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『鉄道「幻」巡礼』(笹田昌宏/イカロス出版)

『鉄道「幻」巡礼』(笹田昌宏/イカロス出版)

鉄道の本


(クリックでAmazonに飛びます)

鉄道車両の保存をはじめ、鉄道の歴史を趣味的な観点からも追求する笹田さんによる、鉄道の遺構を探訪した記録。2023年刊の『鉄道「裏」巡礼』と対をなすタイトルだ。

遺構といっても廃線跡はあまりなく、未成線や未成駅、あるいは未成の施設を多く採り上げている。有名なものもあれば、おそらくほとんど知られていないのではないかというものもある。有名なものといってもおいそれと立ち入ることができない名羽線を2024年に訪ねているのは、本書のカバーにして巻頭にその記事があることでわかるとおり、本書の目玉というものだろう。

 
個人的に惹かれたのは、吹田操車場にあった幻の高架橋と、呼子線の高架橋群だ。どちらもいまは解体され、現存しない。こうした施設が計画・建設されるも、それが時代をまったく見据えておらず、やがて邪魔者扱いされて役割を果たすことなく消えていく、というような「税金の無駄遣い」に、それは許してはならないことではなるのだけれど、そこに人間くささを感じる。


吹田操車場の高架橋は、上の国土地理院の空中写真(1974-1978)にもその姿が映っている。1989年の空中写真では確認できるが、1999年のものでは既に撤去されている。


「ほとんど知られていないのではないか」と書いたのは、例えば岩脇蒸気機関車避難壕だ。こうしたところも丹念に情報を拾い、北海道から九州まで、十代のころから現在(笹田さんは私と同い年だ)に至るまで実際に訪ね続けていること、その熱意はとうてい真似できないが、いろいろと参考にしてGoogleMapsにピンを立てた。

こうした本は、「知っていたけれど行ったことがなかったところ」を「行きたいところ」に昇格させる役割を果たす。今後数年かけて、いくつかの気になるところに行こう。








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『奇天烈トロッコ』(青森恒憲著)

鉄道の本



2022年10月2日、3年振りの「軽便祭」が開催された。とにかく圧倒されたのだけれど、目的の一つは、青森恒憲さんの『奇天烈トロッコ』を買うことだった。モデルワーゲンのブースに青森さんがいらっしゃり、発売前だけれど直接買えるのだ。


いまどき珍しい、ハードカバーの大型本。

青森さんには、5年ほど前に仕事で大変お世話になった。実は、子どものころたくさん持っていた本にも、青森さんの写真は数多く掲載されているということを知ったのはそのとき。20歳前後でそれだけのお仕事をなさっていた。RM創刊号からの連載「THE トロッコ」も青森さんと、『奇天烈トロッコ』協力の大西靖さんの筆によるものだ。



この連載の背景なども『奇天烈トロッコ』に記載されている。どんな趣味ジャンルでも、十代、二十歳前後の「すごい」若者たちは、「出る杭」として打たれてしまう。しかし、うるせえ、とばかりにこの連載は続き、まとめた本も出た。いまではプレ値になってしまっている。




有名なものから、偶然発見したものまで、43選。なぜ「43」なのかは、理由があるのだが、その中で、エンドレスの鉱石運搬線から仮設の人力トロッコ、森林鉄道まで、実にバラエティ豊かに掲載されている。かっこいい走行写真も多いけれど、「人が仕事をしている」という写真が多い。郷愁を感じるのは、いまなら安全・衛生・機械化・自動化されているものを、危険なことにも拘わらず、人が作業をしていた時代に対してなんだと思う。


気になるのは、やはりこれだ。私と同世代の人たちは、1982~1983年ころの『鉄道ファン』の、岩堀春男さんの「専用線の機関車」と高井薫平さんの「昭和30年代の地方私鉄を訪ねて 軽便・古典ロコ・田舎電車、そして…」をむさぼるように読んでいて、その一つに、ここがあったのだ。


ネンド なめいり くもいぞら。

このフレーズは、多くの人たちがおぼえているに違いない。昨年、その付近を通りかかり、「名目入じゃん!」とそこで気が付いたのだけれど、現地では調べようもなく、当時はなかった国道を行き来して終わってしまった。


こちらは高井さんの連載。

* * *
 
青森さんは1959年のお生まれなので、撮影は19歳から20代前半。その年代で、全国を飛び回り、トロッコを見て回った。もちろん、情報などない。地図から見つけることもあれば、「~らしい」という情報を頼りにクルマを飛ばす。空振りもある。それでも、掲載されているものの何倍かを訪れ、記録している。

そのころ、私は小学校高学年から中学生。まだ「間に合った」はずなのだ。しかし、行っていない。赤谷線の最終列車に乗りに行ったけれど、その先は行っていない。越後交通も動いていたはずだけれど行っていない。新潟交通などは高校への通学路に白山前駅があったけれど、通しで乗ったのは、蒲原鉄道とともに一度切り。まあ、その程度の行動力だったのだろう。「いま思えば」ということは余りに多いが、もったいない。

本書を読んで、いろいろと探訪したくなっている。まずは、頭の中に散らばっている情報をとりまとめ、行くべき場所をGoogleMapsに書き込んでいくことにする。


直方市石炭記念館。

 
 
池島。

 
端島。

 
安房。


赤沢森林鉄道。

こうした保存がいくつもあるが、ほとんど行っていない。もっと積極的に現地に行ってみようと思う。





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『国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(石井幸孝)

鉄道の本


国鉄の分割民営化から35年。いまとなっては「国鉄」という、昭和50年代に職員40万を擁した巨大な官庁・官営企業は、実態が掴みづらい。1970~1980年代の社会状況、政治・経済の状況も見えづらい。なので、当時を知らない若年層と、SLブームで写真だけは撮っていた、社会人的にも「ものすごくいい時代」を生きてきたゆえに知識も感覚もまったくアップデートしていない老害鉄道趣味者たちが「国鉄時代はよかった」といっていて、一方で、現代の経済のまっただ中にいる40~50代は「バカ言ってんじゃないよ」という感じの対立構造がある。

国鉄改革時を語るJR経営者の本はあったが、「官庁組織としての国鉄」を俯瞰して簡潔に述べる本はいままでなかった。本書は、その点でとても有意義なものだ。また、端から成功が約束されていた本州3社ではない、上場など考えられなかった「三島会社」の一つ、JR九州社長だった著者が、いかに官僚的考えから民間企業的考えに切り替えてJR九州を動かしてきたかがわかる本だ。

* * *

中公新書はまったく売る気がないのか、とても重要な目次が公式サイトにもamazonにも載っていないので、ここに掲げる(目次は著作物ではない)。●印は、国鉄史と関係ない、ちょっと「とってつけた感」がある項目で、読まなくても本書の大意に影響はない。◎印は著者の強い主張だ。これを書きたかったから、延々と「国鉄史」を書くことを引き受けたかったのではないかと思うほど、しつこく、強い。(そして、そのせいで、雑多な本という印象が生じてしまっている)

第1章 戦後の混乱と鉄道マンの根性
1 「汽笛」-焦土の産声
2 すぐに「復興運輸本部」
3 マッカーサーの指令
4 インフレ対策と赤字経営の硲

第2章 暗中模索の公社スタート
1 「日本国有鉄道」誕生
2 公共企業体の内容
3 人員整理と奇怪な三事件
4 懺悔の特急「へいわ」4ヵ月で「つばめ」へ
5 悲劇・桜木町事故と洞爺丸事故

第3章 栄光としのびよる経営矛盾
1 東海道全線電化-電車特急「こだま」
2 第1次5ヵ年計画-輸送力対策と資金不足
3 「さんろくとお」全国特急網-第2次5ヵ年計画
4 新幹線の開業-石田礼助総裁の警鐘
5 通勤五方面作戦

第4章 鉄道技術屋魂●
1 ゼロからディーゼル大国に●
2 「はつかり」事故騒ぎと現場重視●
3 Sl全廃への道-ディーゼル機関車大国に●
4 繰り返す「妙な」技術開発

第5章 鉄道現場と労働組合
1 「国鉄家族主義」と組織大事の日本文化
2 労労対立と合従連衡
3 現場競技制と職場荒廃
4 なぜ失敗するのか「マル生」

第6章 鉄道貨物の栄枯盛衰
1 重厚長大から軽薄短小へ
2 営業体制と通運問題
3 スト権ストで貨物輸送自滅・国鉄孤立

第7章 国鉄衰退の20年
1 第3次長期計画-落日の花「よんさんとお」
2 格好つける国鉄財政議論
3 『日本列島改造論』と続く新幹線建設
4 御召列車●

第8章 国鉄崩壊と再起
1 巨大官僚組織-「国鉄の常識は世間の非常識」
2 朝令暮改の再建計画
3 土俵は国鉄外へ-第2臨調と再建監理委
4 答えは「分割民営化」、その光と影

終章 JRの誕生と未来
1 JR九州の経営改革
2 完全民営化の達成
3 国鉄改革の光と影の未来◎
4 新幹線物流の可能性◎
5 国民と国家のための鉄道へ-コロナ・パンデミック以降に向けて◎

* * *

本書で繰り返し述べられているのは、

・官庁組織の特徴。中央本社と地方支社(のようなもの)があり、それぞれ同じ組織を並列で持っていて、支社の部署A部、B部、C部は本社の部署A課B課C課と対応しており、A部B部C部のつながりは希薄
・支社のトップは中央が握っていて短期間で入れ替わり、地方の組織は縦割りで本社とつながっていて決定権がないので、地方独自の施策をとても打ちづらい
・国鉄発足時、GHQの指導で、日本型の官僚組織ではなく、アメリカ型の実務優先組織(地方が主導権を握る)にしようとしたが、結局は両者を重ねた、複雑で肥大した組織になった。それが鉄道管理局という支社的組織
・職員個人個人はまじめである
・公共企業体ゆえに、理事側も職員も当事者意識がない(これは昔から言われていること)
・世の中、誰でも鉄道に対する感想を持っているが、鉄道、とりわけ貨物の本質はわかりにくい

ということだ。それぞれ、経緯と、組織内の実態・雰囲気を述べた上で、国鉄衰退のプロセスを「上下分離のない国鉄の構造的な特異性に議論が及ばず、日本的な官僚機構と現場労働者の狭間で、国家経済視点と競争経済視点の徹底的な議論や、政策整理をおこなわずに戦後の公共企業体の経営状態を皮相的にトレースしていたこと、そしてその対応策を国鉄改革まで引きずってきたことが(原因)」と言っている。

また、分割民営化へのプロセスの問題点と、これからの鉄道のありかたとしては、

・国鉄の分割民営化で、三島会社と貨物会社、とりわけ貨物会社は(そおらく安楽死論なども踏まえて)議論されずに発足し、それが今日の各種問題を浮き彫りにしている
・東海道・山陽新幹線以外の新幹線は、物流にも使うべきである

ということが終盤で強く主張されている。

* * *

個人的に関心があったことは二つ。石井氏はディーゼル車の設計に長年携わったのだが、かつてはDMH17シリーズについて批判的な見解を述べたこともあると思うものの(うろおぼえ)、近年は「ゆえに全国に気動車を素早く行き渡らせることができた」と自画自賛している。第4章がそれに当たるが、そのスタンスはあまり変わらない。「一流」のDD54を引き合いに出して、「地道な国産設計・国産製作を本流としたことはまさに正解だった」と書いている。

もう一つは、総裁評だ。国鉄が大きく転落していく時期の総裁は磯崎叡であり、磯崎は「マル生」をやめさせ、不当労働行為があったと「謝罪」し、労働の能率制を向上させようとしていた人たちのハシゴを外し、左遷した。任期は1969.5.27~1973.9.21。本書で石井氏が財政面で分けた、赤字が徐々に増えていく「第Ⅰ期」から償却前赤字に転落して借金地獄に入った「第Ⅱ期」を股にかけた時期だ。はっきりとは書いてはいないが、好意的な記述はない。

仁杉巌については、土木技術者としての仕事のスケールの大きさを評価している。杉浦喬也に替わったときに常務理事だった石井氏は「『分割民営化』賛成という厳しい道に転じた」と書いている。「転じた」とあるあたりに、石井氏の、当時の動きが見て取れる

* * *

本書で知ったことが二つ。一つは、昭和57年の東北・上越新幹線の大宮暫定開業が、当時総裁室調査役だった石井氏の提案だったこと。もう一つは、首都圏本部長としてJR東日本の経営計画策定にあたらんとしていたころ、九州総局長が辞任してしまったがゆえに昭和61年に九州総局長となり、そのままJR九州社長、という経緯だったこと。前任者が辞めなかったら石井氏はJR東日本の要職に就いていたのかもしれない。そしたらJR九州はまったく異なる形になっただろう。

本書は、とにかく「終章」、これからのJRがあるべき姿こそが石井氏ご本人が書きたかったことであろう。これからJR貨物や北海道で経営の指揮を執りたい気持ちがあるような書きぶり。しかし、90歳。90歳にしてこの本を書き上げるそのバイタリティは恐ろしいとも思う。

ちょっと雑多な感想になってしまった。本書の構成をどうこう言えない。


【関連項目】
『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)
『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋)
『敗者の国鉄改革』(秋山謙祐/情報センター出版局)






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『ランプ小屋の魔力 鉄道プチ煉瓦建築がおもしろい!』(笹田昌宏著)

鉄道の本


鉄道車両保存などで知られる笹田昌宏さんの新刊、『ランプ小屋の魔力 鉄道プチ煉瓦建築がおもしろい!』。数々の鉄道の保存車、遺構等の著書、あるいは雑誌への寄稿がある笹田さんの、今度は煉瓦建築の本だ。

タイトルは「ランプ小屋」だが、実はそれは半分くらいで、もう半分は、煉瓦アーチ橋、それも暗渠のような、やはり小さな構造物が主体。それが書名にないのは、もったいなくもある。

とはいえ、土木構造物が好きなら煉瓦アーチ橋だろうけれど、とくにそうした体系知識のない一般の鉄道ファンなら駅ホームにあるランプ小屋のほうが関心が高いそうだ。そのあたりを狙ったタイトルなのかもしれない。



国内には50程度しか残っていないらしい。おそらく、そのすべてが掲載されている。こうして見てみると、その多くは説明板を備えた、「保存」といっていい状態にあるようだ。煉瓦の小屋は、誰が見ても「古い」とすぐわかるもので、旅行者にとっては、それはその駅や路線の歴史を感じさせてくれるものだろうし、あれば写真に撮ったりするものだろう。「かわいい」と形容してもいい建築だ。

一方、所有者の鉄道側からしたら、煉瓦建築は耐久性が非常に高いものなので、老朽化の度合としては低く、危険性もない。そのほとんどは、そのままそこにおいておいても問題ないものだろう。それゆえに、こうして残され、保存…存置されているのかもしれない。


こちらは後半の、煉瓦アーチ橋のページ。煉瓦アーチ橋には、有名な大規模なものも多いが、本書は小規模なものを好んで掲載している。こちらも「かわいい」といえるセレクトだ。「よくぞ、そんな水面まで降りて…」と思うような写真も多数ある。私なら面倒なので絶対に行きません…。



本書の価値は、さらに、この資料で高まる。「○○駅にランプ小屋があった」などという個別情報は回るが、それを俯瞰した情報はない。本書には、そのリストがある。集めてこそ見えてくるものがある。


鑑賞ポイントについては、「この用語だけ知っていればOK」のような語り口で、平易に説いている。


「参考文献お薦め3選」として、『鉄道ファン』1989年7月号の臼井重信氏の「アラディン建築」が載っている。「アラディン建築」とは臼井氏の造語。


見ていたら、おもしろいことに気づいた。

左が臼井氏の記事、右が笹田氏の本書。臼井氏のころ、山都駅の扉はたぶん鉄製、屋根はトタンか。馬下駅の扉はたぶんアルミ製、屋根はトタン。

しかし、左を見ればわかるとおり、山都駅は、いまは扉はバツ形の木製、屋根は瓦葺きだ。

 
馬下駅も、扉はバツ形、屋根は瓦葺き。ということは、近年、扉をわざわざ木製にし、屋根を瓦葺きに変えたのだ。これは保存目的ということだろう。それにしても、このバツ形の扉を近年作っているとは。

【参考】木製扉の菱形・バツ形等


(Hitam1200、GFDL)
Wikipediaの「ランプ小屋」の記事には、2004年に撮影された馬下駅のランプ小屋がある。こちらはなんと、扉はアルミ?のままで、屋根だけ吹き替えられている。説明板はない。ホームの嵩上げ具合も少し違う?

本書の本質ではないけれど、こういう余計なことに気づくのは、とても楽しい。


なお、その『鉄道ファン』のPOST欄に、笹田さんの投稿が載っている。まったくの偶然だが、ニヤリとしてしまった。

こうしたものに注目する人は多いけれど、俯瞰した情報はなかなかない。その点でも、大変貴重な本で、ライトに鉄道遺産を楽しむことに大いに参考になるだろう。

まったくの余談だが、本書はムックではなく書籍だ。イカロス出版の出版物は、いままで同様の体裁のものでもムックだったのに。そのあたりは出版物流業界としていろいろ推測できることもあるのだが、一般論として、書籍のほうが長く書店にもあるため、本の寿命としてはそのほうがいいのは確かだ。

【関連記事】
『車掌車』(笹田昌宏著)
『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)
『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(笹田昌宏/イカロス出版)







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『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(笹田昌宏/イカロス出版)

鉄道の本


笹田昌宏さんの新刊『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(イカロス出版)。笹田さんとは『廃駅ミュージアム』をご一緒して以来の関係だが、そのときは車両保存方面での八面六臂のご活躍しか知らなかったのだが、お話をうかがって、実は相当に廃線跡や廃駅を訪ねあるいていると知り、同書の刊行に繋がった。

本書は、そこからさらに突き詰め、
第1章 風化してゆく姿が感動的な廃駅&保存駅
第2章 産業遺産の存在が感動的な廃駅&保存駅
第3章 駅舎やホームの姿が感動的な廃駅&保存駅
第4章 賑わいが戻った姿が感動的な廃駅&保存駅
に振り分け、オールカラー176ページで展開している。

 
具体的な掲載駅は上記を参照していただくとして、この章立ては、膨大な廃駅を見てきた笹田さんならではのものだ。

「廃駅」のイメージは、人によってまったく異なるだろうし、時代によっても変化している。かつては取り壊されるか放置されるかで、2000年代になっても基本はそれ。しかし、2010年ころからだろうか、鉄道路線が廃止になると地元も観光資源として活用するようになってきた。それは、旅のスタイルが、いわゆる「観光地巡り」からピンポイント型に変わってきたこととも大きく関係するだろう。


もちろん、そうなる前から有志が保存を続けてきた廃駅(廃止路線)もある。上の七戸駅などは、まさにそうだ。こうした先人の経験があってこそ、いま、観光資源として活用しようという意見がそれなりに力を持つようになったとも思う。先人たちには敬意しかない。


私はやはり、初めて越後交通の廃駅を目にした中学1年生のころから、自然に還っていくような姿に心を惹かれる。掲載されている駅には、そもそも廃止駅が多く、そのままになっている北海道の廃駅が多いのだけれど、そこは章立ての妙。全国の廃駅を北から並べるような構成とすると、北海道に偏ってしまったり、印象が似てしまうことを防いでいる。

私を含めて、廃線の本などほとんどなかった頃からの廃駅・廃線ファンは、つい「すぐ『レールバイクで活用』とか言ってさ…」と感じてしまうのではないかと思うが、そうはいっても、「廃線跡」という言葉が鉄道マニアでもない人にも認知され、旅の目的地になる現在、レールバイクでの賑わいもまた、普通の(?)人たちが旅の目的地にする。そして、それが鉄道が廃止になったような地域に貢献する。そこは認識しておきたい。

* * *

本書のことで笹田さんからご連絡があったまさにその日、根室本線の富良野~新得間の廃止のニュースが流れた。私は昨夏に訪ねていたが、その話をすると、笹田さんもつい数日前に訪ねていたという。落合駅などが、そのまま廃駅になってしまう。7駅はどうなるのか。布部駅は、富良野盆地にあるのと『北の国から』の絡みで残るだろう。幾寅駅も『鉄道員』関連で残るか。2020年代の廃線・廃駅が辿る姿を追っていきたい。

●関連項目
『車掌車』(笹田昌宏著)
『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)

閉鎖されて5年の根室本線落合駅
根室本線休止区間の踏切(幾寅西1号踏切)








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『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)

鉄道の本


イカロス出版から、これまたすごい本が出た。タイトルからすると、「全国にある『トロッコ』…軌道自転車に乗れる観光ガイドかな?」と思うかもしれない。実際、冒頭はそういうガイドである。ところが、そんな「調べれば誰でも書ける」というようなシロモノではなかった。

著者は、車両の保存活動で有名な笹田さんだ。執念と表現したくなるようなコンプリート的な探訪と調査で、過去も『車掌車』はじめ、「よくこのテーマでここまで…」と思わせられるほど、盛り込まれている。


まず驚いたのは、「軌道自転車を使って廃線跡を走る」というのは、笹田さんが学生時代に九州で始めたのが嚆矢である、ということだった。知らなかった。未成だった柚須原線に敷かれたまま残っていたレールの上に軌道自転車を走らせて「開通」させたのが1995年9月17日。翌1996年9月15日も開催されたがそれがこの区間では最後となり、翌日には上山田線の廃線跡でやはり軌道自転車を走らせて「復活」させた。

遠く福井の大学生だった笹田さんがこれを実現したというのは、驚異的なことだ。しかし、1997年にはEF70を買ってしまう笹田さん、どっちが驚異的なのかは測りかねる…。

「こういう方法があるのか」と知った人が全国各地に現れ、ちらちらと登場したのは90年代末期から。私もできたばかりの美深で乗った。



この本のすごいところの一つは、軌道自転車の発達史があり、カタログがあり、「保存車」を紹介しているところだ。コミケで軌道自転車をまとめたものがあったら、相当に話題になるに違いない。でもそれはコミケという場での受け方・売れ方であって、コミケで2000売れても商業出版したらまったく売れないパターンというのは往々にしてあり、軌道自転車はそれではないかと思うのだけれど、こうして1冊にまとまっている。笹田さんの構成力とイカロス出版の判断のすごさをここに見る。

笹田さんの軌道自転車観察はこれに留まらず、海外の事例や保存例にも及ぶ。そして、フィリピンのバンブートロリー…列車がこない間に人車を勝手に運行するスタイル…にも触れる

 
なんと、バンブートロリーを模して自作してしまった。これを「コミケ的」でないとしてなんと表現しよう。このノリこそがコミケで受けるものであり、これを商業出版でやり遂げてしまったことには驚くほかない。

「鉄道」というあまりに広いジャンルには、まだまだ、ほとんどの人が関心を向けていない魅力やテーマが眠っているのだと気づかされる。私は笹田さんを存じ上げないときは、車両保存の方面の方だと思っていた。それが、実は廃線跡や廃止駅も若いころからものすごいペースでめぐっておられ、その成果が『廃駅ミュージアム』であり、『廃駅。』であり、『車掌車 』であり、『幽霊列車 ~日本と世界の廃車図鑑~ 』だ。並行して、保存活動も相当に動いていらっしゃるはずだ。

笹田さんの執筆や出版のペースは尋常ではないが、それは、笹田さんを突き動かすものがあまりに多すぎ、寸暇を惜しんでそれに応えているに過ぎないだろう。

この、『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』と題されたおそるべき本は、しかし、従来の鉄道書の概念と相当に異なると思う。タイトルからして、エッセイのようだ。実は『廃駅ミュージアム』のときも、それが妥当かどうか相当悩んだのだけれど、笹田さんたっての強い希望もあるのでそれにした。また、本書はムック的な造りになっている(いや、刊行形態はムックなのだが、A5判でカバーつきであり、書籍と同じ体裁をしている。刊行形態がムックなのは、版元の出版物流的な事情によるものだろう)。これが、「コミケに出したら相当に売れそうなテーマの本」商業出版の合流地点なのかもしれない。コミックスを舞台化したものを「2.5次元」というが、そんな位置。

いま、新しい感覚の鉄道書がどんどん出ている。いまはそれらは亜流かもしれないが、いずれ大きな流れになるだろう。本書もまた、その流れを強くする一つだ。



参考までに、過去に書いた軌道自転車の記事を。

【関連項目】
スーパーカート(レールバイク) 東光産業 TSC-N



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『ふしぎな鉄道路線「戦争」と「地形」で解きほぐす』(竹内正浩著)

鉄道の本



鉄道史では、しばしば日本の軍隊、特に陸軍との関わりが記述される。読む側も「そういうものか」と受け入れ、特に検証もせず、知識としている。「常識」というか「基本的な知識」というのはそういうものだろう。かくして「~といわれている」という言説が、孫引きとして繰り返される。

本書は「鉄道と日本軍は本当に関わっていた」という一次ソースを提示しつ鉄道史を解説するものだ。著者の竹内正浩氏の目的は、その一次ソースの漢文調の文書を直接読んで雰囲気を味わいつつ細かなニュアンスを掘り起こし、流れを整理する。それはもちろんおもしろいのだが、しかし、竹内氏が本書で伝えたいことは、もう一つあると感じる。それは、「明治時代から太平洋戦争の時代までの、外敵への恐怖感」、それも「高速移動手段がなかった時代の人間の感覚」を、現代人にわかってほしいということではないか。また、「何か(輸送手段の規格など)を決めるとき、軍隊の規模を基準とするという感覚」「鉄道は兵器であるという感覚」も。いずれもみな知識としては知っているだろうし、いわれれば「そうだろうな」とは思うものだが、間違いなく現代の私たちには「実感」はない。

現代の私たちは、日本の国土は自衛隊と米軍により強固に守られていると思っている、と私は思っている。何かあっても自衛隊と米軍が守ってくれそうだ。自分が避難しなければならないときは、クルマもバイクもある。新幹線が動いていれば、2時間あれば300km向こうに移動できる。しかし、鉄道もクルマも一切ない、徒歩と海路(しかも蒸気船)だけが頼りの時代だったら? 私たちが過去の何かを想像するときの基準を、本書は与えてくれる。

* * *

目次を公式サイトから転載する。

第一章 西南戦争と両京幹線
    なぜ中山道ではなく東海道だったか
第二章 海岸線問題と奥羽の鉄道
    なぜ奥羽本線は福島から分かれているか
第三章 軍港と短距離路線
    なぜ横須賀線はトンネルが多いか
第四章 陸軍用地と都心延伸
    なぜ中央線は御料地を通ることができたか
第五章 日清戦争と山陽鉄道
    なぜ山陽本線に急勾配の難所があるか
第六章 日露戦争と仮線路
    なぜ九州の巨大駅は幻と消えたか
第七章 鉄道聯隊と演習線
    なぜ新京成線は曲がりくねっているか
第八章 総力戦と鉄道構想
    なぜ弾丸列車は新幹線として蘇ったか

個人的な関心の度合いから、私が読んだのは、5→2→6→4→8→1→3→7章の順だ。しかし、前述した「明治時代から太平洋戦争の時代までの、外敵への恐怖感」を順序立てて理解していくには、やはり第一章から読んでいくのが妥当である。

「はじめに」で、陸軍の関与が最も強かったのは明治25年(1892年)頃の日清戦争開戦直前のころだと書いている。第一章では明治21年(1888年)に陸軍参謀本部が『鉄道論』という書物を刊行している。以降、日露戦争や太平洋戦争時の日本軍が鉄道のことをどう捉えていたかが描写される。私のようにランダムに読むとその時系列が崩れてしまい、結局、通しで読み直すことになる。

* * *

そういう点では本書の本質ではないのだけれど、真っ先に第五章「日清戦争と山陽鉄道」を読んだのは、山陽本線(山陽鉄道)の山口県のルートどりの地図があったからだ。かねてより、山口市があのような位置にあるためか山陽本線は素通りしていることと、なぜ防府から山口に抜けなかったのかということに疑問を感じていた。それが、複数のルート案とともに解説してあるから真っ先に読んだのだ。

その地図と本文を読むと、「六日市」「日原」とたどるルート案があったことがわかる。ここからは憶測だが、「岩日線(いまの錦川清流鉄道)」は、このルートの一部をたどる。このルートが鉄道敷設法別表に載ったのは、このときの計画というか空気が残っていたからではないか。それが延々残り、「岩日線」として建設されたのではないか。結局は、錦町以北は工事が凍結されたので、六日市~日原間は2回も鉄道に振られてしまったのではないか。最後は憶測だが、その「物語性」はなかなかのものだと思う。

* * *

本書は主として「ルート決定」の観点でまとめられたものである。続編として「運営」の面ではどうだったのかを望みたい。国鉄(組織は行政上、随時変わっている)や車輌製造会社、製鉄会社がどう考えてどう動き、軍隊と戦争にどう影響を及ぼしてきたのか。大量の蒸気機関車や貨車が外地に送られ、ほとんどすべてが戻ってこなかったのは鉄道ファンが広く知るところだが、その意思決定のプロセスはどうだったのか。車輌製造会社において市場としての外地はどうだったのか。「地図ファン」が読者層と思われる本書とは読者の数の桁が違う(少ない)かな。


こういうおもしろさがある。国鉄総裁だった藤井松太郎という人物がいる。東海道新幹線の計画に反対して技師長を追われ、後に考えを改めて島秀雄の後に再び技師長に就任し、のちに国鉄総裁となり、労働問題で職を追われた土木技術者だ。その藤井松太郎の評伝『剛毅木訥』(田村喜子)に、藤井が「陸軍省第一鉄道部附」として「鉄道省派遣橋梁修理班作業隊長」として中国に派遣され、作業する様子が描かれている。小説仕立ではあるが、本人に細かな取材をしているものなので、その様子がよくわかるとともに、鉄道連隊との関係も書かれている。藤井は、大河も大河である淮河に架けられていた9連の200フィートトラス橋のうち7連が人為的に破壊され、水中に没していたのを引き上げ、修復する。現地には、偶然、藤井の鉄道省1年後輩の篠原武司(のちの鉄道技術研究所所長、鉄道建設公団総裁)が鉄道連隊の少尉として、中隊長として現地にいた。そうした、官と軍の関係を整理して理解してみたい。

* * *

最後に、本書の記述はすべて元号が基本となっている。これは感覚的な把握にとてもいい。私が高校生のときには、日清・日露・第一次大戦は、1894・1904・1914年と10年おきだ、と教えられた。でもこれではその背景の時代を感じられない。1894年は「まだ」明治27年で国内も安定していない、1904年は「まだ」明治37年、1914年に至ってようやく大正3年、重工業の国産化が進んでいた時期だ。鉄道史も、西暦ではなく元号で考えると、まったく違う見え方をしてくると思う。「明治維新からたった○○年で!」というように。もちろん、本書の元号も、そういう把握を意図しているだろう。そういう配慮が行き届いた本だ。




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Special Turnout Switches

鉄道の本


ブログ『レイルエンヂニアリング』の大町パルクさんが、コミケで頒布した2冊。大きい方が「Special Turnout Switches(STS)」つまり特殊分岐器(ぶんぎき)、小さい方が「Specified Railway Turnout System(SRTS)」つまり特殊な鉄道の分岐システム、というタイトルどおりの内容だ。

「STS」の内容は、三枝分岐器、複分岐器、三線式分岐器、ダイヤモンドクロッシング、シングルスリップスイッチ、ダブルスリップスイッチ、脱線分岐器・乗越分岐器・横取装置、その他特殊なもの…となっていて、三枝・複・三線式…などは、日本国内のものを網羅したものとなっている。

小学校4年生の頃、シノハラのダブルスリップが本気でほしかったり、写真に撮ったり、いろんな分岐器の絵をよく描いていた程度には関心があった分岐器。そのころからとくに知識をアップデートしているわけでもなかったので、本書を見て、かつては全国の操車場にたくさんあった三枝分岐器がもう数えるほど、JR線上では1カ所しかなくなっているということを知り、非常に驚いた。ということは、ダブルスリップも、かつてほど多くなく、減少傾向にあるということだろうか。

ただでさえ維持に手間がかかる分岐器なので、その「特殊」なものは、製造も維持もさらに手間がかかるものに違いない。『鉄道をつくる人たち』(川辺謙一著/交通新聞社)では関東分岐器に取材している。

駅の配線の考え方も、国鉄時代と現在では大きく異なる。たとえば、かつては振り分け分岐器(振り分けの率が1:1のものを「両開き」「Y字」などと通称する)が多用されたが、1980年代以降(かな)、「1線スルー方式」が増え、そのように修正されてもきた。今回、写真の本が出たので、次はぜひ「分岐器における、運用側・製造側の思想の変化」をぜひまとめていただけないだろうか。


大町パルクさんの、「それを見に行くために、遊園地や沖縄まで行く」という行動力はすごい。コミケ当日には売り切れてしまったとのこと、現在、再販すべく準備中。下記リンク先から購入できる。







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『鉄道貨物 再生、そして躍進』(伊藤直彦)

鉄道の本


JR貨物第4代社長である伊藤直彦氏による、国鉄分割・民営化における「貨物」の位置づけがどうだったかをつまびらかにする本。……という触れ込みだったのだが、いや、たしかにそれは書いてあるのだが、328ページものうち、おそらくそれらをまとめると30ページ分くらいしかない。「本書ならではの記述」は、下記の点だ。

・国鉄の分割・民営化の議論では、貨物は常に後回しにされたこと
・「JR貨物」という一事業形態だけではなく、「セメント輸送会社」「石油輸送会社」のような、「第三種鉄道事業者」が生まれる可能性もあったこと
・葛西氏や牧氏の著書では酷評されている太田職員局長を褒めている。伊藤氏自身も、分割反対だった(補足:JR東海の初代社長・須田氏もそうだが、国鉄改革は、決して、分割反対派を排除したわけではない。おそらく排除すると人材が圧倒的に足りなくなる)
・角本良平氏でさえ「JR貨物は国鉄債務を背負っていない。そして経営安定基金をもらっている」と誤解するほど、JR貨物が世間の「識者」に理解されていないこと
・JR貨物は、立場としては「JRグループは永遠に連携しつつ対等の立場でダイヤを調整しなければならない」と主張し続けている

これら以外は、すべて「思い出話」と思ってよい。帯に、一橋大学元学長の杉山武彦氏の言葉として「経営改善の軌跡を描いた必読の書」とあるが、描かれているのは「がんばれと声をかけた」「私たちはがんばった」のようなことばかり。具体的にどうしたか、末端職員の工夫や管理の描写は皆無である。経営に役立つ言葉も方法論も一つもない。一橋大学元学長は本書を読んだのだろうか。

本書に書かれている「経営」は、現在の民間企業に当てはまるものではない。読者には「いまだJR貨物の経営陣は、親方日の丸」と感じさせ、いま現場に立っているJR貨物の社員たちが「おれたちの会社のトップはこの程度の認識なのか」と感じさせるに十分な、残念な考え方が詰まっている。もっとも、それは、単に「本書の構成と文章が稚拙だから」かもしれず、実際には伊藤氏は社長としてさまざまな決断を下し、ぐいぐいとひっぱっていったのかもしれない。しかし、それは、本文から読み取ることはできない。



そんな本書の記述は極めて稚拙。

・誤字が多く、文字統一もなっていない
・「国鉄という組織」を知らない人には意味不明の記述が多数。国鉄の職制や官僚のパワーバランスの説明が一切ないが、「本社」という表現や部署名が頻繁に出てくる
・登場人物すべてに「○年入省」と書かれている。これはすなわち、入社の期が仕事に影響するということで、いまも官僚組織ではそうだと聞くが、こんなものは「経営の参考」などにはまったくならない
・「がんばれ」「やるしかないと言ったら達成できた」というような、具体性がない実績
・多くのことを、自分の友人関係・先輩後輩関係が解決したということに結論づけている
・褒められて嬉しかった、という記述が多い
・全体の半分が、国鉄改革の推移の説明に過ぎない
・数ページに及ぶ「引用」が多い。版元が日経だから権利はクリアしてはいるのだろうが、ここまで長々と他著を引くのは「引用」を逸脱している。あまりに冗長。なお、引用とは、本文を「主」、引用文を「従」と判断できる、必要最小限の転載をいう



もっとも阿呆か、と思われる記述は、あらゆることを、友人、知人話に落としてしまっていることだ。著者の人間関係のおかげで解決した、というような書き方だ。これはかなりの問題と思われる。東日本大震災の後、3月15日に沼津の変電所すなわち東海道本線が止まるというとき、伊藤氏は菅内閣経産省副大臣・原子力災害現地対策本部長だった池田元久氏に「東海道線を止めると支援の物流すらも止まる」と訴え、回避されたことを「持つべきものは友人である」と表現している。では、二人が知己でなかったら回避できなかったのだろうか。伊藤氏の手柄話なのだろうか。そんな馬鹿な話ではあるまい。池田氏が変電所の停止を回避したのは、おそらく事の重大性を考えてのことであり、「友人の頼みだから」回避したわけではないだろう(P233)。なお、著者の「あとがき」には「座右の銘は『一期一会』」で、人との出会いが云々と書かれている。

また、国鉄末期、貨物駅縮小にあたり、地元の説得をする際に「『伊藤を男にしてください』と畳に頭をこすりつけんばかりに懇願した」とある。地元の人は、初めて訪れた官僚なんかどうでもいいだろう。これで悦に入っているのだから恐れ入る。



本書を読むのは、なかなかつらかった。こうした欠点があまりに多く、また、文章があまりに下手。日本経済新聞社ともあろう版元の本とは思えない。いままで刊行されたJR経営者による国鉄改革の記録本は、旅客会社についての記述しかなく、わずかに葛西敬之氏の著書に「貨物も分割すべきだった」というような記述があるくらいしか記憶がない。そういう意味では画期的ではあるのだが、これは、著者の責任というよりも、編集がダメな例だろうと考える。伊藤氏に書かせるのではなく、伊藤氏からもっと具体的な話を引き出し、「経営改善」の数字を明記し、官僚組織特有の表現にいちいち注釈を入れ、全体の構成を整理し、読ませる文章を書ける編集・ライターが仕立て直すべき内容だった。それがなされていない本書は、買う価値はあまりない。

【同日追記】
ある方より、「杉山武彦氏は『一橋大学学長』というよりも、運輸政策研究機構、日本交通学会、日本交通政策研究会、高速道路調査会といったところの役職を背負う運輸経済の大家として評価されている方』であるとご教示いただいた。なるほど、それならば帯の推薦文の書き手としては適切。しかし、それならば、帯の肩書きは「学長」よりも、運輸経済方面のほうがよかったのではないか。ただ、そちら方面の人には「杉山武彦」は超有名人なので、そちら方面の肩書きを入れる必要はないのかもしれない。

また、鉄道趣味者は読者対象ではないのかもしれない。それが証拠に、ジュンク堂池袋本店では2階の一等地にある鉄道書コーナーではなく、5階の物流コーナーにあった。Cコードは0065なので、鉄道書コーナーにあってもいいのだが。実際の読者層のうち、鉄道趣味者の割合を知りたい。





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RMライブラリー『国鉄DD13形ディーゼル機関車』

鉄道の本



RMライブラリーの『国鉄DD13形ディーゼル機関車』。1冊1250円なら安い、でも3分冊だから3750円である。でも安い。6月下旬に「下巻」が出ていたものを、やっと読むことができた。
写真に同誌と写っているのは、交友社発行の部内教科書の『液体式ディーゼル機関車DD13形』。昭和36年大鉄局教習所編。
 
下巻の後半で、DD13とDD14の重連総括貨物運用の話が出て来る。大きく掲載された写真のクレジットを見ると、趣味誌で多くの写真を発表されている志水茂さんだ。
 
この組み合わせは、個人的には子供の頃から気になっていた。学研の原色科学ワイド図鑑『交通・通信』に写真があり(添付参照、クレジットはないので不明)、まるでアメリカのディーゼル機のA形+B形かのようなスマートさを感じていたのだ。

 
いつかネットの掲示板にこの話を書いたら「羽越線でそういう運用があった」と教えてくれた人がいた。そもそも興味を持つ人が少ないディーゼル機の中でもマイナーなDD13ゆえ、それ以上の情報はなかったものが、ここで大きく、その運用の由来を推測を含めて採り上げられた。
 
手元の学研のこの図鑑は1973年初版、1976年16刷。この図鑑で採り上げられている鉄道車両は「まっとう」というか、時代を考えたらこういうセレクトになるだろうなというものだが、この写真に限っては、「メジャーではない姿」を掲載しているものだった。本には、たまにそういうことがある。「図らずも」の場合もあるし、編集者の遊び心の場合もある。私は後者の仕掛けをたまに入れる。
 
 
 
 

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