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西佐川駅の跨線橋(高知県)

西佐川駅の跨線橋(高知県)

跨線橋

土讃線西佐川駅。下り列車車中からの一瞬の邂逅なので、そういう写真であることはご容赦ください。手前のホームが1線スルーの上下本線である2番線、対岸のホームが駅舎と接する1番線だ。

古レールをプラットトラスに組んだフレームを持つ木造跨線橋。階段に踊り場はないようだ。


発車ざまに振り向くと、跨線橋、2番線(こちら側)階段と反対側にも張り出しがある。西側にある駅舎を経由しなくとも、線路東側から直接できるできるように後付けで設けられた自由通路のための跨線橋のようだ。

この跨線橋は、1998年冬の青春18きっぷのポスターにもなっている。こちらのサイトに詳しい。

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環状4号線(早稲田通り-新目白通り-不忍通り)

環状4号線(早稲田通り-新目白通り-不忍通り)

地図・航空写真・分水嶺

新宿区の早稲田通り、西早稲田交差点から北に向かう、新しい道路がある。新目白通りまでの300mほどの4車線の道だ。私が周辺をうろついていた1990年代前半には跡形もなかった道で、いつしか整備が進み、西早稲田交差点界隈の径間は大きく変わった。

20130216001.jpg(電子国土+カシミール3D)

この地図の下辺中央から上に伸びる道がそれである。そのまま上に目を向けると、目白通りから不忍通りへの分岐点(目白台交差点。「・30」と書かれたところ)がある。

かつて、目白台一丁目(ただし崖下)に住んでいたことがあるので、その界隈もなじみがある。なぜ、不忍通りがこんなくっつき方をしているのかは、長らく不思議だった。


20130216000.jpg(文京区の都市計画図より)

先日、Googleの衛星画像と、新宿区、文京区の都市計画図を見比べていたら、すべて合点がいった。西早稲田から新目白通りと交差して、台地上の目白台二丁目交差点までを結ぶ計画があるのだ。環状4号線である。幅員は22m、4車線道路だ。

























これを、空中写真で見てみよう。まずは、現在。
20130216002-saishin.jpg(電子国土空中写真最新2500+カシミール3D)
画面中央を左右に横切るのが新目白通り。そのすぐ上の黒くてすこしうねっているのが神田川。画面上部を横倒しのy字になっているのが、左右が目白通り、上に向かうのが不忍通りだ。

「環状4号」を黄色く重ねた。現在供用中の道路の真北、すでにかなりの準備ができている。道路の形に建物が撤去されている。日本女子大付属豊明小学校の左側の公園などが、道路予定地ということになる。このルートに沿っては、現在は細い急勾配の車道があるだけだ。

次いで、古い写真、といっても1998年頃。
20130216003-1998.jpg南部(現在開通している部分)は、道路の形に家が並んでいるように見えてくる。対して北部は写真で見る限り、まったくその様子がうかがえない。もちろん、当時というかそれ以前から計画はあった。

20130216-a0.JPG(『東京都区分図文京区詳細図』昭和22年)
開通を遡ること50年以上前の1947年の時点で、40m道路の計画がある。現在は22m、なぜ、いつ、縮小されたのかまでは手をつけていない。ただただ、道路計画の、気の遠くなるような精神に、それにたずさわる人の歯車感たるや…などと勝手な同情を寄せるのみである。






 

新潟高校山岳部創部60周年記念祝賀会と、ニュートップのフレームザック

新潟高校山岳部創部60周年記念祝賀会と、ニュートップのフレームザック

山あるき

2014年1月3日、新潟市内で、新潟高校山岳部OB会による、創部60周年記念祝賀会が開催された。この会は、40周年(1994年)、50周年(2004年)にも開催されているのだが、50周年のときはなぜか出席していないので、先生、先輩、後輩に会うのは二十年ぶり、このために帰省した。

高校1年のときに現国の先生が顧問で、その先生に出会わなかったら山岳部には入らなかったかもしれないし、そうなるとオフロードバイクにも乗っていないかもしれない。ということは結婚していま東京で家庭を持っていることもなかったかもしれない。いまに到る原点のような大切な存在が、高校の山岳部だ。

私が高校1年の頃、1987年頃がひとつの全盛期かつ過渡期で、テントは家型からダンロップのドーム型に、ザックも安価なアタックザックがリリースされ、ガスコンロも強力なものが登場してきていたが、灯油バーナーが当たり前だった(ガソリンは、テントを燃やした高校があったために高校生は使用禁止と高体連から通達があったはずだ)。しかし、まだウエアはゴアテックスや速乾ズボンが出てきたくらいで、綿のTシャツにパンツしかなかった。ペットボトルは登場していたが、それを使うという発想はなかった。

いまはなくなってしまったそういうものの一つに「フレームザック」がある。

(この粗さなのでわかる人にしかわからないと思うので掲載しますが、問題あったらご連絡ください)

1988年、飯豊神社にて。中段、左から2人目(黄色サングラスの人が前述の先生、その右)が私。この右端に写っているザックが、高校2年から大学1年の頃まで使っていた、ニュートップの「パックフレーム」だ。フレームの全長は106cm、パック部分は65リットル。重量は3kgもある(というスペックをいまでも覚えている)。背負子を機能的にしたもので、フレームがあるからいくらでもパックの外に荷物をくくりつけられるし、荷崩れもしない。パッキングの苦労もない。しかし、ある程度の身長がないと担ぎづらいし、似合わない。そんなザックを愛用していた。

  拡大して見る。このときは、下部の荷室にはシュラフや着替え、上部には個人用のガスバーナー(共同装備の灯油コンロを私的に使うことはできなかった)やボンベ、大休止時の食時としてレトルトカレーとご飯を日数分、テント等を入れていた。テントポールは入らないので上部フレームに置いていた。写真では、その上にタオル、コッヘル?、0.75リットルの赤いグランテトラ(水筒)が置いてある。

フレームがあるので地面に置くことができず、必ずどこかに立てかけた。苦労するのは列車の中で、網棚に上げるとボックスシートひとつ分の長さを占領してしまう。ボックスシートの通路側に座り、手すりにショルダーベルトを通すと直立するので、そのようにすることが多かった。ニュートップは、のちに倒産した。

後ろに見えているのはキスリング。1年生がこれを使わされていたのはいつまでなんだろう? 当時ですらあまりにアナクロな気がしたものだ。

このフレームザックで行った縦走は、上越国境(土合~白髪門~清水峠~清水)、飯豊連峰縦走、北アルプス(上高地~蝶~常念~大天井~合戦尾根)。大学2年のときに知床連山に行くにあたり、Lowe(カメラバッグのLoweProの大元、いまのLoweAlpine)のSpecialist ClowdWalkerという80~100リットルに買い替えるまで使っていた。いまも実家の倉庫の奥にあるということだが、見るとその前にたくさんの荷物が立ちはだかっていて、いまだに再会できていない。

Loweの大型ザックは、これとコントワー(だったと思う、60リットル程度)と二つ持っていたが、いま、スペシャリストクラウドウォーカーだけが残っている。生地はかなり硬化し、接着剤が劣化して剥がれたような黒い粉がそこらじゅうについている。



ついでに。

1992年、大学2年の夏に、高校山岳部の飯豊連峰縦走合宿についていったとき。北股岳をバックに。もうザックはLoweになっている。このLoweで縦走したのは、知床連山、朝日連峰、トムラウシ山、北アルプス(奥穂周辺)、南アルプス(北岳から南下)など。

もうひとつ。これはトムラウシ山。1993年、2泊3日の行程で天人峡から入った。当時、詳細なコースガイドもなく、ヤマケイの『諸国名山案内』にあった35mmポジ原寸ほどのロックガーデンの写真に惹かれ、出かけていった。エキノコックスについて知らず、生水を飲んでいたが、幸い、いまも生きている。

* * *

記念祝賀会、名簿づくりからはじめ、開催にこぎつけるまでの並々ならぬご苦労があったことと推察し、深く感謝申し上げます。また山に行きたくなってきている。

日和佐駅の構内踏切

日和佐駅の構内踏切

鉄道

JR牟岐線の日和佐駅にある構内踏切。JR東日本などは構内踏切には警報器・遮断機をつけるか、廃止して跨線橋をつけるか…とした駅が多いが、JR四国にはこのような構内踏切がいくつも残っている。しかもここ日和佐駅は簡易委託駅であり、無人駅ではないにもかかわらず、だ。

写真右上(線路の先)、ホーム先端のスロープにも構内踏切がある。かつてはここを利用して荷物・郵便を積んだターレットやリヤカーが行き来したのだろうが、いまは閉鎖されている。

1番線から2番線を見る。対岸のホームの「向こう」は現在は使っていない。写真左、ホームが扛上されている部分より左に列車は停車する。

木製のホーム上屋もすてき。柱も木製だ。



海部駅近くの「トマソントンネル」の過ごした時間

海部駅近くの「トマソントンネル」の過ごした時間

隧道・廃隧道

JR四国牟岐線の海部駅に着く直前にある町内トンネル(まちうち)。ホームからこのように見える。大井川鐵道地名駅付近にあるような覆いではなく、こちらは本物のトンネル。かつては山があったものが、開削されて躯体だけが残ったものだ。

この区間の開通は1973年10月1日。

空中写真で見てみよう。
(国土変遷アーカイブより。1975年11月2日撮影。CSI7513-C13B-23。リンク先をぜひご覧ください)
黄色いルートが牟岐線、矢印の先が町内トンネル。

線を除去する。
すでに開削されている(後述追記参照)。開通から2年後には、すでにトンネルではなくなっていたということで、ということは開通を2~3年待てば、トンネルを掘る必要がなかったということだ。

では、それ以前はどうだったのか。
(国土変遷アーカイブより。1968年10月2日撮影。SI685Y-C9-13。リンク先をぜひご覧ください)

1968年にも、隣接する国道55号は開削されているようだが、この町内トンネルの場所はまだ「山」だ。だからこそ、トンネルを通したのだろう。

それにしても、前述の1975年の空中写真を見ると、大きく開削されたものだと感じる。現地に経つと、ここに山があったとはちょっと想像できない広さだ。

【2014年1月5日追記】
サイト『轍楽之道』の寺田牧夫さんから、1975年8月の海部駅の写真を見せていただいた。そこには、ポータル上、数メートルの土かぶりしかなくなっている町内トンネルが写っていた。また、ライターの土屋武之さんから、宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』における海部駅の記述で、すでに開削されたことが描かれており、氏の訪問日が1976年5月7日だったとご教示いただいた。となると、1975年8月から翌年5月までの間に開削されたということがわかった。お二方のご教示に感謝申し上げます。






徳島駅の木造ホーム上屋と、ホーム嵩上げの謎

徳島駅の木造ホーム上屋と、ホーム嵩上げの謎

古レール・駅ホーム上屋・柱

徳島駅の跨線橋(木造のほう)
徳島駅の跨線橋(PC桁のほう)の続き。

徳島駅の3・4番線のホーム上屋は、柱も屋根もまで木製だった。美しく手入れされ、柱は補強なのか板で囲われていた。

構造的には、枕木方向の門型構造を、鴨居の位置で連続させているように見える。屋根も木製、板は枕木方向に流れている。

複雑な柱の上部。基本構造が枕木方向に見えるというのもこの組み方から。

振り向くと、
木造跨線橋の階段部分までは、古レールを支柱にしたV字型の屋根ががかけられている。そちらのほうが新しいということだ。その接合部には、Y字型の鉄柱がそびえていて、階段との導線にすごく邪魔になっている。

この2・3番線ホームは、昔のホームの形状と嵩上げの跡が見て取れる。煉瓦積で下部より上部が一段、線路より引っ込んでいる。その上に、上部の隅石とでも呼べばいいのか、石が縁に敷かれている。現在のホームはそれを嵩上げしている。


では、木製の柱は埋め込まれているのか、それともすべて基礎ごと新しいホーム正面に据えられたのか。状況証拠として、跨線橋下部を見てみる。
この写真の階段部分を拡大してみると…

(超広角レンズで撮影した端部のため、ホームが斜めに見えるが、この歪みはレンズによるもの)

地面と同じ段に、滑り止めのついた「踏面」がある。これは階段1段分を埋めたということであろう。ということは、ホームの柱も本来の最下部は嵩上げ部分に埋まっている、といえそうだ。


2014年 謹賀新年

2014年 謹賀新年

独言・日記


謹賀新年
本年もたくさん移動ができますように。
2014年1月1日
磯部祥行



2013年『轍のあった道』アワード

2013年『轍のあった道』アワード

独言・日記

2013年12月29日にカルカルで開催された「ダムアワード」に触発されて@hachim088さんがご自身の1年をブログに書いてあること・ないことを振り返りつつアワードを…とツイートされているのを見て、私もカウントしたくなった。

2013年にはこの記事以外に280本の記事を書いた。その中で、貴重だと自分で思うものや自分で「発見した」と思うもの、有名な存在なんだけれども自分が行きたいと思っていたものを中心に、候補をリストアップした。自画自賛の最たる「アワード」は末尾に記す。

私としては、280本のうち半分くらいは「どうだ!」という気持ちで書いている残り半分は「まあ、ネット上に記録しておくか」というくらいの気持ちだ。でも、どれも、ご覧いただくこと、後日、見知らぬ誰かが検索したときにヒットし、参考になれば…という気持ちでアップしている。

旅も、机上の旅も、どれも楽しい。2013年はいろいろな方、いろいろなものとの出会いがあった。2014年もまた多くの機会に恵まれますように。

●橋賞

須川橋(匹見川)ボーストリングか曲弦ワーレンか
 
『歴史的鋼橋集覧』にも橋の有名サイトにもない、いい橋に偶然出会うととても嬉しい。それがボーストリングトラスであればひとしおだ。

<次点>

根笠橋 トラスをトラスで補強した橋

有名な橋だと思うが、これは『歴史的鋼橋集覧』には載っていない。

ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山の廃線跡にある。『廃線跡の記憶4』でLevel_7gさんが取材し、見つけてきたものをトレースした。

大原橋 コンクリートローゼ

これは有名な橋。見ておきたかった。

●道路賞

弁財澗の片洞門 国道229号(北海道)
積丹半島で偶然見つけた片洞門。これだけのオーバーハングは、いまではありえない。というか下に入るのが怖かった。

●建築賞

本別農協勇足支所(北海道)
このRがいい。側面の農協マークもすてきだ。なにより、現役の施設であることがすばらしい。

<次点>

モノトーンの日石カルテックス
美しい。そして現役。

垪和簡易郵便局(はが)
@0916taiさんに教えていただいたもの。

東城町立始終小学校 形式上は現役の木造+モルタル校舎
偶然通りかかり、この校舎を作ることも手伝った方にお話を聞けた。これだけの校舎が、驚くべき山間にある。

●土木賞

西川水路橋(新潟県) 水の立体交差
後述する「新潟の街歩き」で知り、その足で行った。私は新潟のこういうものをもっとつきつめて知りたいと思っている。

●<次点>

安浦の軍艦防波堤 コンクリート船
これも有名物件。コンクリート製の船を防波堤に使っているもの。



●給油所賞

下灘駅のようなESSO
g_standさんの講演で写真を見てから、ずっと行ってみたかった給油所に、予想外の場所で出会えた。

<次点>

オレンジ色のダイヤモンドサービス


石ノ森章太郎がかつて見ていたシェル


●機械賞

蒸気機関車の逆転機の動きを動画で

蒸気機関車でいちばんおもしろいのは逆転機だと思っている。

●地図・地形賞

新潟の街歩き『砂丘をキワめる坂道めぐり』&『砂丘を登ろう!日和山登山』
路地連新潟の野内さんとスリバチ学会の皆川さんに率いられ、生まれ育った地域を歩くという経験。とてもおもしろかったし、新しい友人がたくさんできた。

●<次点>

坂サミットと環状4号
『空から見える東京の道と街づくり』企画の際に気づいたルートを実際にたどってみた。


●写真賞

大木茂さん「石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」と「オリジナルプリント」

写真表現について、今年いちばん教えられたこと。

●出会い賞

川口メディアセブン「かわぐちタイポさんぽ」



このイベントでたくさんの友人ができた。センスが共有できる友人はほんとうに楽しい。

* * *


さて、では『轍のあった道』アワードは、どれか。

轍のあった道大賞 

国見山鉱山D-507の解体

前述の橋と同じく『廃線跡の記憶4』でLevel_7gさんの記事に掲載されていた国見山鉱山。その橋を見に行ったのだが、半分地面に埋まっていたこのD-507が解体される現場に遭遇した。解体中を目撃したのは私しかいないかもしれない。貴重な記録をとることができた。土木でも道路でもないこの記事だが、私がもっとも多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたいのはこの記事なのだ。私が発信しなかったら、たぶん、「まだあったころ」と「なくなってから」しか記録に残らない。

* * *

今年もご覧いただきありがとうございました。2014年もよろしくお願いいたします。


磯部祥行

2013年のGPSログ

2013年のGPSログ

地図・航空写真・分水嶺

年末なので、1年間分のGPSログを掲げる。

(SRTM30+カシミール3Dで表示)

●訪れた都道府県…38都道府県 飛行機のみバイクのみ鉄道のみ
北海道、青森、岩手、宮城、秋田、
山形、福島、千葉、埼玉、茨城、
栃木、東京、群馬、神奈川、新潟、
長野、山梨、岐阜、静岡、愛知、
三重、和歌山、奈良、滋賀、京都、
大阪、兵庫、岡山、広島、鳥取、
島根、山口、徳島、香川、高知、
愛媛、福岡、長崎

●訪れなかった県…9県
富山、石川、福井、佐賀、大分、
熊本、宮崎、鹿児島、沖縄


今年はGWと夏休みにロングに出ることができた。9月と12月にも3日間だけ出られた。福岡と長崎の2ヶ所は仕事での出張である。GWでは岡山・広島在住の、オンラインでの友人たちと実際に会うことができた。夏休みの北海道も然り。いい旅ができた。

家のことも大事なので独り身の頃のように毎週のようには出かけられないが、今年はけっこう出歩いたほうだと思う。そのせいか、11月頃よりまったく休みがとれなくなっても、それほど「どこかに行きたい!」という気持ちにはならなかったのは、いいのか悪いのか。

2014年は、久しぶりに九州にバイクで上陸したい。かつて何度も行っている上椎葉ダム、一ツ瀬ダム等を改めて訪問したいし、大隅半島をじっくり回りたい。すべてはGWの仕事次第だ。



徳島駅の跨線橋(PC桁のほう)

徳島駅の跨線橋(PC桁のほう)

跨線橋

徳島駅の跨線橋(木造のほう)の続き。


徳島駅にはもうひとつ、PC桁の跨線橋がある。写真は左が2番線(その延長線上に切り欠きの1番線が見える)、右(私の立ち位置)が3番線だ。

桁裏。3主桁のPC桁である。「向こう側」は2番線、この跨線橋を境にホーム上屋が形が違う。この左側(改札口側)までが先にあり、右側は後から継ぎ足されたものか。

階段部は密閉型ではなく、上部に隙間が空いている。雪が吹き込む心配がない南国ゆえか。窓を設けるよりは安価になるだろう。
 
跨線橋内部。冒頭の写真ではわからなかったが、壁と屋根の間に隙間がある。こういう造りを見ると「跨線橋は建築物ではない」(建築基準法第二条の一)というのが実感される。窓は明かり取りとして大きく機能している。

屋根は波板で、ターンバックル付きの上横構で結ばれた通路左右の壁の上部に山型の部材をかけ、そこに貼り付けてある。

階段部。屋根は波板だが、改修されているか?





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