ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編)
ジェイ・ダイナーの思い出(100系カフェテリア編 その2) ジェイ・ダイナーの思い出(コーヒー編) ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話) ジェイ・ダイナーの思い出(0系Y編成・こだま編) ジェイ・ダイナーの思い出(遅延の話) の続き。 100系G編成の11号車に車販準備室があることは書いたが、通路を挟んだ向かい側は多目的室だった。車椅子の方が利用したり、授乳室として使われたりする。この部屋についての話だ。 どういう部屋かというと、こちらのサイトに写真があるのでご覧いただきたい。 車内販売員が休憩するとしたら、たいていは9号車にある業務用室だ。しかし、「B車」(別項参照)のときにはいちいち9号車に戻らず、適当に休憩を挟んでいた。もちろん、カフェテリアのクルーからの「おかしなサボりはしない」という信頼の元での動きだ。そういうときは、11号車の車販準備室の狭いスペースに「うんこずわり」のように腰を落とし、ドアに背を持たせて休んでいた。「着乗」などで疲労がたまっているときは、あとで捨てる飲料の段ボールを床に敷き、尻をついて体育座りをして休んだ。 しかし、よく考えれば、通路を挟んだところに広い個室がある。そこを休憩室にあてることを考える輩も当然、出てくる。誰も使っていなければ、迷惑はかからないのだ。鍵そのものは車販準備室と同じものなので、鍵を開けることはできた。乗客が使っているかどうかは、その目の前で車販の準備をしているのだから、わかる。また、車掌が使っていることもあるが、それはノックをすればわかるし、そういうときは「(サービスの)コーヒーいかがですか」とごまかすこともできる。そして、夜間であれば、内部の電気が消えていれば、確実に無人である。そうして見極めながら、うまく使うのである。 いちばんよく使ったのは、下りなら京都を過ぎ、上りなら新横浜を過ぎ、どちらも車販の片付けが終わった後。このタイミングでは車掌がここにいることもないので、安心して休憩に使うことができた。夜間の場合、電気がついていると車掌に気づかれてしまうので、電気は消しておく。むしろそのほうが外の景色がよく見えるから好都合。時にはベッドにして横になったりもしたが、さすがにそれは落ち着かなかった。もし車掌に見つかったときに、言い訳できるくらいの余地は必要だった。 * * *
この部屋は、力士が利用することもあった。大関時代だったかの貴乃花が乗ったときに乗務したことがある(直接見たわけではない)。力士は体の大きさから普通のグリーン車には座れない。だからこの部屋を利用する。その場合、鬢漬け油の臭いがデッキに充満する。 もし力士が普通のグリーン車に乗ったらどうなるだろう? 一度、東関親方が0系のグリーン車に乗っているのを見たことがある。悲しいことに、その車両は座席間の肘掛けを跳ね上げることができないタイプだった。もちろん親方のお尻は入らない。やむなく、すこしだけ尻をのせ、つまり座面の大半は空の状態で座っていた。親方は大変座りにくそうにしていた。そんなとき、車掌は気を利かせて多目的室を使わせてあげればいいのにと思った。 また、盆暮れ正月など、デッキだけでなく指定席社内にまで立ち客がいるような大変な混雑時には、ここを開放して乗客を入れていたのを見たことがある。座れた人はラッキーだったろう。 * * *
私は小心者ゆえにこのくらいの使い方しかしていなかったが、おそらく猛者はもっといろいろなことをしていただろう。ベッドにして居眠りをしたくらいはいるはずだ。だれか、そういう思い出を語ってくれないだろうか。 PR
1991年2月末だったと思う(前年かもしれない)。大学受験のために新潟と東京とを何度か往復していた。きっぷは東京ミニ周遊券で、試験の前日に新幹線で行ってゆうぼうとに1泊し、試験後は節約のために各駅停車の乗り継ぎで新潟に帰っていた。当時は17時28分頃に上野駅を出れば、23時過ぎに新潟駅に着くことができた。
その日(日付は忘れてしまった)、雪が降っていた。上野から高崎までは順調に来たが、なんと高崎以北が雪のため運転見合わせ中だという。やむを得ず、高崎から新幹線に乗った。もちろん、ふつうに新幹線特急券を買って、である。いま思えば、目的地が新潟であることを申し出れば、タダで乗れたのではないだろうか。その次の受験日が何日後だったのかは覚えていないが、新幹線で帰ったのはその一度きりで、以後、また各停で帰っていた。親には「疲れるから新幹線で帰ってこい」と言われた そんなみみっちい話まで思い出してしまったが、やはり、どんなに雪が降っていても新幹線だけは動いている。その安心感は、上越新幹線沿線の人以外にはわからないのではなかろうか。一度、宿が取れずに受験当日に新幹線で往復したことがあるが、それくらい、信頼していた。幸い、受験に関した移動時に、上越新幹線が遅れたことは一度もなかった。 単なる思い出話である。 ![]() 2月8日(土)に続き、今日14日(金)も雪がすごい。今日のほうがすごい。皆、8日の雪に懲りたか、早々に帰宅した人が多かったようだ。23時頃の地下鉄に乗ったら、1両に5人くらいしか乗っていなかった。 * * *
都心に限らず、自宅近くもすっかり雪に覆われていた。最寄り駅前も、路面の雪は、煌々と街灯に照らされていた。その雪景色は、ふだんの夜景よりもはるかに明るい。それは、灯りが多く、路面の雪がそれを反射しているからだ。あまりにきれいなので、いったん帰宅して、カメラを持って30分ほど散歩した。 * * *
「1998年も東京は大雪だった」という報道があった。思い出した。その日は、3駅となりの友人の家にたくさんバイク仲間が集まって鍋をした日だ。私は、あえて、完璧な冬の装備をしてバイクで行った。そういう集まりの時、雪だろうと、バイクで来る友人たちもいた。私が乗っていたのは91年型のCRM250R。 翌日、外に出るとかなり雪が積もっていた。記憶では、15cmくらいは積もっていたと思う。2ストのCRMはキック一発でエンジン始動、雪の街中に走りに出た。当時は毎年、雪の林道に行っていたが、そういう、雪の中を走る楽しさを街中で味わえるかもしれない。そう思って街中に出たのだが、街中で、空転させつつ走ると排気音がうるさいという当たり前のことに気づいた。雪の林道やその周辺ならば、山の中なので多少の排気音は許されるだろうが、街中では、雪かきをしている人の横を、半ば空ぶかししながら、後輪から雪を巻き上げて走るわけにはいかない。なので、あまり走り回りもせず、帰ってきた。 もう16年も前の話である。
京都の東山南部、八坂神社から高台寺、清水寺へと歩くルートのうち「ねねの道」と呼ばれる路地がある。細い石畳の道だ。ここを歩いていたら「峠」があった。
先に「峠」と書いたが、歩いている実感としては「ここに橋が架かっていて、その分、路面が上がっている場所」だと感じた。橋を架ける際には、橋の下のクリアランスを少しでも大きくするために桁裏を地面と同じ高さにすることがあり、その場合は前後の道路に勾配をつけ、橋の路面がもっとも高くなる。そういう雰囲気を感じた。 …というような本をただいま制作中だ。お楽しみに。 Googleのストリートビューを置いておく。写っている人がみなこちら(撮影車)を見ているような気がする。 大きな地図で見る
秋葉原の書泉ブックタワーで開催された「『SL機関士と太平洋戦争』発売記念 ×『「SL甲組」の肖像』連載終了記念 椎橋俊之先生トークショー&サイン会」に行ってきた。2001年頃に私が鉄道趣味に復帰してから『RailMagazine』を読み始めたのは、椎橋さんの『感動の所在地』が連載されていたからだ。それに続く連載、『「SL甲組」の肖像』も拝読している。そして昨夏、『SL機関士の太平洋戦争』が刊行された。
以前、ある機会があって椎橋さんとお話しさせていただいた際におっしゃっていたのは「間に合った」ということだった。いや、間に合わなかったものもあったはずだ。でも、国鉄の蒸気機関車の運転終了からまもなく38年。さらには樺太や満鉄の機関士ともなると…。よくぞ間に合ったものだ。 椎橋さんが取材した人は500人くらいだという。そしてその半分は鬼籍に入っているとのこと。その取材のご苦労が初めて明かされた。 1時間のトークの後、質疑に入った。最初は誰も手を上げなかったので、私が口火を切って「取材したかったけれどできなかった機関区などはありますか」と質問した。回答はもちろん「ある」だったのだが、それに関連して出てきた話は、おそらく鉄道ファンならずとも想像できないことだった。(おそらく参考になる記事:『国鉄史 国鉄を支えた人々の歴史(東日本編)』(地方自治政経調査会)) 面白いのは、最初は誰も手を上げなかったのに、そこから30分、次々と質問の手が上がったことだ。時間の都合で区切らなかったら、1時間でも2時間でも質問が飛び交っていたのではなかろうか。それほど、吹雪を押して来場した観客たちは、いろいろなことを知りたがっていた。 時間があればもう一つ、質問したかったことがある。それは「機関士たちはのちにディーゼルや電機に転換させられたが、そういう話は取材中に出てこなかったか」ということである。これは連載の趣旨からして、もし話に出てもカットされているところだろう。だからこそ、機関士の本音が聞きたい。 またの機会もあろうと思う。今回ムリだった人はぜひ。また、この機会を作ってくださった書泉ブックタワーさんにも感謝を。 |
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