地図式の車補(特殊区間用特別補充券地図式)の路線図の続き。
一般用特別車内補充券(長岡車掌区)。 1981年だろうか。「年」が書いていないので困る。1322レは、新潟~直江津~長野~高崎~上野を1日かけて走っていた客車列車の新潟~直江津部分。といっても列車番号は4分割されていた。おそらく2回乗っている。これはそのときにコレクション用に作ってもらったもの。「往復」で100円になっているのは、手間をかけさせるわりに50円だというのもなあ…という、子どものくせに配慮したもの。 年不明。同じく長岡車掌区。313Mは「とがくし3号」と思われる。1980年10月の時刻表では「313M」がなく、「とがくし1号」が315M、「とがくし3号」が317M」。おそらく1981年10月か1982年11月改正あたりで列車番号が変わったと思われる。柏崎の親戚宅から新潟に帰るとき、いつもは自由席だが、このときは座れなくて指定席に移動したのだろう。 年不明。新潟車掌区。4003Mは「雷鳥3号」で、ぼくは柏崎から新潟に行くのに特急に乗ったのは1回だけ、と記憶していたのだけれど、この補充券があるということは、乗っているのだ。しかも車内で買っている。こんな真っ昼間の時間帯というのも妙だ。まったく記憶がない。 これも年不明。1982年か。新潟車掌区。1229レ。手元の1980年10月の時刻表では「229レ」はあるが「1229レ」はない。コレクション用に作ってもらったものと思われる。 1981年か。1337M、直江津車掌区。これは実際に使ったものだ。叔母と従兄弟(当時未就学児)とぼくとで、大久保隧道付近から鯨波駅まで歩いて、電車で柏崎駅に帰ってきたのだ。そのときの写真も残っている。しかし、日付を見て驚いた。なぜ6月13日なのだろうか。親戚宅に行くのは、春、夏、冬休みだったのだ。6月に行った記憶はない…。 1982年8月28日、金沢車掌区。501Dは「しらゆき」だ。この日、母と、初めて魚沼線・赤谷線に乗りに行った。基本的に普通列車での移動だったのだけれど、長岡~新津間は急行に乗らざるを得なかった。「記事」欄にはなんと書いてあるのだろう、読めない。 1984年7月30日、福井車掌区。224レ。鉄道少年団全国大会で武生に行ったときだ。なぜ鯖江~武生なのか思い出せない。鯖江に泊まったのだろうか。 PR |
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