている。 土被りが薄い。 これなら隧道いらないんじゃ・・・ 池田隧道はココ。 このあとの3つは車道のすぐそばであり、 雨も強かったため、なにより時間の制限があり、 落ち着いて鑑賞できなかったのは残念。 全般に、聞けば答えてくださるnagajis氏の解説は十分。 こちらの、土地や人の流れに対する知識があれば、もっといろいろなことを聞けるのに、 といったところか。 参加者は関西在住の方がほとんどだったが、その背景までみな知っているのかな? 釈迦に説法になろうとも、そのへんまで解説していただけるとありがたいかもしれぬ。 もっと隧道に触れていたい、写真を撮りたいという気持ちもあるが、 それはキリがないため、割り切らねばならぬのはツアーという性格上、しょうがあるまい。 実は、来週のヨッキ氏版と、日付を勘違いしていて、 前日の23時50分にそれに気づいた。 始発の新幹線でも和歌山駅の集合時間には間に合わないため、 一時はあきらめかけたが、ルートを見てみると 柱本の最寄駅は紀見峠駅。ここには十分に間に合いそう。 バスが和歌山から橋本まで移動するのに1時間以上かかるので、うまく合流できた。 主催者には大変なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ない限りだが、 なんとかなったのは幸いだった。 来週はヨッキ氏版。 どんな解説をしていただけるのか、楽しみだ。 PR 廃道ツアーの前に、GWにちょっと行ってきたい場所がある。 登山靴を、14年ぶりに引っ張り出した。 果たして、機能するのか? ミンクオイルをべったりと塗り込んで保管しておいた靴。 一面、白いカビに覆われている。 劣化により、靴底がいきなりはがれるという可能性もある。 その確認をしなくてはならない。 手に持つと、ずっしりと重い。 よくこんな重い靴を履いて山に登っていたものだ。 確か大学1年か2年のころに購入したもので、3~4万円ほどはしたはずだ。 飯豊、北ア、北海道の山などに使い、最後に履いたのは1995年の平ヶ岳のはずだ。 その後はバイクにのめりこんだので、登山らしい登山はしていない。 箱を見ればマインドル。 でも、なんとなくスカルパだとずっと思っていた。 履かなくなったからゆえか。 カビをぬぐい、改めてミンクオイルを塗り込むと、 革はまだ生きているようだ。 そういえば、それまで履いていた、高校入学時に買った登山靴はどうしたのだろう? これを「突堤(とってい)」と言っていた。 これが、数百メートルおきに並んでいた。 既に相当傷んでいるが、その左に、海中に没した古い突堤が見える。 昭和50年の航空写真にも、それが見えている。 なお、グーグルマップやヤフー地図の衛星画像ではよく見えない。 この突堤は、なんのためのものだったのだろう。 子供の頃から不思議だった。 前述の航空写真を見ると、沖合のテトラポッドに行き着くためのものに見える。 構造は、土管を縦に海底に突き刺して並べ、 海面上の土管の頭の両側に直方体の鉄筋コンクリの塊を平行に並べて締め付けている。 それを2組平行に並べ、内側に岩石を投入してある。 直方体の上を歩いてもいいし、岩石の上を歩いてもいい。 岩石の間には小さなカニがいて、よく、棒で手前に掻き出してつかまえたものだ。 その土管の内側は砂が詰まっていて、さらに海水もたまっている。 釣り人たちは、その中に釣った魚を放したり、カニや貝を入れたりする。 アクアリウムをイメージしてたりして。 当然、すぐに暑くなり、すぐに魚は死んだだろう。 でも、今回ここをのぞいたら、フナムシが動いていた。 自在に出入りしているのだろう。 |
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