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20121213-04.JPGここを走り下りてきて、エンジンを止めたのだろうか。

ここは山の尾根。かつては木材の搬出に使われた道。ちょっとだけ再度を高めてはいるが、全体的に真っ赤だった。赤い落ち葉と、樹木の濃い茶と、茶色に錆びたダッジ。

20121213-01.JPGへたり込んでいるようにも見える。

20121213-02.JPG荷台にはヤマザクラ。春先には花が咲くという。来春に再訪しようかしら。


これも、丸田祥三さんと『廃道 捨てられし道』の撮影に同行させていただいたときのもの。丸田さんの作品はカバー裏面に掲載されている。

今回掲載した写真は3枚とも彩度を少し上げている。でも、現地の印象は、1枚目のような一面のオレンジ色だった。
 
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DTH57、というのかはわからない。wikipediaにそう書いてあっただけで、他に資料がないのでそうしておく。

20121215_000.JPG東武博物館に保存してあるED5010形5015号。ピカピカ。これがまた、触れる状態である。

20121215_001.JPGDTH57形台車。目を引くのは台車枠側面(側梁)が弓形(凹型)であることと、枕梁がコイルバネ1本+ダンパであることだ。

枕バネの真上、側受の上のスペーサーが何段にもなっており、とてもバランスが悪い。

20121215_002.JPG座屈しちゃうんじゃないのかと思うような側受。上揺枕は枕木方向に弓形で、ものすごく太いこともわかる。

20121215_003.JPG対して下揺枕は華奢だ。もっとも、これは左右の枕梁受け(とでも言おうか)をつなぐくらいの役割しかないのかもしれない。

左右の側梁をつなぐ台車枠の中梁の太さと、その間に見える上揺枕に比べ、下揺枕のなんと頼りないことか。いや、単なる印象だけれども。


こういう、鋼鉄の塊感がとても好きだ。


12月13日夕方、こんなツイートが流れた。

例の発言をした議員だったので(そのときはスルーしたのだけれど)「またこいつか」と思って取るに足らないみたいなことを書いてしまった。

東北新幹線と東海道新幹線のホームがこうなった経緯については国鉄時代のことから知っているし、元々、新幹線は速達型/各停型という運転系統で、仮に直通するなら速達型で青森→仙台→大宮→東京→新横浜→名古屋→京都→新大阪、のような形になる、と考えている(根拠はない)。だから、例えば福島→静岡、みたいな動き方をするには、仮に直通しても福島(やまびこ)東京(こだま)静岡、と乗り換える必要が出てくるので、直通するメリットを享受するには仙台→名古屋/新大阪、のような需要になるんじゃないか。その距離なら飛行機じゃないか、と考えていた。

だけれども、ちょっと数字が気になったので見てみた。閲覧したのは国交省が公開している「第4回全国幹線旅客純流動データの利用案内」である。2005年のもので、データの見方にはいろいろな注意点があるが、「①都道府県間流動表/出発地から目的地/交通機関別流動表/年間(平日・休日データ利用)」(H17_OD_2.xls)というものを使った。このデータは、かつて仕事でよく見ていたもので、各自治体が発表している数値と見比べたり、相対的な数値からいろいろ判断したりしていた。かなり重宝した数字である。

* * *

調べたのは、東北/上越新幹線エリアから、東海道新幹線エリアへの移動である。全部新幹線を利用しているとみなして以下の数字を書く。

20121214e.JPGexcelファイルを作成したが、元の数値があるものを再配布していいのかわからなかったことと、そもそもこういうブログ形式では表組みをうまく掲載できないので、ここでは画像化した。(数値のみのexcelデータはこちら

東北6県+栃木から、静岡県では1日1430人。中京圏へは1945人。京阪神へは1860人。滋賀・奈良・和歌山へは359人。締めて5595人。東海道新幹線は1編成あたりの座席が1323席なので、ざっと4本分ちょっと。これなら、1時間に1本くらい直通があってもいいんじゃないの? という気になってきた。同じデータから読み取る新潟県→東京は6540人/日なのだよ。

同様に、新潟・群馬から静岡県に新幹線を使う人は1日616人、中京圏へは904人、京阪神へは1121人、滋賀奈良和歌山へは178人で、合計2819人。東北方面からの半分だ。思った以上に大きい数字だ。

(2013年1月14日追記)
『須田寛の鉄道ばなし』(須田寛著)に数字が書いてあった。「東北・上越新幹線から東海道方面に行く人はOD値で9000人、これくらいの数字だから直通はしない」。というものだった。上記計算だと8414人。そう違わない。

* * *

ここに書いた数字は、条件も複雑だし、絶対値をすべて鵜呑みにされるとまずいと思う。東京→京阪神が年間863万人、1日2万3000人くらいにしかならない。私が知っている数値(年間3500万人、ただし往復)の半分だ。でも、相対的な数値の比率としては、ひとつの目安にはなるだろう。

こんな数字遊びよりも、国交省がこういうデータを持っているよ、ということをもっと広く知っていただければ幸いである。

専門家の方々で、もっときちんとした分析をお持ちの方もいらっしゃると思うので、ぜひご教示いただきたく思います。メールはめんどうなのでtwitterにてぜひ。
20121212_002.JPG丸田祥三さんと、某所のダッジを撮影に行く途中で見つけた橋の旧道。この橋を余慶橋という。ご覧の通りの2車線のプレートガーダーで、これを撮っている側が新道、新しい橋がかかっている。丸田さんが撮影されたこの旧橋は『廃道 捨てられし道』に作品として掲載されている。


旧橋は、ご覧のように突き当たりに土砂が積まれ、通り抜けができなくなっている。

20121212_001.JPGこれが新橋。この右に旧橋がある。それにしても、なんという位置に銘板があるのか。

20121212_004.JPGさて、旧橋。なんという場所に標識を建てるのだ。旧橋の親柱、それも橋名の銘板の前。親柱も「いっそ自分を撤去してくれ」と思っているにちがいない。

20121212_003.JPG反対側。昭和36年3月竣功、の銘板。3月は、このあたりはまだ雪に埋もれている時期ではなかろうか。

20121212_006.jpgどんつき。なんという場所に電柱が建っているのか、と思うかもしれないが、本来の車道はおそらくその手前を右に急角度で曲がっている。

20121212_000.JPGさて、反対側。こちら側はこのように土砂が新道ギリギリまで来ている。

20121212_005.JPGここから橋台までの間に土砂を捨てたようだ。


廃道を土砂捨て場にする例はときどき見かけるが、たいていは隧道を使っている。プレートガーダーなど、撤去して屑鉄にして売ればかなりの金額になるだろうに。なぜ放置してあるのだろうか。撤去費用も含めると元が取れない、というのも容易に想像はつくけれど。


 
20121211_003.JPGある取材のために、丸田祥三さんと国道411号を走っているときに見つけた道路改良の跡。まだ切り替えられて間もなさそうだ。都心の青梅街道とは似ても似つかぬが、ここはそこから続いている青梅街道、もちろん青梅はとうに通り過ぎている。丹波山村の役場にほど近い場所だ。ここは改良区間の東の端。

20121211_001.JPG2010年秋、11月下旬。肌寒くもあり、関東らしい気候でもあり。

20121211_000.JPG西の端はこのようにかなりの角度で新道に取りついている。もう少し段差があったら取りつきを諦めているだろう。

20121211_002.JPG丹波山温泉大橋。これが、新道に架けられた橋の名前だ。


20121211_005.jpg平成21年9月竣功。撮影時点で考えると約1年前だ。左に移っているのが前述の旧道。山側も谷側も法面でがっちりと固められている。そして、この橋よりも上を走っている。

すこし西に行くと、その続きの高さにまた改良跡があった。

20121211_004.JPGこちらは道が欠き取られ、新道に大きく侵蝕されている。こういうのは、なんだかちょっと悲しい。前述のように、まるまる残っていてくれたらいいのに。


 


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