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雪国の道路上に、ゴムの板が散乱していることがある。「散乱」と書いたが、そう見えるだけで、これらには役割がある。


これらは、巻機山の登山口・清水集落のものだ。「清水峠」の「清水」である。

 
雪国の道路には、たいてい中央に消雪パイプが埋め込んである。水をそこから噴出し、道路上の雪を溶かすのだ。これとセットで道路両側には融雪溝があり、融雪水は水量は道路の傾斜に沿って、そこに流れ込んでゆく。

しかし、特に道路の軸方向に傾斜がある場合、さらには曲線も加わる場合、水の流れは思わぬ方向に行ってしまう。そこで、融雪水が家屋等に支障しないようにコントロールする必要がある。その道具として、ゴム板が置いてある。

未舗装の林道では、道路を斜めに横切るようにゴム板が縦に埋めてある。それも同じく、山側からの水や路面を流れ落ちる水を制御するためのものだ。

 
写真は、最初見たときは粗大ゴミかと思ったのだが、よく見ると、人為的にこの位置に置かれている。これがないと、右手から来た水は赤い箱の手前の融雪溝に入ってしまい、もったいない。これがあると、さらにその先の道路上まで流れることができる。

 
融雪溝に流れ込んだ水を勝手に再利用するシステム。なんとなく堰き止めて、そこにポンプを設置している。ここから自宅前などに引き込むのだろう。

 
まだ雪のシーズンの前だったが、集落内は流水音でにぎやかだった。斜面にある集落なので、どの家にも水が引いてあり、あるいは水が溜めてあった。



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能登半島の能登町南部にある下路プレートガーダー。道路橋の下路鈑桁は、珍しくはないが少数派であることは確か。上路の欄干よりははるかに「ガードレール感」があるが、なにしろ狭い印象になる。

 
鉄道用鈑桁と異なり、内側のスティフナー(縦方向の補剛材)が下に向かって傾斜している。これだけの大きさがあるなら横桁と一体なのかもしれないが、そうすると今度は数が多すぎる気がする。床版に隠れているのでわからない。こちらは左岸側。

 
 
親柱は、左が「昭和三十七年六月架」、右が「中央橋」。左のものは「竣功」「竣工」となっているものがほとんどだが、「架」というのは初めて見た。「架橋」でも「架設」でもなく「架」。

 
右岸側。

 
 
親柱の左は同じく「昭和三十七年六月架」、右は「ちゅうおうはし」。架設年は普通は1ヶ所で、河川名が入るものだが、この橋梁には河川名がない。


***

2枚目写真の奥に「タクシー」とある。こういう場所でも需要があったのだな。
 
当然というか、すでに営業はしていなかった。「タクシー」という看板の上には「宇」と羽根を組み合わせたマーク。地名は「鵜川」なのでそれとは無関係だろう。

 
 
そのすぐ近くにあった「ドライブイン 銀世界ホテル」。その後、寿司店となり、いまは営業していないようだ。この1.5車線の細い道にドライブインがあったのか。

この地域はかつての鵜川町の中心部と思われるが、観光スポットがある場所でもなさそうだ。国道からも外れている。どういう需要があったのだろうか。










 
三つの三桁国道が重複する徳島・香川県境付近で、オレンジ色が目に飛び込んできた。閉鎖されてかなり久しい感じがする。

 
陽射しが当たる方向・日陰方向ともに、あまり状態に差がない。

 
写真右に向かう登り坂。サービスルームには「清水峠給油所」の文字。

 
この給油所跡に突き当たるような形で道路がある。そこに白看。おそらくこちらが旧国道377号。接続部がつけかえられ、ここは旧道化したのだろう。







 
かるお@Oldroutewalkerさんが発見、投稿なさっていたものが「土木ウォッチング」に転載され、それで知った大阪最南部の橋。なんと、最初期の鉄道用鉄橋である英国製70フィートポニーワーレン桁の生き残りの可能性がある。詳細な検証は「関西の公共事業・土木遺産探訪」にあるので、そちらを参照されたい。

 
架かっているのは国道170号の旧道。こういう橋は、一般的な桁橋だと勝手に思ってしまい、わざわざ構造を見ようとは思わないよな…すごい。

 
見づらい位置なのはわかっていたので、ドローンで撮ろうと思ったのだが、谷側の樹木の繁茂がすごく、とても飛ばせない。ただ、幸い、右岸(東側)は近付くことができた。構成は浜中津橋と同じだ。


こちらは浜中津橋

支承に載る部分や垂直の端柱の「外側」、本来横桁が載っていた部分(すぐ後に記述)などの差異はあるが、それらは後天的な改造であり、前述のリンク先の考察のとおり、転用桁だろう。

 
下弦の格点の間に、板と、板を外したような跡が二つ見える。板と右端の跡は、縦桁を載せるための横桁があった部分だろう。


これは見沼代用水橋梁。本来、この桁にも、黄色い矢印の位置に横桁があったはずだ。

 
 
右岸の親柱。「竣工平成8年8月」。改修工事ということだろう。

 
 
左岸(西側)の親柱。「おおみやばし」「見出川」。「みでがわ」と読む。








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