青梅線の沢井駅の近く、多摩川にかかる吊橋。日本酒「澤乃井」の蔵本にあるレストラン・売店などのある庭から対岸(右岸)に渡れる、歩行者用の吊橋だ。
主塔は円柱。写真のせいではなく、上すぼまりになっている…気がした。ケーブルは2本、水平方向に並んでいる。 主塔のほぼ真ん中に「楓橋」という扁額がついている。 補剛桁はトラス。\/の間に垂直材が入り、ケーブルから垂下している吊り材はそこで補剛桁を吊っている。 床版は木製。一人で歩いても、けっこう揺れる。その揺れをこのトラスは歪みながらも吸収していると考えると、鋼材の柔軟さにばかり頭が向かう。 アンカー。並行する2本のケーブルが上下になり、それぞれピンを介して地面に縫い付けられている。小さな橋なので、ケーブルを叩くとブヨーン、ブヨーンと揺れる。 PR
四日市市内で見た道路。車線は十分に広い。向こうに見える乗用車からして、道幅は6m以上はある。しかし、対面通行の上、中央線はない。向こうに直交しているのは名四国道、中央分離帯のある国道23号である。もしクルマに乗っていたら、このまままっすぐ名四国道にぶつかり、中央分離帯があるから左折オンリーだな…などと解釈しながら運転するに違いない。
路面には消えかけた右折矢印。繰り返すが、ここは対面交通可能な道である。左には右折指示の標識、その上には進入禁止。さらには、突き当たりの名四国道には左折指示も「止まれ」もない。すぐ先で右に曲がらねばならないのだ。 しかし、運転中はなんでも都合よく解釈しがちである。うっかり直進してしまいそうだ。その先に警官が隠れていたらひとたまりもない。もっとわかりやすい標識や表示が必要だと思う。例えば中央線を引き、左側の走行車線を一時停止にして停止線を描き、右折オンリーであることをもっと明確にするなど。馴染みのない土地の路地は要注意である。
徳島駅から牟岐線で南下し、阿佐海岸鉄道に乗り継いで高知県の甲浦駅。ここから室戸岬経由で奈半利に向かうバスに乗った。その車中で面白いことに気がついた。
初めて気づいたのは90台の数字だと思う。横倒しになっているので、9にも見えるし文字ではない何かの記号にも見えた。しかし、100を越える段になって、これはキロポストだときづいた。それも徳島起点の。 さらによく見ると、そのすぐ脇、ガードレールの外には別のキロポストも立っている。 上から 「55」 「高知まで110km」 「室戸まで32km」 「東洋町」 「103」 の札がある。ここで表示されているのは、主として高知までの残りのkm数、別の言い方をすれば高知起点のキロポストである。 それにしても。 道路上に数字を書くことはokなのだろうか。まさか速度制限の数字と思う人はいないだろうが、わりとこういうことは厳密に決まっているはず。まあ、okだから書いてあるのだろうけれど。 * * *
このバスは複数の友人が乗っているので私も乗ってみたかった。しかし、甲浦から室戸まで、ほとんどの区間で私一人。室戸から奈半利も、最大で5人になったくらいか。よく維持していると思う。ほとんどの区間で私一人なので、堂々と最前列に座った。 【2013.12.13追記】 災害時、救助ヘリから見えるようにペイントされたもので、山中の集落にヘリポートを確保するスペースがないので道路の幅員を拡げてそのスペースを確保したものある、と、上田真也さんとのがなさんに教えていただきました。ありがとうございます。 2013年12月10日(火)、釜石17時42分発の列車で新花巻に行き、東北新幹線に乗るつもりだった。ところが強風のため運休、バス代行になるという。新花巻での乗り換え時間は15分。それに乗り遅れたとして東京行きの最終新幹線までは1時間5分。 バス代行となる場合、各駅に立ち寄りながら進むため、列車よりはるかに時間がかかる。特に陸中大橋、上有住、足ヶ瀬などに寄ると、仙人峠の旧道を走ることになり、非常に時間がかかる。いや、上有住はルートが異なるのでパスするか、順序を入れ替えるかもしれない。遠野も市街地のど真ん中なので、これもつらい。列車なら新花巻まで約2時間だが、代行バスなら4時間は覚悟しなければならないだろう。しかもバスはまだ手配中であり、18時10分頃、駅にやってくるという。となれば今日中に東京に着くのは無理だろう。花巻で宿泊かな。 …などと思っていたら、18時頃、新花巻まで行く乗客の一人が「新花巻まで直行するバスを出して欲しい」と要望した。すると、18時5分頃、2台のバスが釜石駅に到着した。1台は新花巻と花巻に直行、1台は各駅停車だという。たった5分で手配できるわけがないので、駅側でも考慮していたのだろう。これには賞賛を贈りたいところだが、ならば最初からそのように案内してほしい。気を揉むではないか。 バスは城山バスという観光バス。運転手の話からすると、どうやら他の用件での運行を終えた直後、急遽回したようだ。だから、列車の本来の発時刻より30分も遅れたのかな? さて、その代行バスは18時10分頃に発車した。釜石市街から洞泉あたりまでは通勤のクルマの渋滞に巻き込まれたが、その後は順調に走る。GPSを見ていると、さすがだ、バスは、法定速度を守って走る。洞泉からは仙人峠道路に入った。 国道283号を走る。鉄道の車窓からは決してわからない、遠野市街の繁栄を見つつ、19時40分に新花巻に着いた。列車とほぼ同じだ。GPSログを見てもスピード違反はしていない。お疲れのところに片道2時間休憩なしの残業+帰り2時間。雨と風の中、安心して居眠りできる素晴らしい運転に、「ありがとうございました」と礼を述べて下車した。 釜石から新花巻までこのバス乗り、新幹線に乗り換えた乗客は、私を入れて11人。盛岡方面に行く人もいた。この数字が多いのか少ないのかはわからないが、これだけの流動が平日にあることを記録として挙げておく。 繰り返すが、このバス手配には賞賛を贈りたい。バス代行の費用が何万円かかるのかはわからないが、もしそれをケチって各駅停車のバスのみしか走らせなかったら、11人の客は新花巻で宿泊しなければならないのだ。その経済的ロスと実害とかそんなことよりも、数万円で、乗客11人に心情的な大きな反感をもたれずに済んだ、という効能は非常に大きいだろう。GJ、JR東日本+釜石線関係者。
四日市駅の南側、阿瀬知川を渡る橋梁(左が四日市駅)。阿瀬知川とは市街を貫流する三滝川からひっぱった水路で、雨水幹線のひとつ。あるサイトには「阿瀬知雨水2号幹線として昭和40年供用開始」とあるが、終戦直後の航空写真にもこの川はあるので、もしかしたら「その用途としては」昭和40年供用開始なのかもしれない。
ともかく、三線ある、2スパンの橋である。 これは上り線。2連の槽状桁。しっかりと落橋防止策がなされているのはさすがだ。 拡大して見る。桁はリベット留めなのだが、左右の槽状桁を結ぶ部材には一部ボルトが見える。これは後年の補強だろう。 塗装表記はこうだ。(見える範囲で) 橋りょう名 阿瀬知川橋りょう 位置 四日市~南四日市 37K697 支間 6M18 塗装年月 2008年11月 塗装回数 2回塗 (以下略) 6m18というのは20フィート(6.096m)だろうか。 海側から。まったく近寄れないので桁裏がわからない。桁から横(川筋方向)に、何本かレールが飛び出しているのは、刎橋のようにレールを持ち送りして、点検用通路を支えているように見えた。 三線の間はコンクリートの板で覆われているので、のべ六つの桁は同じだろうと思っていたのだが、いま写真を見ると、海側の桁は少し違うようだ。その場では気づかずともすべての写真を撮っておけばよかった。いつもこうやって公開し、再訪するハメになる。 この部分の踏切は「阿瀬知川踏切」という。四日市駅構内の入れ替え、また末広橋梁に行く列車が通るときなどは、列車の方向が指示されるのではなくこの「入換中」が点灯する。 |
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