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島根県の津和野出身の方が「山ばかりだったから、そこから出てきた」とおっしゃった。津和野は左の地図の下、「B」としたあたり。JR山口線と国道9号は/型に通っている。山口県側のほうが標高が高く、峠越えは、JR線と国道は別々のルートを取る。詳しい方にうかがうと、夜に津和野市街から峠方向(南)を見ると、まるで「銀河鉄道」のように列車が登っていくらしい。

地図の左上「A」には「奥ヶ野」という地区がある。とある方がここのご出身とのことで、地名からして「奥」。その先には峠、そして一気に標高が下がる。果たしてこの「奥ヶ野」はどん詰まりの雰囲気なのかどうか、それを見に行って来た。

まず、津和野。
この鳥瞰図は津和野市街。うっすらと見える国道9号(左下から右上に抜ける黄色い道)は山の中腹をバイパスしている。そこから津和野の町はこう見える。

(北を見たもの)

市街のほぼすべてが見える。そして、市街の幅の狭さも強く感じる。町を貫く津和野川の上流側の「右」、上写真だと「奥の右」が開けて見える。ここから15kmくらい遡ったところ、津和野川の源流部に、「奥ヶ野」がある。対して、下流はかなり大きく深いS字カーブを描いており、どん詰まり感がある。

そして、奥ヶ野。
右下が津和野川の上流部。真ん中の緑色の部分が「奥ヶ野」。鳥瞰図で見ると、東(右)からの入口が門のように閉ざされているようにも見えるが、実際はそんなことはない。「え? ここ?」と驚くくらい、境界がない。北(上)へ向かってクルマで走っていると、普通に左手に開けた土地が見える、それが「奥ヶ野」だった。

左折して、すぐに道はぐるりと山裾をループして戻ってくるような、そんな奥にクルマを止めると、そこが最奥部だった。なんだ、開けてるじゃないか、という印象だった。歩いて一回りできそうだ。道に囲まれた田んぼには、農作業の方々が働いていた。関東郊外にもありそうな、そんな、明るい光景だった。

その地点から「入口」を見る。左に見えるのはバス停。「津和野町営バス 月・木運行 8:11 14:54」と書かれている。

佇んでいたら、手押し車にもたれたおばあさんが家から出てきたので挨拶すると、いろいろなお話を聞かせてくれた。御年93歳。おひとりで暮らしているという。家は少し高いところにあり、土台の草むしりがとても大変だったという。

ここから津和野市街までは、バスが周に2回くるだけ。津和野市街への時間を考えると、峠を越えて益田に出た方がいい。食材は移動販売車が来る。自分は大阪の出で、連れ合いがここの出身だったからここに住んだが、子供たちも町へ出て行き、もう自分だけになってしまった。この地区は、ほとんどが70歳以上で、90歳以上はふたり。これからはこのまま高齢化するだけだろう…。記憶で書いているので違ってる可能性もあるが、そんなことを話してくれた。その間、ずっとおばあさんは立っていたので、なんだか申し訳なくなった。

ひとまわりし、奥ヶ野を西へ。写真の少し先が奥ヶ野峠。この先はいまは萩市、そこも不思議なところだった。


※この項目の地図は、数値地図50000、50mメッシュ標高、10mメッシュ標高を使用し、DAN杉本氏作成のカシミール3Dを用いて画像化して表示した。

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