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塩那林道の続き。

20121218_003.jpgその夜、寝場所が定まらず、1区間だけ高速道路に乗って東北道のどこかのPAで寝た。場所は覚えていない。ほぼ無人のPAの歩道のスミに銀マットを敷き、めんどくさいから風呂も入っていないのだが、モトパンのままシュラフへ。野宿は大好きだ。

翌朝、国道13号で米沢方向に向かう。

20121218_006.jpg写真には「板谷ベークライト付近」とある。ちょっといま検索してもわからない。林道を走りつないでいたつもりが、なぜかこういう道に出た。

20121218_007.jpgそして、こんな道に。いまならなんてことなく越えるだろうし、もしいったん溝に落としても、簡単にリカバーできるだろう。でも当時はこんな溝に出くわしたこともなく、どうやって越えるか悩み、溝にバイクをゆっくりと落とした。そして、どうやっても路面に復帰できなくなってしまった。

経験不足過ぎて、バイクをどう持てば持ち上げられるのかもわからない。結局はなんとか脱出できたが、人が来るまで待とうかとも思ったほどだった。

でも、道がこうなっていたらクルマも来ないよなあ。

20121218_005.jpgその後、どこをどう行ったのかは覚えていないけれど、米沢市内に足を記して、また板谷峠に戻った。1995年の峠駅は、こんなようすだった。


この前週は、いまに至るまでのつきあいとなる友人たちと出会った五十里湖キャンプ、この翌週は天竜スーパー林道、1週おいて奥志賀スーパー林道から秋山郷で抜けた。
 
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20121218_004.jpg「伝説の」と言っていい未舗装路がある。塩那林道。毎年のように崩れ、常に工事中で通行止め、といった塩梅だった道で、いまでは正式に「廃道化工事」が行われている。この道を、一度だけバイクで走ったことがある。1995年9月30日のことだ。

土日で、安ヶ森林道・塩那林道・大川林道から福島、米沢へと抜け、周辺の林道を走ろうと思った。会社に入った年、金などないのでもちろん全部下道だ。テントを積むのもめんどくさいので、キャリアにはシュラフと工具を入れたICI石井スポーツの28リットルデイパックひとつ。このデイパックは、確か1987年頃に登場した「夢の」大容量安価デイパックだったがその話はいずれ。

20121218_000.jpgたしかこの年の『月刊ガルル』に、激しくガレている、でもスカイラインダートだ、というような記述で塩那林道の紹介が出ていたと思う。たしかに、スカイランだ。尾根を走る道なんて、なかなかない。しかも未舗装路だなんて。

通行止めが多いとは聞いていたし、当日は安ヶ森林道も路面を全面的に掘り返す工事で通行止め、引き返していただけにダメもとで行ってみると、ゲートは開いていた。とくに通行止めとは書いていなかったと思う。

20121218_001.jpg意外にも路面は普通。新しく砂利を入れているようで、当時初心者といってよかった私には運転しづらい道ではあったが、まあ普通に走れた。クルマでも大丈夫な感じだった。いまでもここが未舗装で開放されていたら、どれだけ多くのライダーや四駆が入ってくることだろう。でも、維持できなかった道なのだ。

20121218_002.jpg橋はこれだけの幅があった。2車線だ。

塩那林道を走ったのはこの時限り。友人の話では、1990年代末までは、ゲートが開いていて走れることもあったらしい。

バイクはTT250R。もともとオフロードバイクに乗りたかったのだが、1993年にこのTT-Rが登場し、そのスタイルに惚れ、やっと免許を取る決心をしたものだ。購入は1993年12月。以後、宗谷岬、納沙布岬、波照間島、与那国島までこいつで足を記した。しかし、1997年2月に自宅駐輪場で盗まれてしまった。いままた所有できるなら所有したいバイクだ。

写真はすべてコンパクトカメラとネガ。当時は「いちばん安いフィルム」を探して使っていた。だからとても色が悪い。一眼レフとフジのリアラを使うようになったのはもうちょっと後の話だ。
 
20121217_000.JPG栗原景さんの完乗立ち会いに行ったとき、強風で列車が遅れ、上菅谷の駅で待ちぼうけしていた。そこにあった駅便。

ブロック積み。入口は壇上共用で一つ、その前に衝立。

壁はブロック済みだが、その上の換気部分は金属製、屋根および支えは木製。換気部分は更新されたもののようだ。

20121217_001.JPG灯りが、家庭用のそれだ。こういう住宅用街灯は、いつ頃までの文化だったのだろう? いまの新築住宅には、蛍光灯を使ったこういう長細いタイプが使われることはないような気がする。みな白熱灯、いや、いまならLEDか。

この街灯は、付け根にナショナルのシールが貼ってある。太い「N」の中に稲光のような線と「ナショナル」の文字が入るものだ。アクリル製で、おそらく、右が左の透明部分を回すと外れるのだろう。

20121217_002.JPG隣接して茨城第一交通の事務所。地元のタクシー会社だ…と思って検索したら、北海道から沖縄まで股に掛ける会社で驚いた。直営ではなく、買収によるグループ化だと思うけれど。

(参考)第一交通産業-wikipedia


この角度でトイレの入口を再度見ると、男女の案内が、衝立とトイレで逆である。これ、BADUIじゃないか、と思いきや、中は向かって左に個室、右に男子小用であり、もともと共用トイレなのであった。


20121216_001.JPGトイレを見るクセがある。用もないのにのぞく。きれいだと安心する。温泉旅館からショッピングモールまで。別に用を足すわけではない。駅の外にあるトイレも然り。地方の駅ではまだまだこうしたトイレが現役で、とても嬉しい。

…ということを無意識にしていたのだが、写真を撮ったのはこの2009年の備後落合駅が最初かもしれない。誰も周りにおらず、まだ吊り下げられた「便所」の看板に惹かれたような気がする。

20121216_003.JPG便所。LAVATORY。

そして、街灯。

トイレは使ったけれど、このころは中の写真は撮らなかった。なんとなく、撮っちゃいけない気がしていた。もちろんこうしてアップすることなど考えてもいなかったのだが、後日、こういう、どちらかといえば新しくされがちな施設、でも大切にされている施設こそ記録が少ないんじゃないかと思うようになった。

20121216_000.JPG備後落合は、山間の小駅ではあるが、かつては交通の要衝だった。西条川と小鳥原川(ひととばらかわ)が落ち合う地点にある、わずかな平地。ここから、芸備線と木次線が別れる。

小鳥原は難読地名だ。いま国土地理院のウオッちずを見たら、ルビの振り方がずれている。

写真は早朝の駅。山間部の狭い平地ということがよくわかる。ワンマン運転用のミラーが邪魔だとかは思ってはならない。

20121216_002.JPG駅舎も大きい。運転の要衝であることは今も変わらないため、休憩施設としてか、おそらく3部屋あり、エアコンの室外機も三つある。

この駅が宿泊施設になったらいいのに、と思う。


鉄道旅行で、備後落合で乗り換える方は多いと思う。ぜひ駅便をご覧いただきたい。


20121213-04.JPGここを走り下りてきて、エンジンを止めたのだろうか。

ここは山の尾根。かつては木材の搬出に使われた道。ちょっとだけ再度を高めてはいるが、全体的に真っ赤だった。赤い落ち葉と、樹木の濃い茶と、茶色に錆びたダッジ。

20121213-01.JPGへたり込んでいるようにも見える。

20121213-02.JPG荷台にはヤマザクラ。春先には花が咲くという。来春に再訪しようかしら。


これも、丸田祥三さんと『廃道 捨てられし道』の撮影に同行させていただいたときのもの。丸田さんの作品はカバー裏面に掲載されている。

今回掲載した写真は3枚とも彩度を少し上げている。でも、現地の印象は、1枚目のような一面のオレンジ色だった。
 


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