京都の東山南部、八坂神社から高台寺、清水寺へと歩くルートのうち「ねねの道」と呼ばれる路地がある。細い石畳の道だ。ここを歩いていたら「峠」があった。
写真の、人が立っている部分である。トリミングする。 こう見える。 先に「峠」と書いたが、歩いている実感としては「ここに橋が架かっていて、その分、路面が上がっている場所」だと感じた。橋を架ける際には、橋の下のクリアランスを少しでも大きくするために桁裏を地面と同じ高さにすることがあり、その場合は前後の道路に勾配をつけ、橋の路面がもっとも高くなる。そういう雰囲気を感じた。 反対側から見てみると、路面にマンホールがある。もしや。右の、コーンの路地に入ってみた。 案の定、用水路のようなものがあり、そこに橋がかかっている。つまり、先の「峠」に見えた部分の下には水が流れていて、そこは橋だったと推測できる。となると、上から2枚目の写真左に写っている料理屋は、暗渠の上に建っているということになる。こういう発見はとても嬉しい。 …というような本をただいま制作中だ。お楽しみに。 Googleのストリートビューを置いておく。写っている人がみなこちら(撮影車)を見ているような気がする。 大きな地図で見る PR
秋葉原の書泉ブックタワーで開催された「『SL機関士と太平洋戦争』発売記念 ×『「SL甲組」の肖像』連載終了記念 椎橋俊之先生トークショー&サイン会」に行ってきた。2001年頃に私が鉄道趣味に復帰してから『RailMagazine』を読み始めたのは、椎橋さんの『感動の所在地』が連載されていたからだ。それに続く連載、『「SL甲組」の肖像』も拝読している。そして昨夏、『SL機関士の太平洋戦争』が刊行された。
以前、ある機会があって椎橋さんとお話しさせていただいた際におっしゃっていたのは「間に合った」ということだった。いや、間に合わなかったものもあったはずだ。でも、国鉄の蒸気機関車の運転終了からまもなく38年。さらには樺太や満鉄の機関士ともなると…。よくぞ間に合ったものだ。 椎橋さんが取材した人は500人くらいだという。そしてその半分は鬼籍に入っているとのこと。その取材のご苦労が初めて明かされた。 どんなトークだったかというのは会場にいた人たちだけのお楽しみなので一つだけ書く。われわれ鉄道ファンが「機関士はこう思っているだろう」と想定することは半分くらいしか当たっていないというのが取材の実感だったということだ。例えば、山岳路線で苦労するのはあそこだろうと想定していても、実は鉄道ファン的には「見どころ」ではない、ある駅の発車がもっとも苦労したなどという話だ。もちろん、そのいくつかは『甲組』に書かれているだろうが、そういう秘密を知った衝撃は、取材者のみが得られるものであろう。 1時間のトークの後、質疑に入った。最初は誰も手を上げなかったので、私が口火を切って「取材したかったけれどできなかった機関区などはありますか」と質問した。回答はもちろん「ある」だったのだが、それに関連して出てきた話は、おそらく鉄道ファンならずとも想像できないことだった。(おそらく参考になる記事:『国鉄史 国鉄を支えた人々の歴史(東日本編)』(地方自治政経調査会)) 面白いのは、最初は誰も手を上げなかったのに、そこから30分、次々と質問の手が上がったことだ。時間の都合で区切らなかったら、1時間でも2時間でも質問が飛び交っていたのではなかろうか。それほど、吹雪を押して来場した観客たちは、いろいろなことを知りたがっていた。 時間があればもう一つ、質問したかったことがある。それは「機関士たちはのちにディーゼルや電機に転換させられたが、そういう話は取材中に出てこなかったか」ということである。これは連載の趣旨からして、もし話に出てもカットされているところだろう。だからこそ、機関士の本音が聞きたい。 またの機会もあろうと思う。今回ムリだった人はぜひ。また、この機会を作ってくださった書泉ブックタワーさんにも感謝を。
四国内鉄道網の一つの終端、宇和島駅。2面3線あり、いまはホーム端部が結合されて通路になっているが、かつてはその向こうまでスルーしていた。1974年の空中写真を見るとよくわかる。
線路の間に見えるのはディーゼルカーに給油する計量機。全部で8基ある。つまり8両編成が停車中、全車に給油できる。 作業しやすいように、線路の間隔は広く、かつコンクリートで舗装されている。 冒頭の写真よりも上屋に近づいてみる。二つのホームともに、同じ形のホーム上屋がかかっている。 1番線を逆から。ホーム上屋の柱は古レール製。組み方は江川崎駅のホーム上屋と同じだが、こちらは底面合わせだ。 さらにホーム端部に寄る。1番線の屋根、このあたりはH形鋼の柱だ。そして2・3番線ホームは、古レールの柱の上屋は右端ですぐ途切れていて、そこからホーム端部への屋根はさらに2タイプある。継ぎ足し継ぎ足し…したのだろうか。先の1974年の空中写真で見ると、当時はホーム上屋は古レール支柱の部分しかなく、この継ぎ足し部分はそれ以降のものだとわかる。 写真ほぼ中央の鉄柱の向こう、パイプが立ち上がり、2・3番線ホームのほうに折れている。これは軽油のパイプ。軽油のタンクがレールの地下にあるとは思えないので、おそらく敷地外にあり、そこからこの位置に引き込んでいるのだろう。
伊予宮野下駅のホーム待合所。いかにも南国らしい、開放的な待合所だ。強風もなければ横殴りの雨もない、だからこんな造り…などと勝手に想像を働かせてしまいがちが、まさかそんなこともなかろう。台風も来るだろうし風の強い日もあろう。それでも、こういう形にしてしまっているのはなぜか。
妻面の壁、前後方向(枕木方向)の幅がないのは、ホームを移動する客の動線を確保するためか。片流れの屋根は大きく、風のある日でも雨が吹き込みを抑えてくれている。また、座っていれば、壁がこの高さであれば、十分な防風機能は果たすだろう。 ベンチ2脚。片隅にはゴミ箱もある。きちんと機能している。
小学生の頃、南正時さんの「ケイブンシャの大百科シリーズ」をたくさん持っていた。確か、初めて入手下のは『特急・急行大百科』。小学校2年の頃、同級生からもらったような気がする。以後、『蒸気機関車大百科』『機関車・電車大百科』『特急大百科』『ブルートレイン大百科』『特急もの知り大百科』『鉄道模型大百科』等々、たくさん持っていた中でも『鉄道写真大百科』は本当に熟読した。
もちろん小学館のコロタン文庫、実業之日本社のこどもポケット百科も多数持っていた。個人的には、南さん+えがしら剛さんコンビのケイブンシャと実業之日本社のシリーズが好きだった。ベストはケイブンシャなら『蒸気機関車大百科』、実業之日本社なら『国鉄全線大百科』だ。えがしらさんのイラストはずいぶん真似して描いた。いまでも鉄道車両を擬人化するときはえがしらさんの描き方以外は「違う」と思ってしまう。それほど好きだ。コロタン文庫は詳しいけれど、子供心がなかった。 いまの勤務先である実業之日本社の社名は南さんの本で知った。入社後すぐ、縁あって南さんと仕事関係の会合でお目にかかることができ、そこから十数年を経てついにお仕事をご一緒させていただいたのは感激の一言だ。 恐ろしいのは時の経つ早さで、南さんの本を熟読した年齢からお目にかかるまでが12年くらいとすると、お目にかかってから現在が19年近く経っているということだ。 前置きはここまで。 「日鉄連」こと「社団同人 日本鉄道研究団体連合会」による『台湾鉄道大百科』。見ての通り、かつての「ケイブンシャの大百科シリーズ」のパロディだ。パロディらしく、見た目も中身も本気だ。ケイブンシャを踏襲している。カバーのピンクと紫の縞縞部分、「ケイブンシャの」に替わり「ニッテツレンの」となっている。 紙はケイブンシャのものに似ている、ボール紙に近いというか少し灰色がかった厚い紙。本文はすべてにルビが振ってあり、基本的にはタイトルが丸ゴシックである以外は本文が明朝、キャプションがゴシックとなっていて、写植書体すら不自由していた時代の雰囲気を十分に再現している。 版面(はんづら)の外側の地紋も、いかにもである。カラー32ページ+モノクロ224ページ、堂々の1000円(安い!)。ここまでやってこそのパロディである。この本は2013年末のコミケ等で販売された。巻末には、南さんのシリーズへの謝辞が書いてある。 * * *
偶然か必然か、翌2014年1月の『週刊大衆EX』に「80年代のカルチャーを牽引した分厚い浪漫の塊!ケイブンシャの大百科の大百科」という記事が掲載された。 当時の編集者へのインタビューも入っていて、貴重な証言が多々ある。私も勤務先で「こどもポケット百科」を量産していた大先輩に話を聞いていたのだが、ほぼそれと合致している。この記事に「少なくとも3~5万部は刷って」いたと描いてあるが、逆に言えば、それくらいのスケールメリットがないと子供でも買える価格が実現できなかったのだ。 1980年前後には、どの書店にもこの手のシリーズの書棚があった。新潟の北光社で言えば、1階の、文庫本等の部屋の先端、出入り口付近のレジの手前下が売り場だった。背を上に向けてぎっしりと箱詰めされたように並んでいたと思う。子供はそこにしゃがみ込み、どの本にしようか手にとって選んだ。 どの本も熟読した。『国鉄全線大百科』(実業之日本社)などは痛んでしまったので買い直した。しかし小学校4年生の冬から『鉄道ファン』を読み始め、そちらにどっぷり漬かっていく。相変わらずえがしらさんの真似をした絵は描いていたが、少年向けの本は読まなくなる。その何年か後、駄菓子屋兼文房具店(副業)をしていた実家で、大百科シリーズは、店に来る子供たちにすべてあげてしまった。今思えばなんと思ったいないことだろう。前述の大先輩は、つい最近まで数百冊、各社の本を持っていたが家に本が増えすぎたために処分してしまったという。これまたなんともったいないことか! * * *
2001年頃か、ケイブンシャが南さんの本を2タイトル(3かな?)復刻した。そしていま、各社の本が古書では高値で取引されている。でも、いまもし電子書籍で500円くらいであれば、私は買う。どうだろう、そんな需要は3桁の単位であるだろうか? spcl thnx @team185 ●関連項目 天北線 飛行場前仮乗降場 『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版) |
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