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宮崎県新富町の砂丘

地図・航空写真・分水嶺

 
宮崎市から国道10号を北上し、佐土原、日向新富と過ぎ、左手の崖に沿うようになったところで、右手(海側)にJR日豊本線が見えるはず…と目を向けると、田んぼとビニールハウスの向こうに高台が続いていた。砂丘だ。

カシミール3DLスーパー地形で見てみよう。

左の地図の下方に沼が見える。その左上、「野中」という文字のあたりで撮ったのが冒頭の写真だ。海側を見れば、すこし高くなっている。

カシミール3Dとスーパー地形セットで標高を読み取れば、この砂丘間低地の標高は7~9m程度。対して砂丘は高いところで15~16mほどある。地図記号は針葉樹林、現地では松林だ。

陸地側は見るからに台地。頂部の標高は65~70m程度、遺跡も多く見つかっており、その調査から、この台地はかつて海底だったようだ。



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志布志線末吉駅跡

廃線跡


笹田昌宏さんの『廃駅ミュージアム』で知り、行ってみたかった駅の一つ。

志布志線の末吉駅付近の線路跡は、舗装道路になっている。その傍らに、プラットフォームが顔を出している。つまりは、かなり路盤がかさ上げされて舗装道路になっているということだ。

 
その道路沿い、すぐそばには待合室のようなものがある。見れば骨組みは古レールであり、「都城 鹿児島方面 のりば」という古びた掲示もあるので、一瞬、当時の遺構かと思うが、現役時代の写真を見ると、形が異なる。ということは、骨組みだけ再利用して壁を作り替えたのだろう。

サイト:南九州の鉄道を訪ねてより末吉駅

 
駅舎は改築されて「末吉鉄道記念館」となり、バス待合室兼用となった。駅前には錆止め色のレールなどが改めて置かれている。上に載るのはなぜか電気機関車の動輪。おそらくED76のものだと思う。



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新潟交通のバス廃車体と記憶

バス関連


新潟市の郊外、松林の中の道で出会った、新潟交通のバスの廃車体。

 
こんな立地。バスの向こう、左を向くと畑があるが、ここは、いかにもな砂丘の防風林。


 
 
 
中には入れないので、窓からのぞき込み、カメラを差し入れた。私が新潟にいたころ(1991年3月まで)には大型の「銀太郎」に混じってそこそこ走っていた気がする。「銀太郎」はメイン路線である信濃町・浜浦町線や西小針経由内野線で、亜幹線というか、附船町線や有明経由内野線はちょっと古い、こういう型が入っていたと思う(有明経由…はドアは中央ではなく後ろばかりだったかも)。まったく詳しくないのだけれど。

twitterでご教示をいただきました。だいたいの記憶と一致しました。ありがとうございました。






懐かしい写真がたくさんのサイトです。
■懐かしい《1979年(昭和54年)8月頃の》新潟交通バスの写真 「前編」




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新潟造船のドック周辺

船・舟


子供のころから慣れ親しんでいる、この門型クレーン。もちろん、親しんでいたのは逆の陸側からで、路地からはこんなふうに見える。


それを、佐渡汽船フェリーの上から撮ったのが上の写真。ドック周辺が、いろいろと興味深い。画面右に見える大きなクローラークレーンは、twitterでの@crane6540さんのご教示によれば住友重機(現日立住友重機械建機クレーン)のCT12000とのこと。最大吊り上げ能力650tというのがどれくらいのものなのかはわからないが、相当なもののようだ。

 
ドックの真正面を撮り逃してしまった。CT12000の稼働区域には、路面に鉄板が敷かれているのがわかる。履帯が錆色をしている。

 
そのさらに河口側にもドックがある。「新潟造船」の表示がある建屋の左側のドックは1944年製。逆の右側、青い屋根は「修繕機関工場」の間には、新潟交通入船営業所の建屋と赤い屋根のバスが見える。

 
ちょっと上流側に戻って。佐渡汽船の、ジェットフォイルのドックなど。

海上・河川上からの風景は、道路上からは見えないものがたくさん見えておもしろい。ところで、朝と夕方に鳴るサイレン、私はこのあたりで鳴っているのではないかと子供のころから思っていて、いまだに確かめてもいないのだけれども、ご存じの方、ご教示ください。なお、写真はすべて2014年5月撮影。2年前のものです。


なお『おでかけKomachiベスト』に、路地連新潟・野内さんのナビで新潟造船関連の記事が出ています。





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新潟市・信濃川河口部の浚渫作業

土木一般

 
新潟港(通称「西港」)は、信濃川河口に作られた港である。幕末の開港時には「浅すぎる」ということで開港が遅れたが、それは、信濃川が運び込む土砂によって推進が浅かったためだ。その後は信濃川の治水の土木工事にともなって徐々に砂は減り、また、浚渫作業も行いながら、ほぼ昭和初期には港がまとまった。
 
とはいえ、現在でも浚渫作業は欠かせない。上に掲げたのは、ときメッセの前での作業。起重機船は谷村建設のグラブ式浚渫船兼起重機船「第二翠龍号」。川底から削り取った土砂を、横付けした600立米積の土運船「谷村603」に落としているところだ。川水が溢れ出ている。スケールがわかりづらいが、開いたバケットは大型トラックくらいの大きさがある。これらの船は、谷村建設のサイトにカタログがある。

http://www.tanimura.co.jp/publics/index/224/


右に赤旗を立てている第十八松栄丸は監視船。


 
港内には、最新鋭の大型浚渫船兼油回収船「白山」がいる。写真は佐渡汽船ときわ丸から撮影したもの。こちらの浚渫はグラブ式ではなくドラグ式、すなわちドラグを河底に垂らし、ポンプで吸いとるもの。同時に会場に漏れた油を回収するという重大な任務を持ち、名古屋と北九州に配置された油回収船と3台で日本を守っている。

http://www.gicho.pa.hrr.mlit.go.jp/gyomu/minato/hakusan.html











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都城今町郵便局

郵便局舎


かつての国鉄志布志線今町駅跡の近くにある局舎。瓦屋根、切り妻、なんというのだろう、破風が埋め込まれたパラペットとでも言おうか。なぜ屋根の下に、ここまでマス感があるのか。


なんとも重そうな屋根を抱いている。

 
古い郵政書体。多くの場合は文字の裏に脚が出ていて浮いているのだが、これは、直接、壁面に貼ってある。




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志布志線安楽駅跡

鉄道


『廃駅ミュージアム』(笹田昌宏著)で知った、安楽駅。2車線道路…といってもメインではなく、その裏に並行する道の脇に、プラットホームが残っている。

こうした情景がたまらない、という感情は、小学校4年生のときに『鉄道ファン』誌上で見た篠山鉄道の廃線跡探訪記によって刷り込まれたのだと思う。そこには、写真の上にプラットホームの形がスミの線で載せられていた。

この「安楽」という駅名もまた、鹿児島らしくてよい(宮崎県にも多いようだ)。かつて同僚に「安楽」さんがいた。鹿児島の出身だった。


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三崎町立正野小学校

学校の建物


愛媛県の佐田岬半島の、三崎港からさらに先、三崎先端まで直線であと2.6kmの地点に「正野(しょうの)」という集落がある。その路地に迷い込んだ先に、この木造校舎があった。

 
いくつの教室があったのだろう。海保の2003年の記事では、生徒数17とある。


 校庭にクルマが停めてあるだけでなく、玄関を塞ぐ形で原付が停まっていたので、表札(?)こそ出ているものの、閉校した校舎だとわかった。


傍らに、閉校記念の石碑があった。校歌が彫ってある。歌詞の1番には「海」という語が4回出てくる。書が駒沢大学書道部の手になるのは、本校の卒業生かなにかの縁だろうか。

 
門柱も、そのままきれいに存置されている。のべ何人が、この小学校を卒業していったのだろう。1000人いないかもしれない。閉校は2005年3月。三崎町が伊方町となったときである。



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ALP SWEEPER

船・舟

ALP 306mt Bollard Pull Strikerを撮影したのは2016年4月2日。それと同じものがいまだ岸壁で艤装中だと思い、今回は望遠レンズを持って行っていたのでより寄った写真を撮った。
 
船首には「ALP SWEEPER」と書いてある。あれ? 先のブログでは「STRIKER」って書いてたはず、間違ったかな? と思い、先のブログに掲載した写真を見ると…

左側の門型クレーンのところ、すなわちドック内に、下半分くらいの、別の船体が見える! これはまったく気づいていなかった。ということは、この写真右に移っているのがSTRIKER、左のがSWEEPERだ。見比べると、4月に撮ったSTRIKERのほうが、7月に撮ったSWEEPERのほうより船橋(ブリッジ)が完成形に近かった。

残念ながら、あまりいい位置で撮れないが、真正面からは撮れる場所があった。なんという魅力的なフォルム。テスト航海は見たいなあ。







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『車掌車』(笹田昌宏著)

鉄道の本


車掌車はあこがれだった。ヨ5000やヨ8000もいいが、ワフに憧れた。合造車、狭そうな執務スペース、そんなところで一晩過ごしてみたい。子供のころ、そんなふうに思っていた。
 
本書は、90年代から鉄道車両保存に奔走している笹田昌宏氏による車掌車趣味の集大成というべき本だ。「型式解説」ある。「保存車探訪」ある。「駅舎となった車掌車」複数回探訪記録としてある。「資料」もちろんある。しかし、これらは鉄道月刊誌に掲載されても違和感がない内容…オーソドックスともいえる内容だろう。ヨ9000のレポートは、笹田氏が『鉄道ピクトリアル』に発表した記事をベースにしている。本書の素晴らしいところは、こういう基本を抑えた上で、趣味者の視線が存分に入っていることだ。

目次から抜き出す。

・台湾 車掌車&有蓋車 ぐるっと一周探訪の旅
・全米一周 形状とカラーで見せるカブース・ウォッチング
・アレゲニーの森で過ごした車掌車での一夜
・京都鉄道博物館収蔵への道のり ヨ5008の長い旅路
・オーナーは語る!「乗り鉄?撮り鉄?」いえ、「持ち鉄」です!ヨ8000形購入記
・舞台裏を明かす!車掌車ミュージアムの完成まで 甦ったヨ14188
・オーナーは語る!車掌車を喫茶店に

twitterでも、多くの方が買っていて、ある方は「車掌車は範疇ではないが、買わざるを得ない」ということを書いていた。それだけ、惹きつける内容だ。

車両保存活動に長く携わっている笹田氏ならではのものが、個人所有者や博物館保存の話だろう。車両の保存は、方法も、費用も、1両1両すべて異なる。「あれがこうだったから、これもこう」とはいかない。だからこそ読んでいて「その場合」のできごとが興味深い。具体的にかかった費用も書かれている。

また、氏の探訪の熱たるやすさまじく、アメリカのカブース探訪どころかギヤードロコの保存鉄道で宿泊施設となっているカブースにまで泊まってしまう。笹田氏とは『廃駅ミュージアム』をいっしょに作り、お話をうかがうだに、本業に、車両保存活動に、廃駅探訪に、とにかくお忙しいという印象だったが、こんな車掌車趣味まで隠して(!?)いたとは! 机上で満足してしまいがちな私は、そのほとばしるエネルギーの飛沫を煎じて飲まねばなるまい。

笹田氏が院長を務める「皮ふ科クリニックみなくち」には、氏が長年所有し、一時は放置状態にしてしまい、やがて修復中に文化財的価値に気づくことになるヨ14188が「車掌車ミュージアム」として保存されている。行かねばなるまい。
http://hifu-cl.com/

* * *

僭越ながら、私の写真が一点、掲載されている。笹田氏は、結局その車両をご自身で探訪しており、私の写真など使わなくてもよかったはずだが、奥付にクレジットまで載せていただいて光栄の限り。そして、その車両が「隠れ棒デッキ」(妻面には腰板があるが、ヨ3500の初期車は鉄の棒が格子状に組まれていた。一部の車掌は、その格子に腰板が張ってあった)だとわかり、探訪した甲斐があったとおっしゃっていた。

「クレープ屋さん」となっているが、私が探訪したとき…『廃駅ミュージアム』のための丸田祥三さんの撮影に同行させていただいた…は、カレー屋さんだった。そのときの様子はこちら。
ヨ5000のカレー店




1999年頃、どこかのキャンプ場で、ヨに泊まったことがある。どこだか忘れてしまったが、あれは幸せだった。今度は、意識してそういうところに行ってみようと思う。



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