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関門トンネル人道 国道2号

隧道・廃隧道


 
初めてバイクで関門海峡をバイクで渡ったのは1997年だったか。そのときは、関門道を九州から入り、めかりPAに銀マット+シュラフで寝て翌朝下関で降りたと思う。1区間なのに8~9時間もかかっているので、当然、係員に聞かれたけれど、「めかりで寝てました」と答えて、すんなりOK。そういう見た目だしね。

 
その後のバイクツーリング等では、基本的に福岡エリアには立ち入らないので(どうしても中南部になる)、人道トンネルを行く機会はなかった。2019年9月に下関を回ったときは、市内のクルマの多さと暑さに辟易して、とっとと東に向かってしまった。

 
2023年5月、ようやく機会が訪れたので、文字から入った。門司港レトロ観光線に乗って終点下車、そこから徒歩。門司港レトロ観光線は、そのとき使っていた「旅名人の九州満喫きっぷ」でも乗れるのに、ちゃんと説明を読んでいなかったので、別にきっぷを買ってしまった。

 
入口からエレベーターで降りると、広い空間の向こうに、国鉄の駅の地下通路みたいな雰囲気のトンネルがある。これが人道トンネルだ。

 
これを見に来た。

 
海底部分は780mで突っ込み勾配。そこそこの数の人が歩いている。多すぎず、少なすぎず。立ち止まって写真を撮っている人も多い。関門トンネルを通れない原付は、ここを手押しで進むしかない。

 
県界部分。

 
逆から。

 
 
下関側。「みもすそ川町」と平仮名が正式。漢字では「御裳川」と書く。本当は「御裳濯川」のようになると思うのだが、脱落したのか。

 
エレベーターで地上へ。この料金箱が、原付用だ。

 
下関側。

 
出た目の前が、みもすそ川公園。いろいろなものがあり、観光客も多い。目の前には関門橋。







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ブルーウィングもじ

橋梁一般

 
門司港にある、歩行者用の跳開橋(可動橋)。写真左に見えるのは関門橋。手前(南)が親橋、対岸(北)が子橋で、持ち上がる仕組みは異なる。

 
親橋の桁は片持ちで、主塔から吊っている。主塔の根本をピボットとして、ケーブルを巻くと主塔ごと傾き、桁を持ち上げる。門司港のクルーズ船が出入りすることがあるようだが、この橋がなくても船溜まりを数百メートルほど迂回すればいいだけなので、役割としては観光用、現地のシンボルだろう。

 
写真左が、陸地側(ウインチ側)で、2本のケーブルは主塔内の動滑車に繋がる。右が桁側で、こちらのケーブルは桁を吊っている。

対岸に渡る。
 
こちらは子橋(降りている状態)の可動部分。桁下を油圧で押し上げる。

 
青焼きにも見える色使いの説明板があるが、けっこう褪せている。

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鉄道用上路プレートガーダーのような歩道橋

鈑桁(プレートガーダー)

 
山口市北部の国道315号を走っていると、塊感のあるプレートガーダーがあった。まるで鉄道の上路橋のように桁高さがあり、相当な強度がありそうだ。


近付くと道幅はなく、歩道橋。この幅だとますます鉄道用に見えるが、鉄道用の上路橋は内部に多くの対傾構(筋交い)が入っているので、これは違う。

 
この塊感。

 
対岸より。もっと長いスパンでもっと華奢な歩道橋は無数にありそう。道路橋の転用だろうか。

 
対岸より。





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無縁如来塔

集落・路地


小豆島で、墓地にピラミッド状に墓石が積まれている場面をいくつか見た。墓地だしそこを見学するのはなあ…と思いつつ通り過ぎていたが、特異な光景なので、バイクを停めて近付くと、それは、無縁となった墓を会葬した供養塔だった。

 
海に面している墓地。それぞれの区画はけっこうな広さがあるが、それには理由があった。

 
 
 
「墓地完成記念碑 一九七八年」という碑がある。その裏の碑文を書く。漢文調なので一部の漢字表記やカナカナやは平仮名に直し、分かち書きにする。

昭和五十一年一月部落総会において中島墓地を埋立整地区画して各個人に譲渡すことを議決 九月墓地委員会を結成 十月中島地区狭小のため新発意造成を計画 十一月西地区一括工費千五百十一万余円で坂本工業と請負契約定結 翌年一月着工 五月岡南地区完工 六月中島地区の工事に着手 あわせて無縁如来塔森重雄氏により着工 まず大松堀取基礎工築十一米四面塔台七月完成 八月部落総動員奉仕の旧塔解体石塔洗浄塔上配列 九月完了 墓地埋立区画焼香場完成 十一月一日無縁如来塔の開眼供養墓地落成の式典を誉行 以上のごとく着手以来一年余総工費地代共三千三百九十七万円余 思うになせばなるの譬えのごとく部落民渾然一体となり完遂を得たものである 工事監督松本杢治氏 右墓地委員会(以下顧問・委員・部落委員・組長の氏名略)


「埋立」と書かれているが、1974~1978年の空中写真を見ても周辺は埋め立て・拡張されたようには見えない。砂浜に面していたが、護岸工事をして防波堤を築いた際に整地した、という意味だろうか。いずれにしろ、墓地を整理し、新たな世代に受け渡そうということだろう。

墓地北西に、校舎に見える建物があるが、建て替え前の神社か。ここ伊喜末地区の小学校は1913年(大正2年)には四海小学校(しかい)に統合され、2015年には小豆島本島部の小学校すべてが統合された土庄小学校1校となっている。もっとも、人口の多い町でもあるので、児童数は470名余の規模だ。

四海小学校は、いまなお閉校当時のWEBサイトが存在している。それを見ると児童数は54。いずれ役所の誰かが気づいて削除されてしまうだろう。

 
無縁如来塔に話を戻す。墓石がほぼ同じ大きさ、同じ形をしているのが興味深い。私の生家の墓がある寺は、まったくバラバラだ。

この塔は設置から40年を経ているにもかかわらず、塔を構成する墓石はいずれもきれいだ。いまもなお定期的に清掃されているのだろう。比較的新しめだと思われる墓石もある。この事業は昭和50年代前半のものだが、それから40年以上が経ったいま、同様のことはできるだろうか。相当に困難なのではないか。とすると、こうした供養塔が作られた年代というのは極めて短い期間だということになる。

●関連項目
花見潟墓地 砂浜にある国内最大級の自然発生墓地





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堂々橋 山口県のかわいいコンクリートアーチ

コンクリートアーチ橋

 
山口県萩市から国道490号を南下していると、とってもかわいいコンクリートアートが目に入った。なにしろ、欄干がアーチ型をしている。しかも、たったこれだけのスパンを渡すのに、スキューしている。

 
親柱はあるが、銘板等はない。「全国Q地図」の「2018年度全国橋梁マップ」によれば、名を「堂々橋」というようだ。こんな橋まで網羅しているQ地図すごい。国道ではありますが。

 
国道ですよ。この、ガードレールより低い欄干。よくぞ「より内側にもっと高い手すり」が設置されないものだ。黄色いガードレールが山口県であることを主張する。

 
欄干は、橋の構造そのものではないし、規格型というか既製品を使われることも多いのであまりバリエーション的関心がないのだけれど、こうした、手の込んだ意匠には心惹かれる。欄干のアーチは7。奇数であることも、凝っているというか、なんらかの意志を感じる。トラス橋が水平方向に奇数で分割されるのとは異なり、この欄干の「7」には構造の意味はない。普通に考えれば、全長から偶数で割って数値を決めるのが自然に思える。

Q地図によれば完工は1964年。もっと昔かと思った。それは、コンクリートの登場で比較的自由に造形できる喜びがこの欄干にも表れているのかと思ったからである。

 
国道490号の一光景。


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瀬戸内の菱形・木造建物

木製扉の菱形・バツ形等

●菱形扉
 

大きな木造建築。1階部分は全部倉庫で2階部分が居住区画か。一見、4枚戸、あるいは6枚戸に見えなくもないが、左から1、2、…6とすると、中央の3・4、板が菱形に貼られた2枚の戸のみが左右に開き、2・5はその戸袋的スペース、1・6はそれに合わせた意匠のようだ。

●大きな木造バス車庫
 
小豆島のバス路線の終点の一つ、坂手東。そのバス停脇にある大きな木造車庫。開口部は鉄製の柱と梁が組まれている。

●弧を描く木製窓枠
 
 
とある場所で見かけた、おそらく無住の住宅。2階の属面の明かり取り窓の上部が弧を描いている。煉瓦建築物の縦長の窓で上部をアーチにしているものがあるが、その意匠をまねたのだろうか。

●児島の鋸屋根
 
 
学生服の街・児島の田ノ口。カンコー、フジヨット、サクラの3メーカーがいまも拠点を構える。そこで見かけた鋸屋根。浮き輪さんのご教示によると、縫製工場の所有とのこと。もしかしたら、建てられた当時は紡績や織物工場だった可能性もある。そうした工場でも採光はとても重要だったんだな。

 
背面(?)には引き戸。この堀にかつて橋がかかっていたのだろう。








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水門町の千町川大水門/千町川水門/千町大水門

閘門・水門・水路


岡山県岡山市水門町。地図で見ると、千町川の河口に中洲のようなものがあり、そこには家が建っている。その両側は橋と表現されている。

 
現地で空撮するとこうだ(もっと高く上げればよかったのだが、現地が制限区域だと勘違いして上げなかった)。中洲のようなところには家がいくつか建ち、その両側には水門がある。ここの地名は水門町。

ここに建つお宅は、かつては(?)水門を管理する役割を担っていたらしい。

 
左岸川の水門を下流から。

 
ゲートの柱に銘板がいくつもある。上から

千町川大水門

しゅん功 昭和47年3月
施工 大本組

千町川水門
扉体形式 鋼製ローラーゲート…
製造年月 昭和46年12月
製造者名 三井造船株式会社

一級河川千町川
千町川大水門
岡山県岡山地方振興局建設部

 
右岸側の水門を下流側から。

 
こちらの銘板は、上から

千町大水門

千町大水門
純径間×扉高 16.00m×4.60m…
製作年月 昭和59年12月
製作 三井造船株式会社

一級河川千町川
千町大水門
岡山県岡山地方振興局建設部

となっている。

ということは、左岸は「千町川大水門」または「千町川水門」、右岸は「千町大水門」という、微妙に異なる名称なのだろうか。それとも単純に誤記なのだろうか。





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花見潟墓地 砂浜にある国内最大級の自然発生墓地

集落・路地

 
鳥取県の大山(だいせん)の北、赤碕の海岸沿いの高台を走っていたら、眼下の海側に広大な墓地が見えた。その規模がすごい。

 
説明板によれば、東西約349m、南北約19~79m、面積2万平米。この写真では見えないが、見下ろすと、そこには、古い墓石をまとめた場所があった。

 
 
 
 
 
嘉永や天保といった元号が彫られた墓石と、きれいな墓石が混ざる。古いものも彫られた文字がクッキリを見える。新潟の私の生家の建て替える前の墓は明治以降のものだったけれど、風化で文字はほとんど見えなくなっていた。周辺の墓もそんな感じだった。同じ海沿いにも拘わらず、かなり違う気がする。石が異なるのだろうか。

 
この墓地には「赤碕塔」がある。鎌倉時代末期に作られた、宝篋印塔と宝塔の様式を合わせもつ石塔だ。

 
このような置き場所がいくつかある。

 
「しぶ」とはヒサカキのことらしい。

 
説明板。




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最新のボーストリングトラス 筏天滝線9号橋

ボーストリングトラス

 
兵庫県養父市に「天滝」という大きな滝がある。クルマでは行けず、駐車場から1.2kmほど歩く。一般に、この手の場所は歩きやすい遊歩道なのだが、ここは登山道といっていいくらいの道。しかも標高差が200mほどもある。実際、ハイキングの格好をした人が多い。その登山道の橋として、近年、ボーストリングトラスが架けられたと聞いたので行ってみた。

 
こちらのレポート(PDF)に詳細があるのだが、旧橋は2017年に積雪により落橋、仮橋が架けられたものの人気観光地でもあるために2018年に架け替えた。その際の条件はこうだ。

・支間長10m
・積雪に耐える
・「鼓ヶ滝」の前にあるため、景観が考慮される
・2018年の水害からの復旧のためにヘリが払底しており、資材を人力で運ぶ必要がある。部材は20kg以下とする
・維持管理の都合上、部材を養父市内で完結できる

これらの条件から、部材が小さく、景観にも優れる(!)ピン結合のボーストリングトラスとなった。これは、ボーストリングトラスの上限がアーチ状であることも、この形式を採用する理由となった。

「(アーチ橋が)景観にも優れる/トラス橋は醜い」というのは関東大震災後の復興橋梁の頃にすでにあった意識であり、ここではトラス橋ながら上限がアーチに見えるボーストリングトラスにそれがあてはめられた。アーチ橋にしなかったのは、資材搬入の都合と部材調達が養父市内で完結しないという理由である。

 
直前まで通り雨が降っていたこともあいまって、滝の前に佇む小さなボーストリングトラスの美しい赤は、緑と焦げ茶を背景として美しく光っていた。見た目は、2本の鋼材をガセットを介して弦材としていることもあり、ブロックで作った多関節の玩具のような印象だ。

 
最大で20kg、合計で8.8トンとなる資材は、神戸大学山岳部・山岳会とそのOBがボッカとして運び上げた。

 
 
ピン結合はアイバーが弱点と言われるが、現代においてはどうなのだろう。おそらく、採用すると維持管理の人件費のほうが高くなるのだろうが。

この橋は通常の下路だが、奥多摩橋や和賀仙人橋の側径間のような上下反転した逆ボーストリングトラスは力のかかり方からしても理想的なのだが、架橋の費用…つまり人権費や細かな足場の組み方等が通常の平行弦よりもかなりかかるため、採用されることがないようだ。


 
 
対岸から。ここから天滝までは、まだ少しある。

 
天滝。「滝なんて、別に…」と思っていたのだけれど、想像の何倍もの高さがあり(落差98m)、その迫力に圧倒された。

繰り返しになるが、こちらのレポートに詳細がある。






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田島・横島 坊地ノ瀬戸にかかる睦橋/内海大橋

閘門・水門・水路


尾道と今治を結ぶ「しまなみ海道」は有名だが、周辺には橋で結ばれた島がたくさんある。向島の南東にある田島は本土と内海大橋で結ばれ、横島が田島と睦橋で結ばれている。

 
内海大橋(うつみ)。周辺は「内海」と書いて「うつみ」「うちのうみ」「うちうみ」といろいろな読み方をするので、難しい。

普通、最短距離を一直線に架橋するが、ここでは中間地点に岩礁があったこと、海峡を大型の船舶が通航することから、岩礁を利用して二つのニールセンローゼを架けた。ここをバイクで走ったとき、何も持たずに歩いている年輩の男性がいた。日常的な買い物などだろうか。歩いてこの距離…。写真は田島から対岸の本土を見る。

 
こちらは、その田島と横島を結ぶ睦橋。陸続きにしか見えないが、ここには「坊地ノ瀬戸」がある。両島から伸びた砂嘴に道路と橋が乗っかっている。

 
前方の軽自動車が突っ込んでいるところが田島の端部。こちらに腹を見せている防波堤は横島。その間の海は、田島側からは見えない。

 
今昔マップ(1895-1898)より、まだ橋が架かる前の坊地瀬戸(「ノ」の表記がない)。




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