もともとは、杉崎行恭さんの『駅舎』という本をさがしていた。そこでひっかかったのが、「日本の駅」というタイトルで、竹書房刊で、全駅舎写真が載っていて…という本だった。それは見てみたいと思い、さらに検索すると、どうやら同名タイトルで、1972年に刊行された鉄道ジャーナル社版がある。ありふれたタイトルのため、中身は同じなのか違うのかわからないので、まずは竹書房版を購入した。ところが、購入した竹書房版を見たところ、どう見ても印刷が悪い。特に、わずか16ページだけある巻頭カラーのひどさといったら。何かの再録としか思えない。おかしい、と確信したのは網走駅の写真を見たときだ。旧駅舎が写っている。いや、それはそれで貴重なのだが、網走駅の駅舎は昭和52年末に改築・落成しているのだから、昭和54年刊の本書では、当然そちらが入っていて然るべきである。 そうして、鉄道ジャーナル社版を単純に再刊したのではないか…と思い始めた。とはいえその古書の中を紹介しているサイトなどはなさそうだ。なにしろ「日本の駅」というありふれたタイトルだ、検索しても本書にたどり着くわけがない。そこで、鉄道ジャーナル社版を買った。 中身はこうだ。 本書の最大の長所は、駅舎の建築年が書いてあることだろう。それを元にすれば、駅舎建築の傾向がつかめるのだ。長年気になっていた、稚内駅・柏崎駅・武生駅の相似(それ以外にもあり、平屋の駅舎を加えるともっと多い)も、時代性というか規格性というか、そういう面があることがわかる。 ・稚内駅 駅舎改築 昭和40年9月 ・柏崎駅 駅舎改築 昭和42年10月 ・武生駅 駅舎改築 昭和43年9月 である。他の駅舎の検証も、いつか進めたい。 同じ地域で同じ時期に開業した駅舎が同じ建築になるのはわかりやすい。しかし、国鉄は全国組織で完全な中央集権体制ゆえ、こうしたことが起こる。とくに戦後の建築ラッシュ、そして昭和40年代以降の改築ラッシュ時のことが興味深い。 駅舎についての内容が同じで、片や発売時の定価5000円、片や4万5000円なので、どうしても鉄道ジャーナル社版に軍配を挙げてしまうが、竹書房版の『国鉄全駅ルーツ大事典』は、当時は地名への関心もいまほど一般的ではなく非常に貴重な本だっただけに(子どもの頃、高額で買えなかった)、その再録は感慨深いものがある。 竹書房版を売ろうか、それともスキャンするためにバラすか、迷っている。 PR 昭和30年(1955) 和歌山県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 汽車製造株式会社 * * * さて、橋脚について。 天田橋で検索をかけたら、GNRがトップでヒットした。既に@golgodenka さんが検証していた…ので、詳細はGNRにお任せするとして、土木学会の橋梁史年表で見ると、下記のような変遷を経ているようだ。●は確定、▲は御坊とは書いていないが橋長からしてこの天田橋だろうと推測できるもの。 ●(1)1876-3 橋長(m): 113 幅員(m): 1.8 形式: 木橋 下部工: 特記事項: これ迄は渡船。1876年7月流失。 1887年架替え ●(2)1887年 (1)の記述より。 ●(3)1902-1 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1902-1 橋長(m): 166 幅員(m): 2.7 形式: 木橋 下部工: 特記事項: 場所: 和歌山県 御坊市 河川名: 日高川 出典: ▲(4)1905-3 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1905-3 橋長(m): 幅員(m): 道路 形式: 木橋 下部工: 特記事項: 1912年当時はL=164 b=3.6 板橋。1919年8月,1925年,架替え. 1928年6月2日流失 。1930年12月架設、流失。 場所 ▲(5)1919年 架け替え(4)の記述より ▲(6)1926年 架け替え(4)の記述より ▲(7)1931-11 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1931-11 橋長(m): 186 幅員(m): 5.5 形式: 下路単純トラス橋 l=1x45.7 プレートガーダー 播磨造船所製 木桁橋 下部工: 特記事項: 1953年7月18日一部流失、9月 復旧 ,1954年 ●(8)1955-12-9 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1955-12-9 橋長(m): 304.2 幅員(m): 7.58 形式: 下路カンチレバートラス橋 l=3@51.1 単純ポニートラス橋 l=(3+1)x36.5 上部工 汽車製造 下部工: 空気ケーソン基礎基礎 下部 国土変遷アーカイブから、1947年撮影のものと2008年撮影のものを見比べ、GIFアニメを作った。 http://www.bannerkoubou.com/photosharing/image_view.php?data=9074.gif ここから時代と照らし合わせて、石積橋脚は(6)以前のもの、コンクリートは(7)のもの…と推測した。果たして、答えは? そして、南側には隣接してコンクリートアーチの上に曲線床版が載る橋がある。 なお、この橋が跨いでいるのは富田川の支流で、地図では河川名は確認できない(親柱には前述の通り「近遠谷」とある)。すぐ近くでこの支流は富田川と合流しており、そこに別の「福定橋」がある。検索するとそちらが出てくることがあるのでご留意を。 1960年4月 電源開発株式会社建造 建示(1955)一等橋 製作KK駒井鉄工所 材質 SS41 銘板は、反対側にも同じものが付いていた。 ワイヤーは万が一の時に緊張すればいいからか、触れば揺れるし、上写真のピンを中心に簡単に手で回転させられる。 平成13年度 水力発電施設周辺地域 交付金事業 このすぐ下流に十津川第二発電所がある。電源開発所有・運営で、そのために架けられた橋ということだろう。この交付金事業でなされたのが、この落橋対策だろうか、それとも塗装だろうか。そこまではわからなかった。 その前には三菱灯油の計量器。白く塗りつぶしてあるところ、かつては太陽がぎらつくあのマークがあったのだろうか。 全体的に錆びに覆われ、ちょっと悲しい感じになっていた給油所。それでも、街中にあるから、まだ荒らされず、この状態で済んでいるのかもしれない。 |
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