かるお@Oldroutewalkerさんが発見、投稿なさっていたものが「土木ウォッチング」に転載され、それで知った大阪最南部の橋。なんと、最初期の鉄道用鉄橋である英国製70フィートポニーワーレン桁の生き残りの可能性がある。詳細な検証は「関西の公共事業・土木遺産探訪」にあるので、そちらを参照されたい。 架かっているのは国道170号の旧道。こういう橋は、一般的な桁橋だと勝手に思ってしまい、わざわざ構造を見ようとは思わないよな…すごい。 見づらい位置なのはわかっていたので、ドローンで撮ろうと思ったのだが、谷側の樹木の繁茂がすごく、とても飛ばせない。ただ、幸い、右岸(東側)は近付くことができた。構成は浜中津橋と同じだ。 こちらは浜中津橋。 支承に載る部分や垂直の端柱の「外側」、本来横桁が載っていた部分(すぐ後に記述)などの差異はあるが、それらは後天的な改造であり、前述のリンク先の考察のとおり、転用桁だろう。 下弦の格点の間に、板と、板を外したような跡が二つ見える。板と右端の跡は、縦桁を載せるための横桁があった部分だろう。 これは見沼代用水橋梁。本来、この桁にも、黄色い矢印の位置に横桁があったはずだ。 右岸の親柱。「竣工平成8年8月」。改修工事ということだろう。 左岸(西側)の親柱。「おおみやばし」「見出川」。「みでがわ」と読む。 PR 謹賀新年 2022.1.1
年末恒例の「轍のあった道アワード」は、うっかり忘れて四国にロングツーリングに行ってしまい、すでに大晦日の20時を過ぎているので、2021年のGPSログの公開で締めくくろう。
1年半前にTENERE700が納車されてからというもの、20代のころのようにバイクに乗るのが楽しく、あちこちでかけた。四国の一部~岡山~東京が鉄道、新潟往復の一部がクルマ、それ以外はほぼバイクだ。 3月、閉塞感が極まり、オーシャン東九フェリーで徒歩乗船で徳島に渡った。そのままJR四国の路線をいくつか乗り、初めてサンライズに乗って帰ってきた。すごく久しぶりに「未乗の路線」をいくつか乗り、乗りつぶしの距離が増えた。 1~6月、近場をちょこちょこ日帰り。 7月、13回目の北海道ツーリング。北海道そのものは38回目。 9月、シルバーウイークは二十数年ぶりの能登半島。 10月、富山。 11月、文化の日から5連休にして紀伊半島。 12月末、四国ツーリング。 四国ツーリングは、四国南西部の半島を四つ回ろうと思ったが、案の定かなり時間がかかたたtめ、由良半島と船越半島のみ。大縮尺の地図ではここまでのログが見えないが、外周が丹念に描かれると嬉しい。 2010年秋からの11年分とまとめると、こう。東京周辺と新潟が濃いのは当然だ。 2022年は、中国地方と九州、それと岐阜・石川・福井県境あたりに行きたいと思う。あと、ずーっと行っていない沖縄…は行けるかな…。 【過去の記事】 2020年のGPSログ 2019年のGPSログ 2018年のGPSログ 2017年のGPSログ 2016年のGPSログ 2015年『轍のあった道』アワード 2014年のGPSログ 2013年のGPSログ 新潟県の清水集落。「清水峠」の北側にある、巻機山などに入る人たちがベースとして宿泊したりする集落だ。ぼくの出身高校の山岳部では山麓の山小屋の会員?になっていて、その鍵は清水の旅館に預けてあったはずだ。といっても山小屋は顧問たちが泊まり、ぼくらはテントだった。 それはそれとして、清水は、国道291号の、現実的な突き当たりで行き止まりだ。ここから群馬に抜ける道は「点線国道」である。高校2年のときに山岳部のインターハイ予選で清水峠に立ったころは、そこが国道だとは知らなかった。 【関連記事】 21年ぶりの清水峠 積雪地の小屋はカマボコ屋根をしているものを多数見かけるが、この消防団の資材庫は頭に三角を載せている。当然、積雪除けのためだろう。しかし、雪とは付着するものだ。こうしてもなおこんもり積もるのかもしれない。積雪期に再訪してみたい。 積雪期は小屋の前にもかなりの雪があると思われ、となるとシャッターを開けるのも難儀し、開けてもそこから「雪の上」に持ち上げなければならない、とかなるのだろうか。 このまま背後まで三角柱が伸びたらアイスラッガーのように見えるだろうな。 周辺には、ほかにもトンガリ屋根がある。カマボコ形もある。 先日、「橋 on 橋(中平橋)」を公開したところ、高校時代の友人から「ここもそうだよ」と教えてもらった。新潟県道5号新潟新津線。JR信越本線の荻川~亀田間、国道49号のすぐ南だ。付近に舗装路がないのが、Googleストリートビューでも遠目に確認できた。それっぽい。 現地へ行ってみた。南側下から見る前に、橋を渡ったところ、アプローチ部と桁部にかなりの角度があり、車高の低いクルマだと当たりそうだ。写真は撮っていないので、ストリートビューで。 これだけの角度がついている。また、ガードレールの雰囲気や床版の「厚み」の感覚からして、仮設ぽい印象を受けた。渡ってから、見えるところに行った。写真のとおり、旧桁はかなりの角度の斜橋だ。 南西側。橋台付近のガードレールすら残っている。その右は親柱か。旧桁には落橋防止の緩衝チェーンがついたままだ。 そして塗装標記を見ると、2000年10月となっている。なのに、こんなふうにされたのか。 そのまま左を向く。新桁は、旧桁よりかなり長い。旧桁のかなり「手前」に橋台を設置して、載せかけている。これは、 ①旧桁が斜橋であるのに対し、新桁は「仮設の桁」なので、その分も長くなる ②仮設桁なので、規定の長さしかない といった理由だろうか。 その左の桁(?)は、けっこうな角度がついていて、さらにその左のアプローチ部は、鋼矢板で持ち上げている。 南東側は、新桁の橋台はすぐ近く、に設置されている。 アプローチ部は、やはり鋼矢板で持ち上げられている。 * * *
帰宅後、そもそも橋梁名を知りたいと思ってGoogleストリートビューを見たところ、2011年は旧桁、2014年は新桁になっていた。この間に架設されたのだろう。 橋梁名がわからないまま検索していたら、国交省北陸地整のサイトで「亀田跨線橋の架け替え」というような報告がヒットした。それによれば、主桁の「支点部」(支承のことか)に著しい損傷があるため、2012年9月15日から急遽全面通行止めにして、「応急対策として仮設橋を設置し」、2013年12月30日に全面通行止めが解除されたとのこと。 ということは、いまも「仮設橋」のままなのだ。くれぐれも車高の低いクルマは気をつけてくださいますよう…。 ここで「亀田跨線橋」という橋梁名が判明したので、それで検索したら、マンガ家・古泉智浩氏の自主制作映画「亀田跨線橋」が出てきて、ほかの作品にマスノさんが出演していたりして、いろいろびっくりした。 |
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