この地図のほぼ中央。左上は道の駅雫石と小柳沢砂防ダムだ。 PR
国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)の関連記事。
4月下旬、原付二種で現地を訪れるとなんと、現道から境橋が見えた。 (以下、この項の写真はすべて色味を意図的に変更してある) 沢を少し遡って魚眼レンズで収める。 このように、洞門と隧道の間に挟まれた一角に、廃橋がある。欄干は、端部に3連のアーチのようなものが刻まれている。手前の欄干のさらに手前に転がっている石材は、おそらく親柱。ただし、銘板類はない。 見れば、谷側の新道は橋ではないようだ。とすると、この右側の橋を放棄し、谷側に土盛りをして旧道が橋で渡っていた沢を暗渠化して…ということかもしれない。 この場所、たまにクルマの出入りがあるようだ。駐車場のように使われているのだろう。国道17号側に目をやると、はるか彼方に上越線の路盤が見える。 完全に真っ白な骨。肉などついていない。頭骨の左半分と思しきものがここにあった。右半分は、少し離れた草むらにあった。ここに出没した動物が持ち運んだか。 鹿はなぜここで死んだのか。クルマに跳ねられたのだろうか。この骨から2mと離れていないその脇を、大型トラックや乗用車がひっきりなしに通り過ぎていく。 ここは道幅が狭く、洞門と隧道が現れるためによそ見などできないと思う。この白骨に気づくドライバーなどいまい。
再度の、最後の告知です。
明日11月20日(日)13時から、新宿のNakedLOFTにて、丸田祥三さん・平沼義之さんの共著『廃道 棄てられし道』刊行記念トークイベントを開催します。 http://www.loft-prj.co.jp/naked/schedule/naked.cgi 出演は、丸田祥三さん、小学館の月刊IKKI編集長・江上英樹さん、私。 本書をきっかけに、「廃道」そのものから、さまざまな事象を考えるお話になると思います。もちろん、作品についてもたくさんお話いただく予定です。 写真や廃道に興味があろうがなかろうが、すべての方が、ものの考え方、というところに大きな観点を得られるものになるだろうと思っております。 ぜひ起こしくださいませ。 入場料1000円+飲食代です。 よろしくお願い申し上げます。 いよいよ『廃道 棄てられし道』が刊行される。いままで取材のレポートをここで書いたり、校正紙のチェックの様子をツイッターに書いたりしていたが、改めて本書の企画から刊行までを、時系列に沿って綴ってみたいと思う。 また、11月20日(日)には、丸田さん、栗原景さん、私で、新宿のNaked LOFTにおいて、本書に関するトークイベントを開催する。詳細はこちら。入場料1000円+飲食代ですので、ぜひご覧ください。 ●夜明け前…『廃道本』 この『廃道本』では、巻頭に、永冨謙氏撮影の美しい廃道グラビアを設けた。そこを膨らました本を作ることができないか、ずっと考えていたが、それだけの写真集では、商業的に成功するか疑わしい。廃墟趣味と異なり、廃道趣味・道路趣味は「趣味的に写真を撮る」というほど写真とはなじんでいないからだ。そのまま、1年半が経過した。 ●丸田祥三氏との出会い 2010年4月22日。丸田祥三氏の『風景剽窃裁判』の判決があった。友人の栗原景氏やO(オー)プロジェクト(『軍艦島全景』やiPhoneアプリ『軍艦島黙示録』の制作者)の西田信行氏が傍聴したことを知った。この裁判のことは知っていたし、丸田氏のことは、氏の初の写真集『棄景』(1992年)から知っていたので、twitterにそのようなことを書いたところ、丸田氏ご本人からリプライをいただいた。それが、この『廃道 棄てられし道』の始まりだった。 後日、ざっくばらんにお話をしませんか、ということになり、お目にかかった。そのときは、すぐ仕事に結びつくわけではないけれど…とお互いに思いつつ、私は、まだ誰も見たことがない丸田さんの作品でなにかできないか…と思い始めていた。まだ誰も見たことがないものが、きっとあるはずだ。それは、秘蔵のものかもしれないし、新しいモチーフかもしれない…。 その頃、平沼さんとも、なにか企画ができないか…と話を重ねていた。そこで、閃いた。廃墟、廃線跡など「棄てられた風景」を撮り続けてきた丸田さんに、「廃道」を撮っていただいたら、ものすごいものができるんじゃないか…? あの色彩、あのパースで隧道が迫ってきたら。一見、どこの何を撮っても同じにしか見えない藪も、丸田さんの手にかかったら、ものすごい表情を与えられるんじゃないか。そう思って、丸田さん、平沼さんにそれぞれもちかけると、おふたりからは前向きなお返事をいただいた。 ●企画にゴーサイン、そして取材へ すぐに企画書を書き、2010年7月から8月にかけて社内で検討を重ね、9月始めに、正式にゴーサインが出た。この時点では、3月ころの刊行を念頭においていた。 そしてすぐ、9月16日に、平沼さんと丸田さんの顔合わせを兼ね、実際にどこに撮影に行けばいいのかの打ち合わせを持った。私も『山さ行がねが』を参考にいくつかの廃道を訪問しているが、実際に「その廃道」のすごさを熟知しているのは平沼さんである。平沼さんのアドバイスを聞きながら、ここは日帰りで続けて回れるね、ここは道路のすぐ脇だよ、ここに行くなら1泊だね、などという話を積み重ねた。そして、まず最初に、丸田さん、平沼さん、私の3人で、伊豆の廃道に取材に行こうという話になった。 打ち合わせの途中で、丸田さんが「そういえば、このへんにも廃道がある」と言いだし、そこに連れて行ってもらった。通称、緑山サーキット。かつてはバイクの走り屋がコースとしていたところで、慰霊の花などもある。 打ち合わせ後、平沼さんと私宛に、丸田さんからメールで写真が届いた。「撮りに行ってきました」。その、丸田さんが改めて平沼さん流の「廃道」を意識して撮影した初めての一枚が、本書のラストを飾る標識の作品である(丸田さんは、過去にも廃道をいくつも撮影している)。平沼さんも私も、その作品を見て、成功を確信した。 取材の予定を9月24日(金)としたが、あいにくの雨天だったので27日(月)に延期した。しかし、27日も、朝から大雨で、伊豆に向かうにつれ、徐々に晴れてきた。当日の様子はこちら。 丸田祥三氏×平沼義之氏 ●その後…取材の日々 12月頭にかけて、取材が続いた。丸田さんからは、取材の都度、作品を送っていただいていた。もちろん、撮影したすべてをお送りいただくわけではなく、丸田さんのセレクトで候補に昇らなかった、陽の目を見なかったカットもたくさんあるはずだ。 取材は、丸田さんが、平沼さんのサイトなどを参考にしてお一人で行ったものもあれば、土曜・休日を利用して、私もお誘いを受けて道案内を兼ねて同行した道もある。三連休を利用して関西にも行った。本来の(?)私の仕事はディレクションなので、普通ならすべての取材に同行するようなことはないのだが、取材に行くのはとても楽しいので、「遊び」として嬉々としてついていった。そのうちのいくつかを、レポートしている。 廃道取材(2) 南東北 廃道取材(3)都内周辺 廃道取材(4)中部・近畿 廃道取材(5)東北 廃道取材(6)山形県道250号を例に 廃道取材(6)奥多摩(←番号が間違っています) 廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋> 丸田さんの撮影とは別に、平沼さんとは、どういう文章を掲載すればいいかという話し合いを続けた。そして、丸田さんの考え方のひとつである「作品は本来、無記銘である」ということが道路にも言えることに気づき、その方向で原稿を書いていただくことにした。 ●作品をまとめるということ 丸田さんからお送りいただいた作品は、のべ163点。この中には、同じ構図で表現の方法を変えた作品もあるし、残念ながら掲載を見合わせたものがあるが、それらをどうまとめるかが、次の大きな課題となった。写真集は、単に作品を並べればいいというものではない。その並び順が命。これは、雑誌の巻頭グラビアも同じ。セオリーはあるが、正解はない。(『Fの時代』と『Cの時代』参照) ●祖父江慎氏と 同時に、ブックデザイナーの祖父江慎さんにコンタクトを取る。祖父江さんは、出版に関わる者なら誰もが知っている方。写真集も多く手がけられ、製版・印刷への知見は、並の印刷所の方々よりもはるかに深い。「祖父江さんがご担当」というだけで、大手印刷所が襟を正して緊張した仕事をする、というほどの方だ。祖父江さんとのお仕事は、丸田さんの念願でもあった。 私も装丁家ときちんと仕事をするのは初めてなので、緊張しながらお電話をしたのが1月下旬。しかし、時期的に祖父江さんが相当お忙しく、お目にかかれたのは2月下旬。祖父江さんは丸田さんの作品にとても興味をもっておられ、幸いにもお仕事を受けていただけることになった。 ●以後 以後、プリンティング・ディレクター(PD)さんの選定、PDさんを交えての打ち合わせを重ねた。展開案も、祖父江さんから「こうしたらどうでしょう?」とまったく新たにご提案いただいたり、それに意見を重ねたりして、徐々に固めていった。7月、ようやくテスト入稿にこぎつける。印刷するのに難しい色彩の作品を中心に、実際に製版してもらうのだ。その数、11点。その結果を見て、製版の方向性を改めて打ち合わせることにした。結果的に、祖父江さんも驚くほどのすばらしい製版が実現した。 ここで、トークイベントでもたびたび触れることになると思うのだが、印刷について簡単に書く。 デジタルカメラで撮影されたデータはRGB(減法混色、バックライトあり)。印刷はCMYK(加法混色、紙の色の上に色を重ねる)。これをご存知の方は多いと思うが、総じてRGBの方が CMYKより多くの色を表現でき、鮮やか。細かく説明することはしないが、丸田さんの作品はCMYKで印刷しづらい鮮やかさのものがとても多い。それを、 CMYKでどう表現するか。きれいな青、きれいな緑。『廃道 棄てられし道』のカバーは、実は、かなり表現しづらい色であるが、それが美しく出ているのは、プリンティング・ディレクター・Yさんの力量にほかならな い。 以後の詳細は、とくにトークイベントで話すことになると思うので、おおまかに。 5月11日(水) 平沼さん脱稿。 (祖父江さん、丸田さんと、展開についてや、校正についての打ち合わせ続く) 7月20日(水) テスト入稿。色味の再現が難しそうな11点を先に入稿し、製版してもらう。 8月3日(水) 先行入稿分が出校。チェック。素晴らしい製版に、一同、笑み。 8月25日(木) 入稿。祖父江さんから作品一点一点について「ここをこう」と指示をいただきながら、PDさんにお渡しする。 9月20日(火) 初校チェック。平沼さんのページは、平沼さん・私の上司・私で校正。 10月4日 再校チェック。一部、念校を出す指示。平沼さんのページは、平沼さんに校正をお願いしていたものを受け取り、再入稿の形となる。 10月17日(月) 念校を出す前のチェック。解決せず、作業続行。 10月18日(火) 念校を出す前のチェック続き。ようやくOK。 10月20日(木) 祖父江さんの事務所で念校確認。カバーも含めて校了。 そして、 11月9日(水) 見本(予定)。 11月16日(水) 配本(取次=問屋に搬入)。翌日以降、書店店頭で発売。 入稿から校正が出るまで、時間がかかっているように見えるかもしれないが、これは、さまざまな場所にスケジュール的なクッションを挟んでいたためだ。写真 集のようなものを、ギリギリのスケジュールで進めても絶対にいいことはない。製版、校正刷、そういうことに、じっくりと時間をかけていただきたくて、このように段取りをした。平沼さんには、脱稿から本の完成まで、半年もお待たせしてしまった。これについては、大変申し訳なかったと思っているが、丸田さんのページの仕上がりが最高のものになったということで、ご容赦願いたい。 丸田さんは、これから、産業編集センターから重松清さんとの共著を、また、とある出版社から単独で写真集を刊行する予定がある。平沼さんは、また別の出版社から書籍を刊行するだけでなく、さらに別形態の廃道のコンテンツをリリースする予定だ。本書が、おふたりの「これから」のお仕事の一発目として、大きく開くことは、疑いない。本書が、これからのおふたりのお仕事に新たなインスピレーションを与えるものだと、ぼくはそう信じている。 『廃道 棄てられし道』は、11月17日(木)頃から書店店頭に並びます。ジュンク堂新宿店では、廃道Tシャツ等と並んで置いていただけると思います。ぜひ、私たちの思いの結晶を、お手にとってご覧ください。 |
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