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駅の本は数多あるけれど、本書は久々に出会った「新しい発見がある本」だった。発見といっても「知識」はもちろんのこと、「楽しみ方」を発見できる本だった。

本書で発見した……本書が教えてくれた楽しみとは、駅を見る目と、その括り方だ。サブタイトルにもなっている「股裂き駅」がその先端だろう。たしかに、いいよね、分岐駅で扇形になったホーム。この、読者が「そうだよね、言われてみれば、いいよね」と共感する感覚を持てる本は貴重だ。そして、こういうコンセプト(だと私が勝手に読み取っているだけだが)こそ、これからの本のあり方の最先端じゃないかと思っている。

残念ながら公式サイトには詳しい目次が載っていないので、せっかくだからここに書く。公式サイトには「旅エッセイ」とあるが、そうではないよ、本書は。すばらしい駅研究の本。とはいえ、紹介文にそのように書くと、うまく伝わらないからそう書かれたのかもしれない。あと、amazonには公式ほどの情報もないのは残念。

・東西両横綱の大変身
・厳選! 名駅舎
・大ドームターミナル
・脳裏に焼き付く、忘じがたき駅
・ホーム上の小宇宙
・地の果ての車止め
・鋼索・索道駅のアバンギャルド
・駅前像の威容と不思議
・股裂き駅の奇妙な空間
・おいらの駅は踏切自慢
・鄙にも希なモダン駅舎
・保存駅舎の存在感
・名駅舎墓碑銘

各章の観点はバラバラだ。駅舎だったり、ホームだったり、付帯設備だったり、情緒だったり。それらの面白さも書きたいのだが、本書の素晴らしい点を先に書くと、先の「楽しさ」の提示ともう一つ、「知識」として「日本の鉄道駅舎史」という観点が入っていることだ。これは私もいつか調べてみたいと思いつつ、とりつく島もないまま長年放置しているテーマなのだが、例えば…

この駅舎が建てられた昭和10年ごろは太平洋戦争以前の日本の国力の絶頂期で、都市の中央駅に上野駅や小樽駅のようなコンクリートの機能主義的な駅舎が次々に建てられた時代だった。(紀伊中ノ島駅)

戦災復興の建築ブームで各所に駅舎が建てられていた。そのとき、新時代の駅舎は伝統的な建築とは違ったものを目指したのだろう。(略)建築雑誌に掲載され たコルビジェやヤコブセンの作品を見てインスパイアされたと思われる駅舎が続々と誕生した。しかもこれが九州で多く見られた。(略)コンクリートが実用化 したために誕生した欧米のモダニズム建築だが、極東の九州では無邪気にも木造でやってしまったのだ。(松橋駅)

国鉄では昭和50年代から老朽駅舎の改築にあたって、北海道の風土に適した北方圏型の小駅舎を開発していた。(斜内駅)

といったように、建築史と絡めて駅舎の成り立ちに触れている。その考察は、とりわけ「鋼索・索道駅のアバンギャルド」という章でも遺憾なく発揮されている。

また、各駅の評や、そこから飛び火する文明評も秀逸。一度読んだだけではスルーしてしまうくらいにさりげないので、二度目、三度目と読むとより味わえそうだ。
開いた股間にずどんと箕面線(石橋駅)

一般に帝冠様式の建物は今の目から見ると屋根つき霊柩車のような(奈良駅)

(山中にすごい駅がある意味、無駄に建設されたという意味で←磯部要約)土合駅が建てられた昭和42年をもって国鉄の戦後復興は果たされたのではないかと思う(土合駅)

(鎌倉を世界遺産にしようという流れから、北鎌倉駅地下化の話におよび)日本の世界遺産ブームは、どこかへンだ(北鎌倉駅)

* * *

個人的には、(旧)稚内駅と、柏崎駅と、武生駅の駅舎に共通する臭いを分析したい。長い研究になるのだろうが、各駅の駅舎の供用年をexcelにまとめてみたいと思っている。また、鉄道建築は逓信建築とともに、商業出版ではまだほとんど手つかずの分野。売れる自信はないが、いつかそうした本をつくってみたいとも思う。

* * *

そうした観点とはまた別に、本書で衝撃を受けたのは新旭川駅である。内容は書かない。ぜひ読んでほしい。

写真は2007年に撮ったものだが、この駅舎にそんな物語があったとは知らなかった。

旅とか情緒が好きな人は絶対に「買い」の本。


<関連項目>
『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)
昭和50年代の駅名標(越後線)その1




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ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路
国見山鉱山D-507の解体のつづき。

周辺の写真を挙げて、この項は終わりとする。

1067mmの下部軌道の上にもコンベアがある。このコンベア、先の解体作業をしていた方の話では、石灰石ならば軟らかいのでそれほど傷まないのだが、D-507があるあたりで採掘される「黒土」を運ぶと固いのでコンベアそのものがすぐダメになるという。

レールを加工した碇のようなものがあった。貝がびっしりついていたので、間違いなかろう。それにしても、すごい曲げ&溶接だ。

その近くにあったレール。これから碇になるのか、妙な切り口をしている。

D-505はちゃんとある。ただし、この撮影時は朝早かったのでだれもいなかったが、やがてここにクルマが泊まり、作業・休憩スペースとなった。そういう時刻に現地に行くと、このようには撮れないだろう。

運転台にはクルマのエアコンが取り付けてあった。

山を降り立て、下部軌道の様子。このように道路に溶け込んでいる。

レールや架線柱も残るが、踏切は埋められている。

しばらくはこの情景も残りそうだ。


ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路
の続き。

上記のものを見る前に、D-505を見てはいるのだが、近くにあるはずの「半分埋もれた」D-507が見あたらなかった。そのまま上記の廃線跡を見て帰る途中、目を疑った。

よく見ると、台枠だ。男性が一人でガスバーナーで溶断している。作業の合間に挨拶し、写真を撮る許可を得る。

すでに解体作業を開始してから何日が過ぎており、トラックで2回、解体済みの部品を搬出したとのこと。その場に残っていたボディはこれくらいだった。ドアなどは見る影もなく、まるで捨てられた新聞紙のような薄っぺらい存在感で地面でひしゃげていた。キャブのナンバープレートと銘板は外されていた。別途保管されていることを祈りたい。

天地もこのとおりにブレーキ弁が横倒しになっていた。この「30」まで数字が刻んであるメーターはなんだろう? スピードメーターだろうか? D-505の運転台と見比べると、コンソールの水平面にひとつだけあるメーターがこれだ。

台枠にはタコメーター。

連結器を切り落とすのは、さぞかし大変だったろうと思う。また、キャブのコンソールも、「重機でひっくり返したり、まるごともぎとったりしているうちに、このような乱暴な曲がり方になったのだろう。

埋まっていた場所はこのとおり。砂の下にレールが見えている。掘り下げたところには切断したパイプ類が無造作に埋もれていた。

作業している方は地元の鉄工所の社長で、77歳だという。台枠を切るのが大変だと言っていたが、それはそうだ。「十何ミリもあって、酸素ボンベがいくつあってもたりん!」と。ボンベは1本5000円くらいだが、すでに10本以上使ったそうだ。「こんなところにH型鋼が使われているんだな。固いよ。ふつう、俺たちだとトラスを組むんだけどな」。さすが鉄工所の社長。機関車だからこその台枠の硬さだが、この国見山鉱山のさまざまな施設を手がけたらしい。いろいろな裏話もうかがった。

上の写真は、台車のピンを切り落としたくて四苦八苦している図。ピンは梁とガッチリくっついている。上から見るとH型になった台枠をもっと小さくして、軽くして、トラックに載せられる大きさにしたいのだが、ピンがとれてくれない。結局、私が見ていた1時間以上を使っても無理だった。

このピン部分を溶断するため、台枠をひっくり返す必要が生じた。そこで「弟子」スジの方を呼び、ホイールローダ-でめくってひっくり返した。また、画面右の「303」と書いてある小さなバックホウで、ピンをかじったり、横に打撃したりしたが、やはりピンはびくともしなかった。

塊感を醸し出す液体変速機。周辺には推進軸やジョイントも切断されて転がっていた。

写真はたくさん撮ったので、こちらにまとめてある。
http://www.flickr.com/

* * *

長年埋もれていたD-507がなぜ解体されたかといえば、そのあった場所の近くにある施設を作るからである。その施設も、この方が手がけているという。その施設への通路にあたる部分に、このD-507が埋まっていたので、それを撤去する必要があったそうだ。

この77歳の方からはずいぶんお話を伺った。戦時中に機銃掃射を受けた話やら、鉄工所の話やら、ご家族の話やら。どうも、なかなかの遣り手のようだ。帰途、街中で偶然、この方の鉄工所を見たのだけれど(建屋にでかでかと名前が書いてある!)、なるほどなあと思った。結局、国見山鉱山だけで5時間もいてしまった。

(すべて許可を得て撮影・アップロード)

(関連事項)
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路
国見山鉱山の光景


ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)の続き。

国見山鉱山の中部軌道も下部軌道も、廃止になったのはベルトコンベアに置き換えられたからである。これは中部軌道のもの。かつてのレールのあった場所にコンクリートで土台を据え、その上にコンベアを敷いている。コンベアは半円筒形のカバーで覆われている。ほぼ全線、元の鉄道跡をトレースしているが、一部は異なる場所を通っており、トンネルが掘られたところもある(写真はない)。

これは橋梁を転用した例。元のレールも残っている。間に歩み板がある。レールも構造物として利用しているようだ。

なんとも手作り感が漂うが、別項D-507解体に携わっていた方の話ぶりによると、地元の鉄工所の方々が個別に作業したようだ。つまり、手作り感は当然の結果だった。

トロッコより重いのか軽いのか?

何ヶ所か、このように中継される。作業していた方によると、固いものを運搬するとコンベアがすぐ傷み、ダメになるそうだ。石灰石だと長持ちするとか。

中部軌道を遡っていくと、やがてこの橋で立ち入り禁止となる。この奥は操業中だし、立ち入り禁止なのでここで引き返した。

(関連事項)
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
横桁が強そうな橋(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山D-507の解体
国見山鉱山の光景

ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)の続き。

唐突に橋になっている。

右側奥右だけレールが残っている。横桁にレール締結金具が残っており、その真下に縦桁がある。さらにその下に太い横桁がある。

裏側。このように、太い横桁と円筒形の橋脚が構造を司っているように見える。そして川の氾濫ゆえか、橋脚は土台ごと移動し、恐ろしいことになっている。左の橋脚の足下に転がっているのは木材。コンクリートの土台を地面に突き刺しているのも木材だったりする。

真横から。橋脚の様子がわかるだろうか。上の写真にも写っているが、川の中には補助的につけられたとおぼしきI型鋼の橋脚が所在なく立っている。円筒の補強としてついている型鋼とともに、なぜか片側にしかない。

* * *

中部軌道は軌間610mmのエンドレスなので、レールの間にはトロッコ用のケーブルのガイドが残っている。

どうやって使っていたのだろうか。そのあたりは知見がない。

線路脇にあったもの。これはなんだろう?

(関連事項)
ランガー補強された謎のポニートラス(国見山鉱山中部軌道)
国見山鉱山のベルトコンベアと、そこに残る中部軌道の線路
国見山鉱山D-507の解体
国見山鉱山の光景


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