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なんとも遠くに見える、小さな橋。あそこまで沢を降りてからでないと対岸に渡れないのか。

いや、それはいま、平瀬ダムのために国道434号がかなり高い位置に付け替えられ、そこから降りてこなくてはならないことからの印象だ。本来は、いま写真を撮っているほぼこの高さを国道434号が走っていたのだ。この橋は、錦川右岸(南側)の国道と、左岸(北側)の県道361号錦鹿野線を結ぶルートにあった。

写真は東側から。コンクリート桁橋2連の向こうに、ポニーボーストリングトラス。

こうしてみると、ボーストリングトラスは圧迫感がない、すぐれた形状に思えてくる。

トラス部の手すりは、うまく部材をかいくぐるかのように、幅員を狭めない位置に取り付けてある。

このように避けている。

このボーストリングトラスはピントラスだ。だから、下弦材はアイバー。しかし、場所の都合で、アイバーの側面は近寄って写真を撮れない。

垂直材を持つタイプのワーレントラスだが、「\|/」という形状になる垂直材と上弦の接合部はピンではない。突き当ててのボルトの結合だ。非常に頼りない結合に見えるが、そもそも上弦からの圧縮力を鉛直方向に伝えるためのものなので、剛結していなくてもいいくらいなのかもしれない。

対岸、西側。こう見ると、やはり形状からくる視距の長さが目立つ。

一部の部材は腐蝕で穴が開いている。これはまずかろう。

一部の部材には、鋼材の製造所と思われる「(F.)A.H.A.V.(F)」とある。A.H.A.V.とはAachener Hütten-Aktien-Vereinの略だが、詳細はよく解読できない。下記にドイツ語版wikipediaの記事へのリンクを貼る。

http://de.wikipedia.org/wiki/Rothe_Erde


歴史的鋼橋集覧によると、この橋は、平瀬ダムの湖底に沈むという。すでに、かつての国道434号鳥越隧道は通行止めとされている。急げ。

現地の東にある「ダム軸」。先に示した平瀬ダムの完成予想図を見ても、ここに堤体が築かれるのだろう。


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国道2号は岩国市から錦川沿いに遡る。それまでの幹線道路の雰囲気から大きく変わり、センター黄色ラインの、川端を淡々と走る2車線の道となる。これが国道2号かと思うほど、行き交うクルマもほとんどない。まもなく川沿いの道は国道187号として分かれ、そのまま川・鉄道とともに遡る。これだけ豊かな水量の川だが、沿道にはまとまった集落は見えない。

かつての行政区域でいう錦町の中心部に至ると、新出合橋という橋で国道434号が西から合流し、重複区間となる。そのすぐ上流に、この古いプラットトラスが架かっている。


直線的な、意匠のカケラもないプラットトラス。

銘板があるが、この錆びよう。

大正十四年
株式会社横河橋梁製作所
大阪工場製作


親柱。東側左は「出合橋」、右は「錦川」。ガードレールの黄色は山口県の証拠。

6パネル、より大きな引張力のかかる端部の斜材は、その隣りよりも太い。

中央2パネルは斜材がクロスしているが、逆ハの字の部材が貫通していて、ハの字の部材は交差部で切り欠いている。すべてプラットトラスのセオリー通り。

西側。なんと、国道187号の標識がある。ここは国道187号からははみ出す部分であり、どういうことなのだろう? 歴史的鋼橋集覧では「県道鹿野本郷線の出合橋として架橋、新出合橋の完成後も町道の橋として残る」とあるのだが、「県道鹿野本郷線」がいまのどの県道に当たるのかちょっとたどれず、わからない。

(2013年6月18日追記)
「鹿野本郷線は、鹿野ー長野山ー広瀬ー出合ー府谷ー本郷か。今の錦ー鹿野線と本郷ー吾味線。県道131号と361号」(要約)と@trz_xxさんからご教示いただきました。(追記ここまで)

こちらにも銘板がある。内容は同じ。

西側の親柱の銘板、左側は「昭和二十九年一月」、右側は「であいはし」。

トラス桁の完成が大正14年だが、この橋の開通は昭和29年? トラス桁は転用かとも考えられるが、先の歴史的鋼橋集覧にも開通年は「1925(1954)」となっている。調査が及んでいないのだろう。錦川町史でも見れば書いてありそうなものだが。

周囲は多少のレジャーポイント的な印象があった。橋の東詰にはこのような店があったし、周辺の雰囲気が、そんな気がした。

錦町の市街はここから西へ1kmほどだ。



根笠川にかかるポニーワーレンの上流に架かる橋だ。その形を見れば、だれもが珍妙と思うだろう。

トラス橋の上に、もうひとつトラスが載っている。見れば2径間で、側径間はガーダーである。

ガーダー橋の部分、向かって左は床版を広げられている。当初からこうだったのか、後年の改良かはわからない。親柱は右側だけにあり、「根笠橋」と書いてある。

ポニーワーレントラスを補強してワーレントラスに改造したもの、という捉え方でいいだろうか。補強してランガーにした例は、関西本線木津川橋梁などがあるが、こういう形のものは初めて見る。

重さ制限2t。極めて小さい。4ナンバーでも無理なものがある。

補強部分のデティールを見る。元のポニーワーレントラスの部材と、上のトラスの部材は明らかに異なる。前者はリベット留め、後者は溶接+ボルト留めだ。また、後者は格点にガセットを溶接し、補強している。

元のポニーワーレントラスよりも、補強のトラスのほうが頑丈そうだ。

ワーレントラスを横から見て「ハ」の字に相当する部分の斜材は圧縮力がかかるので、通常は「逆ハ」の字に相当する部分よりも見るからに頑丈になるのだが、根笠橋ではこのようにC型チャンネルを隙間を空けて背面同士で向かい合わせ、その側面を帯材でつないでいる。一方、「逆ハ」の字の斜材は同じ(に見える)チャンネルを背面同士で溶接している。見た目の印象では後者の方が強そうだ。もしそうなら本来の力の掛かり方と逆なのだが、まさかそんなこともなかろう。

対岸。親柱は、やはり右側だけ。


なんと読むのだろう? 「笠屋○はし」?

近くには「岩日線 みんなで乗って存続を」という立て看板がある。かれこれ放置して20年以上か。

上流側。

床版。こちらはオーソドックスな作り。

しかし、橋台側は驚いた。沓はなく、直接コンクリートから生えている。



この橋の奇妙さは、ぜひ実見していただきたい。



根笠橋を見に行こうとしたら、それがある集落への入口にこのポニーワーレンがあった。錦川鉄道の根笠駅から600mくらいのところだ。橋梁名はわからない。

ガードレールが黄色いのは山口県の証。「5k」とあるのは…時速5km制限、だろうか?

左には、町道の標識がある。「町道長走線 最少幅員2.5M 美川町」。合併によりいまは岩国市になった。

H型鋼を使用しており、上弦材の裏面は楕円で肉抜きしてある。リベット結合ではあるが、橋はそれほど古いものでもなさそうだ。

横桁は太い。また、垂直材の下端はアーチ状に切り欠いてある。

反対側。好もしいたたずまい。


根笠川はこのすぐ先で錦川に合流する。錦川の対岸(左岸)には、いま国道187号が通っているが、かつては右岸のこの橋が、そのルートだったのだろうか。

錦川鉄道沿線は、風景もほんとうにいいのだが、降りて、線路に沿って歩くとさらにいい気持ちになれるだろう。鉄道旅行ではなくなってしまうが。


住吉橋を見るためにコインパーキングに車を入れたら、そこが給油所跡だった。

これを撮った位置で左を向くと、住吉橋がある。

L字型の敷地で、区画の角に面した位置にキャノピー、その奥に一段引っ込んでサービスルームがある。残念ながらかつてをしのぶよすがはほとんどない。ブランドロゴも注油口もない。

現役の「店舗」であるためか清潔であり、ピットにもそこを駐車スペースとしてクルマが入っている。

裏には月極駐車場。見事にいろいろ一体となっている。そしてサービスルームの「後ろ頭」が見える。

おや? 屋根の三本線は日石カルテックスだったということ?

十数年前の道路地図でもこの位置には給油所のマークはないので、それより以前に閉店したのだろう。

もうこれ以上ホコリがつかないほどに汚れた空気圧計。4kg/cm2の方角だけきれいなのは最初からだ。本当は全部ホコリを払って写真を撮りたかったのだが、それはためらわれた。






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