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(地理院地図+カシミール3D)

毎年恒例、1年間のGPSログ。今年は「46都道府県」に足を踏み入れた。残念ながら沖縄県だけ、相変わらず、ない。

個人的に特筆したいのは、ようやく太平洋フェリーに乗れたことだ。新潟が実家の私には、仙台~苫小牧のフェリーを使うなら、新潟~苫小牧東/小樽のほうが、実家にも立ち寄れるので使い勝手がいい。でも、経験として乗ってみた。GPSログのために1等に乗った。

GWは中国地方ツーリング。夏休みは北海道ツーリング。11月に九州ツーリング。そして年末は九州・四国ツーリング。宿泊したのは約半分の22道府県(東京都を除く)。キャンプは15~16泊くらいだろうか。船中泊は4泊。同じ県に複数回泊まっていたりもするので、平均週イチ以上となる。

ログのうちいくつかは、丸田祥三さんの新刊『廃線だけ 平成・令和の棄景』の撮り下ろしの取材に同行させていただいたもの。名古屋往復、山口往復、北陸を2周、秋田往復等々。その成果は満を持して2024年に結実する。ぜひお楽しみに。

今年は少し未乗の鉄道路線に乗った。「乗りつぶし」はできる範囲でしていたのだけれど、自分で決めたルールに則って、2万251kmまで来ていた。あと約1500km。ということで、5月の九州遠足と、6月の「大人の休日倶楽部パス」の時期を使って900km強に乗り、年末のツーリングの途中で予讃線海線に乗ってきた。残るは500km弱だ。

2024年は、とりあえずは2月に熊本往復の飛行機をとってある。また、来年こそ沖縄に行きたい。沖縄に行ったら行きたいところは山ほどあるが、まずはGPSログを一通り取得するために走り回りたい。GWにバイクで行くか、閑散期の週末に飛行機+レンタカーか。後者かな。レンタバイクもいいな。来年もほうぼうに行きたいと思っています。

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ワム80000はかなりの数が倉庫として使われているが、ワキ5000は希少。全長が16m近くあり、ワム80000の6割増し。運搬や据付もワム80000よりも格段に難しく、費用も相当にかかると思われる。

 
側面は総開きのワキ5000。とはいえ倉庫の使い勝手としては、重いドアをいちいち開閉するのは大変だろう。そういう理由かどうかはわからないが、ドアが二つつけられている。

 
妻面は明かり取り窓かな?

 
別海町の指定文化財として保存されているJR標津線の奥行臼駅には、いくつかの、駅施設に付属する建物も保存されている。駅舎や歴史は多くの人が書いていると思うので、ここではそれらをアップする。

なお、駅舎については、詳細な報告書が2023年6月に公開されている。
● 旧開拓使別海缶詰所、および旧奥行臼駅本屋 実測調査報告書

 
 
 
風呂小屋。中に入れないのが残念だが、浴槽が見えた。公衆浴場のように煙抜きがある。基礎が新しいが、この建物は春別駅に残されていたものを移設したもの。罐はよくわからなかったが、石炭だろうか。

 
 

石炭小屋。遠目では、貨車の廃車体のようなサイズ。柱は古レールで、壁は古枕木。ここにバラ積みというか、ストックされていたのだろうか。蒸機への給炭ではなく、駅舎や風呂場、職員宿舎の燃料用だろう。冒頭の報告書では「諸舎4号」、1933年築。

 
 
これは、報告書で「詰所1号」としてあるもの。1933年築で保線員のための詰所らしい。

 
 
 

保線倉庫。報告書では「倉庫1号」、1940年築で1959年に増築。かなり傾いている。向かって右手は保線用の車両が納められていたのだろう。

冒頭写真、駅舎左にあるのはおそらく「井戸屋●(判読不能)」、つまりは井戸のための小屋か。

 

駅舎の事務室内には入れないけれど、覗くことはできる。また、待合室部分は見学できる。待合室に掲げられている運賃表は、ローカル仕様か。というのは、国鉄では、どんなに小さな駅でも、東京都区内や大阪など、全国の主要駅が記載されるのが常だったからだ。そのあたりの規程はあるはずなので、見てみたい。



 
草木に埋もれていた天北線の上音威子府駅は、2015年に整備された。駅名標は、幸いにも、よくあるように「方向幕フォント」や「JNR-L」ぽい書体ではなく、現役時代と同じ字形で再現されている。

1998年に訪問した際には駅名標はなかったと思う。現役時代に撮られた写真を見ても形が異なり、照明もないので、再建されたものだろう。

 
整備から8年、草木の侵食はけっこうな勢いだ。路盤はほぼ見えない。

 
ホームにはアンテナのようなものが1本。電源が引かれている。

* * *

  
 
1998年8月に訪問したことがある。駅名標はなさそうだ。「上音威子府通信中継機室」と書かれた小屋のドアには、現役時代に書かれたものだろうか、落書きがあった。「機」は略字。

 
駅舎だけの写真をなぜ撮っていないのか。まあ、当時は鉄道趣味からは完全に離れていたし、記録しようという気持ちもなかった。

ホームにバイクを上げて写真を撮っているけれども、当時は別になんとも思わなかったし、世間もそんな感じだった。いまならためらう、というか、たぶんしない。





 
国道244号が標津川を渡る部分の南行のルートに架かる標津橋は、日本で唯一のフィーレンデールリブタイドアーチ。アーチリブがフィーレンデール構造になっているものだ。床版を単純に吊り下げているように見えるが、タイドアーチ。


アーチ橋にはいろいろな分類があるが、アーチリブの作り方でも分けられる。基本は1本の棒がアーチとなる「ソリッドリブ」。これは箱形、円柱形、プレート型が含まれる。リブが複数あってお互い補強されているものが「ブレーストリブ」。トラス構造がほとんど。このフィーレンデールリブアーチは「ブレーストリブ」のバリエーションだ。

 
東京都の豊海橋のような直線状のフィーレンデール構造…つまりはハシゴ形であれば解析もしやすいのかもしれないが、それがアーチ状となり、負担するのは圧縮力だけとなると、まったく違うのだろう。新幹線計画時と開通後の国鉄技師長にしてのちに国鉄総裁、鉄道公団総裁、土木学会会長を務めた藤井松太郎の卒論は、このフィーレンデールアーチだった。土木学会論文集かなにかで見たことがあるのだが、検索してもちょっとわからない。見たときにメモ、というかここに書いておくべきだった。


アーチリブは吊り材を垂らすからか、フィーレンデール構造といっても方形ではなく、平行四辺形の一辺をつぶした形になっている。

 
アーチ橋は、アーチと補剛桁が同じくらいの太さのローゼや、桁橋をアーチで補強した形のランガーが多いので、このような単純な(?)タイドアーチはとても華奢に見える。


北側から。「きれいな赤だな」とは誰もが思うだろうが、日本唯一の構造だとは誰も思わないだろう。

 
南側から。

 
 
北側の上流側の親柱は「標津川」、下流側は「標津橋」と令和4年度選奨土木遺産の銘板。

 
 
南側の親柱。上流側は「しべつはし」、下流側は「昭和61年11月完成」。このアーチの竣工1962(昭和37)年、北行の竣工は1983(昭和58)年。昭和61年というのは標津川の拡幅に伴って橋が延長された年だ。

この標津橋の沿革は、コミュニティFM局のFMはなのサイトが詳しい。













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