『世界一美しい鉄道の風景をつくるガイドブック』と、特色2色刷りの美しい帯に書いてある。この場合は「風景」は、車窓風景ではなく、ランドスケープ的な意味合いでの「風景」である。鉄道が、環境の中でもっとも美しくあるにはどうあるべきか…というような。設計についての哲学の本なのだけれど、それはイコール、鑑賞の視点を与えてくれる。
私は、なんとなく鉄製の橋梁が好きなのだけれど、専門知識は皆無だ。だから、ヨルク・シュライヒという名前を聞いたことはあっても、その人となりや業績は、遠くヨーロッパの地のものだということもあり、まったくピンとこない(以前なら翻訳しただろうけれど、いまはなかなかその気にならなくて…)。でも、そんなことは関係なく、本書は「橋たるもの」を説いていく。「橋たるもの」がどうあるべきかが本書の内容なのでここには書かないが、読んで「おっ!」と思った箇所は、僭越ながら下記hachimさんのブログとまったく同じだ。 そして、本書によって、桁のみを愛でていた私は新たな視点を与えられた。そして、現在、新設されたり掛け替えられたりしている橋への興味をもっと持たなくてはならないと感じた。これからは、桁や部材同士の関係だけではなく、もっと引いた視点での観察も加えようと思う。 <参考> 鉄道橋の教科書 … Future Description 何かからはみ出した、もうひとつの風景(hachimさん) 日本の新しい橋や架け替えの橋も、本書の提案例のように、「なぜその形になったのか」をもっともっと告知した方がいい。ダムのように、聴いてる人がいようがいまいが関係なく、公言し続ければいい。橋でそれができたのは、東京ゲートブリッジくらいかもしれない。いや、それとてトラス部分のみが取り上げられ、アプローチ部のデザインなど語られたことがないんじゃないかな。 内容は非常に満足行くものだったが、本文のデザイン・編集的には私は不満がある。文章のデザインの抑揚がないので、読み誤るのだ。 上の写真を見て欲しい。見出しがページ最上部で、本文は中央に塊として置かれている。おまけに1節の冒頭は「天ツキ」、一文字下げをしていない。この見開きは、左と右で「記事のランク」が異なるのだが、読んでいるとページ最上部の見出しなどは見落としてしまい、続けて読んでしまう。 ランクが異なるというのは、こうだ。本書は論文形式なので、章が「2」「2.1」「2.2」「2.2.1」「2.2.2」「2.2.3」…となっている。上の写真の例では、第2章第3節の総説と、第2章第3節第1項の個別の例が、見出しも本文もまったく同じ体裁(しかも、本文に使ったら読みにくい太いゴシック!)なのは、読者にランクを見誤らせる。記事の基本は、「タイトル-リード-見出し-本文」で、文字はリードを除き順に小さくなる。新聞でも雑誌でも、ほとんどがこの形だ。新聞が見出しも本文もすべて同じ文字の大きさのゴシック体だったらどれだけ読みづらいか、想像して欲しい。 また、論文としては正しい/やむを得ないのかもしれないが、各節内の項目の多寡がアンバランスで、やはり戸惑う。第2章第1節は項がないのに、第2節は4項まである。これは原著があるとしても、編集者が役割を果たすべきだ。そもそも、論文形式の「1.1.1」のような数字を使った区分けに、私はまったくもって馴染めない。学校の教科書だってそんな書き方をしていない。編集者には、その意味まで考えて欲しい。 * * * 本書を読み終え、国内の橋事情を見ると、いろいろと新しいことが見えてくる。そして鑑賞法が変わってくる。GWより前に読めればよかった。例えば和歌山県のカエル橋は、私は好ましいものだと思っている。でも、本書の文脈からしたら、これは許せない存在だろう。hachimさんはかつて橋の講演会でカエル橋を嘆いておられたが、そうか、そういうことだったのかと得心する。あ、GWに御坊まで行ったのに、カエル橋を見てくるのを忘れたことを思い出した。悔しい。もし見ることがあれば、その時は、hachimさんと本書を思い浮かべながら眺めることになるだろう。 書籍としては高額だが、橋好きも道路ファンも鉄道ファンも土木構造物好きも、メインカルチャーとして真正面から「橋とは?」を問いかけてくる本書はぜひ「買って」読むといいと思う。読み終えると、「ただ、好き」という感覚的なところから一歩踏み出しているはずだ。 PR |
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